地雷メニミエヌ









物ごとには何ごとも、程度というものがある。度がすぎればそれまで順調にいっていたものも うまく回らなくなり、失敗の原因となる。何ごとも、ほどほどが一番だ。

ダンテは自分の将来というものを、深く考えたことはあまりない。すべてはその場その場の思い 付きで乗り切ってきたし、これからもその姿勢は崩さないだろうと思う。が、そんなダンテでも 先行きが不安になるときというものはある。まさに今がそのときであった。

「……あの、さぁ」

そろりと紡いだ呼び掛けに応えるのは、いささか冷酷な印象のある低い声だ。

「何だ」

声の主はダンテの双子の兄であり、付き合いの長さから兄の口調や声音にはすでに慣れている。 ただ、そんなダンテですら気後れを覚えるときがある。
ダンテはベッドに身を預けた恰好で、傍らに腰掛け本に視線を落としている兄へ言った。

「もうちょっとさ、手加減とか、しねぇ?」

何に対してか、ダンテはわざとぼかした。判らないわけがないからだ。そもそも兄はひどく聡い。 ダンテが皆まで口にする必要はなかった。が、聡いと同時に意地の悪い兄は、ダンテの言わんと するところが判っているだろうに、わざとらしく「何のことだ」とのたまってくれた。
ダンテのこめかみがぴくりと震える。が、堪える。少しの辛抱だ。ここで声を荒げては、きっと 兄の思う壺になるに違いない。それは嫌だという一心で、ダンテはぐっと奥歯を噛み締めることで 怒りを抑え込んだ。

「俺が今、立てもできなくて寝たきりなのは誰のせいだっけなぁ?」

無論、兄のせいだ。ゆうべ、眠っているダンテに兄がしたことを、ダンテは詰っているのだった。 人が(厳密に言えばダンテは生粋の人間ではないが)気持ち良く眠っていたというのに、この兄は 何をしたのか。忘れたとは言わせない。身に覚えがないとも、言わせるものか。
ともすれば噛み付かんばかりのダンテの剣幕に、バージルはしかししれっとして言った。

「あれはお前が悪い」

当然とでも言いたげな言い種に、ダンテはさすがに辛抱しきれなくなった。兄の思う壺だろうが 構うものか。元より辛抱の利く性格を持ち合わせてもいないのだから。

「悪いのはアンタだろうが! せっかく気持ち良く寝てたってのに、アンタが何回も……ッ!」

ついに激昂したダンテの叫びを、兄はやはり冷ややかな態度でもって受け止めて。

「では訊くが、一昨日のことは覚えているか?」

出し抜けにそんなことを問われ、ダンテはぱちりと瞬きをした。おととい。唇の先で呟き、脳内で 記憶を巻き戻す。しばらく黙りこくって記憶を辿ってみるものの、弾き出された答えは無回答。 つまり何も覚えがないということだ。

「……何かあったっけ?」

無邪気にも問い返したダンテに、兄は予想していたのか肩を竦めた。その態度にかちんとくる ものはあったが、いろいろとどうかしている今日のダンテは、先刻に引き続きこれも堪えた。

「なンだよ」

言いたいことがあるならはっきり言え。兄をじろりと睨む。しかし。

「覚えていないならそれでも良い。俺が教えてやる義理もない」

冷淡にもそう言い放ち、兄はベッドから腰を上げた。そしてダンテが引き止める間も与えず、 さっさと部屋から出て行ってしまう。残されたのは、ぽかんとしたダンテの間抜け面。それから 「なんだよ、それ」という呆気にとられた呟きのみ。

「暴君」

口に出してみると、あまりにもぴったりとくる響きだ。ダンテは唇を震わせた。笑うに笑えない。 兄が暴君ぶりを遺憾なく発揮するのは、自分に対するときだということをよく知っている からだ。
何とも横暴な、専制君主。すべてが自分の意のままにならねば気の済まぬというたちは、周りの 人間にとっては傍迷惑としか言いようがない。それが我が兄とくれば――ダンテは深々とため息を 吐いた。

かりかり、と。不自然な音が聞こえたのは、ダンテの吐いたため息の尻尾が消えかかったとき だった。かりかり。ドアを引っ掻いているらしい、聞き覚えのある音に、ダンテは我知らず 安堵したようにほっと吐息をもらした。

「ユタ」

呼ばわると同時に、ドアがキィと軋んで少しだけ開いた。ダンテは寝そべったままだ。ドアは どうやって開けられたのか。その辺りのことを、ダンテは深くは考えない。
ドアの隙間をすいとすり抜けて姿を見せたのは、予想に違わず黒い毛並みがつやつやとした一匹の 猫だ。首輪はしていない。ダンテは黒猫を、名こそ付けたが飼っているとは思っていないためで ある。猫は猫自身の自由意思によってここにいる。ダンテはただ、夜露をしのぐためのすみかを 提供しているにすぎないのだ。
だから、黒猫の正体に気付いていないというわけでもないだろうが。
長い尻尾がくるりと円を描く。と、猫の背後で、やはり一人でにドアが閉まった。どういう 仕掛けかとは、ダンテは尋ねることもせず。

「ユタ、こっち来な」

手招きするダンテの耳に、「言われなくても」という声が届く。自分と猫しかいないこの場で、 それは誰の声であったのか。それすらも、ダンテは追及することなく。てっと床を蹴ってベッドに 潜り込んで来た猫を、笑顔で迎えて両手で腕に抱き込んだ。

「あー……これだよ、これ」

ふかふかの毛皮に頬を押しつけ、もふもふとしたその感触をたっぷり味わう。猫は抵抗しない。 ダンテのしたいようにさせている。いつも、こうだ。この賢しい猫は、ダンテの心をよく判って いるらしい。ダンテがこうしたいと思っていることを、機敏に察して自分はその補助に徹する。 だから、というわけではないかもしれないが、ダンテは近頃、この黒猫がそばにいなければ不安に 駆られることがある。
しっかりと自覚しているわけではないけれど。

もふりもふりと、ユタと名付けた猫の毛皮を楽しむ。癒される、といつもしみじみ噛み締める 抜群の手触りだ。兄と一悶着があった後など、何度黒猫の毛皮によって癒され、気持ち良く 眠ることができたか判らない。
そういえば、この黒猫と出合ったのも、兄と悶着があったときのことだった。

考えてみれば不思議な縁だ。猫と、自分とは。今まで何かしら動物と生活をともにしたことの ないダンテは、当然ながら猫の扱いなどまるで知らない。だというのに、猫は初めからダンテに 対して友好的だった。ダンテの与えた餌を、何の警戒も見せずに食べた。それは思い返して みれば、随分と異様なことである。

ともあれ、今となっては過去がいかに異様であろうと、どうでもいいことだ。

「まったく、餓鬼だな」

すぐ間近で、誰かが言った。誰だろうかと思うでもなく、ほっとけ、とダンテは応じた。餓鬼で 結構。唇を尖らせ、猫の毛皮に鼻面を押しつける。と、くすぐったいとの声が上がった。抗議の つもりか、長い尻尾がぺしりぺしりとダンテの後頭部を叩く。無論、痛みはない。加減している のだと、ダンテは無意識に知っている。

「ユタぁ……」

「うん?」

「バージル、どうだった?」

入れ違いで入って来たのだから、猫はまず間違いなく兄を見ているはずだ。しかし訊くことは なかなかにためらわれることで、ようよう口にしたものの、ダンテの声音はひどく弱々しく なってしまった。
ダンテの内心が、この賢い猫には判るのだろう。小さなため息。それから、器用に躰を丸めて ダンテの鼻先をざりりと舐めた。尻尾はダンテの頭を抱くように、しっとりと巻き付いている。

「いつもと変わらないふうに見えたけどな」

嘘だ。ダンテは思ったが、声には出さなかった。猫は判っていて、あえて嘘を言っているのだと 察せられたから。しかし下手な優しさも彼には不要であると知っている猫は、取り繕うではなく 言った。

「……いつもと同じで、仏頂面だった」

眉間の皺はいつもより多かったに違いない。思わず吹き出したダンテの、頬骨の辺りを猫が ざらざらの舌で舐める。

「気にするなとは言わないが、あんまり考えすぎるなよ」

押しつけにならぬ程度に、気遣う声音と口調。ダンテはゆるく笑みを浮かべ、「うん、」と 呟いた。ダンテの周りには、ダンテをよく甘やかす者が多い。この猫も、馴染みの仲介屋も。 もっとも、ダンテと親交のある人間は少ないが。
兄も。ああ見えて、ダンテを一等甘やかしているのは兄だ。子どものころから、兄の弟贔屓は 変わらない。ただ時折、ひどく酷薄になることがあるというだけで。しかしどんなにか酷く されても、ダンテは兄を嫌ったことなど一度もなかった。
拗ねることは、少なくないけれども。

「ん……」

猫の毛皮とあたたかな体温を抱き込んでいると、どうにも眠気が勝ってくる。無意識にもらした 吐息でそれを察したのか、猫がもぞりと身動ぎした。

「疲れてるんだろう? 眠って良いぞ」

抱き枕になってやるから、と。柔らかな尻尾がダンテの頭を撫でる。ダンテはにっこりして、 ふかふかの毛皮に頬をすりりと寄せた。

疲れているのは、確かなことだ。ゆうべは兄のせいで中途半端に起こされ、それから一睡もして いない。その間何をしていたかと訊くのは野暮かつ下世話というものだが、有り体に言って しまえばひたすらセックス三昧だった。無論、ダンテの意思ではない。兄が無理に、だ。とは 言え、兄とのセックスは毎度ダンテをこの上なく陶酔させる。最終的には、ダンテは兄に跨り 自ら腰を振るなどもしていたのだから、思い出すだけで顔から火を噴きそうだ。快楽に堕ちていく ダンテを見つめる、兄の好色な双眸――ダンテを淫乱と罵る、冷たい声。

忘れよう。ダンテはそう決めて、黒い毛皮の感触に酔い痴れながら眠りに落ちた。忘れてしまえ。 どうせ後悔や反省をしたところで、自身が快楽に弱いということは変わらない。加えて、どんなに なじろうとも、兄の性格が変わるわけはないのだ。
けれども、せめて。

(バージルの、ばか)

少しの恨み言をぶつけるくらいは、赦してくれたって良いではないか。





それから一時間後。
様子を見に部屋へ戻ったバージルは、黒い毛玉と絡まるようにして、至極 気持ち良さそうに眠る弟を目撃することになり。

「…………」

何となく、そう、あくまで何となく苛立つものを感じて、弟の頬をむぎっとつねった。



「ってぇ!!」



弟が叫んで飛び起きるのは、ほんの半瞬のちのこと。







一昨日、兄は弟にキスをしようとした。が、弟はそれを嫌がり、逃げることでキスを避けた。

抱き寄せようとする兄の腕すらも厭い、ぷいと背中を向けた弟。
伸ばした腕をどこへやることもできず、ただ弟の背を見つめる兄。

弟が兄を拒んだのには、もちろん理由がある。キスを仕掛ける以前、兄は弟をひどく叱り付けて いた。いわく、風呂から上がってすぐに、よく冷えたトマトジュースを飲むのはやめろ、と。 せっかく温まったところに冷えたものを流し込むなど言語道断、と。
弟は反撥した。飲みたいものは飲みたいし、下すような弱い腹はしていない。しかし強情な兄は 折れるということをせず、結局弟はトマトジュースを飲むことを断念せざるを得なかった。

キスを拒んだのは、弟のなけなしの意地だった。兄の腕から逃げたのは、せめてもの報復の つもりだった。

まさか兄が、そのことを根に持つことになろうとは、弟は思ってもみずに。





下らないと言えば下らない、今回の小さな騒動。本当にひどいのは、さて、どちらでしょうか。



















戻。



ダンテを寝かしつけるのが大好きです。