臨極
気にしたことなどあまりなかったのだけれども。――実際、気にする必要も理由もないことで
あるし。
けれども一度気にしてしまうとどうにも無視しきれぬものがあって。――理想が高いだけに目に
付いてしまったのかもしれず。
彼はじっと、鏡の中の自分自身と睨み合った。
「どうした」
無造作に投げられた平坦な声音に、ダンテはびりっと痺れが走ったかのように肩を跳ね上げた。
その過剰な反応に、声を掛けた男は不審を覚えたらしい。形の良い眉を顰め、低い声音でダンテの
名を呼ばわった。何か隠しているのか、と。
「な、んもねぇよ」
不穏な空気を前に多少どもってしまったが、あからさまに不自然ではなかったはずだ。表面上は
いつもと変わらぬふうを装いながら、内心おそるおそる男――双子の兄の顔色を伺う。銃弾の雨も
悪魔の群も恐れぬ鉄の肝を持ち合わせている彼であるが、こと兄に関しては全く違ってくる。
兄は彼にとって、この世で唯一の畏怖の対象なのだ。
兄の名は、バージルという。彼が様々な感情を以て呼ばわる、やはり唯一の名だ。
「ダンテ、」
静かな声。それは時に優しく響き、ダンテをふにゃりと溶かしてしまう。しかし、今は。
「バ、ジル」
凝視する先の兄の双眸には、あまり見たくはない剣呑な光が宿っており、ダンテは我知らず喉を
上下させた。
「俺に隠しごととは、良い度胸だ」
にこりと浮かべた微笑により、人へ恐怖を植え付けることの出来る人間など、そういないに
違いない。ダンテは頬を引きつらせ、観念するしかないのかと内心で頭を抱えた。そもそも
バージルに逆らうなど、ダンテには出来ないのだから話にならない。しかしダンテにも意地と
いうものがあるのだ。それもバージルの前ではあってないようなものと化してしまうから、
何ともたちの悪い兄なのだけれども。
結局、洗いざらい喋ってしまわざるを得なかった。
ふん、とバージルが鼻を鳴らした。くだらないとでも言いたいのだろうか。いかにもバージル
らしい言葉だと、ダンテはまだ聞いてもいないというのに勝手に納得して勝手に不貞腐れた。
どうせ、と拗ねて心持ち唇を尖らせる。
それがまったくの勘違いに過ぎないと、すぐに気付かせたのは当のバージルだ。
「俺はそう、肉がたるんでいるようには思わんが」
言って、ダンテの腹を撫ぜる。ダンテは思わずひゃっと声を上げ、恥ずかしさを紛らわす意味も
含めて、身をよじってバージルの手から逃れた。それが気に食わなかったらしいバージルが、
ダンテの腕を掴み自らのほうへぐいと引き寄せた。その力に抗することのできなかったダンテは、
バランスを崩してバージルの膝へ突っ伏す恰好で倒れこんだ。
「っ! 何するんだよ、バージル!」
がばりと顔を上げて兄を睨む。いつもの冷めた双眸にダンテを映したバージルは、睨まれる覚えは
何もないとばかりの澄まし顔だ。しかも。
「ひぃっ!?」
思わず奇声を発してしまったダンテだが、それも仕様のないこと。なぜならばバージルが、
何を考えてのことかダンテの脇腹を撫で上げたからだ。ただでさえ敏感なたちのダンテである。
それもバージルの手によって触れられることにことさら弱いときており、不意をついて触れられた
のだから堪ったものではない。
「な、にを……やめ……っ」
バージルの手はしつこくダンテの脇腹から腰、腹の周囲を撫で回ものだから、ダンテは狼狽し
ながら兄を睨んだ。手はこのまま腰より下へ伸ばされるのか、どうか。バージルの表情には何の
変化も見受けられず、どうなるものか予期できぬからこそ、ダンテの表情には困惑の色が濃く
なっていく。
「バージルっ……」
焦れて名を呼ばわれば、兄はようようダンテの脇腹から手を離し。
「確かに、肉が付いてはいるようだな」
さらりと吐き出されたそのせりふに、ダンテはぽかんとしてしまった。
「……それ、確認したくて撫で回してたのか?」
「そうだが、なぜだ?」
それ以外に何の理由があるのかと、真顔で問うてくる兄にダンテは脱力感を覚えずには
おれなかった。身構えてしまった自分の、あの無駄な純情を返せと腹の中でバージルの頭を
景気良く張り飛ばす。もちろん、実際にそんなことはできないので。
「あぁ……そう……」
何だかひどく疲れた。ぐったりと兄の腿をクッション代わりにして突っ伏したダンテの、艶の
ある髪をバージルが指で梳いた。これにも何か意味があるのだろうかと考えて、やめた。よほど
気に入っているらしく、ふと気付けばバージルの指はこうしてダンテの髪をいじっているのだ。
そこに何かしらの意味を求めるなど、それこそ無意味なことであろう。
ため息とともに肩力を抜いたダンテの耳に、バージルの低い声が滑り込んできた。
「知っているか、ダンテ?」
バージルとダンテとは、間違いなく一卵性双生児だ。ゆえに顔立ちも体躯もよく似ている。
(それを本人らが認めているかいないかは別として。)しかし声音は違う。バージルの声は
ダンテのそれよりも少し低く、これがさらに低められているときは、たいていバージルの
機嫌も悪い。表情はほぼ変わらぬので他者はなかなか気付きにくく、付き合いの長いダンテだけが
それを過敏に察することができるのだ。
似ていないきょうだい。独断専行、傲岸不遜、暴君にふさわしい性格と性質を持ち合わせた兄の
下に生まれた自分は、もしかすれば不幸なのかもしれないけれど。ダンテは生憎、その兄で
なければならぬという性質の持ち主であるから。
似ていないからこそ、一つになりたいという願望が強くなるのかもしれない。
「――ダイエットというものが流行っているらしい」
「え?」
完全に聞き逃した。目をぱちぱちと瞬かせていると、ダンテが理解していないことを察したのか
どうか、バージルがやれやれとばかりにため息をもらした。ダンテは慌てて「悪い」と詫びた。
「で、何?」
「……口で説明するよりも、実際に経験したほうが早いだろう」
「は?」
ダンテが間の抜けた声をもらすのと、バージルがダンテの下衣に手をかけたのとはほぼ同時。
そしてダンテが「え、え」と戸惑っている間に、バージルはまるで赤ん坊でも相手にしている
かのように、易々とダンテの下半身を剥いてしまった。あまりにも手慣れた早業に、ダンテで
すらも呆気にとられたまま反応できずにいる。その、隙に。バージルは無防備をさらすダンテの
下肢へ手を伸ばした。
「ひっ!?」
先刻に続いてまたしても妙な声を上げてしまう。自らの声によって我に返ったダンテは、
バージルの悪戯を阻止すべくそちらへ手をやる。が、しかし。
「大人しくしていろ、ダンテ。痩せたいのだろう」
逆に叱られてしまい、ダンテはわけが判らなくなった。それとこれとがいったいどのように
関連しているのか、全く理解できない。バージルの中では疑問などないのかもしれないが、
ダンテはそうはいかぬ。
「痩せるのとこれと、何の関係があんだよっ?」
単刀直入に問えば、バージルはさらりと答えていわく。
「黙って俺に任せていろ」
この傍若無人な兄をどうしたものか、誰か知っているなら教えて欲しいとダンテは切に思った。
長く細い、節の張った指が腹を撫ぜる。ダンテは首をゆるゆると振り、手をどけてくれるよう
訴えた。言葉はない。音として紡がれるのは荒っぽい吐息ばかりで、明確な言葉を紡ごうとすれば
羞恥に堪えぬ嬌声になるだけだった。
どうした、と兄が問う。意地の悪い笑みを唇の端に浮かべているバージルを、ダンテはぼやけた
視界にいっぱいに映した。バージルの端正な顔立ちが二重三重になって見えるのは、ダンテの
双眸にじわりと涙がにじんでいるからだ。そしてその涙をにじませている理由はバージルに
ある。
頬を紅潮させ、唇を噛み締めて睨むばかりのダンテに、バージルは鼻を鳴らした。不機嫌な
それではないことは、表情からも明白だ。
「何か言いたそうだな、ダンテ?」
当たり前だとダンテは喉の奥で喚いた。ぐぅ、と喉が鳴る。それを聞いてバージルがくっくと
笑った。この兄は本当に意地が悪い。
「ダンテ、黙っていては判らないだろう」
ぐずる子どもをあやすかのような声音に、ダンテは眉をきゅっと寄せていっそうバージルを
睨みつけた。その表情に、バージルが少なからず昂奮を増したことを彼は知らない。自分の
何が、どのような仕種が兄を昂揚させるのか、いまだ理解していないダンテなのだ。バージルが
昂っているかいないかは、さすがに判るのだけれども。
やはり言葉を紡ぐことのできずにいるダンテに、バージルは焦れたのかどうか。珍しくも
はっきりとした笑みを頬に湛えた兄が、不意に腰を動かした。ダンテの顔が、瞬く間に
引きつった。
「ッひん……!」
ダンテは、バージルの腰に跨がる恰好で座っている。下肢は裸身だ。シャツは身に着けたまま、
革パンツの前だけを寛げたバージルのもので後ろを貫かれていた。本来何ものも受け入れるべき
でないそこを、ほとんどほぐさずに行われた挿入には悲しいかな慣れている。
痛みを訴えていたのは初めのみ。今は兄に下から突き上げられ、ダンテの躰は身悶えしつつ
悦んでいる。はち切れんばかりに膨らみ天を衝く濡れそぼった陰茎、そしてバージルの楔を食い
締め絡み付く粘膜とが、そのことを如実に語っていた。もっとも、ダンテ自身はそれを認め
られずにいるのだが。しかし快楽に馴らされた躰は本人の気持ちなどお構いなしで。
「っ! ひぁ、あっ、あ!」
止まらぬ嬌声。引き結ぶことを忘れた唇からは、バージルの作り出す律動に応えるかのように、
ひっきりなしに喘ぎがもれる。もう嫌だと、やめてほしいと目で訴えるが、そんな淫靡な姿を
眼前にして、自身を治めることのできる男はどれほどいるだろうか。ダンテはそのことを
すっかり失念している。今はただただ、苦しみにも近い快楽からの開放を望むばかりだ。
快楽に打ち震えながら、ふるふると首を左右にし続けるダンテを押し止どめるためか、頬に
バージルの手が添えられた。いつもと同じ、少し低めの体温。しかし熱でほてったダンテには、
いつもより冷たく感じてしまう。不公平だと眉を顰めたダンテの耳に唇を寄せ、バージルが
囁く。
「まだだ、ダンテ。俺に任せていろと言っただろう」
優しく、そして酷薄な言葉。ダンテが行為の中断を訴えるより早く、バージルはダンテの腰を
両手で捉え、軽くはないはずの躰を軽々と上下させた。
「やぁっ! やめ……あっ! あ、はぁっ……あんッ……!」
激しい律動に、ダンテは目をぎゅっと瞑って喘いだ。この体勢は、バージルのものをいつもより
深く受け入れるかたちとなるため、いっそう苦しさが増す。躰を横たえて交わる際には触れる
ことのない、最奥へと先端が届くのだから苦しくないわけがなかった。だがその苦しさも、
快楽の一部なのだ。
ぐちぐちと結合部が卑猥な水音をたてる。バージルがわざと音がするよう仕向けているのだと、
ダンテは霞がかった頭でそう感じた。
「苦しいか?」
耳に直接吹き込まれる声には、意地の悪い確信がある。ダンテはバージルの肩に爪を立てた。
肉に食い込んでいるかもしれないが、構っていられるだけの余裕などダンテにはない。バージルは
痛いとも言わず、顔に出すこともなく。むしろ笑っているに違いなくて。
「ば、か、兄貴……!」
喘鳴の下、罵った。これのどこがダイエットだ。確かに体重は減りそうなほど激しいが、こんな
減量法、ダンテは絶対に認めない。いや、認めたくない。認めてなるものか。
心の叫びが届いたか、耳に吹き込まれるバージルの声には底意地の悪さがありありと見えて
いて。
「良い度胸だな、ダンテ? 褒美に、お前が望んでいる以上に減量させてやろう」
要らない、とは言わせてもらえなかった。バージルの生み出す律動は激しさを増し、ダンテは
喘ぐことすらままならぬほどの快楽にただ翻弄された。
鏡の前に立つと、嫌でもあのときのことを思い出す。それから件の黄色い果物を目にしても、
そう。
だからダンテはあれ以来、鏡をできる限り見ないように顔を洗い、シャワーを使うようにして
いる。そしてあの果物に関しては見るのも嫌なくらいなのだから、当分は絶対に口にできない
だろうと、思う。
瀕死の体験をするに到ったバージルによる減量法で、ダンテがどれほどの減量に成功したのか。
それは当のダンテと首謀者たる兄のみぞ知る。
もっとバナーヌ的なアレを出したかったんですが…無念です。
間違ってもバナナダイエットはこれではありませんのであしからず。
兄はもちろん、わかっていてあえて暴挙に出たというアレです。
[08/12/16]