行進
よちっと一歩、踏み出した。続いてよちっと二歩目を踏み出す。
右、左、右、……その次は、もう一度右と出すのだったか。
有り得ない動きをしようとして、当然ながらバランスを崩し、もふっと横倒しに転んでしまう。
板敷の床に転んだというのに、なぜ躰がぽよんと跳ねるのか。それを問いただしたい気持ちは
大いに理解されるが、何も訊いてはいけない。彼らにも、それは説明できぬことなのだから。
一列縦隊に並び、よちよちとおぼつかぬ足取りで行進しているものは、見るからに奇妙な朱と碧の
小鬼だ。小さな胴体に短い手足がぴょこりと生え、人で言う首にはまあるい頭がぽこんと
乗っかっている。頭身は大雑把に数えても二つ以上はなく、おそろしいまでに全体のバランスが
悪い。要は躰に比較して頭が大きすぎるのだが、それも本人らにとっては大した問題では
なかった。
ぬいぐるみのような見目のそれを、小鬼と称する理由はただ一つ。それぞれの頭に生えた、
小さな小さな角の存在である。
床に横倒しになったまま、びろりと手足を伸ばした朱い小鬼が、むむぅと眉間に皺を寄せた。
「一体何が悪いというのか」
同じく横倒しになったままの碧い小鬼も、むむぅと眉間に皺を刻む。
「これで三度目であるぞ」
そう、彼らが転ぶのは、これでもう三度目のことなのだ。いい加減飽きたのか、だらんと伸ばした
手足からは完全に力が抜けている。ふっくらとした柔らかそうな手足に、何をどのようにすれば
力を込めることができるのか、まるで判らないが気にしてはいけない。
はふぅ、とため息。まったくそうは見えないが、彼らはかなり落ち込んでいる。
もう一度、ため息が出そうになったそのとき。
「……お前ら、そこで何してんだ?」
心底から慕ってやまない人物の声が、二匹の耳(どこにも耳穴があるようには見えないが)を
おっとりと(これは二匹の思い込みだ)撫でた。瞬間、小鬼どもの意気が異常なまでに
高まった。
もそもそもそもそ!
横倒しから腹這いになり、そして高速のほふく前進。一列縦隊を崩さず、朱を先頭に碧がそれに
続くという徹底ぶりだ。声の主が「ひっ」と悲鳴を上げる。朱と碧の塊が、目を爛々と光らせ
凄まじいスピードで自分のほうへ這い寄って来るのだから、恐怖を覚えぬわけがなかった。
所要時間、五秒。声の主がはっとしたときには、二匹を両肩にくっつけて立ち尽くしている状態と
なっていた。
「い、」
言葉もない彼に、二匹は頬をすりりと擦りつけ。
「主よ、絶句するほどに我らの勇姿に見とれたか」
「絶句するさますらも愛らしいとは、罪なことであるな、主よ」
「然り。主の愛らしさに我らはもはやめろめろであるぞ」
「然り。その愛らしさに我らはすでに骨折りであるぞ」
「む? 骨折りではなく骨砕きではなかったか」
「む? 骨を砕いていかにするのか」
「骨ではなく岩を砕くのであったか」
「岩を砕くならば土をならすべきではあるまいか」
「土をならして……はて、それでいかにするのか」
「はて、判らぬ」
「主よ、判らぬ」
ぴぃぴぃと喚き、唐突に話を彼へと振る。彼は驚きこそせず、脱力してため息を吐き出した。
「……そりゃ判らねぇだろうな……」
彼が何のわけがあってそうも脱力しているのか。鈍いというよりも感覚そのものが違っている
二匹には、ちらりとも窺い知ることはできない。できることといえば、彼の耳許でぴぃぴぃと
喚くくらいのものだ。
「いかがした、主よ」
「主よ、いかがした」
言いながら、彼の頬にぎゅうぎゅうと頬を押しつける。それも両側から。碧いほうはぐりぐりと
頭全体を擦りつけている。それでも角が当たっていないのだから、奇跡と言って良いだろう。
堪り兼ねて彼が声を上げるが、それはけして二匹への非難などではなくて。
「やめろって、ちょ、くすぐってぇ……っ!」
くすくす笑う彼の様子からは、嫌がっているふうはまったく見受けられない。であるものだから、
二匹はもれなく調子に乗った。
「主よ、もっと悶えるが良いぞ」
「もっとはしたなく乱れるが良いぞ、主よ」
息は荒く、意気は異様に高く、二匹は彼の頬に顔をすり寄せながら、彼の白いうなじをすりりと
撫ぜる。短い手の届く距離ぎりぎりのところだが、二匹はそのことにすら気付いていない。彼に
触れることに必死になりすぎて、他のことがまったく疎かになっているからだ。
彼の反応もまた、二匹の言動を煽る一因となった。
「っ、や、ちょっと待て、っ……そこ、は……」
首回りはやめろと彼は言う。が、しかしそのあまりの艶めいた反応に二匹の意気は俄然
上昇した。
「主よ、ここが弱いのだな」
「こちらなどどうだ、主よ」
もそもそ、もふもふ。朱と碧の塊が彼の肩付近で好き放題動き回る。彼が首が弱いと知ったから
には、そこを攻めずにどこを攻めるのだと当たり前のように思っている。
小さくなってしまった彼の肩は、元のそれと比べて随分細くも薄くもなったけれども、二匹が
ちょこんと乗っかるのに不自由はない。
触れれば、彼はどこもかしこも柔らかいのだと判る。本人は躰が縮んでしまったことにまったく
遺憾であるらしいが、二匹にとっては無論そんなことはなく。むしろ様々に愉しんでいる。それが
彼をいっそうに悩ませる一要因となっているのだとは、まったく気付いてはいなかった。
いや、彼が内心に葛藤を抱えていることは知っているのだ。ただこの二匹の難点として、
あまりにも彼のことを愛しすぎていることが挙げられる。彼を慕うあまり、いろいろなものが
ぽろぽろと抜け落ちることがよくあって、中にはわざと、置き忘れてくるものもある。
「主よ、我らの愛撫でさらに乱れさせてくれようぞ」
「我らの愛撫にさらに身悶えするが良いぞ、主よ」
あからさまで露骨な言葉を投げ掛けられても、当の主殿は狼狽の色も浮かべてはおらず、
頬を赤らめることすらもちろんない。二匹のこうした言動には慣れている彼は、それ以前に
まったく本気にしていないのだ。二匹が愛撫と言って触れてくることにしろ、くすぐったさが
先に立っているため快楽を得るなど有り得なかった。
「判った、から、離れろって」
べりべりと、そんな音はしないが朱と碧の塊が引き剥がされる。
「これからが本番であるぞ、主よ」
「主よ、焦らしぷれいをお望みか」
「それ意味判ってねぇだろ、おまえ。ったく……そんなんだからバージルに」
痛い目に合わされるのだと、彼は言おうとしてできなかった。その理由を知らぬ二匹の小鬼は、
どうした、愛らしい顔がさらに愛らしくなっておるぞと見当外れなことを喚き。彼の紅い唇が、
ひくりと引きつるのをじっと見つめていた。
「……こちらに来い、ダンテ」
絶対零度。永久凍土よりなお冷たく厳しい声が、薄暗い廊下の気温を一気に引き下げた。
よち、よち。もふ、もふ。
朱と碧のぬいぐるみが、一列縦隊で廊下を歩いていく。小さな足を懸命に動かせ歩く姿はいかにも
かわいらしく、見るものをほっと微笑ませる。しかし耳を澄ませば、彼らがまったくかわいげの
欠片もない声で、まったく愛らしさのない会話を交わしていることが知れ、確実に幻滅すること
だろう。
「昨日は実に惜しかった」
「然り。もう一歩足りなんだ」
「あと僅かで主を我らがものにできたというに」
「またしても兄上殿の邪魔が入った」
怒りを発しているらしく、ぺそぺそという不思議な足音にはどこか地団駄を踏むような重さが
ある……ような気がしないでもない。
「今日こそは我らが悲願を叶えるのだ」
「今日こそは兄上殿を出し抜くのだ」
「兄上殿の剣など恐るるに足らず」
「窓に吊されるなど軽いものぞ」
応、と息巻き短い腕を振り上げて。
アグニとルドラは今日も行く。
いいかげん懲りろよ、という声は、もちろん聞こえていようわけもなく。
久々、だと思われるアグルドでした。
もれなくギャグ調になります。…なってますか、ギャグに?