愚痴グチ









自棄になってみたところで、得になることなど一つもない。むしろ損をすることのほうが多いと いうことは、過去の経験上よく知っている。それでも、自棄にでもならねばやっていられない ときがあることも確かなのだ。





「……また、やけに飲んでやがるな」

呆れたような、感心したような声音が横合いからかけられて、しかしダンテはそちらを見やる こともしなかった。声の主は判っている。お節介焼きの仲介屋――自称情報屋だ。
ダンテが返事もせずにつんとしていると、わざとらしいため息が聞こえ、どかりと隣のスツールに 座ったらしい音がした。良い言い方をすれば恰幅の良い男だ(背は高くないが)、スツールの脚が ぎしりとつらそうに軋む音もしっかりダンテの耳に届いている。そのうち椅子など壊し てしまうのではないかと思う。もしその現場に居合わせたなら、大いに笑ってやろう。ただし それが今であれば、ダンテは笑わないという自信がある。笑えないのだ、今は。笑いたくても、 出来ない。

「で、」

カウンターの向こう側の親爺に適当に酒を頼み、それを待つ傍らダンテに問うてきた。何か あったのか、ではなく、

「訊いたほうが良いのか?」

と。ダンテは肩を竦めた。この男とは、他の人間と比べればそれなりに長い付き合いだ。 お節介なところの多分にある男ではあれど、こうした機微には誰よりも富んでいる。それこそ、 双子の兄よりも。(まぁ、あいつと比べるのは間違いだろうが。)
親爺がいつもと変わらぬ愛想のなさで、エンツォの前にグラスを置く。他人が何を飲んでいるか など興味もないダンテは、その中身を確かめることもなく自らのグラスを傾けることに集中する。 これで何杯目になるのだったか、覚えていないし数えてもいない。

エンツォもグラスを傾け、かろんと涼やかな氷の音を響かせる。そういえば、今日はやけに客が 少ない。どことも不景気だからだろうか、判らないが余所の荒事師どもの内情などダンテには 関わりのないことだ。

「なぁ、ダンテ」

エンツォが酒を半分程飲み、こちらへ声だけを投げてきた。ダンテはやはり、応じない。期待も していなかったのだろう、エンツォは勝手に話を続けた。

「自棄になるこたァ誰にだってあるが、程々にしとけよ?」

判ってる。内心で返そうとすると、

「ま、んなこた自分で判ってるだろうが」

と繋げたエンツォによって言葉を奪われてしまう。お節介。判っているなら放っておいてくれれば 良いものを、どうしてわざわざ隣に座って、意味のない言葉を投げ掛けて来るのだろう。まだ うら若いダンテには、そうせずにはおれぬという、年長者の心持ちなど判るわけもない。 ただでさえ、かなり飲んでいてまともな思考を持ち合わせていないのだから。

「煩ぇな……」

つい、文句が出た。我ながら餓鬼のような口調だ。エンツォが声は出さず小さく笑うのが、 視界の隅に映る。何だかひどく忌々しい。
エンツォは気取るでもなく、グラスの縁を上から吊り上げるようにして持ち上げ、くるりと振って 見せた。

「黙って飲んでるばっかりじゃ、よけい腐るだけだぜ。経験者が言うんだ、間違いねぇよ」

だから話くらいなら聞いてやる、と。まるで父親か何かのように、促してくる。その気遣いを、 ダンテは煩わしいと思ったが同時に心地好いとも思っている自身を、笑わずにはおれない。 結局自分は、こうして差し延べられる手にひどく弱い。
ダンテはグラスに残っていた酒と、氷とをいっぺんに口の中へ流し込み、飲み込んだ。小さく なった氷が胃を冷やしていく。そうして、初めてエンツォに視線をやった。

「後から、もう聞き飽きたなんて言うんじゃねぇぞ」

「おいおい、そんなにあるのか?」

呆れながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。拗ねた子どもの気を引くことに成功した父親とは、 きっとこんなふうなのだろう。ちらと映った親爺すら、似たような顔をしているので何だか尻の あたりがむずむずする。

「あるさ。嫌って程な」

いろいろなものを諦めて、ダンテは溜まりに溜まった愚痴を吐き出した。



エンツォがうんざりといい顔をしている。カウンターの向こうの親爺は、グラスを磨きながら まだ余裕のありそうな表情だ。二人ともが辟易した表情になったとしても、ダンテは構わず 話し続ける気でいるのだから、関係のないことではあるが。

「……なぁ、ダンテよぅ」

耐えかねたのか、それまで黙って話を聞いていたエンツォが口を開いた。

「それが自棄酒の原因なのか?」

本当に? と、疑わしげに問うてくるエンツォへ、ダンテは片方の眉を吊り上げて見せた。

「それ以外何があるってんだよ?」

酒臭いと自覚のある息を吐き、エンツォをじとりと睨む。いったい、どういう理由であって 欲しかったのだろうか。仕事がなくて懐具合が最悪でも、自棄酒などしたことのないダンテに 対して、どんな期待をしていたというのか。
ダンテが自棄になる理由など、決まっている。バージル。双子の兄だ。それ以外にあるわけが ない。

「だいたい何なんだよ、あいつのあの変な拘りは! 頭から水風呂に浸かっただけでなんで あんな、めちゃくちゃ怒られなきゃならねぇんだよっ」

しかも当面、水風呂は禁止とまで言われたのだ、何故そんな罰を受けねばならないのか問い詰めた ダンテに、バージル曰く。

――髪が傷む。やめろ。

「傷むって、去年は一回もそんなこと言わなかったんだぜ? なのに今年は……っ」

憤りが頂点に達すると、言葉も出ないようになるらしい。ぶすっと膨れっ面になって黙り込んだ ダンテに、エンツォが大仰に肩を竦めた。

「そんなに水風呂が好きだとは知らなかったな」

好きだ。この暑いのに熱いシャワーなど浴びていられるものか。そこのところを、暑さに強い バージルは全く判っていないのだ。

「バージルの馬鹿……」

万感を込めた呟きを、エンツォと親爺は何を思って聞いただろうか。まさか口に出ているとは 思っていないダンテには、判るわけもないことだ。

エンツォはため息を吐いてグラスを揺らしたが、親爺はどうやら呆れてはいないようである。 何やらカウンターの奥に引っ込んだのを見て、エンツォはダンテを自分一人に押しつけられたと 勘違いした。親爺が消えたドアを睨む。それらすべて、俯いているダンテには見えなかった。

「後からちゃんと頭洗うって、そう言えばバージルだって譲歩してくれんじゃねぇのか?」

「駄目だった」

「……言ったのか、いちおう」

ダンテはこくりと顎を引く。頭だけきちんと洗い直すからと、提案はしたのだ。しかしバージルは 頑としてダンテを水風呂に入らせまいとする。どうせ適当にしか洗わないのだろうと言って。 もっともそれは、ただの言い掛かりではない。熱いシャワーを厭うダンテが、頭を洗うからと いって湯を使うわけがないことを、バージルは予見したに違いなかった。だからダンテも、 ぐずぐずと言い募ることが出来なかったわけである。

「堅物なんだよ、アイツは。俺より髪のが大事なのかよ……」

バージルがダンテの髪をやたら気に入っていることは、もはやいまさらだ。気がつけばダンテの 髪に触れ、梳いているのだから。そしてそうしているときのバージルは、ひどく楽しげなのだ。 ひょっとすれば、ダンテを抱いているときよりも。

「なんだよ……ちくしょう……」

愚痴というよりも泣き言のような体を擁してきたダンテの口調に、エンツォはかける言葉も ない。きょうだい喧嘩と言うよりも、犬も食わぬ痴話喧嘩のように思えて仕方がないからなのだが、 ダンテはそのことには全く気付いていない。

バージルのばか。繰り返し呟くと、不意に目の前に場違いなものが現われた。それはいつも、 酒場に来るたびダンテが注文する品である。が、今日はまだ一度も頼んでいない。それが、 何故。
顔を上げると、親爺の愛想のない顔がそこにあった。

「それでも喰って、元気出しな」

「……気分じゃねぇ」

唇を尖らせて言えば、親爺はひょいと肩を竦めて見せ、

「どんな気分でも、好物を嫌いにゃならんだろう」

今日は特別に奢りだ、と。ダンテの気を惹くことに関しては、エンツォもこの親爺には 負ける。
ダンテは親爺と、好物のストロベリーサンデーを二度見比べ、唇を噛んだ。食べたいという 気持ちは強い。親爺の言うとおり、好物は好物だ。確かにどんなに機嫌が最悪でも、これを嫌いには なれない。

「奢りなら、喰う」

負け惜しみのように言って、ダンテはスプーンを握った。親爺が息子か孫を見るように目を 細めるのを、目撃したのはエンツォ一人だった。ダンテはストロベリーサンデーを、熱心に つついている為気付かない。
一口食べてしまえば、もう止まらなかった。かつかつと音をたてて食べる。貪る、という表現が 似合うと我ながら思った。きっと二人は、現金な奴だと呆れているのだろう。

「旨いか?」

問う、声へ。頭を上下させるだけで答える。口の中はアイスとクリームでいっぱいだ。もっとも、 こんなものはすぐに胃へ収まってしまうけれど。

夢中になること、五分。器の底の底まで残さず食べきったとき、ダンテはすっかり機嫌を 良くしてしまっていた。しかし散々愚痴を吐いた手前、仏頂面だけは保って(いるつもりで) 器を親爺へ突き返した。ごちそうさま。いちおう、呟く。

「おう、」

受け取る親爺の目は、何だか優しいものだったような気がするが、すぐに外方を向いたダンテには 確かめることは出来ない。唇は尖らせたまま、スツールから脚を下ろした。ポケットから、 くしゃくしゃになったドル紙幣を取り出し、カウンターに置く。バージルへの不平不満は まだまだ消えてはいないが、いつまでも燻っていても仕様がない。

「また来な」

親爺が言う。ダンテはくるりと背を向け、うん、と返して店を出た。口の中が、まったりと甘い。 自棄になったところで、得をすることなど何もないのだけれども。今日は少し、良いことが あったから。
帰路を辿るダンテの足取りは、どことなく軽い。



















戻。



エンツォ×ダンテではない。と思う。たぶん。