怪禍
くそっ、短く悪態を吐き、ダンテは左手に握った剣を構えた。右手にも剣を持ってはいるが、
腕はだらりと垂れ、動かない。いや、動かせないのだ。
右の二の腕に、肉を貫いて巨大な針のような棘が幾つも突き刺さっている。一息に抜けば
済むというものではないことは、傷口を見るまでもなく判った。針はそれぞれが触手のような
枝を幾筋も伸ばし、ダンテの腕に文字通り絡み付くように食らい付いているのだ。
下手に抜こうとすれば、今でさえ動かせぬ腕が使い物にならなくなるだろう。
茨をうぞうぞと蠢かせ、この棘の本体である異様な怪物は嗤っているようにも見える。
生物で言う頭は花になり損ねた粘土の如き肉塊。胴は太い幹。脚は竹の根のように這い地を
掴む。そして腕は、数え切れぬ程の茨の枝。それら総てが人の臓腑に似た色をし、死肉のような
腐臭をまき散らしている。
気色の悪い、吐き気を催す程にグロテスクな怪物だ。
「エンツォの野郎、帰ったら蜂の巣にしてやる……!」
いつも仕事の仲介をしている、本業は情報屋であるエンツォ・フェリーニョに心中で中指を
立て、ダンテは奥歯を噛み締めた。この怪物と戦わねばならなくなったのも、ついては
ダンテが怪我を負わねばならなくなったのも、総ては今回の仕事を持ち込んだエンツォの
所為だ、とダンテは言いたいわけである。
最も、いつもならば、この程度の作り物に負けるなど有り得ない。傷を負うこともなかった
筈だ。それが。
総ての問題は、依頼主に派生する。
男は大の植物好きだった。
趣味の庭作りが高じて珍しい植物を作ることに興味を持ったのが、今回の事故の始まり
だったのだ。
男は、薔薇の新種を作ろうとした。しかし世界には幾種もの薔薇が存在し、
更に新しいものを、となるとちょっとやそっとのことでは開発出来ない。何年も何年も研究を
重ねたが遂に薔薇は生み出せず、依頼主は半ば狂気に陥った。その狂気が、不幸にも悪魔を
呼び寄せたのだ。
肉体を持たぬ悪魔は男の念の籠った薔薇を媒体とし、取り憑いた。一匹では飽き足らず、
何匹もの悪魔が薔薇に宿った。
それらが男を取り殺そうとするまで、さしたる時間は掛からなかった。
それでも男が死なずに済んだのは、悪魔どもが新しい器に馴染んでいなかったことが
幸いした。恐怖に戦慄いた男が、エンツォの知人と顔見知りだったことも、男に
すれば幸いだったろう。
そうして、エンツォはダンテの許に依頼を運んだ。
悪魔絡みとは言え、詰まらぬ内容にダンテは初め断ろうとした。
しかしそう出来なかったのは……、
「主よ、来るぞ」
「集中せよ、主よ」
何故か声を弾ませている、双子の剣の所為だ。
「主よ、我の炎で焼き払ってくれようぞ」
「我の風で炎を強めてくれようぞ、主よ」
やいやいと騒ぎ、ダンテの腕の怪我など忘れてしまっているような彼らに、ダンテは
いい加減我慢の限界だった。
「煩ぇ! 誰の所為で右腕が使いもんにならなくなったと思ってんだ!?」
お前らが勝手にエンツォの依頼に乗ったからだろう。叱り飛ばしてやるが、二刀は反省の
色も見せはしない。
「主よ、我らを錆び付かせるつもりか」
「我らは長く血を浴びねば、錆びが付くのだ、主よ」
生きた剣である彼らの、言葉通りの餌は生き血である。人に限らず、悪魔の血すら喜んで
啜ると言うのだから、とんでもない悪食だ。
その悪食どもを、しばらく使っていなかったダンテにも、確かに否はあるかもしれない。
が、しかし。
「主よ、我らの扱いは非の打ちようがないが、」
「隙の多さは如何ともしがたいな、主よ」
やれやれ、と言わんばかりに宣われ、ダンテはキレた。
「煩ぇ、この悪食ども! てめぇらは黙って使われてりゃ良いんだよ、畜生が!」
痛みと怒りとで苛立つダンテを、双刀は宥める代わりに黙りこくった。ダンテが、
怪我を負った右腕を無理矢理動かし、不意を衝いて襲って来た触手をなぎ払ったのだ。
大丈夫か、などと間の抜けた心配をする声もない。そんなものを、ダンテも
望んではいない。
「俺の腕をやってくれた分は、きっちり別料金で請求させて貰うぜ」
言い終わるより早く、ダンテは地を蹴って跳躍した。薔薇の成れの果てを視界に収めたまま、
双刀を振るう。
風を巻いた荒々しい炎が、植物とも言えぬそれを焼く。「薔薇を殺さないでくれ」という
依頼主の馬鹿な嘆願など、最早頭にはなかった。
夜が明けて、ダンテはようやく事務所兼自宅に帰り着いた。と言っても、ダンテが自分の
足で戻って来たのではない。
「主よ、着いたぞ」
「我らの棲家ぞ、主よ」
声は二つ。応じる声はなく、あるのは静寂。それはそうだろう。ダンテには意識がないの
だから。
二人のうち一方が、気を失っているダンテを腕に抱え、もう一方が事務所の扉を開けた。
「遅かったな」
入ってすぐ、中から声が掛かる。いつから起きていたのか、バージルが腕組みをして
こちらを見ていた。
「何があった?」
鉄の声音で問い質すバージルに、普通の人間ならば尻込みしてしまうだろう。しかし二人の
男は普通ではなく、更には人間ですらない。ダンテの為、少々無理をして人型を
取っているのだ。
「主は悪魔に刺されたのだ」
「腕を刺されたのだ、主は」
「針は悪魔の死と共に枯れた」
「針は抜け落ちたが毒が残った」
どのように役割分担をしているのか、二人はそれぞれに一息に喋る。その間に、バージルは
片割れの腕からダンテを引き取り、横抱きにした。事務所を出る前とはまるで違う、
別人のようなダンテを。
無言のバージルを余所に、二人の話はまだ続く。
「毒は主の全身に回った」
「手遅れだったのだ」
「毒に侵され主はこの姿になった」
「こんな毒は聞いたことがない」
「主の耐性が裏目に出たか」
「主は縮んだ」
そう、バージルの腕に抱かれて未だ意識の戻らぬダンテは、十四程の子供の姿になって
しまっていた。
「全く……」
驚きはあれど、バージルは溜息を吐かずにはおれなかった。ダンテを連れ帰った二人組
――――アグニとルドラの会話を聞いていると、何だか驚きをあらわにするのが馬鹿馬鹿しく
思えて来てしまう。
そのアグニとルドラの双子の剣は、人型から一転、いつもの小鬼のぬいぐるみのような姿に
変じ、バージルの足許をちょろちょろと走り回っている。
「邪魔だ」
バージルが露骨に嫌そうな顔をするが、二体はどこ吹く風でバージルの周囲を駆け回る。
「主が縮んだ」
「主が縮んだ」
まるで楽しいとでも言いたげに、歌うような調子で繰り返すアグニとルドラ。
あまり感情に変化のないバージルだが、さすがに苛立った。
「……煩い」
低く言い、二体のぬいぐるみを踏み付けた。丁度二体が交差する所を狙い澄まし、一編に。
ぐっと体重を掛け、確実に潰しておいて部屋に向かう。
残されたのは、朱と碧の圧死体であった。
ベッドに寝かせるなり、今の今まで起きていたのでは、と思う程突然に、ダンテがぱかりと
目を開けた。しかし普通ならば小さからず驚くだろうに、バージルはやはり動じない。
「気が付いたか」
いつもと変わらぬ平坦な声で言い、ダンテの顔を覗き込んだ。
ダンテはいまいち状況が掴めていないようだったが、硝子玉のような瞳がバージルに焦点を
合わせるように収縮し、はっとしたように見開いた。
「あっ……バージル、俺?」
「アグニとルドラがここまで運んで来たんだ。後で一応礼は言っておけ」
一応、という部分に多少力が込められたことには気付かず、ダンテは「そっか」と呟き躰を
弛緩させた。
「あー、疲れた……」
心からの呟きに、バージルは肩を竦める。
「ゆっくり眠れ。もう夜は明けたが」
「そんでちょっと明るいのか……」
既にうとうとし始めたダンテは、部屋を出ようと背を向けたバージルの服を
つんと引っ張った。
「……何だ」
バージルが肩越しに振り向くと、ダンテはへらっと笑い、
「一緒に寝ようぜ?」
などと色気もなく誘った。
バージルは溜息を吐き、首を小さく左右にする。
「見た目だけではなく、中身も子供になったか?」
「…………へ?」
間の抜けた声をあげるダンテに、バージルは訝しげに眉を顰めた。
「……もしや、気付いていないのか?」
ダンテの反応は、あえて見るまでもなく判っている。
「…………何が」
「……鏡に映すまでもなかろう」
言って、バージルはダンテを指差した。つつっと下がった指は、ダンテの躰を差し示す。
ダンテは頭の上に疑問符を幾つも乗せていたが、自分の躰を見下ろして見事なまでに
固まった。びしり、という凍り付くような音が聞こえた気すらする程に。
「あの二匹の話によれば、悪魔の毒が原因らしい」
さらりと告げるバージルの言葉は聞こえているのか、ダンテはたっぷり数分は間を置き、
「い、」
「い……?」
「嫌だぁあああッ!」
文字通り、絶叫。
「何でこれ!? 何で選りにも選ってこんなことになるんだよ!? なぁ、俺何か悪いこと
したか!? 請けたくもない依頼請けてやったのに、何なんだよ、これはぁああ!?」
完全に錯乱しているダンテを、バージルは仕方なしに宥めてやろうとした。が、
「バージルぅうっ!!」
その前にダンテが、体当たりを食らわすようにバージルに抱き付いた。腹部に鈍い痛みを
受けたバージルは、一瞬息が止まる。しかし深い深呼吸で気を取り直し、腹に顔を擦り
付けてくるダンテの頭を撫でてやった。
「落ち着け。……総てはあの二匹の責任だ」
などと、さり気ない無責任さで、まだ心が混乱したままのダンテを焚き付けて。
バージルの予想通り、ダンテはがばりと顔を上げ、血走った目でドアの辺りを睨み付けた。
視線で悪魔を殺せそうだ、とバージルは完全に他人事のように思った。
「あいつら……ぶち殺してやる!!」
変声期前の高い声を限界まで低めて唸り、ダンテはバージルの脇をすり抜けて部屋を
飛び出して行った。
バージルはゆったりとベッドに腰掛け、ただことの成り行きを音のみで察することに
徹する。
間もなく、リビングの方からとてつもない破壊音と、それに伴い、この世のものとは思えぬ
断末魔の叫びが響き渡った……。
朝飯でも食べるか、とのんびり階下へ降りたバージルが、ソファー(らしきもの)に
寝そべった小さなダンテを見付けたのは、それからしばらく経ってのこと。ついでに、
クッションのようにダンテの下敷きにされた、朱と碧の何かをちらりと見た気もしたが、
バージルはあえて何もなかったことにした。
大破したリビングをどう片付けさせるかが、今日の課題のようである。
バージルは何故か無傷で佇む冷蔵庫を開け、我知らず溜息を吐いた。
昨日の更新から一転、微妙なギャグをお届けしました。
何と言うか、こんな筈じゃなかったのに…;
アグルドを出したのが、今回最大の敗因だったようです。
でも個人的にアグルド好きで…思い切って人型にしてみましたが、
やっぱりぬいぐるみが良い…。