機嫌キゲン









むにむにと、何かが頬に触れる。柔らかい。が、弾力があるらしく、程よく心地好い。何もの なのか気にはなるが、それよりもこのぷにぷにした感触により強い眠気に引き込まれてしまって、 瞼を開けることは甚だ困難だった。

「んん……む……」

自覚のない寝言をもらし、なおもむにむにと触れるものを抱き込むようにして、枕に顔を埋める。 眠い。ただそれだけが彼の思考を占めている。
と、

「痛ぇっ! 起きろ、いい加減!」

我慢ならず叫んだとばかりの怒鳴り声に、彼の意識も少しばかり夢の国からこちらへと浮上を する。しかし、目覚めるまでは到らなかった。
眉をしかめ、むぅ、と唸る。

「、る、せ……ねむ……ぅ……」

とろとろと二度寝をするのは好きだ。だからいつも昼まで寝て、朝食は昼食と兼用にしてもらう のである。誰にかといえば、無論、双子の兄であるバージルにだ。

バージルの朝は早い。ダンテがぐっすり熟睡している午前六時には起床し、部屋を出てしまって いる。もう少しくらい一緒に寝ていても良いだろうと、ダンテは思うのだがバージルはの見解は まったく違うらしい。意味もなく惰眠を貪るなど、時間の無駄だと考えているのだ。だから、 目覚めればダンテを残してリビングへ移動する。そこで新聞なり本なりを読んで過ごしている。 つまりは眠るダンテに構うよりも、そうして時間を費やすほうが建設的だというわけだ。

(ちぇ……)

半ば眠りの中にありながらも、拗ねて悪態を吐く。もちろんこれはバージルには内緒だ。まだ 子どものような部分を引きずっている彼だが、しかしそこまで子どもではない。
寝てしまえ。彼は寂漠を誤魔化す一番の方法に逃げ込もうとした。が、

「だから寝るなって。もう昼なんだから……」

呆れたような声とともに、例のぷにぷにした感触が額を叩いた。もちろん、痛みはない。何度か 額をぺちぺちされて、彼はようよう重い瞼を持ち上げた。

「んだよ、もう……」

まだ眠っていたいのに、と。ぶつぶつくさしながらまばたきを二度。ようやく焦点の定まりつつ ある視界に映ったのは、なにやら黒い塊だった。
何だコレ。ダンテは脳内で呟き、間もなくそれが、よく見慣れたいきものであることに思い 当たった。

「んぁ……、……ユタか」

艶やかな毛並みは耳の先から尻尾の先まで黒一色。しなやかな躰はダンテがゆるく抱き込み、 そこから腕を伸ばしてダンテの頬や額を叩いていたようだ。ぷにぷにした感触は、肉球か。 合点がいって、ダンテはちょっと息を吐いた。
頭に直接響くような、不思議な声が耳に届く。

「悪かったな、俺で」

いささかいじけたようなそれに、ダンテは「そんな意味じゃねぇ」と弁解する。

「寝起きで、すぐお前だって気付かなかったんだよ」

拗ねるなって。笑って言えば、黒猫はダンテの頬を肉球でむにりと押した。拗ねてない、と猫は 憮然として言うけれど、尖った声音が言葉を裏切っている。
ダンテはくすくす笑って、猫を抱えて仰向けになった。黒猫はダンテの胸にちょこんと乗り、 しかし手はダンテの顔にあてられたままだ。何が楽しいのか、むにむに、むにむに、肉球を 押し付けてくる。気持ち良いけれども、ちょっと、こそばゆい。

「よせって、くすぐったいだろ」

笑いながら、しかし猫の小さな手を押さえようとはしないダンテである。黒猫のしたいように させている。ちょっと猫の髭を引っ張ったりなどはするが、それも猫が嫌がる程強くはしない。 お互い、じゃれているだけだ。
むにりと、二つの肉球が顎に乗っかる。両手を揃えて躰を支えているような恰好だ。澄んだ瞳が、 じっとダンテを見つめてくる。

「どした?」

問うのと、猫が首を伸ばして顔を寄せてくるのとは同時だった。

「、ん」

小さな口が、ダンテの下唇に触れる。ちらと、甘噛みをされた。尖った牙は薄い皮を破れること なく、子猫を可愛がるような優しさで何度か食み、離れていく。

にゅう。

いつもと変わらぬ妙な鳴き声が、どこか名残惜しげであるように聞こえたのは何故なのか、 ダンテには判らない。

「ユタ?」

顎から肉球が離れ、黒猫がダンテの上から軽やかに飛び下りる。音もなくシーツを一つ蹴り、 床へ降り立った黒猫を、ダンテは肘をつき上体を起こして見やった。猫がこちらを振り仰ぎ、 にゅう、と鳴く。まるで何かを悲しんでいるように聞こえて、ダンテは咄嗟に「待て」と声を 上げた。黒猫がどこかへ行ってしまうような、そんな気がしたからだ。

「ユタ、」

猫は、ダンテの飼い猫ではない。ダンテはただ、猫に夜露を凌ぐ為の棲処を提供しているに すぎず、猫がここから出ていくのだとすれば、それを止める権利はダンテにはない。
しかし。

「…………」

思い付きで名をやった猫は、ダンテによく懐いた。気付けば視界のどこかにいて、じっとこちらを 見つめている。愛着が沸かぬわけもなく、今では傍らにいるのが当たり前になっている程だ。

真っ黒な猫が、ダンテを見上げて笑った気がした。

「どこにも行かない。ここにいるから、そんな顔するな」

だだをこねる子どもを宥めるような、声。
黒猫はくるりと躰を丸めて床に座り込んだ。言葉どおり、ここにいてくれるものらしい。 ダンテはほっとして、強張った肩から力を抜いた。脱力するままベッドに寝そべると、 スプリングがぎしりと鳴く。

「まだ寝足りないのか?」

呆れるような、苦笑するような声が耳に響き、ダンテは笑みを浮かべて瞼を閉じた。しかし 眠りたいわけではないので、すぐに持ち上げる。
眠いなら寝れば良い、などと甘やかす声に、ダンテはくすくす笑った。

「起こしに来たんじゃなかったのかよ」

もう昼だと言って、肉球で頬や額を叩きまくってくれたのはどこの誰だったか。黒猫は素知らぬ 顔で、さぁ、誰かな、なんて空々しく嘯いて見せる。
こういうやり取りは嫌いではない。今し方のじゃれあいもそうだが、基本的にダンテは誰かと 何かしら触れ合うことが好きなのだ。やはり人間というものは、孤独に堪えられぬいきもので ある。

にゅう、と猫が鳴いた。ダンテは顔を、ドアのほうへ向ける。と、ドアががちゃりと開き、 向こう側から顔を覗かせたのはバージルだった。
バージルはまだベッドに寝そべっているダンテを見、片方の眉を吊り上げた。

「まだ寝ていたのか」

理解出来ないとばかりに顔をしかめるバージルは、床に黒猫がいることに気付き、ふん、と鼻を 鳴らした。

「起きろ。飯が遅くなる」

何ごとにもいちいちきっちりしているバージルが、ベッドに近寄りダンテの手首を掴み軽く 引いた。力など込めていなかっただろうに、引きずられるようにダンテの上体が浮き上がる。 いつもながら、馬鹿力だ。

「判ったよ、起きるから」

あんまり引っ張ったら肩が外れる。そう言ってはみるが、バージルは気にしたふうもなく。 ダンテがしっかりシーツの上に座ったのを確かめると、ようやく手を離してくれた。触れている ぶんには、まったく構わないのだけれども。

バージルはダンテの視線を背中に乗せながら、クロゼットを開け、開襟シャツと革パンツを 取り出した。シャツはバージルの、革パンツはダンテのものだ。
暑がりのダンテは、この暑い時季になると革パンツ一枚で過ごすことも少なくない。それが バージルには許せぬことらしく、こうして自分のシャツを無言で差し出してくることは少なく ない。
最初にこれをされたときは、暑いからいらない、と突っ撥ねたダンテであったが、今は こちらも無言で着ることにしている。着てさえいれば、ボタンを全開にしていてもさほど小言は 降って来ないのだと、学習したダンテである。

ベッドに放られた服を見ながら、もそもそと寝着の下衣を脱ぐ。上衣は着ていない。バージルは それも気に食わぬようであるが、夜中にダンテの寝着を脱がせるのはバージルである。それで 何をするのかは野暮になるので明言はしないが、ともかくそういうことだ。一度脱がされた ものを、下衣だけでも穿くのだから大目に見てほしいとダンテは思う。
もたもたと着替えるダンテを、四つの瞳が穴が空くのではと疑う程、凝視する。着替えにくいこと この上ないが、これも慣れだ。ダンテはまったく気にすることなく、開襟シャツを着、ベッドから 脚を下ろして革パンツを穿いた。ちなみにシャツのボタンは一つも留めておらず、鍛えられた 腹筋も、よく引き締まった腰すらもあらわになっている。股上の浅いパンツを好んで穿く為、 臍はもちろん丸見えだ。

ため息混じりに、バージルが釘をさす。

「前を留めろ」

ダンテは来たかと肩を竦めた。

「なんで。良いじゃねぇか、どうせ一日家にいるんだから」

出かける予定は今のところなしだ。出かけるからといって、服装を改めるかといえばそうでも ないのだけれども。

「そういう問題ではない。早くしろ」

えぇ、と不平をもらせば、短気なバージルは眉を顰めてダンテのシャツに手を伸ばしてきた。 動くなと命じておいて、ボタンを上から留めていく。

「べつに留めなくても良いのに……なぁ、ユタ?」

床を見やれば、ちんまりと丸まっていたユタがため息を吐くように頭を左右にした。こっちに 話を振るな、と。呟く声が耳に届く。
ダンテが「ちぇっ」と拗ねていると、ボタンを留め終えたバージルがダンテの顎を強く掴んだ。 左右に軽く揺さぶるようにされて、視界がぶれる。

「っな、ん」

抗議を遮るように顎を上向きにされ、ひょいと腰を屈めたバージルに唇を塞がれる。当然、 バージルの唇によって、だ。完全なる不意打ちに、ダンテは瞠目した。

「んん……っ!」

くぐもった声をも奪うように、バージルはぴたりと唇を合わせ舌を吸ってくる。どこか性急さを 感じる荒っぽいキスに、ダンテはあっという間に翻弄された。

「んっ……は、ぁう……ふ……」

息が上がる。鼻で息継ぎをすれば良いのだが、舌で口蓋を撫ぜられ、歯列をねっとりとなぞられて それどころではなくなる。背筋が震え、バージルの服の裾を両手で掴み縋りついたところで、 ちゅ、とわざとらしい音をさせてバージルが唇を離した。ダンテはすっかり、目尻を赤く染め とろんとしてしまっている。
蕩けた表情のダンテに、バージルは一つ笑みを落とした。

「行くぞ。飯だ」

手を握られて、ダンテはよく判らないままこくんと頷いた。ちくちくと何かが刺さるような 感覚があり、ぼんやりそちらを見やる。そこには影のような黒猫がいて、糸のように細められた 目でこちらを睨んでいた。猫に思い切り見られていたという事実に、ダンテは一瞬にして現実に 引き戻される。顔が熱い。
固まるダンテの手を、バージルが何やら不愉快そうな表情をして引く。立て、と。低く命じられて ダンテは跳ねるように立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。

「あ、れ」

僅かに浮いた腰が、すぐにシーツに落ちる。バージルが不審そうに眉間に皺を刻むが、これは ダンテにもどうしようもないことだ。
つまりは腰が、すっかり抜けてしまっているわけで。

「……来い」

返事など待たれもせず、気付けばダンテはバージルの腕の中、横向きに抱き上げられていた。 すぐそこに黒猫がいるというのに、これはかなり恥ずかしい。

「ちょ……バージル、」

「歩けぬのだろう。ぐずぐず言うな」

平素の横暴ぶりをここでも発揮され、ダンテはぐっと言葉に詰まった。実際、歩けないの だから何をか言えるわけがない。
自棄になってバージルの首に両腕を回し、ぎゅうと抱き付くがバージルはまったく気にしたふうも なく。それがダンテの小さな抗議であることを判った上で(そうに違いない)、くすりと笑う。

「暑いのは嫌いなのではなかったか?」

抱き付けば、当然暑さが増す。ダンテが夏に弱く、暑さをとことん嫌っていることをバージルは よく知っている。夏場はダンテからの接触は数える程である為、今この状況を愉しんでいることは 間違いなかった。腹癒せのつもりが、完全に裏目に出てしまったわけだ。
ダンテは唇を噛み、

「べつに!」

と叫ぶように言ってバージルの肩口に額を擦りつけた。暑い。ベッドでぼうっとまどろんでいた ときは感じなかった暑さが、今いっぺんに襲いかかっているかのようだ。

バージルは上機嫌。ダンテは不機嫌。そして双子の後からちょこちょことついて来る黒い猫は、 さて、何を思っていることだろうか。



















戻。



ある意味三角関係。鴉を入れれば四角…