紅彩
昔、と言う程の年月ではないかもしれないが、幼い頃、彼らはよくかくれんぼをして遊んだ。
二人きりのかくれんぼに面白みがあるのか、他者にすれば甚だ奇妙に見えたかもしれない。
しかし、少なくとも彼らは充分楽しかったし、バージルはとくに、双子の弟とのその遊びが
とても好きだった。
鬼はたいてい、バージルが進んでした。弟が隠れる場所を探す間、いろいろな夢想をして待った。
ここに隠れていたらああしてやろうとか、あっちに隠れていたらこうしてやろうとか、考えている
だけで愉しかった。実際に弟を捜して回るとき、バージルの表情にはいつも微笑があった。
彼を捜し出すことを、バージルは得意としていた。どこに隠れていても(屋内という狭い範囲で
あると言えど)、バージルは時間も要さず弟を見つけることが出来た。同じ波長を持つ双子だから、
という理由は当て嵌まらない。何故なら弟が鬼をするときは、バージルを捜し出せずに泣いて
しまうこともあったのだ。
どこにいても、バージルは弟を見つけることが出来る。それはバージルにとり、ごくごく
当たり前のことだった。
ダンテの気配を、バージルは糸を手繰るように追った。目に見えぬ道標が、自分を導いている
ような感覚だ。しかし導かれていると表現すべきだとはバージルは思わない。糸を手繰って
いるのはバージルで、あちらから引っ張られているわけではないのだから。
辿り着く先がどこであるのか、それはバージルの預り知らぬところだ。そこがどこで、何が
あるのか。バージルには興味がない。ただ、彼だけが。
ダンテだけを、バージルは求める。それ以外の欲求が、今のバージルにはなかった。
たとえ、ダンテは兄を必要としていないとしても、バージルは弟が必要なのだ。理由など
それだけで良い。ダンテの意志がどうであれ、バージルは己の思うままに行動するだけあって、
他は何も必要ない。
廃れて久しいだろう工場に、バージルが辿り着いたのはダンテが姿を消してから数日後のこと
だった。ひっそりと佇む廃工場を取り囲むように、薄い膜に似たものが張り巡らされていることを、
バージルは一目で看破した。結界だ。あの魔獣にそんな芸当が出来たのかと、感心することは
ない。
バージルは閻魔刀を呼び出し、鞘から抜き放って無造作に結界を斬り裂いた。一筋の裂け目が走り、
そこから平衡を失ったかのように結界が破れていく。いかにも効果の弱い結界だが、侵入者を
阻むというよりも、侵入者をすぐさま感知するという意味合いが強いのだろう。まぁそれも、
バージルには関係のないことに違いない。
ダンテを捜す。これはある意味、かくれんぼだ。幼い頃、よくした。だからダンテを見つける
ことは容易い。もう、すぐそこだ。
あの魔獣が縄張りとしているからか、廃工場には他の悪魔の姿も気配もない。邪魔が入らず足を
止める必要がないことは、確かに楽に違いなかった。もっともバージルならば、下級の悪魔が
群がって襲って来たところで歩調が乱されることはなかっただろうが。
ダンテの気配が近い。バージルは目の前を塞ぐ扉を、手で開ける手間を厭った。閻魔刀を腰溜めに
構え、鯉口を切る。幾筋もの亀裂が走り、扉はいくつかの破片となって床に散らばった。扉の
敷居を跨いだ向こうを、バージルは睥睨した。魔獣は逞しい体躯の後ろに彼を庇うようにし、
庇われた彼は天敵を恐れる雛のように怯えている。敵とは自分のことかと、バージルは不快に
思った。事実、ダンテはバージルに対し並々ならぬ恐怖を向けている。しかも魔獣の背に縋る
ようにして顔を伏せなどするものだから、バージルが不愉快にならぬわけがなかった。
「ダンテ、」
呼ばわれば、哀れな程ぎくりとダンテの肩が跳ねる。返事はない。それがまた不快で、バージルは
眉を顰めた。
ダンテを守る盾とでも自身を気取っているらしい、魔獣が一つ吠えるようにバージルを
威嚇する。
「今更何の用だ、」
恫喝というよりも嘲りに近い声音だ。バージルがダンテを捨てたとでも、この魔獣は思っている
のかもしれない。勘違いも甚だしい。馬鹿なことだと、バージルのほうが嗤ってしまう。それで
ダンテを横からかすめ取り、我がものにでもしたつもりか。
まったく、どこまでも邪魔な悪魔だ。
バージルは閻魔刀の鍔を親指で弾いた。細い刀身が煌めき、剣撃が蒼白い三日月に似た衝撃波と
なって男の姿を取った悪魔へぶつかっていく。男は避けない。男が下手に動けばダンテに当たる
と、バージルは判っていた。しかし仮に男が避け、彼に当たったとしても死ぬことはない。
バージルはすぐさま彼に駆け寄り、この腕に取り戻すまでだ。男が避けなければ、それも良し。
そう思って行動した。
「気が短いな」
男は閻魔刀の繰り出した衝撃波を、腕を交差させ盾にした恰好で真正面か受けながら無傷である。
強靱な体躯は固い鎧をも凌ぐらしい。バージルは鼻を鳴らした。この程度で男に手傷を負わせ
られるとは思っていない。
「貴様と交わす言葉はない」
鞘に納めたまま閻魔刀を構えるが、男は半端に座った状態のまま動かない。理由は瞭然。背中に
ダンテがいるからだ。バージルの攻撃を総て、腕だけでいなすつもりなのだろう。それが可能で
あると、思っているのだ。
確かに不可能ではないかもしれない。男は強い。しかし己の力を過信することはいかにも愚かだと
バージルは思う。強いものがいつまでもそうあるとは限らない、その仮定を立てられぬものは
果たして滅びるしかないのだ。
あの余裕を貼り付けた顔をずたずたに斬り刻んだなら、この気分も少しは晴れるに違いない。
何より雛鳥になりきっているダンテに、思い知らせることも出来る。お前が頼り、縋る相手は
自分のほかにいないのだと。その目に映すべきはこの兄以外ないのだと知らしめる為にも。
閻魔刀が血を欲しているのが判る。ダンテの大剣が彼の魔力の具現であるように、閻魔刀は
バージルの躰の一部と言って差し支えない。閻魔刀に明確な意志こそないが、バージルとの
望みは常に一致する。
肉を裂き、骨を断ち、血を啜れ。
蒼い閃光が走る。半瞬のちに男にぶつかり、消える。小さな舌打ちが聞こえて、バージルは目を
細めた。男の腕に、僅かだが傷がついている。
男がバージルを睨む。炎のような紅眼は一つきり。ダンテの赤とはまるで似つかぬ禍々しい緋色に、
バージルは嫌悪以外の何をも感じない。むしろ、ダンテの色と似て非なるそれを徹底的に潰して
やらねば気が済まないとすら思う。
ダンテ以外の緋など紛い物に過ぎず、粛正されて然るべきなのだ。
バージルは閻魔刀の柄を逆手に握り、一歩、前へと踏み出した。男は動じない。しかしその背後に
匿われた彼が、びくりと全身を強張らせたのがバージルには見えた。伏せた顔は蒼白なのに
違いない。自分が招いた結末がどういう展開をするのか、予想がついているのかもしれない。
「ダンテ、」
愚かな、それ故に愛おしい弟。呼ばわれば、また一つ彼の肩が跳ねた。彼を深く庇おうとしてか、
男がバージルを牽制しつつ肩を広げる。まったく気に入らぬ異形だ。バージルは閻魔刀を抜いた。
――――否、抜こうとした。無論、男を亡きものにする為に。しかし。
「バージル、」
震えた声音に名を呼ばれ、ぴくりと眉を顰める。声の主であるダンテが、男の脇から這い出る
ように顔を覗かせ、こちらを見つめている。双眸には紛れもない怯え。だがきゅっと唇を
噛み締めるさまから、無理に己を律していることが窺い知れる。彼の誇り高い魂は、どんなことが
あってもけっして堕落などしないのだろう。
「バージル……」
何をか訴えかけるような碧玉の双眸を、バージルはただ見つめ返した。彼の言いたいことは
判らぬではない。いや、判るのだが、そのとおりにしてやるには時が少々遅すぎた。もはや
閻魔刀を引くことは出来ない。バージルの意志を感じ取ったらしく、ダンテが顔を歪ませた。
哀しげな、つらそうな表情。良い顔だと、バージルは本心からそう思った。
ダンテはよく判っているに違いない。この状況を招いたのは自分であること、そして自分が仲介に
入ることの矛盾を。すぎる程判っているからこそ、言葉を募らせバージルを押しとどめることが
出来ないでいるのだ。
愚かな弟。可愛い弟。
(お前は俺のものだ)
ダンテ自身にすら、譲るつもりは毛頭ない。
「黙って見ていろ、ダンテ。お前が情を交わしたものは皆こうなるのだと、その目に
焼き付けろ」
二度と間違いを起こさぬように。これは同時にバージル自身への戒めでもある。もう二度と、
彼を誰かの手に渡すようなことがないように。
閻魔刀を一度鞘に戻し、居合いの構えを取る。悲愴な表情を湛えるダンテの、むき出しになった
肩の白さがいっそ眩しい。男は何度、彼の膚を堪能したのだろう。彼は何度、その身に男を
受け入れたのだろう。考えるだけで目の前が真っ赤に染まる。ことが済めば、よくよく弟を
躾け直さねばならぬ。
ともかくまずは、いまだ人身を取り続ける(それが意地であるのか何なのかバージルには関係の
ないことだ)異形を片付けることが先だ。
ぴきりとどこかで音がする。爪はすでに猛禽の鉤爪のように変形し、指先の膚がひび割れ
キチン質に似た硬い皮膚が現れようとする音なのだと、気付く間もなくバージルは地を蹴って
いた。本性たる悪魔の姿へと、意識せぬまま変化していく。力が増大する、そのことにすら
バージルは気付かなかった。
頭の中には、忌まわしい魔獣を殺す、そのことだけが綴られて。
蒼刃が男の喉を咬むべく襲い掛かる。が、
「……ッ……!」
息を飲み、目を瞠ったのは、閻魔刀が異形の肉を抉ったからではなく。
からん、と。やけに軽い音が響いた。バージルの手から閻魔刀が滑り落ちたのだ。しかし
バージルはそれを拾うこともせず、ただ茫然と立ち尽くした。目の前で、蒼白くすらある肢体が
仰向けに倒れていく。その胸からは、紅いものが噴き出していて。
「……ダ、ンテ……?」
唇からこぼれた声はやけにかすれていて、バージルはそれを己の声だとは信じられなかった。
しかし今は自身のことなどどうでもいい。目の前の光景こそを、バージルは信じられずにいる。
怯えて震えていたダンテが、突然バージルと異形との間に躍り出たのだ。バージルは寸前で
閻魔刀の柄を強く握り狙いをずらしたが、止めることは出来なかった。蒼い刃はダンテの右の
脇腹から左胸にかけてを斜めに斬り裂き、肉を噛み血を啜った。赤黒い血がバージルの顔まで
赤く染め、しかし拭うこともせず愕然とするしかない。
「なぜ、」
異形までもが、茫然として呟くのが耳に入り、バージルはゆるりと視線をそちらへやった。
ダンテはこの異形を庇った。両腕を広げ、異形の代わりにバージルの剣を自ら受け止めたのだ。
何故、とはこちらが訊きたい。ダンテはそれ程までにこの異形に毒されていたのか。
血溜まりにくずおれたダンテを支えているのは、バージルではなく異形の逞しい腕だ。ここへ
来ても、バージルは異形に遅れを取っている。バージルはダンテの傍らに転がった閻魔刀へ
目を走らせた。来い、と口の中で囁く。次の瞬間には、閻魔刀は床から姿を消しバージルの
右の手に戻っていた。
仕切り直しだ。次は。バージルが閻魔刀を握り直したとき、
「……ぁ、じ……る……」
かすかな声がバージルを呼ばわった。無論、ダンテだ。
バージルははっとして、そこでようやくダンテのそばに片膝をついた。ダンテの胸からは、
まだ血が止まらない。体力が衰えていると治癒力も落ちる。まだ塞がる傾向の見えない傷口に、
つまりそういうことなのだろうとバージルは思った。
「ダンテっ」
顔を近寄せたバージルの頬に、ダンテの手がそっと触れる。傷は深く、およそ痛みも尋常では
なかろうが、ダンテの双眸は苦痛による弱さを見せてはいなかった。それどころか、その瞳の宿す
光はなお強くすらある。バージルは我知らず魅入っていた。
「ばぁじ、る……ご、めん……」
謝罪の言葉を弱々しく紡ぎ、ダンテは瞼を閉じた。目尻から一粒、涙がこぼれ落ちる。
きれいだと、バージルは思った。何もかもがどうでも良くなってしまう程、きれいだ。
死んだわけでは、もちろんない。ダンテは気絶しただけだ。体力が低下しているところに
バージルの重い一撃を受けた為、意識を保っていられなくなったのだ。
弱いながらも息をしていることを、額と額を合わせるように顔を間近に寄せ確認して、
バージルは異形の前で不覚にも安堵のため息を吐いてしまった。そう簡単に死にはしないと、
判っていても不安は残る。彼ら双子は常人よりも死から遠ざけられてが、けっして死なぬわけでは
ないのだから。
「血止めが要る」
低い呟きを、バージルはダンテと額を合わせたまま聞いた。あぁ、忌まわしい魔獣を殺して
やりたい。しかしダンテを後回しになど出来ることではない。
バージルは異形の腕からダンテを奪い、その裸身を自らの外套で包み袖を結んで固定し、
抱き上げた。
異形は彼を奪われたことには何も触れず、ただじっと、どこか思い詰めたようなバージルの
横顔を見つめていた。
久々に…書いたらなんだかよくわからないことに。
って、いつもですか、すみません;