!注!

これは『黒い終局』分岐後の話です。
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黒艶アデ











境界はぼんやりとして判然とせず、薄れて見えなくなるのにさしたる時間はかからぬだろう。 それを止める手立てはなく、また止めようとする者などどこにもいないのだから。

薄れ、やがては消えていくその隔たりを、見つめる双眸はいかにも現実からは遠く、何をも 映してはいないのかもしれない。





男(と言ってもまだ二十を二年程過ぎたにすぎない、人間としても便利屋としても若輩である)が 初めて彼に出合ったのは、夜も更けた露地の真ん中だった。そのとき、青年はまだ少年から ようよう抜け出したばかりで、世間のことなど自分が思う程にはまったく判っていない頃 だった。

真夜中の露地は街灯すらも暗く、薄気味が悪かった。夜遊びには慣れている筈の青年は、自分が まるで知らぬ場所に放り込まれたかのような錯覚を覚えたが、気持ちを強いて露地の奥へと足を 向けた。
それは、学生にはよくある肝試しのようなもので、通い慣れたバーでは仲間が自分の戻るのを 待っていた。途中で引き返すことは、無謀と勇気を履き違える若者によくある思い込みから 出来るわけもなく、青年は早足になることだけは止められず駆けるように露地を歩いた。
何かが妙だと気付いたのは、それから五分もせぬうちのこと。足を止めたときにはもう、青年は 何か得体の知れぬものにすっかり取り囲まれていた。





その酒場には、一種異様な空気が張り詰めていた。いつもは騒がしいばかりの店内が、水を うったように静まり返っているさまは、やはり異様と表現するに相応しい。理由はある。しかし それは理由と呼ぶには弱く、知らぬ者から見れば理由などにならぬものであった。が、事実 酒場には静寂が満ちており、その理由はただ一つしか存在しないことも確かなのだ。

エンツォ・フェリーニョは辟易しながらその光景をぐるりと眺め、肩を竦めていつもの カウンター席へと近寄った。出来得るならば、そこへは近付きたくないのだけれど、仕事と なれば我慢するよりない。それだけの為に、自身の信頼と金を棒に振るような真似のほうを こそ出来ないからだ。
酒場の主人である親爺は、相変わらず愛想がない。が、それは慣れだ。エンツォは勝手に スツールに腰掛け、ちらと一つ席を空けた隣に視線を呉れた。毒々しさすら覚える紅いコートの 男が一人、澄ました表情で酒を舐めている。これも、ある種において見慣れた光景だった。

(見るだけなら、どうってこたねぇんだが)

まったくそのとおりだと、エンツォは内心でため息を吐いた。仕事でなければ、そう毎度思う程、 この男へ渡さねばならぬ依頼は引きもきらない。よくもまぁ評判を維持しているものだと思うが、 エンツォが何と言っても男が腕利きの便利屋であることに変わりはないのだ。
諦めて、エンツォは注文せずとも親爺が無言で用意した酒で、一口舌を湿らせてから男へ向き なおった。

「今日の飯の種だがな、」

唐突に切り出したエンツォに、男は流し目を呉れるように視線を向けた。

「あぁ……ちょっと待った、」

言って、グラスを傾けごくりと一気に嚥下する。空になったグラスのふちを爪で弾き、親爺に 「もう一杯な」と軽い調子で言った。親爺がグラスを引き取ると、男はようよう躰ごとこちらへ 向ける。

「で?」

片眉を器用に吊り上げ話を促す男は、いかにも斜に構えたというふうで、女受けをするだろう 容貌がより引き立つ。しかしこの男に女の影がないことはエンツォも知っているし、女のほう から紹介して欲しいと言われたこともなかった。不思議と、女は寄付かない。自ら近付くことも、 男はしないに違いなかった。

「報酬は十万、前金を別に一万出すそうだ」

破格の依頼だ。他の便利屋や荒事師ならば金額だけで即請けると言う。しかしこの特殊な便利屋は そう一筋縄には行かぬから、エンツォは毎度毎度、説得するのに苦労せねばならないのだ。

「いい加減学習しろよ、エンツォ。内容が先だ」

エンツォはがしがしと髪を掻き、盛大なため息を吐き出し投げやりに言った。

「掃除だよ。お前の嫌いな」

掃除と聞いた途端、男は思い切り眉をしかめた。お気に召さなかったのは一目瞭然で、こうなった 男を説き伏せるのがまた難儀なのだった。

「なぁ、お前も学習しろよ? こんな良い話を蹴るなんざ、どの便利屋だってしやしねぇ。 それにお前なら、たかが掃除一つ、楽なもんだろうが」

まくし立てるが、男の表情は変わらず渋ったまま、

「殺しはやらねぇ」

カウンターにそっと戻されたグラスを手に取り、舐める。度数こそ高いが、味はまったくそれを 感じさせぬ酒。男がそれを好んで飲むようになって、もう一年近くになるだろうか。
一年――――長かったのか短かったのか、エンツォには判らない。何かしら変化があることを 祈り続けた一年であり、同時に裏切られ続けた一年でもあった。

「殺さねぇようにも、出来るだろ。お前なら」

弾丸の雨の中へ、剣一本で飛び込んでかすり傷一つ負わぬというのだ、どのようにも戦いようは あるだろう。

「気乗りしねぇんだよ」

だからパス、と。十一万ドルもの大金のかかった依頼をさらりと棄てようとする狂った男を、 エンツォに救う術はない。もっとも、その狂い(歪み?)などは可愛いものだということを、 エンツォは嫌という程知っているのだが。

「考え直す気はねぇのかよ? 金は要るんだろうが」

半ば諦めつつ、エンツォは食い下がった。男の返答は、やはり変わらず「ノー」だ。
しかしこれは予想の範疇。無理だろうからそのつもりでいてほしいと、依頼主には前もって断りを 入れてあった。
信頼のかかった依頼はもう一つのほうだ。こちらはおそらく、男は断らぬだろうと読んで いる。

(同じ、ってのが、な)

仕事の選り好みかたすらも、エンツォの知る青年と同じなのだ。少し前までこの男は、確かに 選り好みはするが今程ではなく、掃除ごときならば肩を一つ竦めて諾と言っていた。男と青年とは よく似ているが、細かなところでは違いがあった。それが、近頃少なくなっているように思えて ならないのだ。

「仕方ねぇな……それじゃあ、こっちのはどうだ?」

提示した依頼は予想に違わず男の興味を惹いたらしく、報酬額は先のそれの半分以下にも拘わらず 嬉々として請けると言い出した。やはり、同じだ。嫌になるくらい、似てきている。外見は そもそも同じなのだが、性格などは意図的に似せようとしても似るものではない。それが。

「最初っからこっちだけ持って来りゃ良いのに」

上機嫌で酒をあおる男の横顔は、まるで美しい彫像のようだ。エンツォはうそ寒い思いを噛み殺す ように目を細めた。





便利屋という名称を、青年はそれまで聞いたことすらなかった。
荒事師ならば、知っていた。金の為ならどんなことでもするという、いわゆる汚れ仕事専門の 無頼の輩だ。青年ははっきり言って、荒事師を嫌悪していた。金と酒と女に溺れた人間の成れの 果て。それは青年だけでなく、裏社会なぞとは縁のない人間総てが抱く印象だった。
スラムと呼ばれる貧困街の存在すら、青年は嫌っていたのだから、今となっては随分とした 温室育ちの考えかたをしていた思う。事実、青年は裕福でこそないものの、不自由はしない程度の 収入のある家に生まれ育った。それを仕合わせだと感じたことがなかったのだから、よほど 甘ちゃんだったということだ。

その仕合わせな子どもが、今や便利屋の端くれだ。人生どうなるかなど、自分自身にも判らぬ ものだ。と言える程、青年は歳を取ってはいないが。

あの夜出合った彼は、己を便利屋と名乗った。名は教えてくれなかった。こういうのは俺の 仕事だと、青年を取り囲んだ奇妙で不気味な影のような何かを数分とかからず蹴散らし、どこか 愉しげに言った。青年はぽかんとして、ただ彼を見つめていた。見惚れていたのだ。後から、 そう自覚した。男に見惚れるなどおかしなことだが、彼は純粋に青年を惹きつけた。

べんりや。彼が去った後、青年はまだぼんやりしたまま、まったくの無意識に呟いていた。 聞いたことのない単語に興味を持って、ということではなかった。青年が惹かれたのは彼自身だ。 だから彼の言った、べんりや、という言葉もするりと記憶することが出来た。
便利屋が荒事師に似た職業であると知ったのは、それからひと月程後のことだ。そして二十歳を 迎えた年に、青年は家を出た。便利屋になりたいと親に告げたところ、予想通り勘当されたのだ。 願ってないことだと、青年はその日のうちに生まれ育った家を後にした。

あれから、家には戻っていないし連絡も取っていない。青年は便利屋として、この二年、どうにか こうにか仕事をこなして来た。とはいえ、まだ大きな仕事はしていない。それがもどかしくは あるが、焦れば早死にするだけだと、古参の仲介屋に諭された。
彼は、名を知らずともすぐに見つけることが出来た。背丈程もありそうな剣と、ごつい二丁拳銃、 そして人を食ったような喋り口調という特徴を話しただけで、誰もが「アイツだ」と教えて くれた。それだけ、彼は有名だったのだ。





他の仲介屋が仕事の依頼を荒事師どもに割り振る中、その坊主はやけ熱心な視線を彼に注いで いたと、エンツォは記憶している。見るからに駆け出しの、エンツォからすればまだ子どもと 言えた。何を思って便利屋なぞになったのか、考えてすぐに答えが出た。彼だ。彼に憬れて 便利屋を名乗る者は少なくない。あれもその手合いだろうと当たりをつけ、馬鹿なことをと肩を 竦めた。

それが、二年前のことだ。

初心者坊主はどうにか死なずに頑張っているらしい。古株の仲介屋が目を掛けてやっているので、 無理な依頼は回していないのだと見当がついた。坊主にとってそれはかなり幸福で運が良い。彼に 憬れて便利屋になった馬鹿は多いが、その大半は半年も保たずにこの界隈から姿を消した。彼の ようになろうなど、天地がひっくり返っても無理な話だ。
彼は、およそ別天地にいる。比喩ではない。この一年はとくに、その言葉に尽きるとエンツォは 思っている。

何が、彼とあの男の間にあったのか、エンツォは知らないし知りたくもない。エンツォの本業は 情報屋だが、世の中には知らぬほうが良いという類の情報がある。彼らについても、それと 同じことが言えた。

かの男は、今夜は姿を現わしていない。気紛れなのだ、基本的に。いや、気紛れなのは“彼”の ほうだったが、今はその点にすら違いがなくなっており、どこで何をしているかなど エンツォの知るところではない。
無自覚のため息をこぼした横合いから、若い声がかかる。

「なぁ、ダンテは来ねぇのか?」

例の、坊主だ。エンツォは首を左右にした。

「知らねぇよ。俺ぁアイツの保護者でも後見人でもねぇからな」

確かに、エンツォとダンテの付き合いは短くない。しかしエンツォはダンテの私生活など知らない し、ダンテがどのタイミングで酒場に来るかなど把握しているわけがなかった。たとえ知っていて も、この坊主に教えてやる義理はない。

「金が尽きりゃ嫌でも来るさ」

おざなりに言えば、不服だったのか坊主が唇を尖らせた。ダンテに焦がれるこの坊主は、何かに つけてダンテの周りをちょろちょろしている。名は何と言ったか、ふと首を傾げたが、思い出せ なかった。確か、どこにでもあるような名だった気がするが。

「ダンテが来ないんじゃ詰まんねぇな……」

ちぇ、などと舌打ちする坊主の頭は、きっと沸いているに違いない。“あの”ダンテがこの場に いれば、こんな喧騒は楽しめなくなるというのに。ダンテをよく知らぬ人間にありがちな、 傍迷惑な憧憬を振りまく坊主に、エンツォはほとほと嫌気がさす。
はぁ、と盛大なため息を吐いた坊主が、がたんと音をさせてスツールに座った。どっか余所で 飲め、という大人気ないことは言わずに堪えたが、実際かなり鬱陶しい。そんなエンツォのこと などお構いなしで、尻の青い坊主は勝手にごちゃごちゃ話し掛けてくる。少しは空気を読めと 言いたいが、盲目的にダンテを慕う坊主には通じないだろうと諦めた。

「お前さんよぉ……」

うんざりしながらも、エンツォは訊いた。何故あの男にそうも執着するのか、と。

「悪いこた言わねぇ。今のうちにきっぱりやめたほうが良い。ろくなことにゃならねぇからな」

坊主は急に機嫌をそこねたらしく(感情の浮き沈みが激しいところも、若い)、エンツォを 睨みつけて盲目な人間にお決まりの科白を言い放った。

「あんたに何が判るってんだ」

あぁ、判らねぇよ。判りたくもねぇ。

鼻で笑い、エンツォはグラスに残った氷を口に流し込んだ。

「少なくとも、俺はお前さんよりもアイツと長い。だから言うんだよ、アイツだけはやめときな、 ってな。ま、何言っても無駄だろうが」

ご馳走さん。親爺に告げて、エンツォはスツールから下り酒場を出た。若造の相手はどうにも 疲れる。彼が――――ダンテが今よりもまだ若かったときも、随分苦労したものだが。

(今のアイツは、)

狂っている。エンツォにはそうとしか見えない。冷静に、狂っている。だから古株連中にしか、 その奇妙さが伝わっていないのだろう。
何も知らず(エンツォとて何を知っているわけでもないが)あの男に近付き、おかしくなった 人間の数は徐々に増えつつある。古株の中にすら、そういった輩がいるのだ。およそ、 尋常ではない。

あの男が尋常の人間でないだろうことは、もはや今更だ。なまじ知っているだけに、自らそれに 引き込まれていく人間を、エンツォは見ていられない。かと言って引き止めるだけの説得力が、 自分にあるわけでもないのだ。

「ちっ……」

舌打ちを一つ。どうにもならぬ現状を嘆く程、エンツォは幸福ではない。結局のところ、我が身は 可愛い。





薄暗いスラム街の最奥、物騒極まりない場所にひそりと佇むその建物の。
趣味が良いとは世辞にも言えぬ事務所の片隅に。
それが姿を現したのは一年前のこと。

何が入っているのか、外見では全く想像もつかぬ無骨な匣が、ひとつ。
気味の悪い内装とはまたそぐわぬそれを、訝しんだのも一年前。

それは何かと訊ねれば、男は口端を持ち上げて笑うばかり。

その笑みに、ひどく嫌な予感がしたことは、まだ記憶に新しかった。





それからひと月もせぬうちに、坊やのような若い便利屋は姿を見せなくなった。どうしたのか、 へまでもしたのかと、初めこそ荒事師たちの口にも話題はのぼった。しかし喉元を過ぎてしまえば 誰もその話に触れることもなくなり、青年の存在はそのとき確かに消えたのだった。



エンツォは隣の席で酒を舐める男を横目で見やり、しかし何を言うでもなく自身のグラスを 傾ける。言いたいことは山程あるが、何をも言わせぬ雰囲気をまとう男を目の前にして、口を 噤む以外のことが出来るわけもなく。自分はただの情報屋兼仲介屋であって、お節介焼きでは けっしてないのだと言い聞かせ。

(俺ァお前を許さねぇよ、バージル)

内心で睨みつける男の横顔は、仕種も何もかもを含めて、嫌になるくらいダンテに似ていた。



















戻。


久しぶりの赤兄なのに兄の出番少なすぎてすみません。
次回があれば、そのときがんばろうかな…。

[08/06/30]