尻尾シッポ









跡形もなく粉々にされたおもちゃの残骸から、唯一原形を伝える細長い部分を摘み上げる。 灰色の地に黒い縞模様が薄く描かれたそれは、そこはかとなく寂しげだ。本体を喪ったのだから 当然かもしれないが。
それは、ダンテがほんの遊び心で購入したものだった。べつに嫌がらせのつもりがあったわけでは なく(面白がっていたのは確かだが)、軽い冗談のつもりで購入し家へ持ち帰った。結果、レジで 金を払って一時間もせぬうちに、それは見事なまでに粉砕されたというわけだ。
冗談が通じないだけならまだ良かった。しかし。

(せっかく……)

修復の仕様もない程粉砕されたおもちゃを見下ろし、ダンテはため息を吐いた。それがネズミの おもちゃであったことをかろうじて示すのは、ダンテが摘んだ尻尾の部分のみという無惨な ありさまだ。子ども用のおもちゃをあえて購入したダンテにも非はあるのだろうが、しかしこれは 酷くはないだろうか。むすっと唇を尖らせ、恨みを投げる相手は双子の兄だ。

兄は先日来、何故か猫の耳と尻尾の生えた姿で生活を送っている。曰く、ダンテの所為、なのだ そうだが、ダンテには全く身に覚えのないことであり、首を捻るより仕様がない。ちなみに ダンテは、兄がそんな姿になるまで犬の耳と尻尾を生やしていた。無論好きでそんな恰好をして いたのでは談じてないが。
兄以外の人間には、ダンテは本物の犬に見えていたというから、悪夢以外の何ものでもなかった。 しかし今や兄が、犬と猫という違いはあれどその立場に陥っているというのが、ダンテには奇妙で あった。
もっとも、この無惨なねずみの残骸を見れば判るように、どんな姿になろうと兄は所詮兄で しかなく――――つい最近のセックスをまざまざと思い出してしまい、ダンテは一人青くなった。 赤くなる、の間違いではけしてない。そのときの恐怖と驚愕の記憶を、ダンテはまだ引きずって いた。

兄に猫の耳と尻尾が生えたからというだけで、セックスの際の立場が入れ替わることはない。 ダンテにはもしバージルを押し倒すことが出来ても、自らの雄の機能を発揮させられる自信など まるきりないし、第一バージルがそれをさせない。と言うよりも、そもそも立場の逆転という 発想自体が彼ら双子にはないというのが正しいだろう。別段、ダンテは己をして女と思ったことも ないし、バージルもダンテを女のように扱ったことはない。
ともかくも、元が絶倫であるバージルとのセックスを、今ダンテは極力避けたいと願っている。 またあんなことになられては、こちらの身が保たない。

ダンテは指先でおもちゃのねずみの尻尾を弄びながら、ぶつぶつと兄への恨みを呟いた。 蛇足だが、ここは兄の自室だ。兄はと言えば、キッチンにて夕食の準備に忙しい。四六時中ともに いる彼らが、それぞれ独りになる時間は極めて少ない。バージルはダンテが、自分の目のつく 場所から離れることを好まないからだ。と、理由をバージルだけに押し付けることは出来ぬ ダンテである。ダンテ自身、赦される限りバージルの傍らにいたいと思っているのだから。 しかし、それはそれ、今は今だ。

はぁ、とため息がもれた。もちろんダンテの唇からだが、ひどく他人事のようにダンテは感じた。 まったく、おかしな話だ。

「何をしている?」

突然の声に、ダンテは床から一インチ程足が離れたような気がした。驚いて飛び上がったのだ、 文字通り。同業者や馴染みの仲介屋がこの場にいたとしたら、大いに揶揄かわれたか驚かれたか。 鉄の肝の持ち主とまで言われるダンテの、そうも驚き跳ねる姿などめったに見られるものでは ない。
声の主は、しかしそんなものに貴重さなど感じはしない。甚だ不審そうに、眉を顰めている。 何を驚くことがあるのか、本当に判らないのに違いなかった。

「飯だ。早く来い」

淡々と告げる兄の頭には、変わらず猫の耳がある。銀色のぴんと立ったそれは、いかにも兄には 不似合いだ。ひょろりと伸びた尻尾も、そう。可愛げなどどこにも見出だせぬから不思議だと思う 反面、そんなものが兄にあるわけもないと納得してもいる。やはり、どうやっても兄は兄なの だから。

「わ、判った」

何故かどもってしまったダンテに、バージルが器用に片方の眉を吊り上げた。どうも不審すぎた らしい。あえてバージルの部屋にいること自体は、そう不可解とも思われていないようではある。 それは事実、そうだろうとダンテも思う。ダンテが自室にいる時間など、週で換算しても 一両日分にも満たない筈だ。眠るときは専らバージルのベッドなのだから、有り得ぬ話では ない。

「……今、何を隠した?」

ダンテが咄嗟に背中へ手をやったことに、目敏いバージルはしっかり気付いていたようだ。下手に 隠し立てなぞすれば、この独裁者の機嫌はかえって下降しとんでもないことになりかねない。 そうやって墓穴を掘ったことが過去に何度もあるだけに、浅はかな行動は控えなければ ならなかった。
ダンテは躊躇しつつもそれを前へ差し出した。細長く小さなそれの正体を、バージルは一見した だけでは掴めなかったらしい。

「何だ、それは」

眉を寄せ、自分が近付いて来れば良いものを、ダンテに対し「こちらへ来い」などと宣う バージルを、よほど横柄だとダンテは思う。そして、むっとしながらもバージルのそばへ寄ろうと する自分は、よくよくこの兄に毒されている。
生まれたときからともにいるのだから、影響されぬほうが難しいというものだ。

ダンテの手にあるものを、バージルはじっと見つめ「あぁ、」と正体を察してそうもらした。 一瞬で粉々に砕いたわりに、記憶には残っていたらしい。ごみに違いないだろうに、何故か 片付けもせず残してあったのだから、記憶にあるのが当たり前かもしれないが。

「それが、どうした。新しいものでも欲しいのか?」

しれっと問うてくるバージルを、ダンテは恨めしげに見上げた。

「……そんなんじゃねぇよ」

もう一つ買ったところで、また壊されるのに決まっている。結果が判りきったことをわざわざやる 程、ダンテは馬鹿ではない。無謀では、ままあるものの。

バージルの手が、おもむろに挙げられたかと思うと、節の高い長い指がダンテの頬に触れた。 するりと膚を滑り、耳朶をつままれる。無意識にぴくっと反応したダンテに、バージルは目を 細めた。

「そう拗ねるな。次は壊さずにおいてやる」

耳朶をちょっと引っ張られて、痛みこそ全くないが、ダンテの頬が僅かに赤くなる。バージルの 鋭い牙(と呼ぶに相応しい)に噛まれた記憶が、生々しく脳裏に蘇ったのだ。その後の行為をも 思い出してしまいそうになって、ダンテは慌てて馬鹿な思考を振り払った。が、

「何を思い出していた?」

などと愉しげに問われ、まったく見抜かれていたことにまた頬が紅潮する。

「なっ、べつに、何にも……!」

これでは誤魔化すどころか逆効果だと、判っていてもダンテにはどうしようもない。バージルの ように己の表情を操る術を、ダンテは持ち合わせてはいないのだから。

バージルの指が、ダンテの耳朶から首筋に落ちる。愛撫を思わせる手つきで膚をなぞられ、 ダンテはぞくりと背筋を震わせた。たったこれだけのことで、と悔しくなるが、バージルに かかればこの躰はすぐにも反応してしまうのだ。バージルの所為で――――そう、ダンテを こんな躰にしたのはバージルに他ならない。

バージルのせいで。――――バージルの為に。

理由を押しつけようとは、ダンテは思わないけれども。時折ひどく、ダンテはバージルが 恨めしくてならないから。
首筋をなぞっていた指が、顎の下へ移動しそこをくすぐるように掻く。こそばゆいような気持ちが 良いような。ダンテは目を細めてバージルの指先を感じた。

「ふん……心地好さそうだな?」

笑みを含んだバージルの言葉に、ダンテは羞恥を覚えながらも「うん」と肯定した。気持ち良い ものは良いのだから、嘘を吐く必要はない。意地を張るところでもないと思ったのだ。バージルが 笑んだことが、気配で判った。ダンテがいつになく素直なものだから、気を佳くしたのに違い ない。

(身勝手な暴君)

ダンテは内心でため息を吐いたが、無論声に出すことはしない。そこまで命知らずの無鉄砲では、 けしてない。
代わりに、とは言えないけれど。

「な、ぁ……飯は……」

放っておいて良いのかと、バージルに問う。バージルの作る料理はどれも美味で、少し薄味と いうのが気になるところではあるが、ダンテは大好きなのだ。冷めてしまっては勿体ないと、 弱く訴えたダンテに対するバージルの答えは、いかにもバージルらしいものだった。

「気にする程、大事でもなかろう」

せっかくこしらえたものを、という考えはバージルにはないらしい。ダンテはバージルの、 すぎる程強い視線にちょっと身動ぎした。バージルの双眸には、ダンテにとってはいただけぬ ものが宿っているように見えてならない。

「ば、バージル……」

意図せず怯えたような声が出てしまって、ダンテは内心で舌打ちする。予想に違わず、バージルに 揶揄される。

「どうした、恐いか?」

違うと、ダンテは反射的に否定した。しかしバージルの指摘が至極的を得ているということは、 ダンテ自身が最もよく判っているのだ。

こわい。まさしく、そうだ。

仕様がないことだと、ダンテは思う。中途半端に猫の耳と尻尾の生えた兄は、何故かなど知らぬが それまで以上に絶倫に磨きがかかっており、ダンテはそれを身を以て味わわされたのだから。
こわくて当たり前だ。自覚はあるし認めてもいるけれども、バージルにそうと言ってしまうのは ダンテの矜持が赦さない。
バージルは鼻を鳴らし(機嫌をそこねたふうはない)、ダンテの喉から鎖骨へ指を滑らせた。 襟首の広いシャツを好むダンテは、兄曰く無防備すぎるらしい。今も開襟シャツの前ボタンは 半ばを二つ留めてあるばかりで、くっきりと浮き出た鎖骨はあらわであるし、臍もひょいと顔を 覗かせている。見る者が見れば、確かに無防備に違いない恰好だ。その自覚がダンテにはないと いうのが、多少どころではなく問題なのだが。
長い指が鎖骨をなぞり、ある一点を引っ掻くように爪を立てた。思わぬことに、ダンテはひゅっと 息を飲む。くつりとバージルが笑った。

「まだ残っているな」

何が、か。ダンテは判らなかった。瞬きをすると、薄い笑みを浮かべたバージルが、背を丸める ようにしておもむろにダンテの鎖骨に顔を埋めた。え、と惑う間にそこに歯を立てられ、びくりと する。

「ッつ……!」

呻きに気を良くしたかのように、兄は二度三度とダンテの膚に所有の痕跡を刻んでいく。今し方の バージルの言葉が指していたものを、ようやく察してダンテは鈍い自分を軽く呪った。兄はもはや、 完全に行為に及ぶつもりでいる。こうなっては、もはやダンテに兄を止めることは不可能 だった。

「お前にはやはり、紅が似合う」

どこか陶然とした、倒錯的な呟き。バージルはベッドに移動する僅かな間すら惜しんでか、 立ったままでダンテの躰を蹂躙しにかかった。
やめろとも、嫌だとも、訴える権利はダンテには与えられない。





ふにふにと、頬に柔らかいものがあたる。手触りの良いものを人一倍好むダンテは、夢うつつの 状態でそれに頬をすり寄せた。ふにふに、ふにふに。すごく気持ちが良い。

「ん……」

仕合わせなため息を吐くと、不意にそれが頬から遠ざかった。ダンテは「え、」という自分の声で 目を覚ますことになる。

「……起きたか」

寝覚めにはあまりよろしくない兄の不機嫌な声音に、ダンテはまだ焦点の合わぬ瞳をぱちりと させた。朝だと思ったが、部屋は暗く今が夜であることを教えてくれる。妙な時間にバージルに セックスを強いられ、あまりの激しさに気を失ってしまったのだと思い出した。そういえば、 腰から下が尋常ではなく重いし怠い。
バージルは、ベッドに横向けに寝転んだダンテの隣りに座る恰好で、ずっと本を読んでいた らしい。しかし、こちらを見下ろしてくる双眸に小さな怒りが宿っているのは何故なのか、 ダンテに判るわけもなく。

「なに、」

短い言葉は、我ながら悲しくなるくらいにひどくかすれている。

ダンテの問いには答えず、バージルは逆に「起き上がれるか」と問うてきた。首を傾げながらも、 ダンテはベッドに手をつき躰を起こそうとしたが、駄目だった。肩は上がっても、下半身がまるで 言うことを聞いてくれない。
へなりとベッドに沈み込むと、起き上がれるのは無理だと察したバージルがダンテの頭を くしゃりと撫でた。

「飯はどうする」

そう問われた途端、ダンテの腹がくぅと鳴った。何だかとても恥ずかしい。しかし飯抜きで セックスをしたのだから、腹が減るのは当然というものだ。
バージルは呆れるでもなく、奇妙な程優しくダンテの髪を撫ぜる。

「飯をここに運ぶか、お前がリビングへ運ばれるか、どちらか選べ」

何という二択かと、ダンテは呆れたが文句は言わない。運んで、と腕を伸ばすと、バージルは ごく当然のようにダンテの腕を首に回させ、力の入らぬ躰を抱き起こした。背中と膝の裏に腕を 差し込み、重さを感じさせぬ軽さでダンテを横抱きに抱き上げる。あえて横抱きでなくともと、 ダンテは思ったが何も言わずバージルの首にぎゅっとしがみついた。

「なぁ、バージル、」

呼ばわれば、バージルが低く「何だ」と応える。ダンテはすりりと頬をすり寄せ、

「腹減った」

と判りきったことを訴えた。返るバージルの声音は、やはり奇妙なくらいに優しかった。

「もう少し辛抱しろ」

バージルの腰から垂れた銀色の尻尾がふわりと揺れたが、視界を閉ざしたダンがそれを見ることは なかった。



壊れたねずみ。唯一残った尻尾はまだ、分厚い本の隣にそっと鎮座している。



















戻。



猫兄再び…好奇心とちょっとした遊び心です。
一部、なんかあざとい文章があったかと思いますがお気になさらず。