報酬
がたがたと窓枠が軋む。風が強いらしく、建物ごと鷲掴みにするかのように揺さぶっているのだ。
日暮れ近くになって吹き始めた風は、時が経つにつれ、より強いものへと力をましているようで
あった。窓硝子までもが、強風に煽られびりびりと震えている。
その、強い風に揺さぶられる建物の中に、住人である双子はどちらも姿がなかった。静寂を胎内に
孕んだ建物は、風が生み出す音にあたかも支配されているかのようだ。
二人揃って出掛ける場所など、大抵決まっている。意外な程行動範囲の狭い彼らである。仕事の
ない今日は、いつもの酒場に繰り出すくらいしか出掛けるあてもない。
酒場には仲介屋と呼ばれるものが様々な仕事を持ち込んで来る場でもあるので、便利屋や荒事師を
名乗るものが今夜も大勢たむろしている。カウンターに並んで腰掛けた二人もまた、便利屋で
ある。その為、この酒場には間を空けずに顔を出すのだ。
バージルは隣で好物のストロベリーサンデーを一心に貪っている弟に、時折視線をやりつつ度数の
低いアルコールを舐めている。酒は弱いということこそないのだが、強いわけでもないので過ご
さなければ問題はない。この、口の周りにべっとりクリームを纏わりつかせて拭おうともしない
ダンテのように、砂糖の塊のような甘味を頬張る趣味はバージルにはなかった。もっともこれは
バージルだけに限ったことではなく、酒場でこんなものを食べるのはダンテの他には誰一人
いない。つまりこのメニューはダンテ一人の為だけに用意されているということだった。
他のものには目も呉れずストロベリーサンデーをスプーンでつつき、仕合わせそうな笑みを浮か
べてやまないダンテの顎を、バージルは左手で掴んで強引にこちらを向かせた。白と白に僅かに
混じった赤っぽいクリームにまみれた口許を、酒場の親爺が無言で差し出した布巾できれいに
拭ってやる。
無理矢理スプーンを止めさせたにもかかわらず、ダンテはやけに大人しくバージルの成すがままに
なっている。気持ちが好いとでもいうのか、目を細めて。
(猫、だな)
近頃よく、思う。矜持の高い、猫。しかし実際には甘えたがりで、撫でてやれば目を細めて
すり寄ってきて、顎の下を掻いてやればごろごろと喉を鳴らす。それでいながら気紛れときて
いるから、飽きを感じさせることがない。
可愛い、可愛い猫。
人見知りをせず、誰にでも懐くような尻軽だが、喉を鳴らして見せるのは自分にだけだと知って
いるから、バージルはこうして構わずにはおれない。もっとも、甘やかすばかりが能ではない
が。
「もう少し、まともな喰い方をしろ」
口周りをやたらと汚す食べ方をするダンテの口を、拭うのはいつもバージルの役目だ。ダンテが
毎回綺麗に食べることを心掛けさえすれば、バージルの手間も少なくなるのである。
布巾を畳んでカウンターの脇によけると、ダンテは首を傾げ、なんで、などと不思議そうに
言った。
「アンタが拭いてくれるんだから、べつに良いじゃん」
悪びれもせずに言う、その唇を思い切り噛み切ってやりたいと、思う。バージルにとっては公共の
場であろうがどこであろうが、それらは行動を制限する要素にはなり得ないのだ。人目があるから
と言ってダンテに触れることを我慢するような真似を、バージルは何故しなくてはならないのかと
本気で思っている。
バージルはダンテの耳にかかる髪を掴み、ぐいと引き寄せた。
「ならば、世話を焼くたびに報酬でも請求しようか?」
吹き込むように囁き、耳朶に歯を立てる。ダンテがぞくりと背を肩を震わせるのが判って、バ
ージルは口許に笑みが浮かぶのを感じた。いつもながら、この弟の反応はバージルに飽きをと
いうものを寄せつけない。ダンテに自覚がないということが、少々難点ではあれど。
「報酬って、何を……」
恐る恐るといったふうに、ダンテが上目遣いにこちらを見つめて問うてくる。嫌な予感はあるに
違いなく、しかし好奇心には勝てなかったというところだろう。
「なんだ、言えば呉れるとでも?」
バージルには珍しく冗談めかした口調に、ダンテは面食らったのか忙しない瞬きを繰り
返した。
「バージル?」
何かあったのかと、きょとんとしているダンテと自分とは、本当に双子かと時折バージルは真剣に
考えてしまう。それ程、彼ら双子は似ていない。外見こそ一卵性双生児らしく瓜二つだが、それも
髪型を全く変えてしまえば危ういもの。内面となれば似たところを探すことがそもそも不可能に
近かった。
「何か呉れるのかと訊いているだけなのだがな」
親指の腹で、ダンテの少し肉厚の唇をついとなぞる。それから頬を撫ぜ、顎の線をくすぐるように
してやると、この弟はすぐに喉を鳴らすのだとバージルはよく知って
いるのだ。
案の定、ダンテは目を細めてくすぐったそうにくすくす笑った。もっと撫でてほしいとばかりに、
バージルの手に頬をすり寄せてさえくる。布巾で口周りを拭ってやったときよりも、格段に気持ち
好さそうにするものだから、撫でてやらぬわけにはいかぬ――――と思ったからとて、そのまま
行動に移すバージルではない。
すっと離れていく手に、ダンテは明らかに落胆の色を浮かべてこちらを見た。
「どうした?」
白々しく問えば、ダンテは唇を尖らせて「べつに……」と口をもごもごさせた。強がりを言う
さまも、バージルの気に入りだ。が、あまり素直でなさすぎるのは好みではなくなる。
厄介な性格なのだ。自覚があるからこそ、いっそうたちが悪いのだということも、バージルは
よく判っている。
「さっきの問いに答える気はないらしいな、ダンテ?」
良い度胸だとバージルは続け、グラスに残った酒で唇を湿らせた。
「今ここで、仕置きが必要か……?」
低く、ダンテのみに聞こえるように、言う。ダンテは見事に肩を撥ね上げ、ぎょっとした顔で
こちらを凝視する。
「冗談を言っているように見えるなら、お前の目は全くの役立たずということになるな」
先回りをして言い、バージルは腕を伸ばしてダンテの顔、目尻を親指でなぞった。
「用を成さぬ目など、必要あるまい。いっそくり抜いてくれようか……」
指に力を込めると、ダンテがごくりと喉を上下させた。バージルが本気であることを、正しく
感じ取ったらしい。しかし、目は逸さない。食い入るように見つめてくる双眸は、きれいな
硝子玉のようだ。
(俺を映し込んだまま、光を奪う……)
いかにも甘美なことだと、バージルは思った。が、
「……さっきから、何やってやがんだ?」
いかにも辟易しきった声音が、横合いからバージルの兇行(だとはバージル自身は思っていない
が)をおし止どめた。興を殺がれたバージルが手の力を弛めると、ダンテがふっと息を吐くのが
判る。それが気に食わず、バージルは横合いからの声の主――――エンツォに鋭い視線を
呉れた。
「……何か用か」
不快感もあらわな視線と声音に、エンツォはぎくりと頬のあたりを引き攣らせた。
「飯の種だよ。要らねぇのか?」
お前らに名指しなんだ、と。そうでなければ、誰が好き好んで声など掛けるか。そうやけくその
ようにまくし立てるエンツォに、ダンテが哀れみでも感じたのかどうか。
「どういう仕事だ?」
そう問うたダンテの声は、妙にエンツォを労るような響きがあって、バージルの眉間に皺を
刻ませた。
ダンテはバージルの機嫌がさらに下降したことに気付かない。代わりになどなりようもない
エンツォが、バージルの顔色を窺いながらもダンテのほうへ向き直って依頼の内容を説明し
始めた。
「報酬は前金五百と合わせて二千。とあるビルの“掃除”をして欲しいってことだが……請ける
だろ?」
他の荒事師ならば、報酬額を聞いた時点で二つ返事で飛び付くだろう。金の為ならばどんな汚れ
仕事も厭わない、というよりも、選り好んでいられるような人間は荒事師などにはならない
だろう。その点、ダンテは根本的に考え方が異なる。ダンテが便利屋を営んでいるのは、金が
欲しいからではけっしてない。
「“掃除”、ね……」
乗り気ではないことが、その口調だけでバージルにもエンツォにもありありと伝わってくる。
バージルはさもありなんと頷くが、エンツォはそうはいかなかった。ダンテを口説き落とさねば、
エンツォは依頼主からの信頼を失いかねないのだ。自称情報屋であるエンツォだが、仲介屋として
の収入は少なくないに違いなく、依頼主の信頼を失うことは仲介屋を続けていくにはまさに
致命傷といえるだろう。
「ま、待てよ、ダンテっ。二千だぜ? これを蹴るなんざアタマがイカれてるとしか思えねぇ。
よく考えろよ、な? 簡単な仕事じゃねぇか」
エンツォは必死だが、ダンテもバージルもエンツォの為に仕事をしているのではなく、気遣う
必要があるとはお互い思っていない。確かにエンツォはよく彼らに依頼を運んでくるが、それも
エンツォでなければならないという理由はどこにもないのだ。
「気が乗らねぇ」
言わずもがなのことを、ダンテはわざわざ吐き捨てるように言った。もちろんエンツォに諦め
させる為だが、逆効果ではないかとバージルは思った。エンツォは腕っ節こそないが、その分頭は
回るしダンテの扱いにも長けている。ダンテの弱みを、しっかりと理解しているエンツォだ。
「なぁ、ダンテ、よーく考えてくれよ? お前のことだ、またブーツやら服やら新調しようと
してるんじゃねぇのか?」
これは図星だろう、とバージルは完全に傍観者になりきって内心で頷いた。現在はバージルが
家計をやりくりしている為財布も握っており、ダンテがこっそりへそくりを作っていることも
しっかり把握している。ダンテは金勘定にはとことん破滅的で、懐に金がない状態ですら欲しい
ものは我慢せず購入してしまうのだ。ここしばらくは、バージルの怒りを恐れて無駄に過ぎる
買い物は控えているらしいが。
「んなこと、あんたにゃ関係ねぇだろ」
悪足掻きとしか聞こえぬことを、ダンテはばつが悪そうに言った。ちらりとこちらを見たように
思うのは、気の所為ではない。
「そりゃ関係はないがね。金が要るんじゃねぇかと思って、訊いてみただけだからなぁ」
嘯くエンツォを、ダンテが睨む。いかにも子供っぽい仕種に、バージルは肩を竦めた。
「……前金を千、報酬を二千に上げれば考えてやらぬこともない。そう、依頼主に伝えろ」
「なッ……! ……合わせて三千なら、請けるんだな?」
「相手の出方次第だ」
難癖をつけるようなら、きっぱり断るだけだ。そのあたり、バージルに容赦はない。バージルとは
長い付き合いでこそないが、けっして馬鹿ではないエンツォはひたりとバージルを見据え、
判った、と低く言った。
「絶対にうんと言わせてやるよ」
依頼主にか、それともバージルにか。エンツォはにやりとして、酒も飲まずに踵を返した。
一刻も早く、依頼主と連絡を取る為だろう。が、立ち去る前に、
「その、どこででもいちゃこく癖、どうにかしたほうが良いぜ?」
などと余計なことを言い残した。しかも、ダンテの耳にだけ、というからバージルの眉間の皺が
深くなるのは当然のことである。
ダンテがちょっと頬を赤くして、「放っとけよ」とエンツォを邪険に追い払った。それから、
上目遣いにバージルを見やる。
「……聞こえたか、今の?」
どちらが、ダンテには嬉しいことなのか。バージルは計りかねて、さぁな、と素っ気なく言う
だけにした。すげなくされたダンテは、何だよそれ、と唇を尖らせている。重ねて問うては
こないところを見るに、聞こえていないほうに賭けたのかもしれなかった。
「ちぇ……エンツォの野郎……」
ぶつぶつ言いながら、ダンテはカウンターの向こう側で洗いたてのグラスを拭っている親爺に、
いつものようにジン・トニックを頼む。バージルはその横顔を、じっと見つめた。
気付いたダンテが、ちらりとこちらへ視線を寄越す。
「……何だよ」
「奴が邪魔をするまで何を話していたか、もう忘れたか?」
「へ、」
「ジン・トニック一杯分、猶予をやる。それで思い出さなければ……さて、どうしてくれ
ようか」
間が良いのか悪いのか、丁度バージルの言葉尻に重なるように、親爺がダンテの前にグラスを
置いた。どこかしら顔色が蒼くなったように思うダンテの、耳朶を指で挟んで揉むように
する。
「ぬるくなる前に飲んでしまえ」
「う、ん……」
ぎこちなくグラスを両手で包むように持ち上げたダンテに、バージルは微笑を見せて自身の
グラスを手に取った。こちらはもうぬるくなり始めているが、味に拘りのないバージルには
さほど気になることではない。
ちびりちびりと液体を喉に流し込むダンテを眺めながら、バージルはこの後のことを考えて内心で
笑う。
ダンテが思い出そうが思い出すまいが、帰宅すればすぐにもこれを犯してやりたい。触れたくて
仕様がないのだ。膚に軽く触れるだけではなく、熱い肉を思うさま犯して――――それを、盛大に
汚れた口周りを拭う見返りにするには、いかにも発想が貧困でありすぎるので。
べつの何かを、ダンテには要求せねばならない。それを考えることは、バージルにはひどく
愉しいことに思えて、自然、頬が笑みの形をかたどるのだった。
兄の性格が何やら違うような…気がしないでもないですが、さらりとスルーで。