遠雷エンライ――――独占ヒトリジメ









ばさ、と聞き慣れた羽音が耳をかすめたかと思うと同時に、右肩にやはり慣れた重み。ネロは首を 傾けるように右肩に視線をやり、いつものようにため息を一つ。

「またかよ」

唇が言い慣れてしまった言葉を紡げば、ネロの肩に全体重を乗せたものがかかと笑った。

「そう邪険にすんなって。今日は違ぇよ」

これはこの城と世界を支配する王の直属で、ありとあらゆる情報を集めることを役目とする 大鴉だ。それが何故ネロの肩に陣取っているのかは、実のところネロにも判っていない。ただ、 二羽いる大鴉のうち、こちら(ムニンという名だ)はやけに人懐っこいことは判っている。 ネロだけでなく、ネロの親であるダンテにもよく懐いているのがこの鴉だ。

「違うなら、何だよ?」

不審そうにネロが問えば、ムニンは右の翼を広げて嘴で啄むようにした。痒いのだろうか。 せっせと羽毛を啄む鴉の、無防備な左脇を指で突いた。と、ムニンがわたわたとネロの肩で たたらを踏む。

「っとと……」

「何の用か、早く言えって」

ネロがせっつくと、ムニンは平衡を保つ為に広げた翼を折り畳み、やれやれ、と大袈裟なため息 など吐いてみせた。

「短気な坊やだな。そういうところは旦那によく似て……」

「黙れよ」

いらぬことを口走ろうとするムニンを、ネロはきつく睨めつけた。言って良いことと悪いことを、 この鴉はよく取り違えるからたちが悪かった。たとえ冗談でも、ネロはあの男と似ているなどと 言われるのが、たまらなく我慢ならないというのに。
鴉に肩などあるかどうかは知らぬが、ムニンは翼の付け根辺りをもそりと竦めた。

「相変わらずだな、坊やは」

反省をしたふうもない声音に、ネロはそっぽを向く。子どもじみた素振りだという自覚はあるが、 どうせ相手はムニンだ。構うものかとネロは思う。ダンテが相手だったなら、むきにもなるところ なのだけれども。
大鴉は愉しげにくつくつと笑い、慣れた仕種でネロの髪を嘴で咥え軽く引っ張った。痛くこそない ものの、ネロは腕を上げて大鴉の嘴を振り払って外させる。髪が抜けるからやめろ、といつも 言っているというのに、この鴉はまるで学習しない。いや、判っていながらわざとやっている のだ。ネロの反応を見て、面白がっている。何ともたちの悪い大鴉だと、ネロは眉をしかめずには おれない。

「髪、引っ張るなって言ってるだろ」

邪険にされても、ムニンはネロの肩に居座ったまま飛び立つことをしない。時折翼を広げては 見せても、それを羽ばたかせることはなかった。

「ダンテは笑って好きにさせてくれるぜ?」

ムニンがネロの肩に陣取るようになったのは、ここ数年のことだ。幼い頃は肩幅も狭く、留まろう とすればムニンの体重を支えられなかったらしい。らしい、というのは、ネロ自身には覚えのない ことで、ダンテやムニンに話として聞いただけであるからだ。
まだ背丈がダンテの半分程しかなかった時分に、ムニンがネロの肩に乗ろうとして、その重みを 支えきれずにネロが尻餅をついてしまった、だとか。そういうことが何度もあったにも拘わらず、 性懲りもなくネロの肩に乗ろうとするムニンを、ダンテが叱りつけたことがある、等々。子どもの 頃の話はあまり聞きたくないネロにとっては、面白いとは言えぬ話をいろいろと聞かされたもの だ。
昔の話をしているときのダンテは、いたく嬉しそうな顔をするので邪険には出来ないネロである。 もっと別の話でその顔をしてくれれば、と思うけれど口にはしない。何故と問われても、到底 答えられないからだ。

ネロの背がダンテに追いつこうという程になってようよう、ムニンは悠々とネロの肩で羽を折り 畳めるようになった。それまでは、ダンテの肩に留まることがほとんどだったとこの昔馴染の鴉は 言う。ダンテの髪は柔らかく、嘴で摘むのも躰をすり寄せるのも好きなのだと。それを聞いたとき、 羨ましいと思ってしまったことはネロだけの秘密だが。

「ダンテはダンテ、俺は俺だ」

ネロは煩げに首を振った。実際、ムニンは煩い。余計なことを一切話さずしないもう一羽のほうが、 場合によっては面倒がなくて良い。
そういえば、そのもう一羽はどこにいるのだろうか。二羽ともがネロの元に飛来することは めったにないので、あまり気にはならなかったとはいえ。
ムニンのほうへ顔を向けたとき、こつんと硬い音がした。「おっ」という声がして、肩にかかって いた重みが消える。ばさりと翼をはためかせたムニンが、窓の縁を三本爪で掴む。そこでようやく、 ネロは窓の外にいるものに気がついた。ムニンの相棒である。





「なぁ、アイツ何とかならないのか?」

「アイツって?」

唐突と言えば唐突な言葉に、ダンテがきょとんとして目を瞬かせた。そこそこの歳の男がそんな 仕種をしても気味が悪いだけなのだが、ダンテは例外だとネロは思う。ダンテのどんな仕種を 取っても、ネロを惹きつけずにはおれない。憎らしいと思うことも多々あるのだが、それは それだ。

「ムニンだよ。あの鳥、しょっちゅう肩に乗ってくるから……」

肩が凝る、と眉根を寄せれば、ダンテは吹き出さんばかりに笑い出す。

「なんだよ」

くっくとおかしそうに笑いながら、ダンテはネロの淹れてやったコーヒーを一口飲んだ。喉に 詰まらせなければ良いが、というネロの心配は杞憂に終わる。ちなみにこのコーヒーという 飲み物は、ダンテがかつて暮らしていた世界のものである。といっても、ピザ程には好きでは ないらしいのだが。

「昔っから、やたらお前のこと気に入ってたみたいだからな」

肩くらい貸してやれ、とダンテは言う。いかにも年長者らしい口振りに、ネロはむっとした。 ダンテのネロに対する子ども扱いは今に始まったことではないし、あの鴉が一番気に入っている のは、どう贔屓目に見てもダンテであることは間違いなかった。

「嬉しくねぇし、重いんだよ、アイツ」

「そう言ってやるなよ。二匹ともに懐かれるよりはマシだろ」

あれに両肩に乗られてみろ、とダンテにはその経験があるのか、嫌そうな表情にはやけに信憑性が ある。

「あんた、フギンにも懐かれてるのか?」

フギンとはムニンの相棒の名だ。ネロが知る限り、フギンが主以外の肩に乗っている光景は見た ことがないのだけれど。

ダンテは左肩を押さえるように手をやり、たまにな、と呟く。

「ムニン程じゃねぇが、あいつはあいつで懐っこいからな」

まったくぴんと来ないことを言われ、ネロは首を傾げた。フギンに懐かれたことのないネロから すれば、そう見えるのはダンテだけなのではないかと思う。そもそも、あの愛想のない鴉が 人懐っこくすり寄ってくるさまなど想像も出来ないのだ。ムニンとはまるで正反対の性質をして いると、ネロは思って疑わない。もっとも、ダンテの言葉を頭から否定するつもりもないの だが。

「あの鴉が懐っこいねぇ……」

正しい正しくないに拘わらず、少なくともネロの肩に二羽が揃うことはない筈だ。あの重みは 一羽で充分――――ネロは無意識に右肩を押さえ、軽く揉む。ネロが左利きであるからか、 ムニンはいつも右の肩に乗るのだ。
ため息をもらしたネロへ、ダンテがくすっと笑った。ネロは片方の眉を持ち上げる。

「なんだよ、」

「肩凝り解消に、軽く運動でもするか?」

「は?」

「動かしたほうが良いって言うしな。ほら、行くぜ」

こちらの返事など待たず(まったく短気だ)、ダンテは何故か楽しそうに部屋を出ようとする。 ネロは肩を竦め、判ったよ、と仕方なしにダンテを追った。ここで否と言うことは出来ただろう が、ダンテの笑顔には弱いネロである。肩を竦めいかにも仕方ないようにして見せたのは、 ネロの若さゆえだった。



運動、と言っても走り回るわけではない。ダンテの言う運動とは、いわゆる剣の鍛練のこと だった。しかし一人で剣を振ることを厭うダンテは、ネロとの立会いを好んでいるらしい。 ダンテとの時間を出来る限り多く持ちたいネロには願ってもないことだが、何故自分なのかと ダンテに問うたことがある。曰く、

「手加減されんのは嫌なんだよ」

王が司る軍のものに手合わせを挑んだところ、明らかにダンテを傷つけぬように振る舞われたの だとか。勝敗はもちろんダンテの圧勝だったが、それでは面白くないというのがダンテの言い分 だ。

(そりゃ、無理だろ)

と、ネロは思う。たとえダンテのほうが腕前で優っていたとしても、万が一にも王の“半身”を 傷つけるようなことをしてしまえば、おそらくその騎士はその場で処断されていただろう。 ダンテが庇い立てしても(すると断言出来るが)、処刑は免れない。王はそういう容赦をせぬ 男だ。ダンテとは、根本から考え方が違う。
鬱憤を溜め込んだダンテが、これならばと思い付いたのが我が子に剣を仕込むことだったらしい。 つまりはネロのことだが、まさかそんな理由で幼い頃から剣を握っていたのかと、やや呆気に とられたものだった。
何故、王を相手にと思わなかったのか、とは、一度も訊いたことがない。

がきん、と抜き身の刃が噛み合い鈍い音を響かせる。ダンテが扱うのは大振りの両手剣。ネロの 愛剣はダンテのそれより僅かに小振りだが、改造に改造を重ねた剣を片手で自在に扱えるのは ネロ以外にいない。
打ち合うたび、ダンテの笑みが深くなっていく。まだネロが細身の片手剣を使っていた頃は、 ダンテの剣撃を受け止めることすら難儀をしたものだが、今は少し手に痺れを感じる程度だ。 すなわちネロの腕が上がったということで、それを誰よりも喜んでいるのがダンテである。

手加減なしでの手合わせを、ダンテは今も望んでやまない。だからネロがもうすぐにも自分の腕に 追いつくであろうことが、嬉しくてならないのに違いなかった。

食いつくように噛み合った剣を左にいなし、ネロは後ろへ飛びすさって息を吐いた。こちらは 少し息が上がっているのに対し、ダンテはまだ平然としている。

「もう疲れたか?」

などと、にやりと笑みを浮かべて挑発してくるダンテに、ネロはわざとらしく肩を竦めて 見せた。

「そっちこそ、歳なんだから無理すんなよ?」

軽口の応酬はいつものことだ。ダンテはいかにも楽しいと全身で訴えており、ネロまで嬉しく なってしまう。少々の疲れなど、ダンテの笑顔を見れば吹き飛んでいくようだ。けっして、 比喩などではなく。

ネロとダンテが剣を交える場所は、城の内部に設けられた円形の広間だ。天井はネロの身丈の 十倍はあるだろうこの空間を、剣の鍛練に使うのは彼ら二人だけだ。そう思えばひどく贅沢の ようだが、この空間は王がダンテの為に造らせたものであり、文句や小言を言うものは誰も いない。加えて、ネロとダンテの鍛練を邪魔するものもおらぬ為、この広間はまさに二人だけの 空間であった。
小さな頃、ネロはダンテがもうやめようと言っても、剣の稽古をねだることが多かった。それは、 この広間にいる間だけは、ダンテが自分だけのものであると知っていたからだ。一歩外へ出て しまえば、ダンテは王のもとへ戻ってしまう。それが嫌でならなかった。つまるところ、母親を 独り占めしたい子どもの我儘に過ぎないのだが、当時のネロは必死だった。何しろ、今のように ダンテを剣で楽しませることが出来ないのだから、駄々をこねるしか手段らしい手段を持って いなかったわけである。
我ながら恥ずかしい、と思い出してはダンテ譲りの白っぽい銀髪を掻く。しかし馬鹿なことを した、とはネロは思わない。今も、ダンテを独り占めしたいという願望はなくなるどころか、 以前より強くなっているのだから。(純粋と言えぬ慾に裏打ちされている、という自覚もある)

レッドクイーンと銘を打ったネロの剣が、その名の通り刀身を深紅に染めてダンテの剣に ぶつかっていく。ダンテが昂揚した笑い声を上げ、ネロの剣を弾き返した。口笛なぞ吹いて、 かなりの上機嫌だ。

「まだまだ気張れんだろ、ネロ坊や?」

剣の尖端で床をなぞり、ダンテが言う。ネロは肩を竦め、当然、と不敵に笑んだ。疲れは、 確かにある。しかしまだ、ネロはダンテとの限られた時間を愉しんでいたかった。これだけで 満足など、いくわけもないのだけれども、疲れたからと言って自ら打ち切ることは絶対に しない。

「はッ、そうこなくっちゃな!」

はしゃいだような声と同時に、ダンテが床を蹴る。何度目かも知れぬ、剣の噛み合う鈍い音。 ずしりと重い剣撃を受けながら、ネロはダンテの顎に伝う汗に目を奪われた。尖った顎の先から、 汗が雫となって落ちていく。よく見れば、ダンテの首筋にも汗が滲んでいる。

(……あ、……)

と声に出さず思ったときには、ダンテの剣が喉に触れていた。無論、それは皮膚すら傷つけては いない。本当に触れているだけだが、ネロの注意力が散漫になっていたことを表わしており、 ダンテのやれやれと言いたげなため息が耳に飛び込んできた。

「考えごとなら、後でしな。死にてぇか?」

ダンテがネロを傷つけることは有り得ない。もし余所で誰ぞと剣を交えていれば、という意味だ。 ネロは両腕をだらりと下げた。

「悪かったよ」

少なくとも、ダンテ以外の誰かと戦っていても今のような油断はするまいが。

ダンテが肩を竦め、剣を引いた。

「そろそろ切り上げるか?」

疲れたろ、と労るように言う。ネロは当然、首を縦にはしなかった。

「まだやれる」

「お前はいっつもそれだよな」

苦笑し、ダンテは剣の腹で軽く肩を叩いた。昔からそうだったと言われ、ネロはむず痒いような 感覚を紛らせる為に右手を握ったり開いたりを繰り返す。見目こそ人間と変わりないネロの、 その右腕(肘から先)だけは明らかに異形のそれだ。

「仕方ねぇな……もうちょっとだけ付き合ってやるよ」

言葉程には困ったふうのないダンテに、ネロは微笑する。今だけ、だ。今このときだけは、 ダンテはネロのものなのだ。出来るだけこのときを満喫したいと思うのは、当然のことだと ネロは思う。

(邪魔が入らなきゃ、このまま)

もちろんそれは無理と判っているのだけれども。それで簡単に諦めがつくようなら、とうに そうしているというのに。



















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またバージルがいません。
どうも二人以上の絡みを書くのが苦手です。情けない…