遠雷エンライ――――月読ツキヨミ









月は中天に座し、一面砂色の大地を冷ややかな光によって照らし出す。

真夜中にあたる時刻、月明りの差し込む長い廊下を、影が一つ、急くわけでもなく渡って行く。 陽の出ることのない世界において、夜更けだからといって皆が皆寝床で惰眠を貪るとは限らない。 眠りを必要としないものは少なくないし、必要のあるものにしても、月が中天にある時刻に必ず 眠るかといえばそうではない。

廊下を渡る影――――ネロもまた、夜更けに起きていることの多い一人だ。寝台へ入るのは月が 西へ傾いた頃、それから二刻(約四時間)程度も眠れば充分事足りる。ほぼ毎日そうなのだが、 これでも幼い頃は夜更けはきちんと寝台に横になっていたものである。

ネロの片親は、元々はこの世界の住人ではなかったという話だ。そちらの世界には月と太陽が 存在し、夜はこちらと同じく月があり闇が満ちるが、昼は太陽が総てを眩しい光で照らし出すの だとか。人々は昼の間に活動し、夜は皆寝床に潜り込んで眠りに就く。それが当たり前だったのだ から、こちらで突然、昼と夜を逆転させることなど出来ず、月が昇れば自然と眠くなるのだと 聞かされた。だからネロも、幼い頃は同じように、夜になればきちんと寝かしつけられていたと いうわけだ。
その片親には、ネロが夜更けに起きて活動していることは言っていない。心配をされるような 歳ではないし、心配をするような性格でもないだろうが、何となく隠していたいと思うのはネロの 若さ故だろう。

ネロは彼へ、密やかだが小さくはない想いを抱いている。それが親愛と名の付く、親兄弟に向ける 感情を逸脱したものであることは、既に自覚のあるネロである。

彼、とは、ネロの父親のことでは断じてない。ネロは父を父と思ったことなど一度もないし、 それは父とて同じであろうことを知っている。ネロの言う彼とは、母親のことだ。
ネロの母は、ネロと同じ性を持つ。つまりは男だが、この世界においては男が子を産むことは さほど珍しいことではなく、ネロも疑問として受け止めたことはない。しかしそれはこちらの 世界ではそうだというだけの話であることを、ネロはまだ知らずにいるのだが。

ネロの母は名をダンテという。白に近い銀髪、高い鼻梁と碧玉の瞳の嵌まった顔立ちは精悍と いったよりも端整という言葉が似合う。背は高く、体躯もがっしりとして、間違っても女性的な 部分は見出だすことの出来ない容貌をした彼に、何故こんな感情を向けるようになったのか、 ネロには判らない。判らないが、かといって引っ込めてしまえる程、この想いは小さくないの だから仕様がなかった。
同時に、この想いはけっして報われるものではないということも、ネロはよく知っている。 ダンテは王のものであって、それ以外の誰のものにもならないのだ。そもそも、

(ダンテにとって、俺はいつまでも“坊や”以上にはならない……)

判っている。判っているのだ、総て。けれども消しようのない想いを、ネロはもうずっと胸の内に 押し抱いたまま――――途方に暮れている。

窓から差し込む蒼白い月明りが、まるであの男の嘲笑のようだとネロは思い、顔をしかめた。





城主の寝室には、ぽつりと一つ燭台が灯っている。窓のない奥の間には、その灯より他に明りと 呼べるものはなく、しかし眠る為だけの空間なのだから、本来ならば真夜中に明りは必要ない 筈だった。
寝台には、王とその半身が身を横たえて休んでいる。が、ぐっすり眠っているのは半身のみで、 王はといえば両腕に抱き込んだ半身の寝顔を、飽くことなく見つめているのである。

半身の名はダンテと言い、王にとって文字通り唯一の存在だ。これを毎夜、抱く。ただ抱き締めて 眠ることなどめったにはなく、逆に夜通し交合に耽ることは珍しくなかった。
疲れ果てて眠ってしまったダンテの傍ら、ダンテ曰く絶倫である王は、眠ることなくじっと彼の 寝顔を見つめるのだ。睡眠に対する重要性は、王にとってないものと同じである。眠りに時間を 費やすならば、ダンテの艶やかな髪を撫ぜていたいと思う。すべらかな膚に触れていたいと 思う。

「ん……」

猫のように背中を丸めてすり寄ってくるダンテの、柔らかな髪を王は口端に笑みをはいてさらりと 梳いた。歳はそこそこになる筈だが、こうしたときにはまるで少年のように見える。王とダンテは 双子と見紛う程に似た容姿をしているが、内面に似たところは何一つない。それは彼ら自身が最も よく知っていることだった。

人間であるダンテがこの世界で暮らすことになった経緯には、無論王が大いに関わっている。 ダンテは初めから王の半身になることを諾としたわけではなく、こちらの世界に来ることすら 良しとはしていなかった。因縁浅からぬ敵同士として始まった関係なのだから、当然といえば 当然であろう。

王が王としてこの世界を支配するようになって、既に五十年近くが経とうとしている。その間、 何度か人間の世界への干渉を行なった。目的はあちらで馬鹿をしでかしたものの回収であったり、 それらの監視であったりと下らぬ理由ばかりが占めており、王が直接あちらへ赴くことは 少なかった。
あることからダンテの存在を知って以降、王は自ら人界へと出るようになった。 ついにはダンテを我がものとしてこちらの世界へ連れ戻り、それだけでなく“半身”として 丸め込んでしまった王に、周囲の誰もが唖然となって声もなかった。
詳しい経緯は、省く。王にとって、ダンテがこの腕の中にいることだけが総てであり、ここに 到るまでの経緯など詰まらぬ些事でしかないのだ。

大事はただ、この“半身”のみ。彼は誰にも渡さない。そう、例えば死神が相手であろうとも、 渡しはしない。まして、あの小僧になど――――

王は幼子のようにしがみついてくるダンテを、仰向けに組み敷き真上から穏やかな寝顔を覗き 込んだ。本当によく眠る。毎日気を失う程抱いている所為もあるのだろうが、ダンテはいつも、 昼頃まで眠ったまま起きる気配も見せない。何故そんなにも眠れるのかと問うた王に、ダンテは 「人間じゃないアンタと一緒にするな」などと可愛くないことを言ったものだ。
その、毎日よく眠るダンテを、起こすのは王とは限らない。王には煩雑な政務がついて回り、 総ての時間をダンテに費やせるかといえば、けっしてそうではない。余裕があればダンテを 起こしてやる為に寝室へ足を運ぶが、そう出来ないときは別の男がダンテに覚醒を促すのだ。 それが忌々しいと王は思う。

王とダンテしか入ることの出来ぬ寝室に、その男は平然と入り込む。いくら咎めても聞かず、 王の隙をついてはダンテに近付こうとする男――――それこそが、王がダンテに産ませた実の子で ある。
かの実子を、王は我が子として可愛がったことは一度もない。世襲という観念のない世界に おいて、子はほぼ産み捨てが通例となっているのだから、愛情など端から注ぐわけがなかった。 が、ダンテにはその観念こそが理解出来ぬらしく、子には滅法甘い。それが悪影響を及ぼして いるのだと、まるで自覚していないのだ。

ダンテの首筋を、王はそっと指先でなぞった。眠っていても敏感なダンテは、ぴくりと反応し、 ゆるゆると首を左右にする。片腕で抱き起こすように肩を浮かせると、当然ながらダンテの頭は 垂れ、首がのけ反る。蒼くすらある透けた首筋に、王は顔を埋めた。鋭く尖った牙を、躊躇する ことなく滑らかな膚に突き立てる。
ぷつ、と。穴の開く音が脳髄に響くかのようだ。
ぢくりとした痛みに、ダンテがぎくっと肩を跳ねさせた。

「ッん……」

半端に開いた唇から吐息に似た声が漏れる。それはまるで男を誘っているかのようで、王は目を 細めた。彼には女性的な部分は一つもないが、だからといって男の慾を刺激せぬわけでは断じて ない。少なくとも、王はダンテより他に慾を覚える相手はおらず、それはダンテを“半身”にする 以前からそうだった。性慾、征服慾、独占慾――――それら総てが、ダンテただ一人によって 駆り立てられるのだ。

(厄介な躰だ……)

呆れるではなく面白がるように思いつつ、王はダンテの膚に開けた二つの穴から滲んだ紅いもの を、味わうようにゆっくりと口内へ運んだ。いつものことながら、甘い。じゅ、と音を立てて 吸い上げれば、ダンテが痙攣を起こしたように震えた。

「! ぁっ……は……」

交合の最中の喘ぎにも聞こえる吐息をこぼし、ダンテは痛みによって目を覚ましたらしい。 戸惑いの混じった吐息が次第に落ち着くにつれ、瞳の焦点も定まり始めたようだ。

「ぁ……バージル……?」

もう朝かと、碧い双眸が問うてくるのへ、王はふっと微笑を返した。

「まだ真夜中だ。起こして悪かったな」

しれっとして言う王を、ダンテはまだぼうっとして見上げていたのだけれども、首筋の痛みに ようよう気付いたらしく、はっとしたように手で首を押さえた。

「ア、ンタ……またかよ!」

掠れた声で叫び、睨んだところで迫力などあろうわけがない。頬が赤く染まっているとくれば、 余計にだ。
またか、と毎度のこと言われる程度に、王はよくこうしてダンテの血を啜っている。ダンテに すれば「いい加減にいろ」ということなのだが、王の言い分は全く悪びれたふうもなく、

「お前の血が甘いのが悪いのだろう」

ということになる。そして毎度、ダンテは軽く絶句し最後には諦めが入るのだ。

「また、それかよ……」

理解出来ない、とは何度も聞いた言葉だ。しかしダンテが理解出来ようが出来なかろうが、 ダンテの血が王の舌に甘く馴染むことに変わりはなく、王には何ら影響はない。
呆れたようにうなだれたダンテを引き寄せると、まだ要るのかとダンテが僅かに抗う素振りを した。

「暴れるな、ダンテ。お前とて、厭ではないのだろう」

言ってやれば、ダンテはかっと耳まで朱に染めた。図星なのだ。王がその首筋に顔を埋め、 血を啜ってやればダンテは恍惚とした表情になり、王に縋りついてくる。厭だとか、嫌いだという ことはけっして言えぬ筈である。

「そっ、それは、その……っ」

言い淀むダンテの耳へ、王はくすりと笑って囁いた。

「判っている。……恥ずかしいのだな?」

薄暗い明りの下、ダンテの顔がいっそう赤く色付き、推察が正しいことがありありと知れた。
愛撫をされて昂揚することは、判る。しかし血を啜られて恍惚となる我が身に、ダンテは羞恥を 覚えるのだ。だから、拒む。一度仕掛けられればそれきり、抗うことも出来ず溺れてしまうことが 判っているからこそ、ダンテは拒まねばならぬのだ。痴態をさらして良しとする程、ダンテの 矜持は低くはない。むしろ他者よりも高くあるに違いないのだから。

「抗うな、ダンテ。お前の羞恥も総て、私に寄越せ」

ダンテの額に一つ口付け、王は再び首筋に鼻面を押しつけた。今度は、ダンテは抗うことを しない。

「アンタって……本当に横暴だよな」

ため息と笑いの混じった言葉に、王はひそりと眉をしかめたけれども、ダンテを咎めるのは 後回しだ。今はこの、甘い甘い紅玉を味わうことに集中せねばならない。
王は先刻よりも強くダンテの膚に牙を突き刺し、思うさま、彼の身に流れる赤を貪った。





蒼い月明りに照らされて、岩山と見紛うかという巨城の夜は、それぞれの思惑を余所に更けて いく。



















戻。



バジダンをいちゃこかせるのに必死になりすぎた結果、
ネロダンの絡みがなくなりました。無念。