遠雷エンライ









過ぎる程に広い寝台に横たわり、静かな寝息はいかにも安らかだ。窓はあるが陽が射すことは なく、それは今が夜だからだとか雨であるからという理由は当てはまらず、どんな時刻であろう とも明るい陽が顔を出すことはない。ここは、そもそもそういう場所なのだ。
空は曇天。雲が晴れても月が姿を見せるばかりで、いっこうに太陽と入れ替わることをしない。 闇が総てを覆う世界――――緑は萌えることを知らず、ただ葉のない枯れた草木が疲れたように うなだれ、渇いた土をただ見下ろしている。山は剥き出しになった岩と砂ばかりで、どこを 見渡しても痩せた土地が広がって、生き物の気配はひそりともない。が、そんな得る糧もろくに ない土地にも、生きるものは確かに在るのだ。

荒野とはこういう景色を言うのだろう、何もかもが痩せこけた世界の正しく中央に位置する 高い山――――否、山のようにそびえ立つ巨大な城が、その偉容を誇っている。城に暮らすものは 数百人を下らない。うち二名を除く総てが、城の主に仕える下僕である。彼らにとり、主は 絶対だ。そして主に添う存在にもまた、彼らは恭しくかしずかねばならないのだった。

城の主はこの世界の王。すなわちもっとも強い力を保持する存在であり、実質的な力が総てものを 言うこの世界において、王は紛れもなく絶対的な存在であった。





王の寝室に足を踏み入れることが出来るのは、当然ながら王と王に添うものの二人のみだ。が、 知ったことかと言わんばかりの風体で、一人の青年が王の寝室の扉を無遠慮に開け放った。
下僕――――寝室の周囲に近付くことを赦されているのは、下僕の中でもとくに位の高いものだ ――――が慌てて止めようとするのも、青年は歯牙にもかけず寝室に踏み込むと後ろ手に扉を 閉めてしまった。こうなっては、王より他には誰も手を出すことが叶わない。青年はそうと 知っていて、毎日のように寝室を訪れるのだ。
王が不在のときは、だけれども。

毛足の長い絨毯を踏みしだき、二つ続きになった部屋の奥へと真直ぐに足を進める。自分の 部屋ではないとはいえ、勝手知ったるとばかりに慣れた部屋だ。迷いなく、青年は寝台の 鎮座した奥の間へ入った。
男が四人は余裕で眠れるだろう広い寝台には、こんもりとした膨らみが一つあるばかりだ。 ぴくりともせぬその膨らみを見やり、青年はやれやれと肩を竦めた。相変わらず、と呆れ半分に 寝台へ腰掛ける。その膨らみは寝台の中央を陣取っているから、脚ごと躰を乗せねばならない のだが。

「起きろよ、」

ふかふかの毛布を頭から被った膨らみを、揺する。それだけではやはりぴくりとも反応しないの だと、青年はきちんと心得ている。

「毎日毎日、いつまで寝るんだよ」

これも毎日、飽きる程繰り返している言葉だ。よくも飽きないものだと、青年は自分で感心して しまう。
少し乱暴に揺すれば、ようよう膨らみがもぞりと動いた。毛布をめくってやると、まだ眠そうに 眉を寄せた瞳と目が合った。随分睫毛が長いのだと気付いたのは、いつのことだった だろうか。

彼が手の甲で目を擦る。自分よりも当然ながら年嵩の彼が、ひどく幼く見えるこの瞬間が好き なのだ。だから毎日、こうして彼の目覚めに立ち会っている。

「ん……なんだ、もう朝かよ……」

陽の昇らぬ世界にあって、時間の感覚は月の位置と満ち欠けで測る。今は月が、南の端にあるので 時刻は昼だ。いつものことながら、彼の目覚めは遅すぎる。

「朝なわけないだろ。なんで毎日そんなに寝れるんだ?」

彼がまだ眠そうに欠伸をした。

「寝ようと思えば、いつまででも寝れる自信があるね」

「何の自慢だか……」

ため息混じりに青年が呟くのへ、彼はにやっと笑って見せた。

「お前こそ、またあいつに怒られるだけだろうに、懲りねぇな」

声も表情も、青年を責めるふうは欠片もない。むしろ面白がっているというのがありありと 判って、青年はひょいと肩を竦めた。

「俺には反抗が似合ってるんだろ? あんたが言ったことだぜ」

「はっ、そうだったか?」

軽く笑い飛ばした彼の肩を掴み、早く起きろと催促する。こんな意味のないやり取りは毎日の ことで、青年も彼も慣れたものだ。ただ、彼にとっては取るに足らぬ会話が、青年にとっては 貴重な時間であることを彼はきっと知らない。

青年に促されるままに躰を起こし、彼は腕を上へ掲げてぐっと伸びをした。何も着けていない 均整の取れた上半身があらわになり、青年は意識的に視線を逸らした。彼を起こすことは青年に とって彼と触れ合う貴重な時間だが、同時につらさをも味わわねばならない。
彼はまるで自覚していないが、きれいに鍛えられた躰のそこかしこに、所有を表わす鬱血の痕が ちりばめられているのだ。首筋、鎖骨、脇腹、腹部、そして腰から下腹部にかけて――――至る ところにそれはあり、彼の所有をこれでもかとばかりに主張している。痕を刻んだのは、この 寝室の主しかいない。

彼は王の、“半身”なのだ。

半身、とは意味合いで言えば伴侶を示す言葉だ。婚姻という概念のないこの世界では、契る 相手を一人に絞ることはまず珍しい。ごく稀に、生涯の相手としてただ一人を選ぶものもおり、 その際には“半身”という言葉を用いるのである。
“半身”にと選んだものは文字通り己の半身となり、一度契りを交わせば以降、その命をも 共有することとなる。すなわち、選んだものが死ねば“半身”もまた死ぬ。しかしその逆は 起こり得ない。ただし、“半身”が死ねば選んだものは力のほぼ総てを失うことになり、力こそが ものを言うこの世界においては死と同義となる。

こういった理由から、“半身”を選ぶことに利はないように思われるかもしれない。が、それは 誤りである。“半身”を得れば、選んだものの力が急激に増加する。選びようによっては倍以上、 過去の事例を見れば五倍にも増したものもいたという。そうして得た力で以て王の座を奪った ものもあり、その為、一時は我も我もと“半身”を得るものが後を絶たず、世界は混沌とした 争乱の時代を迎え、大地は余すところなく血に染められた。
しかしそれも一時ばかりのこと。
今や“半身”を持つものは、王を除けば数例を数えるばかりとなっている。あまりにも危険性が 高く、加えて“半身”を得たところで王を凌ぐまでに力を増すことは不可能であると、誰の目にも 明らかだったからだ。

現在王位にあるものは、“半身”を得ることなく前王を殺し、世界を手中に治めたのだから。

しかしその辺りの詳しい話を、青年はよく知らない。それらは青年が生まれる以前に起こった ことであり、物心が付いたときには、彼は既に王の“半身”となって数年を経ていた。

最強たる王の、唯一。青年が彼を見つめ続けるようになったのは、いつの頃からだったか。 物心の付く頃には既に、彼のことばかりを見つめていたと記憶している。
彼は、そんな青年の視線の意味にはまるで気付いていない。気付かれぬほうが良いのだと、青年は 思っている。気付いてしまえば、彼はもう今と同じように自分に接してはくれないだろうから。 それは、やはり嫌だと思う。
いつまでも子ども扱いをされるのも嫌、なのだけれども――――贅沢を言っているという自覚は ある。けれど、こればっかりはどうにもならないのだから仕様がない。

少なくとも今はこのまま、ゆるやかなときが続くことを望みたい。

なまめかしい情痕をあらわに、彼はのろのろと、青年の脇をくぐるようにして寝台から這い 出した。下は、いちおう穿いていたようだ。妙なこだわりのあるあの男が穿かせたのだろうかと、 青年はあたりをつけて眉を顰めた。
仏頂面で彼の気に入りの毛布(たいそう膚触りが良い)を睨んでいると、どうかしたかと彼が 声を投げてきた。

「べつに……」

まだ、彼はきちんと着替えていない。青年は極力視線を逸らしたまま、ぼそりと返した。 それが悪かったのか、

「何拗ねてんだ?」

白い開襟シャツを羽織った彼が、前釦も留めず青年の顔を覗き込んできた。彼は青年をあくまで 子どもとしてしか意識していないので、距離に遠慮が全くない。額をこつんとくっつけられて、 青年は思わず息を止めた。顔が赤くならずに済んだのは、こんな至近距離に近付かれることは 初めてではないからだ。とはいえ、毎度息が止まってしまう自分が情けなくはあるが。

「んー……熱はねぇ、よな……?」

何を拗ねているのかと訊いたくせに、何故熱のあるなしを計られねばならないのか、青年には 判らない。

「ね、つなんかない。拗ねてもないし」

ほとんどなきに等しい距離にある彼の双眸を睨むと、彼は数度瞬きをし、それから額を離して 「そっか?」と腑に落ちぬふうに呟いた。

「まぁ、良いけど」

飽きやすいたちの彼らしい、あっさりとした言いようだ。それが有り難く感じるのはこういう ときで、今回も青年は内心で胸を撫で下ろした。あまり長く至近距離にいられては、何を しでかしてしまうか、自分でも判ったものではない。

「具合悪かったらすぐ言えよ?」

言いながら躰を離した彼を、青年は辟易して見上げた。

「餓鬼扱いするなって、何度言えば判るんだよ、ダンテ」

彼は「ははっ」と笑い、おどけたふうに両手を広げた。

「親にとっちゃ、餓鬼は何歳になっても餓鬼なんだよ。って、何度言えば判るんだ、 ネロ坊や?」

悪戯っぽく片目を瞑って見せる彼を、青年は憎々しく思いながらも嫌うことは出来ず。 この生温いやり取りをいつまで続ければ良いのか、時折判らなくなる。

「……親なら、親らしいことの一つでもしろよ」

ぼそぼそと恨みっぽい言葉を投げ付ける。ダンテは首を捻って頭を掻いた。

「と言われたってなぁ……」

やることがない、とダンテは言う。確かに、家事一切は城の下僕が総て行なっており、 ダンテがすることといえば使用人らを労うことくらいだ。が、それはネロも判っている。ネロが 言っているのは、ネロ自身のことだ。
今まで一度たりとも、ダンテはネロに教育らしいことを施したことがない。躾けなど以ての外で、 まさに野放図だとネロが思う程にいい加減なのだ。それでいながらネロが非行にも走らずに育った のはまさに奇跡だ、と囁く声があることを、ネロは知っている。そんな声を、ダンテは聞いた ことがないのだろうかと、いつも思うのだ。

「ま、お前もこうしてちゃんとでかくなったんだからさ、良いんじゃねぇ?」

ダンテらしいといえばらしい言葉に、ネロはため息を吐かずにはおれない。ダンテとはよく 似ていると自覚しているが、こういうところはまるで似ていないとネロは思う。少なくとも ネロは、こんないい加減な性格なぞしていない。

「で、飯、もう喰ったか?」

出し抜けにダンテが問うのへ、ネロは「昼はまだ」と素っ気なく答える。多少すげなくした ところで、ダンテが気にすることはないとは、よく知っているネロである。
案の定、ダンテは全く気にしたふうもなく、

「んじゃ、一緒に喰うか。腹減っちまった」

そりゃあ、朝抜きなのだから腹が減っていて当たり前だろう。ネロは寝台から下り、腹が減ったと 子どものように繰り返すダンテに苦笑してしまった。どちらが子どもか判らない。ネロのことを 子ども扱いしてならないダンテだけれども、ダンテのほうが子どもっぽいと思うことは多々、 ある。

「すぐ用意させるから、我慢しろよ」

言って、ネロが下僕の控えている扉へ向かおうとしたとき、不意に扉が向こう側から開け 放たれた。この部屋へ入ることが赦されているのは、ダンテ一人。扉を開けることが出来る のは、ダンテとダンテに赦しを与えた主の二人だけだ。
ネロは無意識に足を止め、寝室の主を睨むように見据えた。王に小さくはないわだかまりを 抱いているネロだ。親とはいえ、この男と和やかな雰囲気など作り出せるわけがなかった。
王もまた、ネロのことを我が子などとは思っていないことがありありと伝わってくるものだから、 ネロが王を慕う理由などどこにもない。

「また貴様か」

いっそ殺意でも込められているような、低い声音。弱いものならそれだけで死ぬであろう威圧を ぶつけられても、ネロは怯みもしない。毎日これを受けていれば、嫌でも慣れようという ものだ。
親と子とは到底思えぬ睨み合いは、しかし長くは続かなかった。

「アンタなぁ、自分の餓鬼をそんなふうに呼ぶのやめろって、いつも言ってるだろ?」

王とネロの間に恐れもなく入って来たのは、当然ダンテだ。
ダンテは王を一睨みして、ネロへ気遣わしげな視線を寄越した。大抵の物ごとには頓着しない 性格をしているダンテだが、こういうときは別人かと思う程に気を遣う。自分がどうの、では なく、王が絡めば、であることをネロは知っている。

王はダンテの視線がネロへ据えられているのが気に食わないのだろう、ダンテの肩を掴み、 自身のほうへ強く引き寄せた。

「こちらへ来い、ダンテ」

これは命令だ。王は“半身”であるダンテを相手にすら、常に命令口調を用いる。癖だろう、と こともなげにダンテは言ったことがあるが、ネロにはどうにも好きになれない口調だ。

有無を言わせず“半身”を抱き寄せた王は、ダンテの腰に腕を回して固定した。ほとんど体格の 変わらぬダンテと王だが、そうして抱き合うと不思議な程しっくりきて見える。それが、ネロには 気に入らなかった。

ダンテが王の腕の中で身動ぎした。

「ちょ……ネロがいんだから、離せよ」

言いながらも、ダンテは本気で嫌がっているわけではない。ネロの手前、べたべたとくっつくのは 恥ずかしいと思っているのだ。が、それは王には通用しない訴えである。

「お前は黙っていろ。……、……」

ぼそぼそと、王がダンテの耳に何ごとか吹き込む。ネロには何を言っているのか聞こえなかった が、ダンテの躰がぎくりと強張ったのははっきり見て取れた。どうせ、ろくなことを言って いないに違いない。ネロは眉を顰めた。
いつも、王はこうしてネロに見せつけるのだ。ダンテが己の“半身”であること、そして ダンテが男として認識しているのは自分だけであることを、見せつける。つまり王は、ネロが ダンテに向けている感情を正しく理解しているということに他ならず、そうでなければ、 こうまでネロを――――血を分けた我が子を牽制する理由がない。
牽制、というよりも。ただの嫌味、なのかもしれないが。

「すぐに昼食が来る。腹が減っているだろう?」

王が問えば、ダンテは素直にこくんと頷く。嘘を吐く必要は確かにないけれど、王を相手にして いると、ダンテは驚く程素直に(幼く?)なる。
忌々しく思いながらも、何も言えず俯いたネロに、王が言った。

「貴様は自室へ戻れ。そちらに昼食を運ぶよう命じてある」

はっとしたのはネロではなく、ダンテだった。

「……っ! おい、そりゃねぇだろ!」

一緒に喰うと言ったのだと、ダンテが食い下がる。が、相手は王だ。ネロは肩を竦め、王の腕に 閉じ込められたダンテの肩を、そっと叩いた。

「良いんだ、ダンテ。俺は部屋で食べる」

「ネロ!」

「こんな鉄面皮と一緒じゃ、食慾なんて沸かないからな。ダンテと違ってさ」

皮肉っぽく言って、ネロは二人の脇をすり抜けて寝室を後にした。その背中に、

「っ、の、馬鹿バージルっ」

叫ぶダンテの声が聞こえたけれど、ネロは振り向かなかった。きっと、ダンテを黙らせる為に 王――――バージルがダンテに何をか仕掛けているのに違いなく、そんな光景など、間違っても 見たいとは思わないから。

荒っぽく舌打ちするネロを、下僕らが怖々、見つめていた。


















戻。



続きものではなく、これ設定の日常ものにしようかな…と。