+注+
こちらは要注意作品です。
マニアックシチュエーションを取り扱っておりますので、
何があっても自己責任でお願い申し上げます。
また、苦情等は一切受け付けませんのでご了承下さい。
自分のしたことはすべて自分で責任持てます、何でも来い!
という猛者のみ、スクロールをお願いします。
くれぐれも、自己責任という言葉をお忘れなきよう…
壊物
昨晩のことだ。まだ記憶に新しいので忘れる筈もない。
昨晩、――――というよりもほぼ毎夜のことではあるが、双子の兄と一つのベッドで一枚の毛布に
包まれて眠った。ものが少ない上にきちんと整頓された兄の部屋で眠ることに、異存はない。
時折自分の部屋で同衾することもあるが、服や雑誌やらが乱雑に散らかっているのが気に
食わないのかどうか、兄が選ぶのは九割方自身のベッドだ。
夕飯を終えて、すぐに部屋に引き取ったわけではなかった。その前に風呂に入らねばならない。
が、夕飯はさらにその前があった。兄が悪戯心を起こしたのだ。
ダンテは家事の一切を兄に頼っている。炊事も洗濯も掃除も、何一つ満足に出来ないダンテを
兄は時折叱ることがある。だからかどうかは知らないが、何を思ったのか、兄はダンテに夕飯の
片付けを言いつけたのである。つまりは食器洗いで、取り立てて難しいことではないのだが、
キッチンへ立つことはおろか流し台すらろくに使ったことのないダンテには、兄の提案はいかにも
無謀に思えた。
不器用ではないが、実はダンテには家事全般に対して激しい苦手意識がある。それを根付かせた
のは、他でもない兄だ。
予想通り、とでも言おうか、ダンテは皿を一枚駄目にした。どうすればそうなるのかダンテにも
判らぬくらい、皿はダンテの手の中で無残にもばらばらに砕け、細かな欠片が流し台に
散らばった。当然、ダンテの手は陶器の破片で傷付き、血で真っ赤に染まった。
しかし手の痛みなど気にしている余裕はダンテにはなく、間もなく背後から掛けられたいつにも
増して低い声に、情けない程に全身を凍り付かせた。大小を問わず失敗を犯すたびに兄の凄まじい
怒りがダンテを見舞い、それ故にダンテの家事への苦手意識はより強いものへと塗り固められて
ゆくのだ。
昨晩の兄の怒りはとくに激しかった。
声はひどく低いのに、ダンテの腰を抱き寄せる腕は何故か優しげなのだから、怯えないわけには
いかなかった。絶対に何か企んでいると判る絶対零度の双眸に、ダンテは恐怖すら覚えたが逃げ
出すことは出来なかった。逃げれば、兄がどんな制裁をダンテに下すか判らない。兄の怒りを
買えばどんなことになるか、知らないダンテではないからこそ、逃げようにも脚が竦んでしまう
のだ。
流し台の縁に座る格好で、ダンテは兄の楔に貫かれた。何の準備もなく押し入られたのだから、
辛くないわけがない。時折気が触れたように荒々しいセックスを強いる兄に、慣れてはいると
いえど、限界はある。
結合部から溢れた血のぬめりを借りて、兄は容赦なくダンテを責め立てた。息継ぎもままならぬ
程の激しさは、ダンテのほっそりとした躰が、割り砕いてしまった皿のようにばらばらになる
のではないかというくらいに酷いものだった。実際、あれでよくも壊れなかったものだと、
我ながら感心してしまったのだから。
兄の怒り――――途中からは、あれが怒りによるものだったのか判らなくなっていたが――――は
それだけでは治まらなかった。無理を強いられた所為でぐったりとしたダンテを、兄は軽々と抱き
上げてバスルームへ運び、そこでもダンテを貫いた。もう無理だという、ダンテのせめてもの
抵抗はきれいに無視され、兄は絶倫ぶりを遺憾なく発揮した。
結果、ダンテは兄の幾度目かも知れぬ迸りを身の内に叩き付けられた直後、気を失った。
そのときまだ世間は真っ暗だったから、ダンテの感覚では昨晩のことになっている。
それで、だ。
ダンテは兄がいつ眠ったのかも知らなければ、いつベッドから出て行ったのかも当然知らない。
朝についてはいつものことだし、夜についても兄がダンテよりも先に眠ることはほとんどないの
だが、ダンテは兄が今この場にいないことに大いに不満を抱いている。
何故かといえば、
「バージルの嘘つき……」
掠れた声。寝起きだからというばかりではなく、昨夜限界まで使役された喉が痛みすら訴える程に
ひりついている。何とも忌々しい。鬱憤をバージルに直接ぶつけることが出来ないだけに、
いっそう腹が立った。
昨晩、部屋に移動しベッドに組み敷かれたのが何時のことだったのか、ダンテには判らない。
兄はまだまだダンテを貪り足らぬ様子であったことは、よく覚えているけれども。
兄はダンテを揺さぶりながら、確かに、言った。
「明日は昼頃に出掛けるが、どうする」
ダンテは朦朧としながらも、行く、と答えた。兄は意外な程すんなり頷き、ならば時間を
見計らって起こす、とそう言ったのだ。つまり、ダンテが自主的に目覚めるよりも早くに
起こすということだ。ダンテは二つ返事で承諾した。
兄と出掛けることは、ダンテにとって何よりの楽しみに違いない。とくに、未だ躰が縮んだまま
元に戻る気配の見えない現在、ダンテは兄の許可なしに外出することを禁じられている。
その許可にしても、兄はめったなことではダンテに与えてくれないのである。仕事も、駄目だと
言われた。今は九割九分、兄が一人で仕事をこなしている。
そんなダンテのささやかな(本当にささやかな)楽しみは、兄が気紛れに、買い物に連れて
行ってくれることだ。今どき子どもでも一人で出掛けているだろうが、事実なのだから仕様が
ない。いっそ家出でもすれば、と思わなくもないけれど、後が恐ろしくて実行に移せたためしが
なくて。そもそもダンテは兄から離れることなど出来ないのだから、話にならなかった。
ともかく、ダンテが自主的に目覚めてから既に三十分は経過しているというのに、兄はまるで
姿を現わさないどころか、気配さえ見せないのである。もっとも、ダンテとて兄の言葉を思い
出したのは目覚めて少ししてからのことではあった。しかし非は兄にある筈で、ダンテが兄を
責めるのは至極当然のことの筈なのだ。
「うそつき」
兄はダンテに対して嘘を吐くことはない。忘れているとも考えられなかった。では、どうして
ダンテは放って置かれているのだろう。
ダンテは口の中で兄を罵り、肩からかぶった毛布を掻き寄せた。もう春が近いとはいえ、寒さが
なくなったわけではない。実質的な寒さとは別の、言い知れぬ寂寞が寒さとなってダンテを
包んでいる。毛布では、暖められぬ類の寒さだ。
兄に約束を反故にされたという可能性が強い今、ダンテの躰は芯から冷え始めていた。
独りきりで生きられないわけでは、ない。家事全般は壊滅的に駄目ではあるが、それだけといえば
それだけのことだ。食事はデリバリーか外食で事足りる。生きようと思えば、ひとはどんな状況下
でも生きることが出来るのだから。
けれど。――――けれども。
ひとりは、いやだ。
「……バージル……」
我知らず切々とした呟きを漏らして、ダンテは折り曲げた自身の膝をぎゅっと抱き締めるように
した。寒い。どうすればこの寒さを拭えるのか、ダンテは知っているのだけれども。
ダンテはただ独りきり、じわりと眦に滲んだものを拭う術も、ない。
気付けば、昼を悠々回っていた。
時計の針が指示す時刻は午後二時半。兄を恨めしく思いながら膝を抱え、二時間以上も眠って
しまっていたらしい。眠っても眠っても寝足りないここしばらくの自身のことを思えば、じっと
目を瞑っていたのだから眠らぬ道理はないと言えなくもない。が、現金なものだとも、思う。
膝を抱えていたというのに、気が付いてみれば手足を折り曲げた恰好でベッドに横になって
眠っていたのだから。
ため息が出る。と、ダンテははっとして躰を起こした。何かを捜すようにきょろきょろと首を
巡らせ、やがて落胆の色濃く肩を落とした。
兄の気配を捜していたのだ。
どこへ行ったのだろう。兄はやはり、ダンテを置いて一人で出掛けてしまったらしい。しかも
まだ、帰っていない。
声も掛けて貰えなかったことに、ダンテは自分でも意外なくらい落ち込んだ。兄にとっては、
セックスの合間にした口約束などその程度のものでしかないのだろうか。いや、どんな状況で
したものでも良い。ダンテには、兄にとって自分がその程度の存在でしかないのだと突き付け
られているようで、かなしくてならなかった。
判っていることでは、ある。兄にとっての自分の存在は、ダンテにとっての兄の存在とは比重の
据え方が根本から違っているのだということを。
兄はダンテがいないからといって、寂寞を感じることもなければ、不安に駆られることもないの
だろう。絶対に、と言い切ってしまえるくらい、ダンテはきちんと自覚しているのだ。
ただ、兄がまだ自分に対して慾を持ってくれることが嬉しくて、時折忘れてしまいそうになる。
こんなことでは、またひとりになったとき、きっと駄目になってしまう。何度も自分に言い聞か
せておかなければ――――忘れてはいけないことなのだから。
肩からずり落ちた毛布はそのままにして、ダンテはもそもそとベッドから這い出した。寝着姿の
まま、部屋を出る。兄がいれば咎めただろうし、ダンテもいつもなら着替えるのだが、今は急を
要する。眠っている間は忘れていられるが、目覚めてしまえばそうはいかぬのが生理的な
排泄衝動だ。
階段をたったと駆け下り、バスルームへ急ぐ。さして広くはない家内のことだ。兄の部屋から
バスルームまで、三十秒も掛からず辿り着ける。
バスルームのドアはぴたりと閉じられていた。疑問には思わず、ノブを掴んで軽く捻る。と、
「? えっ?」
ノブが回らない。何かが噛んでいるのか、ぎちっと妙な音がするばかりで、押しても引いても
ドアは閉じ切られたままだ。
「なんで、」
ダンテは絶句し、ノブを何度も捻った。がちゃがちゃと空回りしたような音があるばかりで、
いっこうにドアは開いてくれない。こうしている間にも、ダンテの下腹は排泄を訴えていっそう
張り詰めてくる。焦りがダンテを追い詰め、血の気が引いていくようだった。
「ちょ……開けよっ、開けって!」
喚くが、ドアは嘲笑うかのように動かない。ダンテは尿意を誤魔化すように、たしたしと地団駄を
踏んだ。が、既に限界近くまでになっているものを、今更誤魔化せよう筈がなかった。
まずい。などということは判りきっている。
「どうすりゃ良いんだよ……ッ」
このままでは、最悪な事態に陥ってしまう。それだけは避けなければならないのだが、果たして
回避する手段がまったく思い浮かばない。
どうしよう、と。
ダンテの頭の中はそればかりに占められている。
ドアを蹴破るという、最も単純かつ今の状態に相応しい選択肢を、無意識のうちに消してしまって
いることを、ダンテは気付いていない。いかに切羽詰まっていたからと、そんなことをすれば兄の
激怒は免れないからだ。
およそ何ごとに対しても動じることのない、鉄の精神を持ち合わせているダンテが、唯一
おそれているのが兄なのである。兄を怒らせることは、時折してしまうが、したくない。
まるで開く気配のないノブを捻ることを、ダンテはとうとう諦めた。兄の帰りを待つことに
したのだ。ドアを蹴破ることの出来ないダンテに残された手立ては、もはやそれしかない。
昼頃に出掛ける、と兄は言っていた。ダンテを連れて行っても良いと考えていたようだから、
おそらく遠出はしていない。ならば、もう少しすれば帰って来る――――その筈だ。
「早く、早く……」
ダンテはもう、その場から動くこともままならぬ程に、激しい尿意に見舞われていた。一秒すらも
ひどく長く感じるくらい、焦れに焦れている。
尻をすっぽりと覆う、丈の長いシャツを握り締めた。全身に力を込めていなければ、たちまち
最悪の展開へと転げ落ちていきそうだった。
「はや、く……バージル……!」
切ない喘ぎのように兄を呼ばわって――――それから何分、堪えただろうか。たかが数分だった
のかもしれないが、ダンテには一時間にも思える長い長い時だった。
事務所と自宅を兼ねた玄関の扉が開く音を、ダンテの耳が機敏に拾った。床を蹴るブーツの
音すら、はっきりと聞こえる。
良かった、間に合った。
「バージル、」
呟いたのが、いけなかったのだろうか。
「……ッあ……!」
声を上げたときにはもう、遅かった。一度堰を切ってしまったものを、止める手立てはダンテには
なく。
「ぁ……あ……ぅ……っ」
濡れた寝着が脚に張り付く感触は不快だが、ひたすらに辛抱したあとの解放感はそれを上回って
おり、いっそ快楽と取れる感覚をダンテに与えていた。駄目だ、やめろと思うのは、頭の片隅。
ダンテの矜持が叫んでいるけれど、どうにもならないのは明白だった。
寝着はしとどに濡れ、床に出来上がった嫌な水溜まりの真ん中に茫然と立ち尽くしていると、
兄が。
「ダンテ? そんなところで何を……」
中途半端に言葉を途切れさせた兄が、今自分が置かれた状況に気付いたのだということを、
ダンテは知った。けれど、ダンテは指の一本も動かすことが出来ない。茫然自失。まさに
そのとおりだ。
「……ダンテ、」
兄の声音が低い。ダンテはわなわなと唇を震わせた。恥ずかしくて恥ずかしくて、死んでしまい
たいくらいに堪らない。悪いのはバスルームのドアで、自分ではないのだけれども、それはむしろ
問題ではなかった。
漏らしてしまった。躰は縮んでいようとも、ダンテは立した一人の男だ。その男が。
「っう……ぅ……」
嗚咽が漏れた。ダンテは唇を噛み締めたが、涙は止まらない。次から次へ、溢れ出てくる。
恥ずかしくて、情けなくて……
「ダンテ」
ぎくっと、した。兄は何というのかが判らなくて、こわい。青褪めるダンテを、しかし兄は
何故か咎めの言葉を口にしなかった。
「そう、泣くな」
思いもよらぬ穏やかな声音に、ダンテは目を瞠った。兄の手がダンテの脇の下に潜り込み、
ひょい、と軽やかに抱き上げられる。素足の指先から、雫が垂れた。濡れた下肢など気に
ならないのか、浮き上がったダンテの躰を兄は懐にすっぽりと納めてしまう。そうして、
髪を撫でられた。なだめるように。
「鍵が壊れて、開かなかったんだな?」
ダンテの状態から察したらしい兄の問い掛けに、ダンテはこくんと機械的に頷いた。
「そうか」
吐息のような呟きがあったかと思うと、突然バスルームのドアノブが音もなくばらばらになって
床に落ちた。兄のダンテの髪を撫でていた手には、いつの間にか一振りの刀が握られており、
それでノブを斬り落としたらしい。ダンテが蹴破ることの出来なかったドアが、兄の脚(何とも
珍しいことだが)によって呆気なく破られる。
先刻とは違う意味で茫然とするダンテのこめかみに、兄は異常な程優しくキスを落とした。
「すぐに綺麗にしてやる」
大人しくしていれば、それだけ早く終わる。兄はダンテの耳に囁いた。その声に怒りの色は
まったく窺えず、どうしてかなど、ダンテに判るわけがない。
ただ兄の優しさが、嬉しいよりもいっそ――――不安を駆り立てて。
(なんで)
かといって、何故なのか訊くことも出来ずに、ダンテは兄の肩に顔を埋めるよりなかった。背を、
兄が柔らかく撫ぜてくれる。その、いかにも優しい仕種には裏があるのではないかと、疑いながら
も兄の腕から逃れることはダンテには出来ない。
ずうっと、こうして欲しかったのだ。今朝(と言っても昼前のことだが)目覚めてから、ずっと。
兄がそばにいないことがどうにも寂しくて、抱き締めて欲しいのに、ダンテはひとりぼっち
だった。だから今、たとえ兄が何をか企んでいるとしても、ダンテは兄の腕の中からは
出られない。赦される限り、このあたたかな場所にいたいから。
兄の懐に身をすり寄せていると、けっしてなくなるわけではないけれど、ひどい羞恥が少し
和らいだ気がして。
ダンテはぎゅうっと、兄の首にしがみついた。
たっぷり湯を張ったバスタブに、手足を伸ばして寛ぐことはなかなか仕合わせなものだ。ふう、と
ため息を吐いたダンテだが、いつものように心までゆったりとすることが出来ずにいた。
「どうした」
背後から声をかけられ、ダンテはひくっと肩を撥ねさせた。どうしたと問われたものの、ダンテは
沈黙したままだ。先刻からそうで、お喋りなダンテには珍しく、風呂に入る前から一言も発して
いなかった。理由など簡単極まりない。恥ずかしいからだ。躰は一回り以上も小さくなって
しまっているとはいえ、この歳でお漏らしをして恥辱に打ちひしがれない人間はいない。
ダンテは他者よりも矜持が高くあるのだから、堪えられようわけがなかった。
そんなダンテを風呂に連れ込んだのは兄だ。浴槽に湯を溜めつつダンテの服を脱がせ、シャワーで
ダンテの身をきれいに洗い流し――――この間、兄は着衣のままだった。ソープの泡や水が服に
飛ぶのは気にならなかったのだろうか。もっとも、ダンテがそのことに気を遣えるようになった
ときには、兄は服を脱いでいたけれども。
茫然としていたのだ。兄に身を清められている間、ずっと。
それはそうだろう。言葉では言い表せない程の失態をしでかし、平然としていられるような低い
矜持は持ち合わせていない。しかも兄が、慰めるように優しい言葉をかけてくるのだから、
いっそういたたまれなかった。
優しくなんてしてほしくない。そう思い表情を歪めると、兄はなだめる為にか額や頬にキスを
落として、濡れた髪を撫ぜるのだ。大丈夫だと囁くのだ。
やさしくしないで。
そう思うダンテを裏切って、躰は兄の手を求めてならなかった。それが余計にダンテの唇を頑なに
したのだけれど、兄はそのことに気付いているのかどうか、ダンテには判らない。
後ろからダンテの腹に回された腕が、不意にダンテを引き寄せるように強くなった。既に湯の
膜すらなく密着しているというのに、だ。ぴったりと、兄の胸に背中がくっつく。細身に見えて
実は厚みのある兄の胸板に、ダンテは何故だか怯んでしまう。咄嗟に兄の腕を掴むと、己の腕とは
まるで比べ物にならない太さにまたしてもびくっとしてしまった。
「何を怖がっている?」
静かに問われ、ダンテは首を左右にした。言葉は紡がない。まだそこまで、気持ちを落ち着かせる
ことが出来なかった。
兄のため息が聞こえたような気がした。呆れられたのだろうか。その可能性は非常に高いという
ことに、ダンテは愕然とする。いつもは厳しい兄が手放しに優しくしてくれた理由は何なのか、
ダンテが嫌な結論に到るのに時間はかからなかった。
ぶるっと、躰が震えた。
「ダンテ?」
気遣わしい声は、いったいいつまでダンテのものであってくれるのか。判らないけれど、いつか
きっとそのときが来るのだという確信が、ダンテを不安にさせる。
(いやだ)
たった一言で良いのだけれど、言えない。言ってはならぬと誰かがその言葉を奪っていく。
後ろから抱き締める腕が、強さを増した。しかし苦しいという程のものではない。
「済まなかった」
唐突な謝罪に、ダンテは喉の奥で何のことか問うた。聞こえたわけではないのだろうが、ダンテに
答えを与えるように兄が言葉を繋ぐ。
「お前を残して出掛けたのは、昨晩のことを忘れていたからではない。起こそうとはしたが、
やめた。……よく眠っていたのでな」
思わず、ダンテは兄の腕を強く掴んでいた。ダンテがぐっすり眠っていたのは当たり前だ。あれ程
激しいセックスを強いられて、翌朝きちんと起きられるわけがないではないか。
兄の所為で死んだように熟睡せねばならなかったというのに、それを理由に起こさなかったなどと
言われて、納得出来ると思うほうがどうかしている。
ダンテは兄の腕に爪を立てた。ぎりっと食い込むのが判るが、兄は痛いとも言わない。甘んじて
受け止める、とでも言いたいのだろうか。冷えてきた髪を撫ぜられてダンテはかっとなった。
(後から思えば、みっともないとしか言いようのない怒りだが)
「アンタの所為だろ、全部! アンタが無茶しやがるから、俺は……!」
置いていかれることがどんなに哀しいか、どんなに寂しいか、兄はきっと知らない。だから
ダンテの気持ちも理解出来ずに、あっさり謝罪などしてしまえるのだ。謝るくらいなら、
どうして無理にでも起こしてくれなかったのか。
ダンテは躰を捩って暴れたが、兄の両腕はしっかりとダンテの腹を搦め取ったまま、びくとも
しない。
「離せよっ! アンタなんか、」
大嫌いだ。叫ぼうとしたが、出来なかった。兄がダンテの顎を掴み、振り向かせておいて唇を
塞いだのだ。己の唇で。
キスで誤魔化すなんて、最低だ。
しかしもっと最低なのは、そんな最低のキスにすら感じずにはおれぬ我が身だった。
「っふ……く、んん……ッ!」
吐息をも奪うようにぴったりと合わせられた唇。しかし口腔に差し込まれた舌は、嫌になるくらい
優しくダンテの舌の表明を撫ぜる。愛撫というよりも、やはりなだめるような所作だ。
「ん……」
抵抗する気も途中でなくなる程、長い長いキスだった。ようやく解放されたダンテの双眸には
涙が滲んでいる。兄はダンテを抱き締め、額にキスをした。
「明日は、違えず起こしてやる」
低い声を耳に吹き込まれる。明日、改めてともに出掛けようと言うことらしい。
機嫌取りのつもりだろうか。先程の失態のことを口にも出さずに明日の話を持ち出したのは、
忘れさせようとしてのことなのだろうか。何にせよ、最低だとダンテは思った。餌で釣ろうと
する兄が、ではなくて。
「……うん……」
それだけのことで気を取り直している自分自身が。
馬鹿みたいだと、思う。けれども。だって。
(楽しみにしてたんだ)
ダンテは躰を総て兄のほうに向け、父のそれに似た厚みのある胸にすりりとすり寄った。それは
まるで猫のように。
兄がいかにも愛しいものを見るように目を細めたことを、ダンテは知らない。
いつかは離れてしまうと判っているから、それまでは。
時の赦す限り、――――
こゆことになりました。兄がにせものくさいような…;
[08/1/23]