狂彩クルウイロ











よく、キスをしてくれた。触れてくれることが嬉しくて、もっと、といつもねだった。

仕合わせだった。母が亡くなり、二人きりになった後も、自分は不幸だと思ったことはなかった。 兄がそばにいてくれるだけで、仕合わせだった。





真っ暗な路地に、ダンテは一人佇んでいた。他には誰の姿もない。ダンテが探し、ようやっと 見つけた半身はまたどこかへ行ってしまった。追うことは、出来なかった。

捨てられた。

こんな日が来るのではないかという予感は、前々からあった。とうとう、という一種の諦観は あるけれども、真実として受け入れたくないというのが本当の気持ちだ。信じたくない。己が またも、兄に捨てられたなどという現実など。
立ち尽くして、どれ程が経っただろう。数分のような気もするが、判らない。ふと、背後に誰かが 近付く気配を感じて、しかしダンテは振り返ることはしなかった。その気配が兄ではないことは、 判りきっている。
低いバリトンが路地の闇を撫ぜた。

「人間とは、面倒な生き物だな」

独り言だろうか。問い掛けるふうでもなく、どこか吐き捨てるような呟きだ。やはり、兄では ない。落胆をする気力もなく、ダンテは指先の一つも動かさなかった。

すぐ背後で足を止めた男を、ダンテは知っている。長身のダンテよりも一回りは背も体躯も 逞しく、一つきりの目は復讐に燃える紅――――ダンテを手酷く凌辱した男が、不思議な程 静かな気配を纏わせそこにいる。
出合えば必ず闘いになる。そんな男(本性は人間の血と悲鳴を好む魔界の野獣だ)が殺気を 見せずにいるなど、有り得ないことだ。少なくとも、ダンテは見たことがない。何をか企んで いるのか……意図は読めないが、ダンテにとってはどうでも良いことに違いなかった。

兄に捨てられたこと。それだけが、今ダンテの心を占めている。背後で、人間の姿に変じた 悪魔が何を考えているのかなど、どうでも良いことだった。
もし、今ここで殺されるとしても。

兄のそれよりも低く渋みのある声が、ダンテの頭上から降り注ぐ。

「貴様と奴は……」

男は何故か言葉を途切れさせ、不意にダンテの襟足を掻き上げたかと思うと、あらわになった 白いうなじに噛み付いた。親猫が子猫にするように、鋭い牙を優しく膚に立てられる。我知らず、 ぞくりと何かが背を這った。

「ぁ……」

小さく声をもらしたダンテのうなじを男は幾度か甘噛みし、うっすらと血の滲んだそこに先の 尖った舌でねっとりと舐めた。兄もダンテの首筋を噛むことがあるが、それと似ていながら違う 感触だ。

「――――甘い」

何が甘いのか、ダンテには判らない。男はダンテの理解など求めていないらしく、またダンテの うなじに牙を押し当てた。ぶつりと鋭いものが刺さるが、何故か痛みはあまりない。いや、痛みを 痛みとして感じていないだけかもしれぬ。背筋がぴりっと痺れるような感覚はあるが、 それだけだ。
逞しい腕が後ろから腹に回され、包むように抱き込まれる。復讐に生きる悪魔の腕の中は、 何故だかとても暖かかった。





寂れた廃工場が男のねぐらであるのか、ダンテは男に連れられるまま、暗い倉庫に足を踏み 入れた。ダンテ自身の足で、というわけではない。男は細身だがけっして軽くはないダンテを 両腕に抱え、有無を言わせずこの廃工場に連れ込まれたのだ。と言っても、ダンテは抵抗した わけでもなく、むしろ自宅には帰りたくなかったので男のするがままに任せていた。

冷たい床に、どこにあったのか男は毛布を敷き、その上にダンテを横たえた。薄い毛布一枚 のみでは、当然ながら腰が痛む。しかしそんな痛みは小さなことでしかなく、ダンテは覆い かぶさってくる男の、渋みのある精悍な顔立ちをじっと見上げた。男が何をしようとして いるのか、問うのは野暮というものだ。
先刻、ダンテは闇の満ちた路地で男に犯された。あの日、件の屋敷で凌辱されたときと同じ激しい 蹂躙を受けて、しかしダンテは拒む声を上げなかった。男が施す愛撫はいかにも乱暴で、初めこそ 苦痛ばかりしか感じなかったけれど、男の指先は不思議と、優しかった。兄のものよりも逞しい 熱塊に貫かれたときなどは、身がばらばらになるのではないかと思った程だ。けれど、ダンテは それを凌辱とは思わなかった。ダンテは男と、確かにセックスをしていたのだ。

男はまだ、先刻の熱が治まりきらぬらしい。

人影のない路地で深く繋がって、ダンテの内に精を叩き付けると、男は己を引き抜き、まだ息の 整わぬダンテを横抱きにして闇を蹴っていた。
ぐるりと視界が回り、ダンテは目を瞑って男の厚い胸板に額を押しつけた。浮遊感が消え、目を 開けたときにはこの廃工場に辿り着いていて、男は我が物顔で工場の奥へと足を踏み入れた。
人の気配などある筈もない、ひっそりと静まり返った倉庫の床の上で、ダンテは再び男をその身に 迎え入れた。男の猛ったものは、しかし一度目に比べてさしたる抵抗もなく粘膜の奥へと身を 進めた。
先刻男が放ったものが、潤滑油の役目を果たしたのだろう。じゅぷっといやらしい水音をさせて いるのが、嫌でも耳をつく。それでも、楽に、とはいかぬのだから男のものはどうにも逞し すぎる。

苦しげに眉をしかめると、男がダンテの額に浮いた汗を指先で拭った。

「痛いか?」

当たり前だ、とはダンテは言わなかった。いくら人間とは感覚がまるで違う悪魔であろうと、 苦しいかそうでないかくらい表情から読み取れる筈だ。ダンテは呻く代わりに、

「っ……んなの、い……から、動けよ……」

男の腰に脚を絡ませ、穿たれたものを締め付けて先をねだった。男は片目を眇め、やれやれと ばかりにため息をもらした。

「覚悟は出来ているのだろうな?」

行為に及んだのは男が先だった。しかし今男を誘ったのはダンテで、覚悟を問うのは愚かな ことだ。ダンテは笑みを浮かべた。

「目茶苦茶にしてくれ……でねぇと、狂っちまいそうなんだよ」

だから、早く。

再度促すと、男はダンテの脚を一旦外させ、膝裏を掴むようにして割り広げた。股が大きく 広がり、男を咥えた襞があらわになる。浅ましくひくつくそこに男の視線が注がれるのを 感じて、ダンテは羞恥に身を捩った。

「やっ……見んなよ……!」

犯すなら早くしろ、と。自棄になって喚く。男の視線がダンテの陰茎をなぞり、腹を這い、 鎖骨を撫ぜてダンテの紅潮した顔に到達する。紅い隻眼は静謐としていて、行為をねだった 自分がひどく淫らに思えてダンテは知らず唇をわななかせた。

「……ぁ……」

馬鹿なことをしているという、自覚は嫌という程ある。しかし路地で男に立った状態のまま 犯されて、ダンテは混乱しながらも自ら腰をゆらめかせた。逃げ場を求めたのだ。
バージルに捨てられたという事実から、逃げたかった。逃げ(忘れ)られるならば、何でも 利用しようと思った。例えばこの、快楽に馴らされた己の躰――――淫売だと罵り、侮蔑する 兄の冷たい目がそこにあるようだ。

ダンテの内に身を沈めたまま、まるで動こうとしなかった男が、不意を突くように腰を打ち 付けた。思わぬことに、ダンテは首をのけ反らせた。

「あぅっ……!?」

続けざまに何度も挿出を繰り返され、深い場所をただ突き上げられる。何の仕掛けもない、 単純な動きだ。しかし挿入されたまましばらく放っておかれた躰は、細工のない挿出でもすぎる 程に充分だった。

「あっ、はぁ……ぁ……あぁ……っ!」

ぶるっと躰を震わせて、ダンテは早くも達してしまった。無意識に男をきつく締め付けたらしく、 男が小さく呻く。力を抜け、と苦笑混じりに耳に囁かれて、ダンテは首を横に振った。締め付けて いるつもりはないのだから、意識して緩められるものではない。

「これでは、動いてやれぬ」

笑みを含んだ声音が呟き、男の手がダンテの達したばかりの陰茎を包み込んだ。支えをなくした 左脚は、男の肩に乗せられた。節くれ立った指と分厚い武骨な掌が、やけに優しくダンテを 愛撫する。茎をやわやわと刺激しながら、時折爪で先端を掻いてみせる。緩急を心得た愛撫に、 ダンテの躰はすぐに昂った。

「ふぅ……ン……んんっ……ぁん……ッ」

前への責めに集中した為か、後孔から自然と力が抜けていることにダンテ自身は気付いていない。 男は口端に笑みを乗せ、腰を使い始めた。ダンテはびくりと顔を強張らせたが、後ろと前を同時に 責められては、思考がまともに働こうわけがない。

「あぁっ……!」

覚悟を問うだけあって、男は容赦も遠慮もなくダンテを犯した。きつく突き上げられる都度、 ずく、と内側が疼く。バージルに与えられるものとは違うが、強い快楽にダンテはただ喘ぐこと しか出来ない。つらいが、これぐらいが丁度良いのだとダンテは思う。
忘れさせて欲しい。そう求めたわけではないけれども、男は承知しているとばかりに、総てを 飲み込むように激しくダンテを揺さぶり、蹂躙する。全く容赦のない苛烈さの奥に、一欠片の 優しさを感じてしまってダンテは狼狽した。が、それも一瞬のことでしかない。

「まだ余裕があるな……」

非難するような男の呟きに、ダンテはぴくりと睫毛を震わせた。

「っそ……思う……な、ら、……」

何も考えずに済むように、もっと。――――もっと激しく、奪い尽くしてくれれば良い。
言葉にはしなかった。しかし男はやはり、ダンテが皆まで言わずとも察したらしく、笑みを一つ、 ダンテの唇に落として挿出をいっそう深くした。

「あァっ……!」

ダンテは背を弓なりに反らし、声を堪えることもせずに喘いだ。浅ましさを露呈することで この行為に自ら溺れようと、ひたすらに快楽を貪った。しかし。

「……泣くな」

耳に吹き込まれた、どこか苦々しい声音――――何を言われているのか、己が両目から流して いるものに気付いていないダンテには、判らなかった。



それから、何度も男に貫かれた。ダンテが自ら男を求めたのだ。男は何も言わず、 何を問うこともせずに、始終無言でダンテの求めに応じていた。





意識が戻ったとき、外はうっすらと明るかった。いつ気を失ったのか、ダンテは覚えていない。 何度か昼と夜が繰り返されるのを見た気はするが、あれから何日が経ったのか、ダンテには 判らない。
毛布に包まれた躰を起こすと、躰のあちこちが酷い痛みを訴えた。とくに酷いのは腰から下で、 怠いを通り越してほとんど感覚がない。日にちの感覚がなくなる程、何度も何度も男に 蹂躙されたのだから、痛んで当然と言えば当然だが。いや、された、という言い方は適当では ない。ダンテは男を都合良く利用したのだから。

腰は怠いが、起き上がろうと思えば出来なくもないだろう。そもそも、回復力は常人のそれを 何倍も上回るのだ。しかしダンテには、あえて立ち上がる必要もなければ、この場所から 移動する必要もない。家に帰りたくない一心で、男に貫かれることを望んだのだから。
知ったものと顔を合わせる確率の高い、通い慣れた酒場に行くのも億劫だ。となれば、ダンテの 行き場所はどこにもない。幸いここは打ち捨てられた工場だ。床の一角を占領していようと、 誰に気兼ねすることもない。

男の姿も、今はない。戻って来るつもりなのか、それとも二度と戻っては来ないのか、ダンテに 判るわけもなかった。ため息を吐くと、それだけで背骨が軋んだ。

ふと自分の周囲を見回すと、木箱の上に服が纏めて置かれているのが目に入った。男がそこに 乗せたのだろうと判りはしたが、今すぐ着るつもりもなく、痛む躰を再び横たえる。そのときに なって、自分が包まれている毛布が一枚きりではないことに気が付いた。だからさほど寒さを 感じなかったのか。男が、ダンテが気絶した後に何枚か重ねていったのに違いないが……何故 そんなことをしたかまでは判らない。
厚みを増した毛布を頭からかぶり、ダンテは四肢を折り曲げて胎児のように丸くなった。 バージルに捨てられる要因となった男と寝るなど、我ながらどうかしている。しかしもう、 そんなことすらどうでも良いと思えてしまって、己を止めることが出来なかった。
淫乱と、冷たく侮蔑するバージルの瞳を思い出して、ダンテは笑みをこぼした。

「ふふっ……は……あははっ……」

なんて馬鹿なんだろう。そう思うと、いっそう笑いが込み上げてきて、止まらなくなった。 笑いすぎて、涙が出る。一度流れ始めた涙は、笑いが治まらないのと同じで、何故だか止まって くれなくて。

「はははっ……」

涙が毛布に染みを作る。ダンテはひとり、震えながら笑い続けた。

その姿を、じっと見つめる目があることに、ダンテが気付いていよう筈もない。

虚ろな笑いはいつしか、密やかな嗚咽へと変わっていた。



















戻。


何となく消化不良感…

[08/2/20]