催淫サイイン









ぼんやり霞んだ夕闇の月を、見上げて一つ、ため息を吐く。

低くなった視界に、すっかり慣れている自分を小さく笑いながら、ダンテは背中に背負ったものを よいしょと背負い直した。幅はともかく長さのあるものに紐をくくり付け、背負える形にしたのは 彼の兄の知恵だ。紐の長さを自分で調節して、背中の荷が地面と平行を保つようにしなければ ならないのだが、それだけで済むのだから簡単なことだ。
そんな知恵を絞らなければならなかった理由は、ひとえにダンテの躰の変調による。世間一般で さし比べても見劣りのしなかった長身と鍛えられた体躯は、今や見る影もない。彼は今、十四か そこらの子どもの姿となってしまっているのだ。
躰が縮むなど、およそ尋常なことではない。しかしダンテの躰は現実に、縮んでいた。

放っておけば元に戻るだろう。ダンテは根拠も何もない兄の言葉を、不安に感じながらも信じて いた。兄がそう言うのだから大丈夫だと、自身に言い聞かせねば不安で仕様がなかった。だが、躰は いっこうに元には戻らず、ダンテはもう一年もこの姿のまま過ごすことを強いられていた。
堪えられるものでは、ない。
全く深刻に考えていないらしい兄の、ダンテからすれば遊んでいるとしか思えぬ言動も拍車を かけることになり、先日、ダンテは兄を詰り、泣き喚いた。

恥ずかしい。

目を真っ赤に腫らした自分の顔を鏡(めったに覗かないのだが)で見て、ダンテは頭を抱えた。 なんて恥ずかしい真似をしたのだろう。

精神的に参っていたのは確かだが、だからこそ、散々喚き散らして最後には兄に泣き縋った自分を 思い出しては、ダンテは顔から火を噴きそうな程の羞恥にかられる。なんて、恥知らずな。しかも 兄の腕がいつも以上に優しくて、あやされているうちに眠ってしまったのだからなおのことだ。
呆れられたに違いない。ダンテは赤い頬を掌でぺちぺちとはたき、ふぅと嘆息した。

――――必ず元の姿に……

言質を取った、とでも言うのだろうか。恥ずかしく喚き散らしたダンテに、兄は確かにそう 言った。それがその場凌ぎの言葉ではなかったことは、ダンテには判る。兄の声は真剣そのもの だったし、兄の言葉を疑うということをダンテはほとんどしない。
元の姿に。ダンテが切に望むことを、兄は約束してくれた。今までなら、いつか戻るだろう、 などと気のない言葉しかくれなかった兄が。本当の餓鬼のように喚いて、泣いて、兄を詰った自分を 優しく抱き締めて、約束をしてくれたのだ。

嬉しくない、わけがなかった。

羞恥とはまた別の朱で頬を染め、ダンテはもう一度紐を直した。背中の荷物は彼の愛剣だ。今の 背丈では剣を引きずるよりなく、どうしたものかと相談した彼に兄が提案したのが、この紐と紐を 結ぶ為の簡単な鞘であった。
兄の使う剣とは違い、ダンテの愛剣には鞘がない。抜き身のままでは当然紐など結べない為、 剣の身に革を巻き、その上から紐で縛っているのだ。
そうしてでも、ダンテが剣を持ち運べるようにせばねばならなかった。何故ならば、彼はたとえ 躰が縮んだとしても便利屋であることに変わりはなく、依頼も変わらずあるからだ。

兄は、躰が元に戻るまでは仕事は総て自分に任せるように言った。しかしダンテは首を縦には しなかった。当然だ。たかが子どもの姿になっただけのことで仕事を放棄するなど、彼の高い矜持が 許さない。
最後には兄も折れたものの、絶対に一人にはならないという条件をダンテに提示した。ダンテは 渋々その条件をのみ、仕事には出られるようになったのだけれども……。

バージルはあんなにも過保護だっただろうか、と時折ダンテは思う。元来横柄で、自己中心的な 性格はしているが。

ダンテは剣の柄にちょっと触れた。

兄に一人にはならないと約束したダンテだが、今、彼はただ一人で暗い路地を歩いている。 過保護な兄は――――知らない。
今日、ダンテが目覚めたのはなんと夕暮れ間際であり、驚いて飛び起きてみれば兄の姿はどこにも なかったのだ。書き置きも何もなく、兄がいつ家を出たのかすら判らなかった。唯一の手掛かりは、 ダンテに付き従う双剣のあてにならぬ証言であった。

――――兄上殿はどこぞへ出掛けたぞ、主よ。

――――急いでいたように見受けられたが、行く先は判り兼ねる。

兄上殿のことなど捨て置いて、我らと戯れようぞ。などと言ってよちよちと足許を駆け回る 双剣(おかしな表現だが、彼らは普段、むいぐるみのような小鬼の姿をしている)を、 ダンテは構ってやりたいのは山々だったが一言詫びて家を飛び出した。剣を担いで来た のは、兄が一人で仕事に向かったのではないかと思ったからだ。

ダンテに仕事へ赴くことを、一応は許した兄ではあるが、油断をするとダンテを置いて一人で 勝手に仕事を片付けてしまうのだ。お前は足手まといだ。そう言われ、しかし黙っているダンテでは ない。次は絶対に連れて行け。そう、何度喚いたことか、判らない程度に兄はダンテを仕事に連れて 行くことを厭った。
ダンテとて、自身が足手まといになることは承知している。この大剣だとて、今のダンテの 背丈では振るうのがやっとというありさまなのだ。銃の扱いこそそれなりにさまになる程度では あるが、体格が違うだけで勝手はすこぶる悪い。それでも、ダンテなりに工夫をして、以前に 劣らぬような身のこなしが出来るようになったと思っているし、自信もある。それなのに、兄は やはりダンテを認めようとはしなかった。

なんだよ。

ダンテは路地の明るいとは言えぬ街灯の下を通り過ぎながら、内心で悪態を吐いた。

勝手だ、いつも。いつも。

自身がむすっと膨れっ面になっていることに、ダンテは気付かない。歩くごとに積もる兄への 不満に比例して、ダンテの足取りは荒っぽくなっていく。

きらいだ。

その言葉に微妙なニュアンスが含まれていることを、ダンテは自覚せず喉の奥で繰り返す。

バージルなんか、きらいだ。

鬱憤は晴れるどころか積もるばかりで、ダンテはまた罵らなければならなかった。

「くそっ、どこ行ったんだよ、馬鹿兄貴!」

八つ当たり気味に喚き、ダンテはせかせかと路地を急いだ。もう、辺りは真っ暗になろうとして いる。どこを捜す当てもないダンテは、ただ迷路のような路地裏を彷徨い歩くしかなかった。





いっこうにバージルが見つからないまま、ダンテはとぼとぼと路地裏から表通りに出た。表情は 心なしか寂しげに歪められている。
大剣を背負った格好で表通りを闊歩するのは憚られる為、ダンテは家に引き返してしまおうか 少し逡巡した。バージルはもしかすれば家に帰っているかもしれず、ダンテが一人で外出したと 知れば、また仕置などと称して何をされるか判ったものではない。

帰ろう……

先刻の怒りはどこへやら、ダンテは細い肩を落として踵を返そうとした。そこへ、

「きみ、」

不意に声を掛けたのは、ダンテには全く見覚えのない四十前後の男だ。ダンテは眉を顰め、男を 見上げた。

「…………?」

「こんなところに独りでいては、危ないよ?」

街灯に照らされた男は、声もそうだが優しげな面立ちをしている。しかし優男という印象はなく、 むしろ精悍で男らしいと言える。黙っていれば厳ついとも言えるのだが、声音と笑みがそれを 覆していた。

「……もう帰るから、」

構うな、と言外に含ませたダンテに、男はしかしそうかとは言わない。

「それなら僕がそこまで送ってあげよう。夜道は物騒だ」

お前が一番危険そうだ、とはダンテは言わなかった。もはや気持ちは帰路にあり、男の言葉を 深読みすることもせず、何故か頷いてしまった。面倒だった、というのは言い訳でしかない。 ダンテはそのとき、注意力というものが全く散漫になっていた。――――そうとしか、説明の 仕様がなかった。

剣を背負い直しながらもさっさと歩くダンテの斜め後ろから、男はさして急ぐふうもなくついて 来る。男はダンテよりも随分背が高く、おそらくバージルよりも高いだろう。となれば脚の長さも 違ってくるわけであり、歩幅にも差が出来るのは当然の道理である。

「そんなに急いでは、転んでしまうよ?」

おかしそうに言う声に、ダンテは取り合わなかった。しかし優しげな声音を鬱陶しいと感じた わけではなかった。
全く自覚していないが、ダンテは父親くらいの歳の男に弱いところが、若干ある。父はダンテに とって、心の根底に褪せず在り続ける強い憧憬の対象だ。

「その、背中の荷物……」

男が不意に歩調を速め、ダンテの肩に手を置いた。

「僕が持ってあげようか」

男は言うなり、ダンテの肩から紐を外そうとする。ダンテは躰を捻ってそれを拒んだ。

「何しやがる」

邪険に男の手を払い、ダンテは足を止めて男に向き直った。男の表情は暗くて判然としない。 が、笑っているようにダンテには思えた。

「重いだろうと思ったのだけれど……」

「余計なお世話だ。だいたい、どこまでついて来るつもりだよ」

「どこ? ふふ……」

男が愉しげに笑う。ダンテは無意識に剣へと手を伸ばした。嫌悪と同時に、ぞくりとしたものが 背筋を這い上がり、奥歯を噛み締める。
男はどこまでも優しげな声で言った。

「言ったろう、送る、と……この辺りは物騒だから、きみのような可愛らしい子を独りには 出来ない」

「生憎、俺はただ襲われてやる程馬鹿じゃねぇよ」

男を不審に思いながらも、ダンテはまだ、男に対してはっきりとした警戒心を持つまでには 至ってはいない。剣の柄を握ったのは、ほとんど反射的なものだった。
男はくつりと笑う。

「そうかな……?」

男が一つ、瞬きした。明かりがない所為で表情すら見えないというのに、何故ダンテは男の瞬きを 目視することが出来たのか。瞼を上げた男の双眸が、真っ赤なそれに変わっていたからだ。

ぞくっと、した。

何故気付かなかったのか、自身のあまりの迂闊さに舌打ちをすることは、ダンテは出来なかった。 気付けばダンテの躰は路地の壁に押し付けられており、剣は背中から消えていた。
力の抜けた両脚の間には男の右脚があり、ダンテの股を微妙な強さで押さえ込んでいる。それが たまに腿を擦りつけるように動かされ、ダンテはそこに否応なく熱が集まっていくのを感じた。

「っ、ふ……」

思わず漏れた熱っぽい吐息に、男が微笑するのが気配で判る。

「思った通り……感じやすい躰だ」

揶揄されて、ダンテはかっとなったがやはり抗うことは出来なかった。男が、ダンテの唇に指の 腹を押し当てる。

「しっ……動かないで。静かに、僕に総て任せていれば良い」

耳に甘く囁かれて、何故か判らぬが躰から力が抜けていく。銃を抜くことすら出来ず、男の言う ままに――――むろん、異常なことだ。ダンテはぼやけた思考をどうにか動かし、一つの結論に辿り 着いた。

「て、めぇ……ッ」

この男が、言葉によってダンテを操っている。そうとしか考えられない。ダンテが気力を振り 絞るように男を睨み付ければ、男はどこか嬉しそうに笑った。

「やはり、ただの人間とは違うらしい」

紅い目をした異形は、ダンテの痩身をやけにじっくりとまさぐる。

「ただ喰らうだけでは、勿体ないな……」

独り言のような呟きだ。ダンテは霞みがかった思考の端で、あぁ、と思った。男はダンテを抱く ことで“食らう”つもりであるらしい。人間の精気を食う悪魔といえば淫魔がそれだが、ダンテの ぼやけた思考はその結論に到らなかった。ただ、どうにかこの状況を打開すべく回っている。

(く、そ……っ)

男の手がダンテの腹から胸を直に撫ぜた。それだけでぞくりとしてしまう自身を、ダンテは内心で 罵った。声や体臭に催淫の効能でもあるのか、躰はダンテの意思に反して男を受け入れようとして いる。
ぴくっとダンテの指先が跳ねる。意思に従おうとしない躰の、そこだけがかろうじて反応を 示したのだ。しかし指先だけを動かしたところで、意味はないに等しいが、ダンテは悪足掻きを やめなかった。
男は気付いたらしく、感心するように声を漏らした。

「ほう、さすがは悪名高い悪魔狩り。けれど、そこまでだ。きみは僕からは逃げられないよ」

一言一言が躰に絡み付くかのように、ダンテはもはや指先すら動かせぬようになる。

「こんな子どもだという話は聞いたことがないが、まぁ、好都合だ」

何か怒鳴り散らしたいが、ダンテは唇を思いのまま動かせぬことすら出来ない。男の手が下肢を 探り、ズボンのジッパーを下ろして直にダンテの幼茎に触れた。

「っあ……!」

「期待した通り、良い声だ……」

微温湯のような柔らかい声が、ダンテの精神すら侵していく。決して性急にならない男の手が、 しかし容赦なくダンテを追い詰める。

「あっ……はぁ……ぁん……ッ」

ダンテの唇から紡がれるものは、嫌になる程甘ったるい喘ぎのみ。男はダンテの陰茎をゆるゆると 扱きながら、親指の腹で先端を擦った。くちゅりと濡れた音がする。先走りが溢れてしまっている のだと、ダンテはぼんやりと思ったが羞恥に駆られる暇はなく。男はダンテの官能を的確に引き 出していった。

「っはん……ん、んぅ……う……ぁ、あぁっ……」

抗えぬまま屈辱的な射精を迎える、その寸前――――

「っ、ぐぅ……ッ!」

低い呻きとともに、ダンテの顔に生暖かい液体がぴしゃりと掛かった。鉄錆の臭気が鼻をつくが、 それが血であることに気付くまでにしばらく時間を要した。
男は胸の辺りを押さえて、ダンテにのしかかるようにくずおれる。全身の力がほとんど虚脱して しまっているダンテに、長身の男を支えきれるわけもない。男に引きずられるように、ずるずると その場にへたりこんだ。

「が……っは……」

苦しそうに喘鳴する男の向こうから、聞き慣れた声がしてダンテは男の肩越しに顔を上げた。

「来い」

冷たく命じるそれは、ダンテが路地を彷徨いながら捜した兄のそれに違いなく。ダンテの目に はっきりとした輝きが蘇った。
兄は閻魔刀を左手に提げたいつもの姿でこちらを見下ろしている。ダンテは自分に覆いかぶさる ようになっている男の躰を押し退けようとして、しかしその手を掴まれてしまう。ごぽ、と間近で 嫌な音がした。

「は、なさ……い……きみ、は……僕、の……もの……」

途切れ途切れですら、その声はダンテの脳を揺さぶった。目を瞠り硬直するダンテを見てか、 バージルが珍しく舌打ちをした。

「貴様は消えろ」

不快だとありありと判る声がダンテの耳に届くのと、男が低く呻き、びくびくと死の痙攣を させるのとはほぼ同時だった。

「来い」

再度命じ、バージルはダンテの手を取ってさして力も込めずに引き起こした。が、

「いた……ッ!?」

バージルとは反対の方向から腕を引かれ、ダンテは痛みに顔をしかめた。死んだ悪魔の手が ダンテの手首を掴んだまま離れないのである。それを見たダンテは軽い恐慌に陥りそうになったが、 そうなる前にバージルが苛立ちを隠しもせず、閻魔刀の一閃で悪魔の手を斬り裂いた。そして 仕切り直しというわけではないだろうが、ダンテを引き寄せ、その勢いのまま腕に抱き上げる。
急に近くなったバージルの匂いに、ダンテは無意識にほっと息を吐いた。そのダンテの耳に、 冷たい声が吹き込まれる。

「一人になるな、と言ったことは覚えているか……?」

ダンテの安堵によって一時弛緩していた躰がぎくりと強張る。

「それ、は」

言い訳など、ダンテに許すバージルではない。ダンテの顎を痛い程に掴み、バージルは冷酷な 声音で告げた。

「判っているな、ダンテ?」

逆らえば、どうなるか。ダンテは自身が蒼白になっていくのを、嫌でも自覚せぬわけには いかなかった。





どうしてこんなことになってしまうのか。

あぁ、

バージルなんて、大きらいだ。



















戻。



まだもう少し小さいままのようです。