彩尽イロハツキ









要らないものをいつまでも大事に取っておくことは、いかにも無意味だ。





血の臭いがする。ダンテはそう言ったきり、黙りこくった。バージルはそれがどうしたとばかりに ダンテを見つめ返し、二人は街灯の下でしばし睨み合った。
一種の緊迫に似た沈黙を破ったのは、ダンテだ。

「……また、いなくなったかと思っただろ……」

その声は静寂の中にあってすら消え入るように小さく、しかしバージルは聞き漏らすことは なかった。一度は理由も何も告げずダンテを捨てたバージルだ。ダンテの胸中の総てを計り知る ことは出来なくとも、置いて行かれることをダンテが恐れていることは判る。
バージルがダンテに背を向け「好きにしろ」と言ったことが、この内面に弱さを秘めた弟の精神を 追い詰めたことは想像に難くない。

ダンテは目を伏せるようにアスファルトに視線を落とした。

「アンタはなんで……いっつもそうやって俺を独りにするんだよ……!」

泣いているのかと思ったが、涙はまだこぼれてはいないらしい。憤りと嘆きがない交ぜになって、 ダンテ自身も困惑しているのかもしれない。
バージルはしかし、感情をぶつけて来るダンテに手を差し延べてやることをしなかった。ただ 冷たく、言い放つ。

「お前が望むものを、何故俺が与えてやらねばならぬのだ」

ダンテがはっとしたように顔を上げる。

「望みに適うならば、俺でなくとも良いのではないのか」

問いかけよりも確信に近い断定的な口調で言ってやれば、ダンテは目を見開き、次いでバージルの 顔を思い切り殴りつけた。

「てめぇ……ッ!」

が、拳はバージルには届かない。バージルは難なくダンテの手首を掴み、無造作に払った。 よろめくダンテだがすぐに体勢を立て直し、バージルを射殺す勢いで睨みつける。良い目だ、と バージルは内心微笑する。今この時、ダンテの頭には自分ただ一人しかいない。そう思えば少しは 溜飲が下がるが、それでもまだダンテを許す気にはなれなかった。今にも掴み掛かって来そうな ダンテに、一切の感情を消した声音で言う。

「これ以上、お前と話すことはない」

ダンテが怯んだようにびくっとして、それから傷付いた目でバージルを見つめた。そんな目を しても無駄だ。バージルは冷酷に断じ、ダンテに一瞥を呉れることなくその場を立ち去った。

「バージル……っ!」

悲愴といえる声が自分を呼ばわるが、振り返ってやる義理はバージルのどこにもない。





不快。その言葉以上に今のバージルの心を表わすものはないだろう。
不快極まりない気持ちが下腹の辺りに渦巻き、澱みを作っている。それを排除する手段を、 バージルは知っているが今し方棄てて来たところだった。

ダンテ。

魂すら分け合った唯一の存在を、バージルは疑問に思ったことなどなかった。一つのものを正しく 二つに分けられたことに疑問を感じ、憤りすら覚えたことは確かにある。が、ダンテ自身をどう こうと思ったことはない。
ダンテはバージルのものだ。その命すら、自分のものであるとバージルは思って疑わない。
そのダンテが自分以外の者を選ぶなど、あってはならぬことなのだ。

始まりはひと月前の、あの屋敷での出来事であることは間違ない。あのとき、ダンテを一人に したのはバージルの責任かどうかはさておき、事の発端が別行動を取ったことにあることは確かで あった。

後悔。そうかもしれない。

過ぎたことに仮説を立てて論じるのは愚かな行為だが、人は過去を振り返らずにはおれぬ 生き物だ。半分は人間であるバージルも、その例外ではない。

紅く染まった月を、バージルは意味もなく見上げた。無意味を厭うバージルらしからぬ行動だが、 不審に思う人間は一人もない。そもそもバージルの周囲は完全に無人なのだから当然のことだ。
ひとは煩わしい。ダンテがいなければ、バージルはこの世に何の意味も意義も見出だせない だろう。それ程に、バージルと世界は切り離されていた。いや、バージルが自ら閉じているので あって、世界はそれを見て見ぬふりをしているだけだ。ただダンテの存在だけが、バージルをこの 世界の住人としてつなぎ止めている。

そのダンテが、バージルの手から離れてしまえばどうなるか。

バージルは月から視線を外し、閻魔刀を呼び出した。父から受け継いだこの剣は、既にバージルの 一部となっており、バージルが望むときに姿を現しバージルの望むままに敵を斬り刻む。一切の 無駄を許さぬところなどは、確かにバージルに相応しい武器である。
あれも、この剣のように己の一部になってしまえば……そんなことを、時折思う。二つで一つ。 一つでは不完全であるにも拘わらず、自分たちは真に交わることは出来ない。その矛盾に、 バージルは幾度も突き当たっては苛立ちを覚える。

(何故、)

こうも思い通りにならぬのか。

自身が子どものような思考にはまり込んでいるとは、バージルは自覚していない。生まれこの かた、バージルは自分の考えについて疑問を感じたことなどないし、自分以外の何者も信じると いうことをしたことがなかった。自身の半身であるダンテをも、本当の意味で信じたことなどない のかもしれない。
しかしそれらも、バージルには思い至ることもない、思惑の範疇外の事象であった。この世に 完璧な生き物などいない。そのことを、バージルは完全に失念している。





それはまだ、彼ら双子が幼かった頃のこと。

当時のダンテはよく、同級生らに苛められていた。原因はおそらく、彼ら双子がいかにも周囲の 子どもたちに馴染まぬ存在であったことと、そうでありながらバージルとは違い、ダンテには一種の 気安さがあったからだろう。バージルはその頃から、周囲の何者も近寄せぬ空気を纏っており、 子どもたちはそれを正確に嗅ぎ取っていた。だから、ダンテは子どもたちの良い標的となった のだ。
様々な人種が入り交じった国にあってなお珍しい銀髪、そして幼くも調った顔立ちが、何でもない 筈の碧眼すらも異形であるかのように周囲の目には映ったのだろう。際立った容姿は子どもらに とって異質以外の何ものでもなかった。

それでも、毎日苛めを受けていたわけではない。その理由はもちろんバージルの存在だ。そもそも たかが子ども――――バージルも同じ歳ではあるが、彼の精神は同年代の誰よりも抜きんでて いた――――の苛めなど、バージルがやめろと言ってダンテを片時も離さないでいてやれば、 周囲はダンテに手を出すことは出来なかった筈だ。
ダンテは元々、バージルにべったりとまではいかぬものの、バージルの行くところにはいつも 後からちょこちょことついて来る子どもだった。同級生らはバージルには絶対に手を出さない。 バージルさえついていれば、ダンテは何ごともなく日々を送っていられたのだ。
しかし現実には、ダンテは苛めの餌食になった。

当時の自分が受けた苛めを、現在ダンテは覚えているかといえば、おそらくほとんど記憶に 残ってはいないだろうとバージルは思う。ダンテにはそういった過去が生む翳はないし、あると すれば彼らの母親の死と、バージルとの別離に限られる。そう断言してしまえる程度には、ダンテは いつも(苛めを受けていた頃ですら)快活だった。
その理由もまた自分にあることを、バージルは確信している。

バージルにとり、ダンテへの苛めはある意味で必要なことだったのだ。バージルの口から、 ダンテをこうして苛めてみろと同級生らに指示したこともあった(もっともそれは一度限りのことで しかなかったが)。

苛められ、傷心もあらわに双眸に涙を溜めたダンテを、バージルは一際優しく慰めた。校舎の 裏庭で、誰もいなくなった教室で、階段の踊り場で、バージルはダンテを膝に抱いて、何度キスを しただろう。もっと、ととろんと溶けた表情でねだるダンテに、バージルは子ども故の残酷な幸福を 得ては微笑んだ。

ダンテの世界がバージルのみで閉じていく。そのさまを眺めるのは、いかにも愉しいこと だった。
周囲の苛めなど、バージルにとってはダンテを縛る為の手段の一端を担う程度のものでしか なかった。ダンテを慈しみ、愛してやる。周囲を巻込んで、バージルはダンテを自分だけのものに した。そのことを、ダンテはまるで知らない。



「バージル、」

下校時刻の過ぎた校舎の裏庭には、彼ら以外の子どもの姿はない。ダンテはそこに、一人蹲って いた。
教師は子どもらの苛めには無関心で、その日もダンテはただ一方的に苛められるままになって いたらしい。バージルの姿を認めるなり、身を起こして縋るように抱き付いて来たダンテを、 バージルは赤ん坊をあやすよりも優しく抱き返してやった。

「またか、ダンテ?」

いつもの苛めかと問えば、ダンテはバージルの肩口に額を擦りつけるようにして頷いた。堪える 必要のなくなった涙が堰を切ったように溢れ、バージルの肩を濡らす。

「偉かったな」

苛められている間、ダンテは絶対に泣かない。男なのだからそうあれとバージルが求めたからで、 よく堪えたと褒めてやれば、ダンテは大事を成したかのように嬉しそうに破顔するのだ。
しゃくり上げながらも笑みを見せるダンテの背中を、バージルはぽんぽんと叩いた。そうして やればいっそう嬉しがるのだということは、今までの経験で知っている。しかし一番ダンテが 喜ぶのは、涙でぐしゃぐしゃになった顔に雨のようにキスを降らせてやることだ。
バージルはダンテの額に指を添え、ちょっと押すようにして顔を上向かせた。顎に伝った涙を舌で 舐め、そのまま頬へ舌を這わせる。塩辛さはさほど気にはならない。伏せられた瞼に口付け、 しっとりと睫毛を濡らす雫を拭ってやる。ことさら、ゆっくり。そして慈しむように。いくらも せぬうちにダンテの表情は蕩けたようになる。

ダンテはバージルの肩に手を乗せ、服をきゅっと掴んで言った。

「お兄ちゃん、もっと……」

陶然とした声に、バージルは笑みをはいた。

「してやるから、少し目を開けろ」

ダンテの瞼がぱちりと開き、長い睫毛がぴんと雫を弾く。泣いてうっすら赤く染まった瞳は 飴玉のようで、バージルはぺろりと眼球を舐めた。当たり前だが、ダンテがびくっとする。

「っ……、」

「甘い」

バージルがぽつりと呟けば、ダンテは大きな双眸を瞬かせた。

「甘いの?」

「うん、甘いよ。ほら……」

きょとんとしたダンテの瞳を、もう一度舐める。やはりダンテがびくりとするが、今し方程では なかった。

「……甘い」

同じ言葉を繰り返して、バージルはダンテの眦に溜まった雫を舐め取った。

「んっ……」

無意識だろう、ダンテの唇から漏れる吐息が、まるで自分を誘っているようだとバージルは 思った。徐々に狭くなっていく、ダンテの世界。バージルは内心でほくそ笑み、ひたすらにダンテを 甘やかした。

そうして出来上がる自分だけのものを、バージルは誰に譲るつもりもなかった。当然だ。自分の 為に手ずから拵えたものを、他者に譲ってやることなど誰がするだろう。
つまりダンテはバージルのものであって、他の何者にもダンテを奪う権利はないのである。 たとえそれが、ダンテ自身が選んだ者であったとしても。

バージルの世界がダンテのみを残して閉じられたのは、母が殺されたあの日のこと――――冷たく なったダンテを腕に抱き、そして世界に亀裂が入った。
ダンテの躰に再び暖かみが戻ろうとするのを 感じながら、バージルは己の世界がひそりと閉じるのをはっきりと自覚した。





力が欲しかった。力さえあれば、大事なものを奪われることはないのだから。

力があれば――――ダンテを奪われぬ為の力が――――。



大事なものはこの世界にただ一つ。お前だけがいれば、他に何も要らない。
そう、要らぬものは捨てけしてしまえば良い。――――単純なことだ。





月明りに照らされたバージルの表情には、確かな笑み。その双眸には、かつて復讐にのみ生きた 異形と同じ、紅い炎が揺らいでいた。



















戻。



拙い…。どんどん取りとめがなくなってきました。