狂咲クルイザキ









大事な大事な子ども。いのちよりも大事なこの子どもが、どうか誰の手にも渡らぬように。





電話は唐突に鳴り響く。

バージルは黒檀の机に手を伸ばし、けたたましく鳴く電話の受話器を無造作に取った。

「……Hello?」

愛想の欠片もない冷えきった声音に、電話の向こうの誰かが怯えたものらしく、一瞬沈黙が 下りる。バージルが電話を切ろうとしたのが気配で判ったのか、あまり耳に心地好いとは言えぬ 声がまくし立てるように喚いた。

『バージルっ、頼む、急な話で悪いがこの仕事請けてやってくれ!』

エンツォか。バージルはちらと自分の傍らを見やった。バージルの脚を抱き枕のようにして躰を 丸め、話し声にも反応せず、ぐったりと眠るダンテがいる。実際は眠っているというよりも、意識を 失っているのだけれども。

「誰からの依頼だ?」

エンツォがこれだけ慌てるとなれば、おそらく何かしらの力を持った人物なのだろう。それも 政治的な力ではなく、裏社会に影響力を持った何者か――――もっともバージルには、依頼主が どんな人物であろうとさして問題にはしない。あえて尋ねた理由は、ダンテならば訊きたがるだろう からだ。
が、エンツォはもごもごと口ごもり、

『それが、そのだな……』

判らないのだと言うのである。

「……何故だ」

当然の疑問を口にしたバージルに、詫びるほかないといったふうにエンツォの声の調子が弱く なる。

『俺のところに電話があったのはついさっきなんだが、名前を言いやがらなかったんだよ。ただ お前ら以外の連中は断るっつって……』

素姓が判らないならば、何故エンツォはあれ程慌てていたのか。バージルは不審を覚えたが、 あえてたださずにおく。

「……それで、内容は?」

『ある廃屋の調査だ。そこに何があるのかは判らねぇ』

随分要領を得ない依頼である。エンツォも同意見らしいが、引き受けた依頼をバージルらに 渡すことが出来なければエンツォの信用に拘る。しかしエンツォもエンツォだ。何故こんな、全く 具体性のない依頼を引き受けてしまったのか。理由はおそらく、あの慌てぶりにあるのだろう。

「ふん……調査は判った。が、ただその廃屋を見て来いというだけではないのだろう」

『あぁ、だが、判らねぇんだ』

「何がだ」

バージルの苛立ちがエンツォではなくダンテに伝わったのか、ダンテが身動ぎするのが判り バージルは空いた手で弟の頭を撫でてやった。

『捜して欲しいもんがある、ってことだそうだ。それは良いんだが、そのブツがな……』

バージルはその捜し物とやらを左耳で聞き、眉間に深く皺を刻んだ。ダンテは相変わらず バージルの脚を枕にし、起きる気配もない。ぐずったような素振りをしたのはほんの一瞬のことで、 バージルの指がいかにも気持ち良いというように、うっすら微笑している。





大事な大事な子ども。おまえだけを愛している。





廃屋は捜す手間をかけずすぐに見つかった。周囲には同じような廃屋が並んでおり、人影は もちろん人の気配すらしない。ゴーストタウン。この廃れて久しい一角はまさにそう表現するに 相応しい。
目的の廃屋は、ゴーストタウンの中央、同じ作りの一戸建が並んだ一つがそれだった。しかし ほとんど文字の消えた表札を確認する手間すら、彼らは労しなかった。

異様。言葉は陳腐だが、まさにその通りである。

「何かあれだな、」

ダンテがどこかうきうきした口調と表情で言った。

「いかにもお化け屋敷って感じ」

バージルはそうだなとも返さず、行くぞ、とダンテに先行して廃屋の朽ちて半ば外れた扉を 閻魔刀の柄で押し開けた。ただのひと押しで錆びきった蝶番が弾け飛び、支えを失った扉は乾いた 音をたてて内側に倒れた。それを踏みつけて中へ入ったバージルの後に、ダンテも続く。
お化け屋敷とダンテが称した廃屋、その内部はひどく荒れていた。泥棒でも入ったかのような 荒れようだ。窓にはぼろ布のように裂けたカーテンが引かれ、ひどく暗い。ただ陽光が遮られて いるが為の暗さではないことは、足を踏み入れる前から判っていた。

くすくす。くすくす。

どこからともなく子どものような甲高い笑い声が響く。まだ玄関口にいるダンテが視線を 投げてくるのが判るが、バージルは振り向かなかった。そのバージルは、短い廊下からリビング らしき部屋の入り口に立っている。

くすくす、くすくす。

声はいかにも可愛らしい子どものように聞こえるが、人間の子どもではないことは確かめるまでも ない。無邪気を装う声音に含まれた禍々しい響きを、バージルは聞き逃してはいなかった。
旧いものには悪魔や悪霊が取り憑きやすい。ここもその類の異形が棲みついているのだろうか。 見当を付けつつ、バージルはリビングをざっと見て回った。ダンテもバージルを真似るように リビングを物色する。
止むことのないくすくすという笑い声を、バージルは完全に無視し、ダンテは時折気に しながら。

「……で、何を捜すんだっけ?」

ダンテのあっけらかんとした言葉に、バージルは思わずダンテを見やった。ダンテはまるで バージルが自分を見つめたことが嬉しいかのように、ちょっと笑う。バージルは内心ため息を 吐いた。

「……とりあえず、それを片付けるのが先だ」

言い終えるよりも早く、バージルは閻魔刀の唾を親指で弾いて抜刀し、ダンテは右手で ホルスターから愛銃を引き抜き銃口を背後に向けた。刹那。閻魔刀の一閃が空を滑るように ダンテの背後に迫ったものを斬り裂き、エボニーの弾丸がそれの頭らしき塊に孔を穿つ。叫びすら 許されずに死を迎えた悪魔は、黒い灰となり床に降り積もった。
あまりの手応えのなさに、ダンテが不貞腐れたように銃身で肩を叩いている。バージルは閻魔刀を 納め、ふんと鼻を鳴らした。

「“緋”だ」

とんとんと一定の拍子で肩を叩いていたダンテが、手を止めてこちらを見た。

「スカーレット? 何だ、それ?」

「知らん。エンツォも何か訊いたらしいがな」

結局、判らなかったのだとか。というのも、依頼主ですらそれが何を指すものか判らない様子 だったとエンツォは言った。生き物だろう、という至極曖昧な言葉しか得られなかったのだとも 言い、エンツォは「あれはかなりわけありだ」などとどうでも良いことを付け足した。

「それでどうやって捜せっつうんだか」

生き物かもしれないという言葉には、信憑性はまるでない。この廃屋には生き物の気配など 一切ないのだから。
バージルは珍しく投げやりに言い放った。

「一通り見て回る。悪魔が棲みついているのと、何か関係があるのかもしれん」

バージルが乗り気ではないことは口調から明らかで、ダンテは不思議そうに首を傾げた。 ダンテのほうは悪魔絡みであればどんな安い依頼も請けるだけあって、それなりに乗り気である。 今し方の悪魔程度のものしかいないならば拍子抜けだが。

「手分けしていくか?」

くすくす。声はまだ消えない。バージルは耳にこびりつくような声に内心で舌打ちし、ダンテに 背を向けた。

「……お前は上に行け」

二手に分かれたほうが効率が良いことは確かだ。バージルは何か意識の隅に引っ掛かるものを 覚えながら、しかし振り切るようにリビングを後にした。狭い廃屋だ。ささやかな邪魔が入った ところで、さしたる手間も掛かるまい。バージルはそう見当を付けたが、それが誤りであるとは 気付いてはいない。



リビングの並びには風呂場がある。小さな部屋は粉塵が積もり、主のいない蜘蛛の巣がすだれの ように取り残されており、ここが風呂場だと示すものは薄汚れた灰色になった浴槽だけである。 もう長いこと使われなかったのだろう。人が住まなくなった家は瞬く間に廃れるものだが。
朽ちた風呂場で一度、続いてキッチンで二度、悪魔がバージルを襲ったが、いずれもバージルに 一分と掛からず殺された。塵を媒体にして実体化した程度の下等な悪魔ごときに、手間取るような バージルではない。

バージルの使う閻魔刀は、ダンテの持つ大剣と同様、父の遺した一振りだ。細い片刃の刀身が 繰り出す剣撃は華やかさこそ欠くが、緩やかに反った作りだからこそ可能な居合い斬りは、瞬く 間も与えず敵を屠る。
バージルに似合いの剣、と。ダンテは評した。ダンテの扱う剣こそ、ダンテによく似合っている (つまり派手だ)とバージルは思う。
 自分に華は要らぬ。迅速に敵の息の根を止めることにこそ、バージルは意義を認める。

小さな家に見合った狭いキッチンから出ようとしたバージルは、ふと足を止めて周囲に視線を 巡らせた。くすくすという笑い声は相変わらず絶えない。一階に声の元は見当たらなかった。と すれば二階だが――――どうにも気になる。
バージルはその場で軽く床を蹴った。古くなった床板が、妙に軽い音を生む。バージルは踵を 返して床を注意深く探った。まんべんなく積もった塵と埃とが、ごく僅か、そこだけきれいに 避けるように切れ目のような筋を残している。閻魔刀の鞘でその筋を何度か叩くと、板が外れ床が 四角く切り取られた。
一戸建によくある、地下室を持つ構造になっているらしい。バージルはちょっと天井を見やり、 しかしすぐに地下へと続く階段を下りて行った。くすくす。声がほんの少し近くなったような気が、 バージルはした。

当然ながら、地下は陽が入らぬお陰で暗く、空気が澱んでいる為ひどく黴臭い。それに混じった 嫌な臭いに眉を顰めながらも、バージルは足を止めることはなかった。
一つ、頭上から滴り落ちるように襲って来た悪魔を閻魔刀の一閃で斬り伏せた。バージルや ダンテにすればこの程度で終わってしまう弱い悪魔だが、普通の人間ならば恐怖を味わうとともに 悪魔に取り殺されているだろう。彼ら双子と常人との隔たりは厚い。まぁ、その話は今は置く。 大事なのはこの家に巣くった悪魔らが、何の目的でここに止どまっているのか、である。

人気のないゴーストタウン。餌も何もないこの場所で、悪魔らは何をしているのか。ただの 棲み処にするのには、ここは餌場から遠すぎるように思えてならない。悪魔どもはここで何を ――――?

バージルは不意に足を止めた。ドアに行き当たったのだ。腐臭に似た臭気はここから漂ってくる ものらしい。何があるのか。バージルは怖じもせずドアを押し開けた。錆びた蝶番がぎぃっと嫌な 音をたてる。



ごつごつとブーツを踏み鳴らす荒っぽい足音が、こちらへ近付いて来る。双子の弟のものに 間違ないそれを聞きながら、バージルは伏せていた瞼を持ち上げた。
開け放ったままにされたドアをくぐり、ダンテが闇から姿を現わした。

「バージル、ここかっ?」

少しだけ弾んだ息。バージルが一階にいないことに気付き、心配でもしたのだろうか。

「遅かったな、ダンテ」

応じてやれば、ダンテがあからさまでこそないものの、ほっと息を吐いたのがバージルには 判った。

「上には何にもなかったぜ。アンタのほうは? ……っていうか、何だよ、この臭い」

顔をしかめるダンテには、この空間はただの闇にしか見えていないのだろう。一片の明かりすら ないのだから当然ではあるが、バージルの目は明かりを必要としていない。目が闇に慣れたのでも なかった。バージルの目は、今明らかに人間の視力を逸脱している。喩えるならば暗視ゴーグルを 着けているような視界が、バージルの前には広がっているのである。

「バージル?」

黙りこくったバージルに不審を覚えたのか、ダンテが慎重に闇の中を進んで来る。バージルは ダンテを見つめ、ただ待った。ダンテが声のした方向を頼りにこちらへ近付いたところを、 バージルは突然腕を伸ばしダンテの躰を腕の中に閉じ込めた。不意のことにダンテが驚き声を 上げる。

「うわっ!? ば、バージ……っ」

バージルはダンテの声を奪うように唇を塞ぎ、舌を差し込んでダンテのそれをきつく吸った。 くぐもった吐息が漏れるのすら惜しく、バージルはいつにない熱心さでダンテの唇を貪る。

「んんっ……! ふ、ぅん……ッ」

ダンテが半ば酸欠に陥った頃、バージルはようやくダンテを解放した。どちらのものともつかぬ 唾液に濡れたダンテの唇を、バージルは舌でねっとりと舐めた。それだけでダンテがぞくりと背筋を 震わせる。

「っ……バージル……なに……」

揺れるダンテの双眸。バージルは弱ったうさぎでも追い詰めるような気分に浸りながら、腐臭と 闇に満ちた地下室でダンテを犯した。





“緋”は結局見つからず終いだった。

バージルはエンツォを通じてことの顛末(もちろん、仕事の部分だけだ)を依頼主に伝えた。 間もなく依頼主からは多額の報酬が支払われ、さしたる時も要さずその仕事の話などは忘れ 去られることだろう。が、その前に。
ドル紙幣の束を積み木のように積み上げながら、ダンテは一人不機嫌だった。バージルが エンツォからの電話を切るなり、どういうことだよ、と苛立ちもあらわにバージルに詰め 寄った。

「何のことだ」

「とぼけんなよ。何も見つからなかったって、どういうことだ。アンタあそこで……地下で何か 見つけてたんだろ?」

確信を持ったダンテの追求に、バージルは「さぁな」と素っ気なく返した。かっとなった ダンテがバージルの襟首を掴む。

「アンタは……っ!」

「……言って、どうなるものでもなかろう。依頼人が捜していたものはどこにも存在しない。 それだけだ」

バージルはダンテの手首をそっと掴んだ。ダンテは気が抜けたように手を離し、じっとバージルを 見つめて来る。

「消したのか」

「……何をだ」

あくまでもしらを切るバージルに、ダンテはまたかっとなったようだった。が、今度はバージルに 掴み掛かって来ることも、殴り付けることもなかった。ただ、空色の瞳を哀しげに曇らせる。

「アンタはいっつも……」

言いさした言葉を最後まで紡ぐことを、ダンテはしなかった。

「もう、良いよ」

力なく呟き、バージルに背を向けたダンテの背中は、憐れを感じる程に寂しそうだった。 しかしバージルは無言でダンテを見送り、自宅スペースへと続くドアが閉まったところでようやく、 薄く口を開いた。

「お前は知らなくとも良い……」

バージルは自分の右手を見下ろした。
暗い地下室で、バージルは一人の少年をその手にかけた。人を殺めることに、バージルは何ら 抵抗はない。が、その少年は――――艶のある銀の髪と透き通るような白磁の膚を持った少年は、 あまりにも。

「緋、か」

バージルは開いた右手を握り締め、振り切るように頭を振った。
姿形は酷似していても、少年はひとではなかったのだ。命を持った人形。それが緋の正体だった。 バージルには、あれが何故あんなにも弟に似た姿をしていたのかなど判らないし、依頼主があれを 捜そうとした理由も判るわけはない。しかしバージルは、あれを依頼主に渡すことをよしと しなかった。弟の幼い頃に酷似した人形が、誰ぞの手に渡ることが許せなかった。だから。

緋はこの世にない。

ただひとつ、バージルの傍らに在るのみ。





男はある日、街角で小さな子どもを見掛けた。男の子だろう。まだ四つか五つか、おぼつかない 足取りで歩くさまが可愛らしかった。母親らしい美しい女性に手を引かれて、どこに行くのか 男には当然判らない。ただ、その子どもから目が離せなかった。
何より目を惹いたのは珍しい銀髪だ。くりくりとした大きな碧眼、ふっくらとした紅い唇、 幼児らしい顔の輪郭。柔らかい見目だが双眸にはしっかりとした意思があり、それがまた男を 惹きつけた。

じっと凝視していた所為か、子どもが男に気付き、視線が合った。子どもはちょっと首を傾げ、 そうしてにっこりと笑ったのだ。

男はその日を境に、世間から隔絶された空間に閉じこもった。ゴーストタウン化した町の廃屋を 一つ買い取り、その地下室からほとんど出ることをしなくなった。時折夜更けに外界へ出、戻る ときには脇に小さくはない革袋を抱えていた。
地下で、男はあるものを造る為の作業に没頭していたのだ。脳裏にはあの日見掛けた子どもの 笑顔――――男は残りの生を注ぎ込み、人に似たいきものを造り出した。

黒魔術などという怪しげな業に、男は以前から嵌まっていた。中でも男の興味を引いたのは、 人工的に人間を造り出す術であった。

必要なものは皆、揃えた。目的の為に男は手段を選ばなかった。地下には使い物にならなかった 屍体の部品と臓物が散乱し、ひどい腐臭が満ちていたが、男は何ら気にも留めなかった。男の目は 自分が造りつつあるものしか映さなかった。

やがて、多くの犠牲を土台にしてそれは完成した。が、男の命は最早尽きようとしていた。
男は自分の死期を正確に悟り、やはり夜更けに地下から外界へ――――手には急いで書き上げた 遺書があった。己の持つ資産が少なくないことを、男は思い出したのだ。そしてその総てを、 “彼”に――――

何もかもをやり終えた男は、血と肉と腐臭に満ちた地下室で死んだ。その腕の中には、あどけない 顔立ちの子どもがひとり。少年の瞳は、血のように濡れた緋色だった。

無数の悪魔は“彼”を守る為に召喚された。“彼”の魂を代償として呼び出された下等な 悪魔ども。果たして人の手によって造り出されたいきものに、魂は宿っていたのかどうか―――― 誰にも知る術はない。





バージルはまだ拗ねたような表情をしているダンテを、さてどうしてくれようかと人の悪い顔で 思案した。



















戻。



思いつきで書くから、こうゆうよくわからないことに…