種子
守るべきものを持つ者は、戦場において己の持つ力の総てを出し切ることが困難になる。常に
背に守るものを意識し、勇壮に前線へと繰り出すことを躊躇するからだ。
失うものを持たぬ者は強い。が、それはあくまで、戦場での話である。
彼らは現在を愉しんでいる。以前――――彼らは過去を省みることはほとんどないが――――に
比べれば、毎日が輝いているようですらあった。何故それ程までに違うのか、彼らは知って
いる。
彼らの主たる、半人半魔の存在だ。
魔界で鍛えられた双子の剣である彼らは、人間的な情というものを持ってはいない。周囲の総てを
敵ないし無害かに見分け、敵ならばその身で容赦なく切り刻む。彼らの存在する理由はただ骨を
砕き肉を食らうことのみで、それ以上のたいそうな意義は持ち合わせていなかった。魔界に棲むもの
の大半が、そうして意味もなく己の本能にのみ従って生きていた。彼らだけが例外ということは、
まるでなかったのだ。
ひたすら殺戮を続けているうち、彼らは一つの願いを抱くようになっていた。彼らは命と意思を
持つ剣だ。剣には当然使い手が必要不可欠で、彼らは手頃なものに寄生することで自らの身を血に
染めていた。が、必ずしも満足のいくことばかりではなかった。
剣は扱う者の腕次第で、鋭くも鈍くもなる。彼らは彼らの力を最大限に引き出せる使い手を探し
求め始めた。
ため息がこぼれてしまう程に途方のない時が流れ、彼らはようやく理想を手に入れることに
成功した。理想。まさしくその言葉が相応しい。彼らは歓喜した。探し続けたものをようやく
見つけた喜びは何にも替え難いものだった。
彼らの理想の具現――――名は、ダンテという。
「主よ、」
アグニは短い手足を使い、器用にダンテの足によじ登った。脛から膝を伝い、大腿へ。ダンテは
ソファーに腰掛けているから、膝まで登ってしまえばあとは楽なものだ。
と、その前にダンテの手がアグニの小さな躰をひょいと持ち上げた。
「ルドはどうした?」
ルド、とはアグニの片割れであるルドラのことだ。いつも行動を共にしている彼らだ、
アグニだけとなれば不審に思うのも無理はない。ちなみに、ダンテはアグニのことはアグと呼ぶ。
愛称、とでも言うのだろう。アグニはダンテにそう呼ばれるのが気に入りだった。むろん、この
場にはいないルドラも。
「後から追って来よう。今は我のみぞ」
言えば、ダンテは納得したようなしていないような顔で首を傾げ、しかし「まぁ良いか」という
結論に到ったようだ。小さなことはあまり気にしないダンテらしい反応である。
ダンテが大腿にちょんと座ったアグニの、小さな小さな角をダンテが指先でつつく。それだけで
躰が後ろへのけ反りそうになるが、アグニは足を踏ん張らせて堪えた。そうした仕種の一つ一つが
またダンテにうけるのだと、アグニは知っている。かと言って、気に入られようとしてわざと
そうした動作をしているわけではないのだが。
ダンテはあからさまでこそないものの、楽しげに微笑んでいる。アグニはダンテの、全く飾らぬ
その笑みが好きでならない。
人間的な情を一切持ち合わせぬ筈のアグニに、そのような感情をもたらしたのは他ならぬ
ダンテだ。ダンテは何も知らぬことであるが、アグニがダンテから与えられたものは多い。当然、
アグニの片割れであるルドラもだ。
彼ら双剣は二つで一つ。片割れの思いはもう一方の片割れとほぼ一致する。人間の双子(ダンテと
その兄がそうだ)とは、そもそも造りが違っているのだ。双つ。彼らは意志すらも共有する。
「主よ」
角や手をちょいちょいと弄って離れないダンテの指を、アグニは何が映っているのか傍目には
定かでない瞳で追いつつ、呼び掛けた。「ん?」と鈍い反応があるが、ダンテの意識がこちらを
向いていないことがアグニには判った。
「主よ、我らは常に主とともに在る」
囁くような声はダンテに届いているだろうか。この強い、しかし内面に拭っても拭い切れぬ寂寞を
抱いた青年に、自分の声は。――――届いては、いるのだろう。おそらく、届いている。
しかし想いは彼に届かない。
それは初めから判っていたことで、しかしアグニは初め嘆くことをしなかった。嘆くという感情を
知らなかったのだから、しようもないことだ。だが、今は。
「主よ、眠くはないか」
唐突に、アグニは言った。考えて口にしたというより、反射的なものに近かった。
ダンテの指が、ふと止まる。
「晩飯もまだなのにか?」
「然り」
ダンテが心ここにあらずである理由を、アグニは知っている。ある意味で、ダンテよりも
理解していると言ってよかった。
アグニはダンテの膝からもそもそと降り、くっと眉間に皺を寄せた。
「アグ?」
彼の主の声が耳に心地好い。ダンテの意識が少しだけこちらを向いたことを嬉しいと感じながら、
アグニは己の持つ魔力を集中させる。こうすることで、魔界の剣はぬいぐるみからさらに姿を変える
ことが出来るのだ。もっとも、魔力があまり強いほうではないアグニにとって、姿を変化させる
ことは口に出す程に簡単なことではないのだけれども。
人型を取ったアグニを、ダンテは呆気に取られたように見つめている。そう言えば、ダンテの
目の前で変化をするのは初めてだ。
「主よ、我に見とれているのか?」
鍛えているとはいえ、まだ成熟しきらぬ躰つきのダンテよりも、一回りはあろうかという屈強な
体躯――――別段、意図してこの体躯になっているのではなかったが。
「誰が見とれるかよ。……てか、何か見慣れねぇな」
ダンテにとり、アグニのこの姿は好ましくはないのだろう。ぬいぐるみの姿こそ気に入っている
ダンテではあれど。
「主よ、」
アグニは自分の腿を軽く叩き、出来るだけ言葉少なにダンテを促した。意を察したダンテが
硝子玉のような双眸をちょっと瞠る。
「ここで寝ろって? 何のつもりだよ?」
笑い飛ばすダンテだが、どこか力は弱い。独りにされたダンテはいつもこうだ。強がって見せて
いるだけで、本当は――――
アグニは自らの言葉をあえて封じた。ダンテはアグニが好きに喋ることを好まないからだ。
ぬいぐるみの姿のときは例外である。
黙りこくるアグニから、ダンテは一度目を逸らした。何か逡巡しているらしい沈黙。しばらく
して、ぽすん、と。腿に軽い衝撃があり、アグニは唇の端を緩やかに持ち上げた。
「硬ぇな」
ぽつりと呟いたダンテの髪が、さらさらとアグニの脚に流れる。アグニは艶やかな髪を梳いて
やりたい衝動に駆られたが、堪えた。ダンテの望まぬことはしない。それはアグニとルドラが暗黙の
うちに作った不文律だ。
枕が硬いと文句を言いながらも、十分程が経つ頃にはダンテの寝息がアグニの耳に届き始めた。
いつもなら昼まで寝ているダンテが、今日は朝の七時には起床していたのだから、眠くない筈が
なかった。
早起きの理由は、朝も早くからから仕事に向かった彼の兄、バージルを見送る為だ
(いってらっしゃいの一言もない見送りだが)。
バージルは深夜にならねば帰らない。その間、ダンテは独りだ。むろんアグニとルドラはダンテと
ともに留守番をしているのだが、ダンテの中で彼ら双剣は数に入れられてはいない。別段除け者に
されているわけではなく、彼らではダンテの寂寞を埋めることが出来ないからだ。
ダンテの唯一はバージルであり、それ以外の何ものでもない。
それでも、彼らの唯一がダンテであることは変わらない。変わるわけがないのだ。
「主よ、我らは如何なるものからも主を護ろう。我らの命、いつ如何なる時も主が為に在る」
たとえそれを、ダンテが望んでいないとしても。
アグニは眠るダンテの髪に恭しく触れ、その絹のような感触を、束の間楽しんだ。
辺りが夕闇に溶ける頃、リビングのソファーにはすやすやと眠る銀髪の青年と、その髪に
埋もれるようにして横たわる朱色のぬいぐるみの姿があった。そして部屋の片隅には、膨れっ面の
碧色のぬいぐるみがちんまりと膝を抱えていたという……。
ルドラがのけ者になってしまいました…。
アグルドの掛け合いがないと張りがない。かも。