偶発グウゼンニモ









それはあくまで、ありふれた偶然の一つに過ぎなかった。





バージルは基本的に、メトロを使うことはあまりない。移動範囲そのものがさして広くない バージルである。遠出をすること自体が少ないとなれば、自然、公共機関を使うことも少なくなる。 そもそも何かしらの乗り物に頼る必要性を、バージルはあまり感じたことがなかった。 自分の脚――――それがある意味一番速いとバージルは思っている。

そんなバージルだが、今日はメトロにて移動中であった。双子の弟であるダンテはいない。 バージルとは別の仕事を請けた為、珍しく別行動なのだ。

バージルがメトロに乗らねばならなかった理由は、至極単純だ。自分の脚で出向くには遠過ぎる。 それだけだった。
彼ら双子が最近“足”に使い始めた大型の二輪車は、ダンテが駆っている。バージルはあれを あまり好まないこともあり、ほとんどダンテの為に購入したようなものだった。が、それを良しと したのはバージルで、ダンテは喜色満面、ありがとうなどと似合わぬことを口にしたりもした ものだ。

メトロが、いつまでたっても好きになれない金切声上げて駅に辿り着いた。バージルは眉間に 寄った皺を深くしてメトロを降り、薄汚れたコンクリートを踏みしめて地上に出た。砂の混じった 埃っぽい風が、青いコートの裾をばたばたとはためかせた。






薄暗い酒場にはいつものように、がらの悪い連中の妙な熱気に包まれていた。バージルがダンテを 伴って店に入ったとき、既に仲介屋が荒事師どもに仕事を割り振っている最中だった。

「遅かったな、ダンテ! バージル!」

「もうあんたらの仕事はねぇぜ!」

はしゃぐような酒臭い野次が飛び、ダンテが軽く笑い飛ばした。

「ま、今日はゆっくりさせて貰うさ」

バージルは黙ったまま、荒事師らに一瞥を呉れることもない。誰にでも気安いダンテとは違い、 バージルは気安い雰囲気からは程遠く、言ってしまえば易々とは近付き難いものを纏っている。 これは彼ら双子が幼い頃からこうなのだが、荒事師らは知る由もないことだ。
いつものようにスツールに並んで腰掛けた彼らを、店を一人で切り盛りする親爺が笑みもなく 迎えた。

「いつものか?」

それに応じるのはもちろんダンテだ。

「あぁ、大盛りでな」

声が弾んでいるのを右耳で聞きながら、バージルは少し顎を引く。親爺はダンテへ「はいはい」と 答え、バージルへはこちらも頷いて見せた。この無愛想だけが売りの親爺には、唯一と言うべき 弱みがある。いや、弱みとは言わぬかもしれないが、ダンテにだけは甘いのだ。
親爺はダンテに出す“いつもの”を作るべく、むっつりとした表情で店の奥へ消えた。その 表情だけ取れば機嫌が悪いようにしか見えないが、実は違うのだということを、この店の常連ならば 知っているのだ。

親爺を待つ間、双子には会話らしい会話はない。バージルは生来率先して話をするたちでは ないし、いつもならばあれこれと勝手に話しているダンテにしても、このときだけはほとんど 喋ることをしないのだ。毎回のことであるだけに、バージルは既に慣れている。ダンテが好き勝手に 喋るのへ、いちいち煩いと言わずに済むことは、むしろ手間が掛からなくて良い。
妙に嬉しそうにカウンターに頬杖をついているダンテが、ふと思い出したかのようにバージルを 見やった。

「なぁ、」

一歩表に出れば互いの名は口にしない。彼らの間にいつの間にか設けられた暗黙の了解だ。

「何だ」

「ん? んー……」

やけに煮え切らない。バージルは眉を寄せ、どこにともつかぬほうへ流していた視線をダンテへ やった。

「何だ」

再度、問う。ダンテは後頭部をくしゃくしゃと掻き、どこか懇願するような目をして口を開き かけた。そのとき、親爺がやはりむすっとした表情で奥から姿を現した。手には酒場には全く 似つかわしくない、甘ったるそうなストロベリー・サンデーを持って。それを見たダンテの目が、 顔が、ぱっと輝くのがバージルには見なくとも判った。

「おら、喰いな」

どんと荒っぽくダンテの前にストロベリー・サンデーを置いた親爺は、背後の棚から酒のボトルを 取り、手際良く手許のグラスに注いでいく。そのグラスがバージルの前に出されたのは一分もしない 間だったが、ダンテは既に嬉々としてストロベリー・サンデーに食らい付いていた。それを見た 親爺が目を細める。この親爺にとり、ダンテは可愛い孫か息子のような存在なのだ。だからダンテ 以外は注文することのないストロベリー・サンデーを、いつでも用意出来るよう常に食材を揃えて あるのだ。
バージルはグラスに添えられたやけに真新しい布巾を見、ダンテに流し目を呉れながらグラスを 口に運んだ。さしてアルコールに強くないバージルは、いつも度数の弱いものを一杯か二杯、飲めば 良いほうだ。酒に酔わされる前に切り上げる。限度を知るバージルは隣でがっついているダンテとは 違い、羽目を外すことはない。

そんな対照的な双子の背後から、ふと声が掛けられた。

「珍しいものを食べてるんだねぇ」

やたらと粘っこい声だ。が、バージルはそちらを見ない。わざわざ振り向くのも面倒なことだ。

「あんたも喰ってみろよ、旨いぜ?」

サンデーに集中したまま、ダンテが言う。おざなりな応じ方でも、まるきり無視のバージルよりは ましだろう。背後に立った男(声音は高めだが男には違いない)は、ダンテのストロベリー・ サンデーがやけに気になるらしい。

「美味しそうだけど……ちょっと似合わないね」

はっきりものを言う男だ。バージルはグラスを少しだけ傾け、ダンテを見やった。

「似合う似合わないで喰いもんを選ぶ奴がいるのかよ?」

それもそうだね。男は何故か嬉しそうに笑っている。どうもに、人の神経を逆撫でする声だ。 妙にダンテに絡むのも気に入らない。と言って、自分に絡んで来られたらそれはそれで嫌では あるが、そのときは容赦なく撃退するだけだ。

「で、何か用か?」

用がないなら邪魔するな、と言外に邪険を含ませた言葉に、しかし男は怯む素振りもない。肝が 据わっていると言うより、おそらく鈍いだけだろう。

「あ、うん、そうだ、あのね? 仕事をお願いしたいんだ」

それを早く言え。およそ正反対の性格をした双子だが、同じことを同時に内心で呟いた。が、 男はそんなことには気付くわけもない。

「……どういう仕事だ?」

問うたのはダンテだ。バージルはどこまでも沈黙している。ダンテは交渉には向かぬたちだが、 バージルは交渉する気がないので向き不向き以前の問題だ。

「えっと、ぼくのうちに来て欲しいんだ」

どうもこの男は誰かに何かを説明することが極端に下手であるらしい。バージルですら苛立ちを 覚えずにはおれないのだから、応対しているダンテはよほどだろう。

「意味が判らねぇな」

消えろ、と珍しく突き放すように言ったダンテへ、男が嫌だと情けなく繰り返すのを、バージルは 酒を舐めながら聞き流した。

結局その男の依頼を請けることになってしまい、ダンテは自宅に辿り着いてもまだぶつぶつ文句を くさしていた。バージルはと言えば、あくまで淡々と「そうだな」と返すのみ。そろそろ煩いと 言ってやらねばならないのか、などと考えていた矢先だった。事務所の骨董品じみた電話機が けたたましくがなりたてたのは。






今頃ダンテはどうしているだろうか――――などとはバージルは考えもせず、とあるマンションを 見上げた。庶民にはどう転んでも世話になることのない、都心部にそびえる高級マンションだ。 その、最上階に近い部屋にバージルは招かれていた。
上階へ行く程、部屋数の少なくなる造りをしたマンションは、つまるところ上階程値が張ると いうことだ。エレベーターを降り、バージルはホールからまっすぐ目的の部屋に向かった。その階に あるドアは一つきり。階だけを教えた依頼主が「迷う心配はない」と言った理由はこれだったのか、 とバージルは感心するでもなく思った。
彼にとり、高級マンションに住まう者への羨望は欠片もない。富豪への憧憬もなければ、何故 自分は、と自身を省みて謗る趣味もなかった。詰まらないことだという頭がバージルにはある。

バージルが呼鈴を押す前に、白いドアが内側から開いてバージルを招き入れた。待っていたわ。 大輪が咲くような華やかさと艶を含んだ笑みでバージルを奥へ促したのは、男ならば誰でも身を 奮わせるような美女だった。が、その魅力に溢れた女性にすら、バージルは何の感情も揺さぶられる ことはなく。

「用件を言え」

冷淡な声音に女性は一つ身震いし、それから艶然と微笑んだ。男の扱いを心得た女性らしい、 自らに絶対の自信を持った表情だ。

「久しぶりだっていうのに、冷たいのね。それとも怒っているのかしら?」

怒り? バージルは声には出さず即座に違うと否定した。女性は勝手に話を続けている。

「偶然だったのよ、あなたのことを見つけたのは。あのときの喜びといったらなかったわ。あなたは 忘れていると思ったけれど、どうしても逢いたくなって……」

バージルは女性経験が希薄というわけでは決してない。その歳にしては充分すぎる程に女を 知っており、この女性はそんなバージルの経験の一端を担った人物だった。が、バージルにすれば 何程もない女の一人に過ぎないし、孕ませるような馬鹿はしていない。今この場に、バージルが かつて抱いた女が皆揃ったとしても、バージルは眉一つ動かさず全員を捨てる。
玄関に突っ立ったままのバージルの肩に、女性は文句の付け所のない完璧なからだを寄り 掛からせた。豊満な胸が肘に押しつけられ、バージルは軽く眉を顰めた。鬱陶しいと思ったから なのだが、女性は何か勘違いをしたらしい。

「あれからわたし、結婚したの。夫は仕事ばかりのひとで、めったにうちには帰って来ないわ」

だから、何だと言うのか。夫の目を盗んで男を食うのが当たり前であるかのように、女性は バージルの手に己の指を絡めた。が、――――そこまでだった。

「あぅっ……!?」

悲鳴ですら艶を帯びている。バージルは不快感をおし殺すこともせず、女性の首を掴み壁へと 押しつけた。女性はそれでもバージルが最後には自分を抱くと思っていたのだろう。真正面から 目を合わせた途端、それが大きな間違いであることにようやく気付いたらしい。

「ぁ……どうして……っ」

その気がないなら、何故依頼に応じたのか。女性の双眸には恨みがましい色がある。バージルは わざと手の力を抜いてやった。女性は堰を切ったようにまくし立てた。

「後ろめたいんでしょう? 知ってるのよ、わたし。あなた、双子の弟にわたしとの関係を 知られたくないんだわ。だからわたしのところへ来た。違う?」

「後ろめたい? ……違うな」

どこまでも勘違いを正しいことと信じたがる女だ。バージルは苛立ちと同時に呆れずには おれなかった。ただ一度きりの何の愛情もない関係を、この女はあたかも大事なことのように 思っているらしい。笑い種だ。ダンテに露見したところで、バージルには何ら痛手にはならない。

「じゃあ、どうしてよ?」

嘲笑うように女性のふっくらとした唇が綻んだ。バージルよりも十以上年嵩の女性の、不必要な までに綺麗に化粧を施された顔を引き裂いてやれば、この浅はかな思い違いを少しは改めるの だろうか。

「面倒だった。それだけだ」

言葉が足りぬのはいつものこと。バージルは補う言葉を残さず、女性に一瞥も呉れず部屋を出た。 報酬は要らぬと冷ややかに告げて、あっさり出て行ってしまうバージルを、女性は慌てて追い 縋った。むろん、バージルは歩みを止めない。
つかつかとエレベーターホールまで歩き、エレベーターの表示を見上げる。最上階にいるらしい が、丁度降りて来るところでもあった。一つ、二つ……腹の中で数えている間に、女性がバージルに 追いついた。

「バージル、行かせないわよ!」

そのとき。チン、と軽やかな音がして、エレベーターの扉がゆるゆると開いた。箱の中には 先客が一人――――バージルは自身の両目が僅かに見開くのを自覚した。

「……バージル?」

「……ダンテ」

エレベーターの箱の、こちらとあちら。銀色の双子は偶然にも最悪のタイミングで顔を合わせて しまった。
ダンテの硝子玉のような碧眼は、バージルからバージルの腕に絡まるように縋りつく女性を見、 そこからじっと動かない。互いに茫然としていた為、放置されていたエレベーターの扉が痺れを 切らしたように閉まろうとする。
バージルは腕を伸ばしてボタンを押し、女性を腕から引き剥がしてエレベーターに乗り込んだ。 バージル、とまだ諦められぬらしい悲鳴に似た声は、扉が閉まると聞こえなくなった。

狭い箱に二人、バージルはほとんど衝動的に、ダンテをきつく抱き締めていた。





「誰だよ、あれ」

と、ダンテはバージルを問いただすことをしなかった。ただ、目を合わさない。バージルから 合わせようとすれば、火に触れたかのようにさっと顔を背けてしまう。ダンテの心中はバージルにも 判らないではないが、バージルはバージルで言い訳のしようもないのだからどうすることも 出来ない。

あの女性の元へ訪れたのは確かだ。しかし下心など存在すらしなかったし、それはダンテにも 判っている筈だった。バージルの世界は実質、ダンテのみで閉じている。たとえかつて関係を持った 女であろうと、バージルにとれば無関係以上にはなり得ない。
ダンテが憤りを隠せないのは、バージルが黙っていたことに対してだと思われた。女のことでは ない。バージルはダンテに、女からの依頼の詳細を一切話さなかったのだ。
電話を取ったのはバージルだった。バージルはあえて、ダンテに何も話さずに女の元へ足を 運んだ。それが、ダンテには我慢ならぬのだろう。

無言でバージルを責めるダンテ。しかし言葉にしないのは、そんな資格が自分にはないと思って いるからに違いない。ダンテとて、バージル以外の人間と肉体関係を結んだことがあるのだ。 浮気だとか、そんな言葉は使えたものではないけれど、口を開いてしまえば判らない。だから、 黙る。そうするしたないからだ。

ひどくいじらしい。バージルは自分のしたことを棚上げするではないが、ダンテが愛しくて ならなかった。もちろん、その言葉は口にはしない。それもまた、彼ら双子の間にある暗黙の 了解――――不文律と言っても差し支えない。

「ダンテ、」

バージルは今までで一番、優しい声音で双子の弟の名を呼ばわった。



















戻。



私は断じて女性蔑視をしているわけではありません。
ので、あしからず。バージルはわかりませんが。
ちなみに。最後息切れしたのでこんな終わり方です。