霧中ムチュウ











蹴散らせ。

バージルの低い声に、ダンテはにやりとして頷いた。

「判ってるって!」

いつもは駄々をこねても連れては来ない朱と碧の双剣を手に、ダンテはだっと駆け出した。血に 飢えた双剣の昂ぶりが、掌から伝わってくる。普段なら不快に思うそれを、ダンテは奇妙にも 心地好く感じていた。
傍らのバージルの、蒼い剣筋が綺麗だった。





昂ぶりすぎた夜はろくなことがない。
記憶にはほとんど残らないのだけれども、たぶん、そうなんだろうと、思う。





主、と呼ばわる声がする。それも二つ。自分をそんなふうに呼ぶものは決まっており、ダンテは 夢現のような状態でこくんと頷いた。声が出ない、というわけではなく、声を出すのが億劫で仕方が なかった。どうしてかなど、ダンテが知るわけもない。
気分はいつになく昂揚している。手応えのある悪魔が相手というわけではないが、退屈さを補って 余りある数だった。
テンションは上々、身体的にも申し分ないコンディション。だと言うのに。

億劫――――その一言に尽きるこの、芯が動いてくれぬ気怠い感覚は何なのだろうか。

(血のにおいだ)

目に映るものは赤と黒。耳に届くものは聞くに耐えぬ悲鳴。

鼻をつくのは、濁った血の臭気。
はっ、と両手に握った双剣が息を吐くように鳴いた。その声が妙に遠い気がして、ダンテは赤と 黒に塗り込められた辺りを見回す。

(……あれ……)

バージルはどこにいるのだろう。そこにはいつの間にか、ダンテと悪魔の死骸だけになって いる。

(……臭ぇ)

馴れている筈の、悪魔の爛れた血のにおいがやけに鼻につく。頭から血を浴びている所為だと、 気付くのにしばらくかかった。臭い。が、不快と思っていない自身にダンテは疑問を抱くことは なく。かえって昂ぶりが増していることにも、ダンテは気付いていなかった。

「バージル、どこだよ?」

しっかりと言葉にしているつもりのそれが、全く声になっていないのだとは、ダンテは 知らない。

「主よ、暫し休むべきぞ」

「兄上殿と合流すべきぞ、主よ」

二つの声は遠く、ダンテは頷くこともしなかった。

あぁ、億劫だ――――

バージルの剣の蒼い煌きが見えたのは、それからどれ程が経ってからだっただろう。








何をしている、と眉をしかめるバージル。力任せにダンテの肩を掴み、引き寄せる腕の強さが 心地好い。もっと乱暴にされても、バージルが相手ならきっと快いのだろうとダンテは思う。

バージル。声なく呼ばわれば、双子の兄は総て判っているかのように頷き、ダンテの前髪を 掻き上げた。そのまま手が後頭部に回され、後ろ髪を強く掴まれる。ぶちりと髪が数本抜けたらしい 音がした。
近づいたバージルの顔に、唇が塞がれるかと思えばそうではなかった。バージルはダンテの耳に 唇を寄せ、耳朶を思い切り噛んだ。

「……ッ……!」

柔らかい肉が噛み切られる嫌な音が脳に直接伝わる。ダンテは痛みに顔を歪め、バージルの肩を 掴み爪を立てた。しかしバージルの躰を押し返すことは、ダンテはしない。痛みを堪える為に バージルの肩を掴んだのではなかった。痛みはあるが、それ以上にダンテは確かな快楽に身を 震わせていたのだ。
ぴちゃ、と噛まれたそこを音を立てて舐められ、ぞくりとする。鼻に抜けた声を出してしまった らしく、耳に揶揄の言葉が囁かれた。

「感じやすいことだな」

笑みのない言葉は嘲り。ダンテはぎくりとしたが、それだけだった。考えようとしたそばから 思考は消える。バージルがダンテの耳をもう一つ噛み、首筋に歯を立てた。

「あッ――――」

ぶつりと皮膚が破られ、尖ったものが肉に食い込む。肉を裂くように突き立てられたそれに、 ダンテはやはり痛みよりも強い痺れに似た快楽に襲われた。己の頬に笑みが浮かんでいることに、 ダンテは気付かない。

「ぁ……はぁ……」

尖ったものが突き立てられたそこから、ずるりと何かが抜け出していくような感覚がある。 それは勝手に流れ出しているのではなく、吸い出されているのだと、ダンテはバージルの肩に唇を あててぼんやり思った。
バージルのきっちりと着込まれたシャツを噛むと、後頭部にあった手がするりと背中に移動した。 ぽん、と叩かれ、自然に瞼が落ちる。心地好い。
ダンテはバージルに縋り――――その後の記憶は、ない。








頭が痛い。がんがん響くような痛みを堪え、ダンテはのろのろとベッドから下りた。二日酔いでも したような頭痛だが、そうではないことはダンテもぼんやりとだが覚えている。
酒を飲んだ記憶はない。しかし酔っていたのだと思う。そういう意味では、二日酔いというのも 正解なのかもしれない。

(頭いて……)

ジーンズを穿き、シャツを拾おうとした手をふと止める。脱ぎ散らかした服の小山に紛れて、 何か違うものがある。朱と碧の二つの物体は、放り投げたクッションのように無造作に四肢を投げ 出し床の上に転がっている。

「アグと……ルドか……」

嗄れた声に舌打ちした。自分の声を好きとも嫌いとも言わないが、掠れた声など問題外である。

(あー、だりぃ……)

何故声が嗄れているのか、考えるのも面倒だ。どうせこの、全身(特に腰から下)にろくに力が 入らないのが答えなのに違いないのだから。
ダンテはシャツを着、ついでにアグニとルドラを拾い上げた。膝を折らず腕だけ伸ばしたのは、 腰を下ろしたらそのまま立てなくなりそうだと思ったからだ。腰から下が、異様に重い。原因は 判っているだけに、ダンテは狼狽えることはない。

「む……主よ、目覚めたか」

「む……起きて良いのか、主よ」

朱と碧のぬいぐるみがもそもそと蠢いた。ダンテは二体をそれぞれ肩に乗らせ(ぶら下がらせ?)、 柔らかい頭をぽんと叩いてやった。返事をしてやらなかったのは、嗄れた声を聞かれたいと思わな かったから。

「主よ、大事ないか」

「大事ないか、主よ」

何に対しての心配かダンテは判り兼ねたが、二体の頭をもう一つぽんとしてやることで答えに した。大丈夫――――とは、言えないのかもしれないが。
主、主と肩でぴぃぴぃ喚くぬいぐるみを、ダンテは煩いと思えどその頬には笑みがある。いつも よちよちダンテの足許に纏わりつき、ぴぃぴぃ喚いてはダンテにへばりつく彼ら。憎めない見目の ぬいぐるみたちは、ダンテの気に入りだ。

「主よ、もしやこの足で兄上殿のもとへ行くのではあるまいな」

「兄上殿のもとへ行くよりも、我らとここで戯れようぞ、主よ」

(遊ぶって、何するんだよ)

思わず笑ってしまうが、ダンテは真っ直ぐリビングへ向かう足を止めることはない。ぴぃぴぃ喚く アグニとルドラは、バージルに対して常に敵意をむき出しにしている。それはバージルも似たような もので、ダンテには何故そうも険悪なのかよく判っていない。

(悪いな、アグ、ルド)

内心で呟き、まだ喚いている二体を無視して階段を下りる。バージルの淹れた、精一杯薄くして いるらしい苦いコーヒーを、無性に飲みたい気分だ。

(バージル、)

リビングのドアは開け放されている。ダンテはひょいとキッチンのほうを見やり、(おはよう)と 喉の奥で呟いた。
清々しい、とは残念ながら言えないけれど、ダンテの気分は確かに晴れやかで。

バージルの眉間の皺がやけに濃いことも、何故だか気にならなかった。



















戻。


これを地下に置いた理由は1つです。
…なんとなく。

[07/10/5]