思惟
小さな躰を抱き竦めて眠る。知らぬ間にどこへも行かぬように。自分の躰で潰してしまわぬように
するのは思いの外骨が折れるが、かと言って腕を緩めるつもりはバージルにはなかった。
子どもの吐息が胸許に触れる。これくらいの近さが、丁度良い。
バージルは子どもの、白っぽい銀髪を撫で、唇を押しつけた。胸に顔を埋める形になって
息苦しいのか、子どもがもぞもぞとむずがった。バージルは苦笑し、子どもの躰を少しずり上げて
やる。肩口に息がかかって若干むず痒い気もするが、構うまい。こそばゆいのは子どもも変わり
ないのだ。ただ意識がないぶん、気がついていないだけのことで。
子どもは、実はバージルの双子の弟だ。名はダンテ。去年、とある仕事で遭遇した悪魔の毒を
受けた影響で、躰が縮みこの姿になってしまった次第だ。もっともバージルはその仕事には
関わっておらず、ダンテの身が自宅兼事務所に辿り着いたときにはもう、このありさまだった。
あれから、早一年。
悪魔の毒は今も生き続け、また特効薬などは見つからず、ダンテはもうずっと、十四かそこらの
姿で過ごしている。
早く元に戻れ、とはバージルは思っていない。それがダンテにも伝わっているのか、近ごろ
ダンテは苛々しているようだ。戻らない躰、手を打たないばかりか何かと自分で遊ぶバージル。
苛立たずにはおれぬダンテの心を、バージルは半分程しか察してはいなかった。
昨晩、――――
もう嫌だ、とダンテが突然喚いて暴れ出した。ダンテは本棚に整然と並ぶ本を片っ端から
バージルに向かって投げ付け、近寄るなと喚き散らした。
何がどうなってそんな行動に出たのか、バージルには判らなかった。ただダンテに浴衣を着せ、
そのまま交合をしようといつものように下肢をまさぐってやっただけだ。だけ、とはまさしく
仕掛ける側の一方的な考え方であるが、バージルはそんなことは省みない。
馬鹿、だとか、死ね、だとか。とにかく喚くダンテをどう宥めたものか、バージルは柄にもなく
迷った。ダンテといえば、興奮しすぎた為か目に涙を溜めている。今にもこぼれ落ちそうな大粒の
雫を、ダンテは自分で気付いていないわけもないだろうに。
「ダンテ、」
投げるものがなくなり、それでもバージルが近付くことを許さず威嚇してならないダンテを、
一つ呼ばわった。ダンテはしかし、目を吊り上げて睨んでくるばかりだ。バージルは肩を竦めた。
それがまた、ダンテの癇に障ったらしい。
「アンタはいっつもそうだ! 自分のことばっかで俺のことなんか……ッ」
ぼろ、とダンテの目からとうとう涙がこぼれ落ちた。後から後から、堰を切ったように流れる
涙を、ダンテは拭うこともしない。
「アンタなんか大っ嫌いだ!」
脱兎の如く、ダンテがドアへと走る。バージルはほとんど反射的に、ダンテの細い腕を掴んだ。
離せ、と暴れるダンテを抱き締めることで腕の中に閉じ込める。
「落ち着け」
だったら離せ、というくぐもった声。
「離せば逃げるのだろう」
当たり前だ、とは返らず、無言の肯定。
「何が気に入らぬのか、はっきり言え」
困り果てて言えば、ダンテが力一杯バージルの背中を殴った。何がじゃねぇよ、と喚いている。
自分でもどう言葉にして良いのか判らないのか、やたらめったらバージルを殴るばかりだ。細い
腕では、バージルにさしたるダメージも与えられないと、ダンテも判っているだろう。しかし
殴らずにおれぬのだということくらいは、バージルにも判らないではない。
「ダンテ、」
名を呼んだからといって、ダンテが落ち着くとは思わないけれども。ダンテ、と。ただ名
を呼ばわる。
ダンテの躰が、震えている。
「ダンテ?」
少し、腕を緩めた。俯いたダンテのつむじを見下ろし、暴れた所為で乱れた髪を手櫛で梳く。
「ダンテ……」
また一つ、呼ばわる。今度こそ、応えがあった。
「ガキって、思ってんだろ」
どうせ、といじけるさまは可愛いと思うが、卑屈になるのは可愛くない。
「何故だ?」
「だって……いきなり喚いて、馬鹿みたいに……」
「驚きはしたが、餓鬼とも馬鹿とも思わん」
ひく、とダンテの肩が揺れる。嘘だ。呟きを、バージルは聞き漏らさなかった。
「何故嘘だと思う?」
「……こんな、暴れたし……」
小さな声だ。自分のしたことが、今更のように恥ずかしいのに違いない。
「いつもの喧嘩なら、ものを飛ばすだけでは終わらぬだろう」
酷いときには剣を打ち合わせ、血を流しても終わらぬこともある。バージルがそれを言えば、
ダンテは「そうだけど」と口ごもった。
「でも、俺……」
「ダンテ、俺はお前が何に腹を立てたのか、判らん。理由を言え」
どうしてこんな言い方しか出来ないのかと、頭の片隅で思う。が、昔からこんな言い方しかして
来なかったのだ、今更柔らかな言い回しなど出来るわけがない。
ダンテは髪を梳くバージルの手を煩わしそうに払いのけた。しかし腕の中から逃げることはなく、
バージルも黙って手をダンテの背に回した。
「アンタさ、俺のこと、どう思ってる?」
意図を図り兼ねて、バージルは眉を寄せた。
「どう、とは?」
「俺がこのカッコのまま元に戻らなかったら、どうする?」
今のダンテの状況をどう考えるのか、という意味だったらしい。合点入ったが、どう答えた
ものか。
「……お前が早く元の姿に戻りたがっていることは、知っている」
「そんなこと聞いてんじゃねぇんだ。……戻らねぇほうが良いって、思ってるんだろ?」
そんなことはない、とバージルは即座に否定した。ダンテがちらと顔を上げる。疑いの色が
濃い瞳だ。
「小さいお前も確かに良いが……」
「やっぱりかよ」
「だからと言って、このままでいれば良いなどとは思わん」
躰が縮むなど、明らかに異常だ。その異常な状態をもう一年も続けているのだから、目には
見えずともダンテの躰には何らかの負荷がかかっていると見て良いだろう。現実的な観点から
言っても、ダンテはあまり長くこの姿でいるべきではない。
そう言ってやれば、ダンテは何とも言えぬ表情で唇を噛んだ。
「……やっぱり、このままが良いって思ってるんだ」
「何故そうなる」
「だってそうだろっ? アンタの言ってるのは現実問題で、アンタの望みじゃねぇんだろ!?」
一瞬、言葉に詰まった。それが悪かったのだと、バージルにも判りすぎる程判る。
止まっていた涙が、またぞろダンテの瞳から溢れ出す。
「俺はっ……俺はアンタの人形じゃねぇんだぞ……っ!?」
元の姿に戻れないという焦燥を、バージルが煽ってしまったのだろう。軽い性格をしている
ダンテだけれども、一年は長すぎた。バージルがまだ遊び足りぬとばかりにダンテを扱った――――
自覚はないが――――為に、ダンテは我慢の限界に達してしまったのだ。
「馬鹿バ……ジル……っ、だ……っ嫌いだ……!」
子どものように泣きじゃくるダンテを、バージルはしばらく放置した。下手に宥めるよりも、
泣けるだけ泣かせてやるべきだと感じたからだ。泣いて、喚いて、静かになったら、涙を拭って
やろう。
「くそっ……、何でだよぉ……っ」
可愛い、可哀想なダンテ。バージルにとって、ダンテはどんな姿をしていても可愛い弟である
ことに変わりはない。
小さな嗚咽が治まるのを待って、バージルはダンテの頬に手をやり顔を上げさせた。ダンテは
いやいやをするように首を振る。バージルは辛抱強く、ダンテが落ち着くのを待った。
「ダンテ、聞け」
静かに声をかければ、ダンテはむずがるのをやめた。まだ顔を上げようとはしないが、まぁ
良いだろう。
「俺はお前がお前であるなら、姿形には全く拘らん。お前が元の姿に戻りたいなら、それは同時に
俺の望みでもある」
ダンテがそうありたいと願う姿を、バージルは望む。無論、子どもの姿を惜しまぬわけでは
ないが、それはそれだ。戻れるのならば、それが一番だ。
「本当かよ……?」
「俺は嘘は吐かん」
お前だけには、絶対に。囁くバージルに、ダンテはようよう顔を上げて見せた。泣いて赤く腫れた
目が、まるで兎のようだとバージルは思う。涙の跡に唇を寄せ、舌で拭った。手で擦れば、
いっそう腫らしてしまう。
キスをしながら涙を拭っていると、ダンテの表情が段々とろんと溶けてくる。
「んぅ……」
バージルはダンテの少し肉厚の唇に口付け、囁いた。
「俺が元に戻してやる」
その言葉を、ダンテは内心では疑っていたのかもしれない。しかしダンテはこくんと頷き、
自らバージルに口付けた。
不安、だったのだろう。バージルの言質を取ることで、ダンテは一応の安堵を手に入れ、どうにか
平静を取り戻した。
可愛い、可哀想なダンテ。
バージルはダンテの痩身を抱き、さてどうしたものかと思う。ダンテがその身に受けた毒を、
どうやって解毒したものか、具体的な策はもちろんない。
(まぁ、一先ずは……)
安らかなダンテの眠りを可能な限り持続させられるように。バージルはダンテの細い腰を
抱き寄せ、瞼を下ろした。
情緒不安定なダンテちゃん。
そろそろ打開策を案じてあげましょう、兄。