彩無イロナキ









夕闇は次第に濃さを増し、やがて何もかもを覆い尽くす。在るべき陽は今は隠れ、闇が半眼を 開いて暗き世界を支配する。





何かがあるとき、バージルは決まって不在だった。その日も、そう。



あまりふらふら出歩くなとバージルに言われたダンテだが、閉じこもっていては気が滅入る ばかりだと、鬼のいぬ間に酒場に繰り出した。
いつものようにストロベリー・サンデーを食らい、ジン・トニックを軽く飲んで気分が上向きに なったところで、馴染みの情報屋が店を訪れた。バージルに仕事押しつけて、お前は酒盛りか。 嫌味ったらしくのたまう頭をぶち抜いてやろうかと、銃を引き抜いた。てめぇが興の乗らねぇ 仕事ばっか持って来るからだ。言えば情報屋――――エンツォは両手を上げて冷や汗をかいた。

「お前が選り好みしすぎるだけだ! 文句があるんならお前にはもう回してやらねぇぞ?」

ダンテは肩を竦め、そりゃ無理だな、とせせら笑った。

「俺が人気者だってことくらい、知ってるだろ?」

グラスに残ったジン・トニックをくいっと飲み干し、顔を歪めるエンツォと酒場を切り盛りする 親爺に片手を挙げて店を出た。面倒な仕事を請ける気はなく、押しつけられる前にダンテは 逃げた。
エンツォは意外にしつこい。あっさり引き下がることもあるが、依頼主によってはダンテが 請けると言うまで頑として諦めない。一生の頼みとやらをもう何度聞いたことか、ダンテは思い 出してげんなりした。

今はまだ、仕事をする気にはなれないダンテだ。かと言ってバージルばかりに任せてもおれず、 近いうちに復帰するつもりはしている。けれどもう少しだけ、それを先延ばしにしたいのだ。

あのことは、まだ記憶に新しい。ふとしたことで思い出してはぞくりとして、己が情けなく なる。
もう気にしないと決めたではないか。あの男には先日も遭ったが、触れられても不思議と嫌悪は 感じなかった。……嫌ではなかったと、そういうことなのだろうか。

バージルがいつも言っている。お前は淫乱だ、と。言われるたびに、誰の所為かと泣きたくなる。 好きでこんな躰になったのではないし、なりたくてなったわけでもないのだから。しかしダンテが 快楽主義者であることに違いはなく、セックスによる快楽はダンテを否応なく捕らえて離さない。
気持ちの良いことは何であれ好きだ。それがバージルには気に食わないのだろう。ダンテに男を 教え、快楽を仕込んだのは自分だと判っていても。

奇妙なところで潔癖なバージルにとって、あの男に犯されたダンテはどのように見えているの だろうか。あれから何度も躰を繋げてはいるが、バージルの本音はダンテには見えない。やはり、 ダンテを穢れていると思っているのだろうか。……きっと、そうだ。

セックスはしてくれる。それはバージルにとって、ダンテから穢れを拭う意味合いが強いのでは ないか。だから毎晩、仕事があって朝方に帰って来た日ですら、執拗に、念入りにダンテを抱く のではないのか。

……バージルの考えることは、ダンテにはこれっぽっちも見えない。昔から、そうだ。

躰が斜めに傾いていきそうな程、陰鬱な気分で暗い路地を歩く。バージルのこととなると、どうにも 駄目だ。他のことを考えられなくなって、思考が穴に嵌まるようにそこから抜け出せなくなって しまう。
ほんの少しで良いからバージルの考えることが見えれば、こうはならないのかもしれない。 けれどもバージルは、ダンテに一切心を見せようとはしないのだ。
襟首を掴んで、問い詰めても無駄だろう。だから、嫌なのだ。

(汚ねぇよ、バージル……俺ばっかアンタに振り回されてる)

唇を尖らせ、むすっとする。
幼い頃、ダンテにとってバージルは絶対だった。自覚しているわけではないが、事実、幼い ダンテの世界はバージルが総てで絶対だった。ただバージルの手を握っていればそれで良かった。
出来るものならあの頃に戻りたい――――そう思わないでもない。盲目で、無垢だったあの頃に。 ただひたすらバージルだけを見て、盲信していた幼い頃に。

(でも、無理だ)

時間は戻らない。もしも戻れたところで、何の解決にもなりはしないのだ。そもそも、昔の彼ら には明らかな上下があった。対等を望むダンテに、もはやそれは堪えられないだろう。

(あー、嫌だ嫌だ。うち帰ってシャワー浴びて寝よう)

鬱々とした思考を頭を振って追い払い、ダンテは急ぐでもなく自宅へ向かった。



それは玄関口――――ドアを背にしてそこにあった。初めは黒い塊があるようにしか見えなかった。 しかしただの塊ではないと、すぐに気付いた。
黒い塊に見えたのは、それが黒ずくめの服を着、蹲っているからだ。よくよく見れば、髪は白い。 誰なのか、ダンテは近付かずとも判った。あの男だ。

「……んで、こんなとこに」

声に出して呟いても、それはぴくりともしない。ダンテの気配にすら気付かない様子で、 どうにも不審だ。何をか企んでいるのかもしれない。が、男は策を弄してダンテを陥れる必要など なく、正面からぶつかってもダンテよりも一枚上手だ。策でないなら、これはいったい何の 真似か。

「おい……?」

近付いて、厚みのある肩をちょっと揺する。それでも男は微動だにせず、まるで死んでいるかの ようだ。

「何なんだよ……」

元兇であるこの男――――人間ではないが――――が何を考えてここにいるのか、ダンテは 皆目判らず呆れるしかなかった。



バージルはまだ帰っていないらしい。ダンテは一回り程体躯の大きな男を、肩には抱えきれず 引きずるようにして屋内へ連れて入った。放っておいてもこの男は何もしないかもしれない。 復讐がしたいのだろうに、自分を二度も生かしたのだ。気紛れに二度目はない。三度目はどう するのか、ダンテには判らないが突然腹に穴が空くことはないと漠然と思う。
信用、しているのではない。しかしぼんやりとした確信を、ダンテは信じることにした。

――――うち、来るか?

先日、男に対してそう言ったことを思い出す。……だから、だろうか。冗談で言ったわけでは ないのは確かだが、もしやこの男は、それを真に受けてここに来たのだろうか。だとしたら、

(どうしたもんかな)

触れることにはさして抵抗はない。しこりが全くないと言えば嘘になるが、恐いとは思わない。 理不尽な蹂躙をされた側とした側。二人が揃うのはいかにも不自然で、ダンテに抵抗がないこと にはさらに疑問が沸く。
ダンテ自身にも、何故かは判らない。

ずるずると引きずり引きずりして、ダンテは男を自室のベッドに投げ出した。縁から落ちかかった 脚を上げてやり、靴を脱がせて一息吐く。男は全く目覚めない。それもまた異常なことだ。

ダンテは肩を竦めて男の躰にシーツを掛け、自分はくるりと踵を返して部屋を出た。じっと見て いても仕様がない。予定通りシャワーを浴びて、バージルのベッドで眠ろうと一つ頷いた。



朝、目覚めた男は何故かダンテを腕の中に閉じ込めた。触れるだけならまだしも、こうされると 無意識に躰が強張る。しかし逃げ腰になるダンテを、男は逞しい腕で抱き竦めた。うなじに濡れた 感触があり、そしてぶつりと何かが皮膚を破って肉に突き立てられた。猛獣のそれのように尖った 歯だ。すぐに引き抜かれ、傷の上を舌が這う。
ダンテは男の脇腹の辺りに手をつき、思いきり突っ撥ねた。

「……ってぇよ、馬鹿」

バージルもよくダンテの首筋に歯を立てるが、この男にまで同じことをされるとは思わなかった。 見上げなければならない男の表情は、何とも表現の仕様がないもので。

「……何だよ、そのカオ」

子どもみたいだ、と直感的に思ってダンテは笑ってしまった。何を笑う、と男は鼻の頭に皺を 寄せた。この男が自分を凌辱したのだと、ダンテは確かに判っているし、忘れるわけもないのだ けれども。

「……なぁ、あんたさ、やっぱここに住むか?」

男の眉がくっと寄る。

「……何故だ」

「いや、俺にも判んねぇけどさ」

「貴様の言うことは、理解に苦しむ」

そうだろう、とダンテは思う。ダンテ自身にも判らないのだから、男に判るわけがない。

「でも、あんた、ここに来たし」

「来たつもりはない」

「じゃあ誰かがあんたを運んだのか? まさかだろ」

首の後ろに手をやると、ぬるりとした嫌な感触。見れば指に血が纏わりついている。ため息を 一つ。男を睨もうとした矢先に、赤の纏わりついた手を取られた。

「あ? 何……」

指に這う、男の舌は紅く尖っている。ダンテの血を丹念に舐めるさまはまるで犬だ。ダンテは 呆気に取られ、男をただ凝視する。と、――――
突然、男がダンテの手を離して後ろに飛びすさった。ダンテの脇をすり抜けて、銀の光が伸びて いる。

「届かねば意味がないぞ」

「貴様をこれから引き離せれば上出来だ」

冷淡な声はバージルのものだ。バージルは細身の剣を抜いたまま、鞘を持った左の腕でダンテの腰を ぐいと抱き寄せた。

「何を馴れ合っている」

これはダンテに向けての言葉だ。

「何って、その」

「馴れ合った覚えはない」

男が唇を舐めて言った。ダンテの血が唇に付いていたものらしい。

「黙れ、貴様は消えろ」

バージルの低い恫喝に、男は何を思ってか、隻眼をダンテに向けた。

「……言われずとも、消えてやる」

背後の窓をがたんと開け、男は躊躇せず窓の外へ我が身を躍らせた。ダンテがあっと声を上げて 引き止めようとするのを、腕に力をこめて阻んだのは当然バージルだ。

「あれをここに上げたのは、お前か」

振り仰いだダンテを見据えるバージルの双眸は、冴え冴えと蒼い。



















戻。



危うくベオが棲み付くところでした。…それのが良かったか…?