帰路オカエリ









考えても考えても答えの出ないものは、いっそ考えないほうが良い。





新聞を広げる手。コーヒーカップを持つ指。短く切り揃えた爪――。

「……何だ」

低いテノール。短い言葉。

「んー……べつに?」

首を傾げて見せれば、そうか、なんて素っ気なく返される。会話が弾むのを期待しているわけでは ないけれど、もう少し言いようというものがあるだろうに。
この男に求めるのは、無駄なことだと判ってはいるのだけれども。
少しだけで良いから、と思うのはいけないことだろうか。

ため息を一つ、膝に落として腰を上げた。
ちらと視線だけを寄越して来たバージルに、

「そのへん、ぶらぶらして来る」

と言い残してリビングを後にした。





街灯もろくにない暗い路地に出ると、どこからともなく黒い塊が現れ足許にすり寄って来た。 ダンテは腰を折ってその塊を拾い上げる。

「どこにいたんだよ、お前?」

気紛れな塊――――黒猫は、教える必要はないと言わんばかりに大きな口を開けて欠伸をした。 小憎らしい顔に鼻面を近寄せると、ちろりと鼻の頭を舐められる。ざりざりとした舌の感触に眉を しかめるが、かと言って不快ではない。

「なぁ、ユタ、ちょっと付き合えよ」

近場を散歩するだけでは、何となく勿体ないくらいの綺麗な月夜だ。ダンテがユタと名付けた 黒猫は、もう一つダンテの鼻の頭を舐めた。仕方ないな、とでも言いたいのだろう。

バージルとユタは何故だか折り合いが悪い。ついこの間も、ユタをキッチンに近寄せるなと険悪な 小言を食らったばかりだ。お前の持ち物なのだから、ちゃんと躾けをしろと言われたこともある。 しかしダンテからすれば、ユタを飼っているわけでもないのに躾けをするなどおかしい、と言いたい のだ。
ダンテはユタという名をやり、棲処を与えはしたが、決して強要はしていない。ユタがダンテと ともに来ることを選び、名付けられることを享受したのだ。だからユタは、飼い猫ではない。時折 姿を消すこともあるし、餌をやらなくても勝手に腹を満たして戻って来ることもある。
つかず、離れず。しかし気付けば視界の端に黒い塊がいることに、ダンテはすっかり慣れて しまっている。

肩にユタを乗せたまま、ダンテは酒場に立ち寄るでもなく歩いている。首筋に、暑苦しくない 程度に毛皮をすり寄せるユタの、長い尻尾は反対側の肩の上だ。ふにりとした感触が気に入りで、 以前ユタの尻尾の毛を逆立てては撫で付けを繰り返していると、べしっと顔面を尻尾で殴られたこと がある。遊ぶな、と睨まれ、首を竦めたものだ。

ビルに隠れていた月が顔を出す。冴え冴えと蒼い月は真ん丸で、大きい。ぼんやりとバージルを 思わせる冷ややかな蒼に、ダンテはため息を吐いた。

「にゅう……」

奇妙な鳴き声。ユタが小さく鳴いてダンテの頬に鼻を押しつけた。ダンテの心を読むことに 優れたこの猫は、恩着せがましくない程度にダンテを労ろうとする。ふやりとした毛皮の感触と、 妙な声。底の見えない湖のような青い目を覗き込むと、不思議と気分が浮上するものらしい。

「ありがとな」

顎の下を指先でくすぐってやれば、ユタはごろごろと喉を鳴らして目を細めた。ふてぶてしい 所作をするときもあるが、ユタは可愛い。それなのにバージルはどうして、この猫を邪険にするの だろう。

「……まぁ、可愛がってるとこもあんまり見たくないけどな」

くすっと笑う。ユタを可愛い可愛いと言って相好を崩すバージルなど、想像も出来ない。それなら いっそ、邪険にしているほうがバージルらしいと言えばそうかもしれない。ダンテにすれば、 もう少しだけ態度を軟化させても良いのではないかと思うのだ。
ユタもユタである。バージルには一切懐こうとしないこの猫にも、原因はある。ダンテを間に 挟んで、いがみ合うわけではないがそれに近いものを感じさせるバージルとユタに、ダンテは ため息が出る。

「何で俺が気ぃ遣わなきゃなんねぇんだよ」

呟いた頬をざりりと舐められ、ダンテは肩を竦めた。悩んだところで、どうしようもない ことだ。
盛大なため息を一つ、アスファルトに落としたとき、ユタが不意に毛を逆立てて威嚇するように 唸った。ダンテもあからさまな殺気を感じており、しかしユタと違いこちらは不敵な笑みでそれを 迎えた。

「ダンテ、だな?」

野太い男の声。ダンテはひょいと肩を竦めた。

「……だったら?」

男はにぃと上品とは言えぬ笑みを浮かべた。

「俺の為に死んでくれよ」

ユーモアの欠片もない言葉にかぶさるように銃声が響く。フルオートのサブマシンガン。 ダンテを確実に仕留める為に用意したのか、それとも愛用の銃なのか、どちらでも良いことを 考えながら、ダンテは弾丸の雨を前に嘆息した。はっきり、詰まらない。
避けろ、と耳許で声がしたのと、アスファルトを蹴ったのとはほぼ同時だった。薄手のコートに 穴が一つ。舌打ちしながら、右手のビルの壁を蹴った。銃弾はダンテを追って撃ち込まれるが、傷が いくのはコンクリートばかり。埃っぽい路地で乱射するものだから、煙が立って自分で自分の視界を 悪くしていく。

「逃げてばっかりか、この腰抜け野郎!」

挑発も安い。ダンテは白い土煙の反対側でうんざりした。暇潰しにもなりはしない。こんな馬鹿の 相手など、早々に終わらせて家に帰ろう。
腰に巻きつけたホルスターから銃を一挺、仕方なしに抜いた。それにしてもこの男は何ものなの だろうか。見たところ顔つきも雰囲気も堅気ではなさそうだ。ダンテを知って、単独で狙ってくる からにはマフィアの類でもないようだが、そうなると同業者しか選択肢は残って来ない。
若輩でありながら、すでにその名の知れ渡っているダンテを、討ち果たして名を上げようとする 輩は時折いる。これもそういう、楽をして名を上げようという人間だろう。

「詰まらねぇな……」

これならまだ、家でバージルの小言を聞いているほうがましに思えてくる。バージル。腹の立つ ことは多いけれど、それでもやはり、ダンテはバージルとともにいる。離れようと思わないのは 口にするのも寒気がする想いの所為か、それとも。

「避けろ、馬鹿っ」

ぺしっと何か柔らかいもので頭をはたかれた。あ、と自分の腹を見下ろすと、穴が三つ程開いて いる。ぼんやりしていた所為で、弾をまともに食らってしまったらしい。

「あー……」

白に近い銀髪をぐしゃぐしゃと掻き、また叱られる、と鼻の頭に皺を寄せた。
手応えがあったことに意気揚々と声が上がる。うぜぇ、とダンテは辟易して銃身で肩を叩いた。

「世話の焼ける……」

このぼやきは誰のものなのか。けれどダンテは不思議と疑問には思わなかった。

「仕方ねぇだろ、だりぃんだから」

はぁ、と耳許でため息が。

「面倒がってさっさと片付けないから、腹に穴が開くんだ」

「へいへい。今片付けますよ」

撃たれたというのに呑気に会話をしているのが聞こえたのか、突然絡んで来た男が何ごとか 叫んでいる。まだ生きてやがるのか、と聞こえるそれへ、悪かったな、とため息混じりに返して 銃を構える。
引き金を一つ、弾は土煙を吹き飛ばして男の大腿を貫いた。ぎゃあっ、と喚いて銃を取り落とした 男へ、ダンテは冷ややかな視線を呉れる。

「うぜぇんだよ。頭ぶち抜かれなかっただけましだと思えよな?」

人は殺さないのがダンテの信条だ。そんなダンテを甘ちゃんと言って蔑む荒事師は少なくない。 しかし男はそれを知らないらしく、間抜けにも腰を抜かしてしまっている。そんな男の様子に ダンテのテンションがさらに下降したところへ、奇妙なものが銃身にとまった。
それはやけに大きな一羽の鴉だ。ダンテのまだ熱を残した銃に羽を休め、うっそりと黒曜石の ような目をダンテに向けてくる。まるで挨拶でもするように。

夜に鴉が飛ぶことも奇妙だが、あえてダンテの銃を止まり木にするのも奇妙な話だ。羽の根元を 嘴で掻く鴉に、ダンテはどうしたものかとぼりぼり頭を掻いた。
何様のつもりだ、と耳許で声がする。鴉は気にしたふうもなく羽の付け根を掻くばかりだ。

「……コレ、下ろしたいから乗るならこっちにしてくれ」

ユタの乗っているほうとは逆の肩を顎で示せば、鴉はひょいとダンテを見やり、思いの外大きな 羽を広げふわりとダンテの肩に飛び移った。巣に戻る気はないのか、肩に落ち着いた鴉をユタが やけに威嚇してならない。

「人の肩で喧嘩すんなよ」

呆れながら呟き、帰路へと就く。ユタは苛々と尻尾を揺らし、鴉は何食わぬ顔だ。





結局鴉は自宅の玄関先でようやくどこかへ飛び去り、清々したという呟きを耳に聞きながらドアを 開けた。バージルは自室にいるらしい。真っ直ぐそちらに向かうダンテの肩には、もうユタの姿は なくなっていた。

「……バージル、」

まだ眠っていないだろうと踏んでいた通り、バージルは机で本を広げている。

「帰ったか」

短い言葉にうんと頷き、ダンテはバージルのそばに寄ってぺたりと床に座り込んだ。ただいま、 とは言わない。おかえり、とも言わない。自分たちはいつもこうだ。
ダンテはバージルの膝に頭を乗せた。何も言わないバージルに倣うわけでもないが、ダンテも 何も言わなかった。バージルの指がダンテの髪に触れ、ひと房巻き付けてはつんと引く。薄い皮膚が 僅かに引きつるのが心地好くて、ダンテはひそりと息を吐いた。





何も言わなくても良いから。何も聞かないから。だからもう少しだけ、ここにいさせて。

ただいま。

その言葉は言わないけれど。

ぼくの帰る場所はここだけだから。



















戻。



猫に引き続き、鴉でごめんください。すいませんでした。
黒猫編にする意味はあったのかどうなのか…。