半生ハンショウ









しんと耳が痛む程に静まり返った家の片隅に、彼は膝を抱えて蹲る。開いているのか定かでは ない目は中空を彷徨い、悄然としたふうに時折もれるため息は重い。

静寂を破る音が彼の耳に微かに届く。事務所の電話だ。古ぼけたそれに見合った呼び出し音。 しかし応えて受話器を上げるものはなく、電話は虚しく家主を呼び続けるだけだ。
彼にはその場から動く気力もない。もう一人の同居人はどこにいるのか――――彼にはそちらこそが どうでも良いことだけれど――――、鳴り続ける電話の呼び出し音には悲壮な響きが混じっている ようにすら思える。

(うるせぇ)

声にはせず呟けば、電話の向こうの人物に聞こえたかのように呼び出し音がふつりと途絶えた。 しぃんとなったことに満足して、彼は瞼を閉じる。

彼は普段、自分を主としない喧騒が気になって苛立つようなことはない。むしろ騒がしいのは彼の 好むところで、彼自身も理由は何であれ騒ぐのは好きだ。派手なことが好き、と言うのだろう。 常時テンションが高めに設定されている彼は、ちょっとしたことでもすぐに乗って盛り上げる タイプだ。大人しくしていることもあるが、それは好物のストロベリー・サンデーに挑んでいると きくらいのものである。

その、彼が、

自室のベッドで膝を抱えて小さくなっている姿など、誰が想像出来るだろうか。彼自身とて、 まさかこんなにも鬱々とした状態に陥るとは思わなかったに違いない。もっとも、今の彼に自分の 姿を省みることは出来ないのだけれども。

ジリリ……ン――――

止まっていた時間が動き出したように、電話がまたしてもけたたましく鳴り始めた。彼は一度膝に 顔を埋め、何かを断ち切るようにベッドから下りた。もう数日、飲まず食わずでいた為か立ち 上がった瞬間床が揺れる。長いため息を吐いて彼は鍵をかけっ放しにしてあるドアへ近付いた。 ドアの向こうに、人のいる気配はない。




『―――― Hello?』

「おう、ダンテか? 俺だ」

何度か掛け直した甲斐があり、ようやく電話が繋がったことにエンツォはほっとした。火急の 用があるわけではないが、ここ最近、回線の向こうの人物と連絡がつかなかったので柄にもなく 心配などしていたのだ。ただ、何となく電話の向こう側から聞こえる声が沈んでいるように 感じるのは、気の所為だろうか。

『エンツォか……何の用だ?』

ため息混じりに問われ、エンツォはちょっと眉を顰める。

「ご挨拶だな、オイ……って、待て、……バージルなのか?」

あまりのテンションの低さに、エンツォはダンテとその兄とを勘違いしたかと汗を浮かばせた。 ダンテの兄であるバージルは、ダンテとは似ても似つかぬ程物静かな威圧感を背負った男だ。 ひやっとしたエンツォに、回線の向こうから「いや、」と低い声が返って来る。ダンテで合って いるというならば、このテンションの低さは一体何なのだろう。エンツォは首を捻った。

「ダンテ、お前、何かあったのか?」

例えばバージルと盛大な喧嘩をしたとか。口にはしなかったが、違うだろう、とエンツォは肩を 竦めた。何かにつけてすぐ喧嘩に発展する彼ら兄弟だが、ダンテがこうも落ち込むような喧嘩を エンツォは見たことがない。結局、仲睦まじいのだとエンツォが呆れるくらいに、彼らは喧嘩を しても後腐れがない。
さて、それでは何故、ダンテはこんなふうなのか。

『別に何もねぇよ。で、何の用なんだ?』

「あ? あぁ……最近酒場に顔出してねぇだろ? お前らご指名の依頼を預かってるんだよ」

飯の種だぜ、と餌をちらつかせるエンツォに、しかしダンテは気乗りしないふうだ。

『俺ら……二人にか』

「あぁ、そうだが。ん? バージルがどうした? まさか別な仕事に掛かりっきりとか言わねぇ だろうな」

『さぁな。ツラも見てねぇから、どこにいるのかも知らねぇ』

「は? 何だ、そりゃ。おい、ダンテ。お前、兄貴のツラも見てねぇって、どういうことだ」

酒場に繰り出す頻度はダンテのほうが高かった。しかしその半分はバージルが同席していたし、 仕事の依頼にしてもバージルとの共闘を求められれば声を弾ませていたダンテだ。それが、 しばらく顔も見ていないと言う。
ただの兄弟なら判らないでもないが、エンツォの知る彼らはおよそ片割れから離れることを しなかった筈だ。ダンテがバージルを慕っているのは明らかで、バージルがダンテを大事にして いることも何となくだが伝わって来た。二人で一人なんだろう、とエンツォは双子の不思議な絆に 嘆息したものだ。それが、何だ。

「ダンテ、俺はお前のプライベートに口出しする程野暮じゃねぇが、答えてくれ。お前…… 大丈夫なのか?」

真剣な声で問うエンツォの耳に、くすくすとダンテの笑い声が届く。

『あんたがそんな、心配性とは知らなかったな』

「……俺も今知ったとこだ。で、どうなんだ?」

数秒、沈黙が下りる。エンツォが言葉を重ねようとしたとき、

『……俺は大丈夫だよ』

それだけを言って、電話は切れた。慌ててもう一度掛け直すが、電話線を切ったのか、呼び出し 音すら鳴らなくなっている。

「どこが大丈夫なんだ、あの坊やは……」

呆れてものが言えない。エンツォはしばらく受話器を見つめ、がちゃんと本体に投げ付けて玄関へ 走った。取るものも取りあえず、ただ走る。

「何で俺がこんな……っ」

ぶつぶつと文句を言いながら、いつからこんなに心配性になったのかと、ダンテではないが 笑いたくなった。





受話器を置いてから、仕事の話がどうのと言っていたことを思い出した彼だったが、ため息一つで 忘れることにした。どうせ請けようにも、彼一人を指名した仕事でないなら仕様がない。彼の 片割れはどこにいるのか、彼は本当に知らなかった。自室にいるのか、いないのか。外に出ている のか、いないのか。何一つ、彼の預り知らぬことだ。
どうせ、いたところで何が変わるわけでもない。片割れは彼を見限った。それだけが彼にとっての 真実で、それ以上でも以下でもない。そして彼は、片割れを拒んだ。

捨てられるなら先にこちらが手を離してしまえば良い。片割れが夢の中での幸福を大事にするの なら、あぁそうかと言って突っ撥ねれば良い。それだけのことだ。

なのに。

「なんで、……」

何をする気力もなく、何をする力も失せた手を見下ろした。父の形見の剣は、今の彼には握る ことも出来ないだろう。
割り切ったと思っていた。突っ撥ねて、こちらから見限ってやったと鼻でせせら笑って、 それで、

「……どうなるってんだよ……」

自嘲の笑みがもれる。夢の中で逢う“片割れ”は、彼を慈しむことこそしないが彼を捨てることも ない。それで良いと思った。こちらの片割れが自分を捨てるなら、夢に縋ろうとした。片割れと 同じことをしているだけだと、満足のいったふりをして。

「なんでだよ……」

搾り出すように滲んだ涙が一粒、彼の頬を伝って黒檀のデスクにぽたりと落ちた。引き千切った 電話線を投げ出し、デスクに手をついてずるずるとくずおれる。

どうすれば良いのかなんて、考えるだけ無駄なこと。それでも考えずにはおれぬのは、このまま では駄目だと心の片隅で膝を抱えた自分が叫んでいるから。

「……いやだよ……もう、いやだ……」

後から後から溢れる涙が顔を濡らし、服に染み、床に水溜まりを作る。飲み込むことの 出来なかった嗚咽が、静寂に満ちた事務所にやけに大きく響いて嫌になる。けれど涙は絶えず、 嗚咽はひどくなるばかりで。

「……バ……ジ、ル……」

どんなに泣き暮れても、想う相手に届かなければ意味はない。

鳴る筈のない電話が、鳴った気がした。警報のようなその音に、彼は眉を顰めて固く瞼を 閉じる。

もう誰の声も彼を目覚めさせることは出来ない。ただ彼の切望する声だけが、彼を夢から揺り 起こす。けれど、

(ダンテ、――――)

その声の先にいるのは自分ではないのだと、彼は知っているから。





彼はひとり、塩辛いばかりの池で溺れ死ぬ。



















戻。



子兄を絡められませんでした。無念。
ちょっと外の空気を取り入れたかったんです…。