迷彩マヨイイロ









古い、城のような屋敷の“掃除”がその日の仕事だった。城のような、と言っても建物自体は 三階建てでしかなく、部屋数は多いとはいえ二人掛かりならばさして時間は掛からない筈だった。 屋敷に巣食った悪魔はどれも弱く、ただ群れているだけ。それが何故あんなことになったのか、 彼は思い出そうとして両手を見下ろした。
見慣れた掌には、これといって変わったところはない。左の掌だけは、時折思い出したように 疼くことはあるが、それだけだ。あの時の傷は、もう消えた。自己治癒力は尋常の人間の数十倍。 掌を貫通する傷ですら数分もすれば塞がってしまうのだが、しかし。

記憶が消えることはない。

ダンテはぞくりと肩を震わせ、首を左右にした。凌辱の記憶は生々しく脳に躰に刻み込まれ、 ダンテを望まず震えさせる。
怖かったのではない。屈辱ではあったが、それはダンテが男だからだ。理不尽な征服をよしと する程、彼の矜持は低くはない。ダンテは不思議でならないのだ。そして情けなくてならない。
あの後、このベッドでバージルとセックスをした。途中で気を失う程気持ちの良いセックスだった というのに、凌辱の記憶がそれに勝ってしまうのである。それが、悔しい。何か、負けたような気が してならないのだ。

大きなため息を一つ、吐いてベッドから飛び下りる。ぐずぐずと燻っていても仕様がない。男の 自分がこんなことで落ち込んでいてどうするというのか。
ぐっと伸びをして、半袖シャツとジーンズに着替えて部屋を出た。

いつもとは違う目覚めの後は、いつもと同じ薄めのエスプレッソ。淹れてくれるバージルも、 いつもと変わったところはない。同じ朝――――いや、もう昼か――――、変わらぬ一日の始まり。
いつもと少しだけ違うのは、ダンテ一人。

「どうした」

バージルが問うてくる。ダンテは首を巡らせてバージルを見やり、べつに、と首を左右にした。

「なんで?」

おかしな素振りでもしていたかと、内心ぎくりとなりながら問い返す。バージルは「いや、」と さらりと否定し、自分の分のエスプレッソを手にこちらにやってくる。
ソファーを背凭れ代わりに床に座り込むダンテの左、ソファーに腰掛けたバージルの長い脚に、 ダンテはぽふりと凭れかかった。頭を膝に乗せると、バージルが何を言うでもなく髪を撫でてくる。 指に髪をひと房巻き付け、痛くない程度につんと引く。程々に短い髪はするりとほどけ、また巻き 付けては引っ張るを繰り返すバージルの、節のちょっと高い指がダンテは好きだ。

いつもと変わらない、バージルの仕種。前の晩、どんなセックスをしていようとも、朝になれば その名残を一切感じさせないところは相変わらずだ。引きずっているのはダンテだけ。気遣って 欲しくなどないし、優しくして欲しいわけでもないのだけれども、少しだけ――――ほんの 少しだけ物足りないと感じてしまう。
引きずっているのは自分だけ。そんなことは、よく判っているのだけれども。





とん、とコンクリートを蹴った。バルコニーの桟をもう一つ蹴り、五階建てのアパートの屋上で 少し脚を止める。息は平常。月を見上げて眩しさに目を眇め、隣のビルに飛び移った。
風は僅かに、南から湿った空気を運んで来る。心地良いとは言えぬ夜、彼は一人、月の下に あった。

仕事はこの数日、ない。エンツォから紹介された依頼はいくつかあったが、どれも彼の気に入る ものではなかった。仕事を極端に選り好みする彼には、報酬の額など右から左だ。懐具合がいかに かつかつでも、気に入らない仕事はしない。それが彼のやり方だ。
いい加減にしてくれ、と綺麗には見えない頭を掻くエンツォ。肩を竦めてエンツォの持ち込んだ 仕事のいくつかを一人で引き受けた兄。お前も見習え、と余計なことを言うエンツォの言葉など 聞かず、彼は黙々とストロベリー・サンデーを平らげた。

そういう経緯があって、兄は現在仕事に掛かっている為不在である。だからという理由もなくは ないが、彼は一人、夜の街を飛び回っている。

使わない筋肉はすぐに脂肪に変わってしまう。常人とはそもそも躰の造りが違う彼は日々の 訓練などしたことはないが、それでも躰は少し放っておいただけで鈍ってしまうものだ。
夜陰に紛れてビルからビルへ飛び移りながら、彼は背中の大剣に手をやった。着地と同時に 黒い塊を両断し、剣を背中に納める。うぞうぞと周りを囲む悪魔の群に、彼は知らず笑みを 浮かべた。
腰に帯びたホルスターから引き抜いた銃の、掌に心地好い重み。

「臭いと思ったらやっぱりな」

この世と魔界とを繋ぐ穴が口を開き掛かって以来、こうして街のど真ん中に悪魔が転がっている ことがよくある。低級な悪魔は群を成して人を襲い、一ヶ所に巣を作る傾向が強い。先日の仕事が そうだったように。
記憶に縛られまいとするも、彼の躰はあれから数日が経ってもまだ震えを残している。気晴らしに 外を飛び回ってみても、月に照らし出された汚れた己をまざまざと見せつけられるだけだ。

ぐずぐず考えないと決めたというのに。

彼は愛用の銃を悪魔に据え、忌々しい記憶を振り払うようにトリガーを引いた。薬莢の奏でる 軽やかな音色が、女々しいばかりの思考を払ってくれないものかと、叶わぬことをふと思った。

雑魚がいかに群れていようと、彼の敵ではない。銃だけで総て退けたのは数分もかからぬうち。 いかにも派手な銃声に、ビルの根元で人がざわざわと騒いでいるのが判る。銃声には馴れたこの 界隈の人間でも、さすがに何が起こったのかと狼狽しているらしい。

面倒なことにならないうちに、離脱しよう。
彼は砂だらけになったコンクリートを蹴ろうとして、はっと後ろを振り返った。ざわりと首の 後ろが逆立つような感覚――――月明りを背に、それはそこにいた。
ビルの端、彼とは反対側に佇むのは見目は体格の良い男だ。しかしそれが人間ではなく悪魔で あることを、彼は知っている。

「てめぇは……」

月の光が逆光になって、顔は判然としない。それは両腕を垂らしたまま、 動かない。が、ひそりと笑ったのが彼には判った。

「好い夜だ」

いかにも機嫌の良さそうな、低い声。同意を求めるように言う男に、彼は鼻で笑った。

「確かに、な。――――詰まらねぇ雑魚ばっかで物足りなかったとこだ。遊んでくれるんだろ?」

銃口を交差させて構える彼に、男はやはりくつくつと笑う。

「少しはましになったか、試してやろう」

男が右足を僅かに動かした。じゃり、と足許の砂が音を立てる。彼の視覚に映ったのは、たった それだけだった。じゃり、とまた砂が鳴く。――――彼の目の前で。

「……ッ……!」

咄嗟に、飛んだ。何もない中空に投げ出された躰を捻り、隣接したアパートの屋根に猫の しなやかさで着地する。ばっと見上げた先には、何もいない。彼は後ろに向けて左に握った銃を 構えた。がちゃ、と銃身を掴む浅黒い手。彼は構わず発砲し、もう一つの銃を男の足許に向けて 撃った。
ふん、と男が鼻で笑う。

「また、手に穴を空けてやろうか?」

声は彼から数歩離れた先で響いた。低いバリトンは月夜によく通る。嫌なこった、と悪態を 吐きながら立ち上がった彼に、男は愉快そうに目を細めた。左目のある場所には剣によるもの だろう醜い傷跡があるだけだ。
残された右の目は紅く、炎が燃えるように揺らめいている。根深い 復讐心がいまだ燻っているのだと感じて、彼は内心辟易した。しかし一つ、疑問がある。

「……何であの時、俺を殺さなかった?」

背後を取られたことに関しては油断していたと認めるが、男は以前闘った時よりも遥かに強く なっていた。自身の油断だけが、ああなった理由だとは言い切れない。男は彼を完全に負かし、 しかし凌辱するだけで命は取らなかった。全身に刻まれた無数の傷は、それでも致命傷には ならなかった。
意識が閉じる時に自分はもう殺されるものと思ったのだが、しかしこうして生きている。兄に 助けられたのが半分、男があえて殺さなかったのが半分だと、彼は思っている。

問うた先の男が、つと眉を寄せた。渋みのある面立ちは左目の傷跡があっても精悍な印象を 失っていない。銃を握ったまま、しかし構えることなく垂らした彼のそばに、男はゆっくり 近付いて来る。
復讐に燃える紅い右目――――殺気は変わらず纏っているのだけれど、彼は何故か、銃を構えようと 思わなかった。

逞しい腕が伸ばされ、節くれ立った指が彼の顎をちょっと持ち上げる。自分よりも頭一つ分程 差のある長身を、彼はじっと見上げた。こうして見ると、本当に逞しい体躯をしているのだと、 感心するように思った。

「理由、か」

低い声が膚を撫ぜるようだ。自身にも答えが判らぬのか、男の眉間に刻まれた皺は深い。

「理由など、ない。あのまま殺してしまうのが、面倒だっただけだ」

囁くように言って、指が離れていく。彼はそれでも、男を見つめることをやめなかった。男は 何かを迷っているように彼には見えた。男もまた、彼から視線を外さない。
意地の張り合いのように視線を絡めたまま、どれ程が経ったか。はぁっと息を吐いたのは、彼の ほうだった。

「あのさ、」

ため息混じりに切り出し、頭を掻く。

「あんた、うち来るか?」

男の眉間の皺が深くなる。理解出来ない、と大書きされた顔。彼は思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」

憮然とした男の声。

「……で、どうすんだ? うちにはまぁ、口煩いのもいるけどな」

兄のことを仄めかすと、男は渋面を作った。

「……いらぬ世話だ」

と、と屋根を蹴って音もなく地面に降り立った男を、彼は別段、追うこともしない。

自分を凌辱した相手に、蟠りがないわけではないのだけれども。

「……また、な」

遠ざかる背中に、呟くように言葉を落とした。



















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私的萌えのカタチをお送りしましたすいません。
やはりベオの名前が出ません。どうしたものか。