比価
久しぶりによく飲んだと思う程度に、今日のダンテはよくグラスを空けていた。どうにも気分が
良くて、いくらでも飲める(飲みたい)勢いだったのだ。
それもそうで、今日は久々の“当たり”だった。ここしばらく外ればかり引いていた所為で、
自覚はあったがかなり鬱憤が溜まっていたのだ。それを一気に発散出来た今日の当たりに、ダンテは
羽目を外したと言っていい。
ストッパーであるバージルは不在――――別の仕事で明日にならねば帰らない。ダンテが羽目を外した
理由は、煩く小言を言うものがいなかったことが大きい。
気持ちが昂ぶったまま繰り出した酒場でも、ダンテは羽目を外したままだった。宥めるものも
なく、ダンテは飲んだ。
「そろそろ止めときな」
酒場の親爺がそう言って止めたのは、もうすっかり日付の変わった午前三時。店仕舞いだと言って
聞かせる親爺に、ダンテはむすっと唇を尖らせた。そんなふうにすると、なまじ整った顔立ちを
している為に妙に子どもっぽく見えるのだとは、ダンテは知らない。親爺は苦笑し、むくれる
ダンテの頭を掻いてやった。
「もう充分飲んだだろうが。脚がふらつかないうちに帰んな」
ぶっきらぼうな言葉。しかし親爺にとってダンテは可愛い息子か孫のような感覚でいる。
ストロベリー・サンデーを出してやれば満面の笑みで頬張るダンテが、駄々をこねれば可愛いと
思うのは明らかな贔屓目だけれど、親爺はそれでも良いと開き直っている。
「まだ飲み足りねぇ……」
膨れっ面のダンテに苦笑が濃くなるが、やはり迷惑には思えぬ親爺である。
「仕様のねぇ……」
無愛想で通っている自分が何という顔をしているのか、ここに別な客がいれば気味悪がられる
だろう。
親爺はどうあってもカウンター席から離れようとしないダンテを、さてどうしたものかとさして
困ったふうでもなく肩を竦めた。朝までここに置いてやっても、実際に問題はないのだけれど、
これ以上飲ませのは駄目だ。
「飲むのは止めとけ。アレ作ってやるから、喰ったら帰りな」
あれ、と聞いてダンテがカウンターに突っ伏していた顔をがばりと起こす。喜色の浮かんだ
その顔が、きらきらと輝くその目が親爺の気に入りである。
「待ってな」
こくっと頷くダンテに、親爺は喉で笑った。こうも素直に喜ばれて、作らないわけにはいかない。
ダンテにしか作らないストロベリー・サンデーの、材料はいつも二杯分以上揃えてある。おかわりと
言われてもすぐに用意出来るように――――これだから、ダンテばかりを可愛がると馴染みの客に
揶揄されるのだ。
いったん奥に引っ込み、慣れた手つきでサンデーを作る。余らしても仕様がない、と親爺が
大盛りになった器を手にカウンターへ戻ると、ダンテは今にも眠ってしまいそうな重たげな瞼を
持て余してうつらうつらしている。
「ほら、喰いな」
とん、と器を置く音で、ぱちっと目を覚ましたダンテ。眠気など知るかと言ったふうに
ストロベリー・サンデーに食い付くダンテを、親爺は黙って見守るだけだ。
ものの数分で大盛りのサンデーを食べ尽くし、ダンテはいかにも満足というように腹を撫でた。
程よく筋肉の付いた腹は、シャツの上からでも引き締まっているのが判る。この歳で便利屋などと
いう稼業を営むダンテを、しかし親爺はたしなめることはしない。余計な口出しをしないのは
この世界の常識だ。
人にはそれぞれ理由があり、一度きりの人生をどう送るかなど他者がとやかく言うものではない。
しかし、
(お前はこれで良いのかい?)
問うてやることが出来ない自分を、親爺は不甲斐ないと思う。
「ごちそーさん!」
こうして笑顔にしてやることしか出来ないけれど、それで良いのだと親爺は自分を納得させる。
「おう、旨かったか?」
「もっちろん! ここのサンデーは最高だぜ」
上機嫌なダンテに親爺も笑みが浮かぶ。そろそろ帰れと言いさした親爺は、『Close』の文字を
無視してどかどかと押しかけてきたならず者によって遮られた。店の常連ではない。しかし顔には
覚えがあった。最近この辺りにやって来た新参者の荒事師……だった筈。
「もう終いだ。字も読めねぇ坊やはとっとと家帰って寝んねしな」
「悪いな、親爺。そいつが終いの店に居座ってるって聞いたもんでさ」
目的はダンテか。親爺は舌打ちした。
「店ん中で暴れる気か」
「そいつを拾ったらすぐ出てくよ。それで良いだろ?」
数人の荒事師を率いたその男に、親爺はまた舌を打った。しかし自分がしゃしゃり出てダンテを
守る必要は、おそらくない。飲んでいると言ってもダンテのこと、新参者ごときに遅れは取るまい。
そう思ってダンテを見やった親爺は、自分の思い違いを一瞬にして悟った。
カウンターに突っ伏して、ダンテはすっかり眠ってしまっている。小憎らしい程の気持ち
良さそうな寝顔に、親爺は呆れて言葉もない。
ダンテが寝てしまっていることに気付き、男はかっとなったようだ。起きろだの、殺すぞだの
喚く程度の低い荒事師に、親爺のほうがうんざりしてしまう。寝たままのダンテを引きずって
行きかねないと、親爺はこめかみに青筋を浮かべるが、怒鳴る必要はなかった。
ダンテの首根っこを掴もうとした男の手が、誰かによって阻まれる。それは男が従えていた
荒事師の一人なのだが、何か様子がおかしい。
「何で止めやがんだ、てめぇ?」
どすの利いた恫喝に、しかし男は怖じたふうもない。
「汚い手で主に触れるなど、我らが許さぬ」
嗄れた声だ。一団の頭である男が思わず怯んだ程に、怒気を孕んだ声は何故かその男のものでは
ないようである。
「何だ、てめぇは!」
安っぽい誰何に、やはり男は動じる素振りもない。
「問われれば答えてやろうぞ」
「然り、答えぬわけにはいくまい」
声が二つある。いつの間にか、ダンテのそばには二人の男が壁のように、もしくは衛兵のように
寄り添っている。嗄れた、人とは思えぬ醜い声に加え、異常なものが嫌でも目に入る。ダンテを
背に、右に立ちはだかるものの右腕は朱に、左に立ちはだかるものの左腕は碧に染まっているのだ。
しかもそれぞれの手には奇妙な形の剣――――らしきものが握られている。
「我らは主を守護するもの」
「我らは主の盾であり剣である」
「主に害なすもの、即ち我らの敵なり」
「主の眠りを妨げるもの、即ち我らの敵なり」
滔々と交互に語る声はいかにも恐ろしい。言葉もなく立ち尽くす荒事師どものは、無意識に
だろう、じりじりと後ずさっている。
「兄者よ、主を説き伏せて供をしたのは正解であったな」
「然り。兄上殿の不在に何かあっては我らの名折れぞ」
「然り。それにつけても主には困ったものぞ」
「然り。己がどれ程男を吸い寄せるか、自覚が足りぬ」
何となく愚痴の様相を呈して来た。親爺はカウンターから、彼らの背中を呆気に取られて
見つめている。
「もし我らがおらねばどうなっていたか……」
「また兄上殿に付け入る隙を与えるだけではないか」
「否、兄上殿に遅れは取らぬ! 主を慰めるは我ぞ!」
「然り、我の技で以て主を慰めるのだ!」
論点がかなりずれてしまっていることに、彼らは気付いていないのだろうか。今や迫力の欠片も
なく、後退していた荒事師どもまでぽかんとしてしまっている。
立ち直ったのは、さすがと言って良いものか、荒事師どもの頭だった。
「な……何なんだてめぇらはっ!? 邪魔するんならてめぇらから殺すぞ!」
はた、とぐるぐる言い合いをしていた声が止まり。
「兄者よ、今はそれどころではないのではなかったか」
「うむ……我としたことが、何たる失態」
銃を構える荒事師どもに対し、二人(?)はぞろりと剣を構えた。ふざけた様子消え、ぴんと
張り詰めた空気に親爺は慌てる。
「てめぇら、出入り禁止にされたくなきゃ表ん出ろ!」
「……出入り禁止とは、何ぞ」
朱の右腕の男がぼそりと言うのへ、碧の左腕の男が「はて」と首を捻る。
「禁止と言うからには、出入りとやらを禁ずるのであろう」
「なれば“出入り”とは何ぞ」
「さて、それが判らぬ」
臨戦態勢に入っていた筈の二人が揃って親爺を振り返り、
「出入り禁止とは、何ぞ」
などと、口を揃えて訊くものだから堪らない。親爺はげんなりして、とにかく外に出ろ、と
取りあえず追い出すことにした。
「兄者よ、いかがする」
「しからばあれらを片付けるが先決であろう」
「成程、然り」
「行くぞ」
「応」
掛け声と同時に碧い腕の男が鋸のような刃の剣をぶんと水平に振った。途端、空気が揺れある筈の
ない突風が荒事師どもを包み込む。
「うわっ!?」
「何だこれァ!?」
小さな竜巻のように旋回する風に煽られ、店のドアがばたんと勢い良く吹き飛んだ。店を傷つけ
られた親爺が叫ぶのも届かず、風は物凄い勢いで荒事師どもを店の外へ放り出す。それを追って、
剣を構えた二人が駆けて行く。まさに嵐が過ぎ去った後のように、風によってなぎ倒された
テーブルや椅子が無惨に倒れている。
「何なんだ、あいつらは……」
茫然と呟く親爺を余所に、ダンテはぐっすり、夢の中だ。
剣を提げた男は二人、数分もせぬうちに店に戻って来た。他の荒事師らをどうしたのか、親爺は
訊かなかった。
「主よ、我らが棲処へ戻ろうぞ」
「ここに長居は無用ぞ、主よ」
碧い腕の男がダンテをことさら優しく腕に抱き上げる。ダンテが無意識に、男の首に腕を回す。
体格はさほど変わりないように見えるが、ダンテを抱く男は平然として、重さを感じていないかの
ようだ。
「主が世話になったな」
「これは主の持ち物だが、構うまい」
手付け金とやらだ、とまたずれたことを言って、ダンテが革パンツのポケットに突っ込んでいた
くしゃくしゃの紙幣を総て、カウンターに放って寄越した。
ふわふわと浮いているような感覚。ダンテは心地好さにうっとりしながら、何故こんなに
ふわふわしているのかと不思議に思った。鉛のように重かった瞼は今は少し軽くて、ふっと
持ち上げた隙間から様子を窺う。
目の前はぼんやりと暗い。光源がほとんどないかららしく、しかし眼前にあるものに自分が
しがみついているのだと気付く。何かに腕を回し、抱き付いているらしい。
(何に……?)
無機物ではない。汗の匂いのするこれは、間違いなく人だ。ならば次の疑問は、これは誰かと
いうこと。
「……だれ、……」
バージルかとも思った、誰か。しかしすぐに違うと悟ったのは、匂いがバージルのそれでは
なかったから。
目が覚めたか、と。ダンテを覗き込むでもなく声が響く。覚えのあるその声にダンテが目を瞠る
横から、もう一つの声がかかる。
「主よ、気分はどうだ」
「……気分、は……べつに……」
思わず普通に応じてしまったが、実際ダンテはそれ程動揺してはいない。酒がまだ残っていると
いうのもある。それ以上に、彼らの正体を知るダンテであり、慌てることは何もないのだ。しかし。
横抱きにされたままで見上げた先の、ぼうと照らされた見知らぬ顔にこそ、ダンテは不審を
覚えた。
「な、んで」
知らない腕。知った声。奇妙なずれに、困惑したダンテは咄嗟に男の腕から逃れようとした。
男は顔つきからして、荒事師を生業にする人間であろう。
ずり落ちそうになったダンテを支えようと、別の方向から伸ばされた腕もまた、ダンテの
知らないもの。
「触んなっ……!」
伸ばされた手を払いのけ、自ら地面に落ちることを選ぶ。しかしダンテは地面に叩き付けられる
ことはなかった。
「この姿は気に入らぬか」
どこか寂しげに呟く声。ダンテを落ちさせなかった強い腕。
「お前ら、なんでそんな恰好してやがるんだ」
低く問えば、ぼうっとした明かり――――小さな炎がゆらりと震える。
「魔力を使い人型を取るよりも、こちらのほうが手っ取り早いのだ」
「主が好まぬのならば、もはや致すまい。それで良いか」
良い悪いの話ではない。しかし彼らは真剣だ。
――――総ては主の為に。
「主よ、今しばらくの辛抱ぞ」
「棲処に着くまでの辛抱ぞ、主よ」
宥めるような声は何故か優しく、抱き締める腕は暖かい。ダンテは唇を噛んで俯いた。この腕を
振り払うことがダンテには出来なくなっている。
「主よ、我らは主の敵を屠るが役目ぞ」
「主の疎むものは即ち我らの敵ぞ、主よ」
ゆらゆらと揺られながら、ダンテはぼんやりと彼の声に耳を傾ける。
「我らの本性は血を啜り、肉を食むもの」
「我らの本性を疎むならば、我らは我らの血をも啜る」
「主よ、我らは主が為にここに在る」
「主の命は我らが総てぞ、主よ」
「我らの本性は血を啜り肉を食むもの」
「しかし我らは主を守護し、主の敵を屠ることを選んだ」
「主よ、我らを疎むか」
「我らを疎むか、主よ」
ふつりと声は途切れた。ダンテの意識がそこで途絶えたからだ。
次に目を覚ましたとき、ダンテは自分の部屋のベッドに仰向けに転がっていた。もふりとした
感触がして、見れば顔の両側に朱と碧のぬいぐるみのような小鬼が二匹。離されまいとするように、
ダンテにしがみつくそれらを、ダンテはそのままの恰好で放置した。
僅かにだが覚えている、彼らの声。
幼子のようにしがみついて離れない小鬼を、そうっと掌で撫でてやって、ダンテはまた瞼を
閉じた。
最近アグルドがご無沙汰だったような気がしまして…