落書ラクガキ









黒い塊がさっと部屋をよぎる。長い尻尾がふわふわと揺れ、ふと立ち止まって上を見上げた。

「ニュー……」

黒い塊――――黒猫の鳴き声は、ダンテ曰く“変”らしい。その野良猫に棲処を提供し、ユタと 名付けたダンテはすぐそばにいる。
ユタはダンテの脚にそっと黒い躰をすり寄せ、体温を分け与えて貰うわけではないが、ぴたりと 寄り添った。そのユタの頭上に、鋭い視線が突き刺さる。誰のものかなど、視線を辿るまでもない。 ダンテの兄、バージルだ。

「ダンテ、」

バージルが呼ばわると、ダンテはちょっと間を置いて顔をそちらに向けた。

「ん、何?」

「それを向こうへやれ」

それ、というのはユタのことだ。ユタにはすぐに判ったが、ダンテはぴんと来なかったらしく首を 傾げている。
バージルの機嫌が下降していくのを、ダンテは気付いていないのだろうか。妙なところで鈍い ダンテは、それで痛い目を見ることも少なくない。ただ、悪魔という“敵”相手に遅れを取った ことはないので、それはそれで良いのかもしれないが。

「それ、って何だよ?」

足首に巻き付くように寄り添うユタに、気付いていないわけはない筈なのだが、ダンテはあくまで バージルの指すものが判らないらしい。ユタは小さくため息を吐いた。

「その黒い塊だ」

バージルの声は冷ややかを通り越して絶対零度に近い。

「塊ィ? ……って、ユタのことかよ」

ダンテはユタを見下ろし、片眉を上げた。ダンテを見上げるユタと視線が合い、しかしすぐに 外される。

「なんでこいつを向こうにやらなきゃなんねぇんだよ」

バージル程ではないが、ダンテの機嫌も下降していく。おいおい、と呆れるユタなどはまるで 無視だ。

「調理場に毛玉の塊を持ち込むな」

「あぁ? じゃあキッチンに間仕切りでも付けて、一人でこもってりゃ良いだろが」

「味見をさせろと言ったのは誰だ? お前がここにいるから、その毛玉もついて来たのだろう」

「アンタが味見するか、って訊いてきたからだろ!?」

「責任転嫁をするな」

「アンタこそな!」

ユタがじっと見守る中、バージルが深々と眉間に皺を寄せた。ダンテの髪をぐいと掴み、顔を 近寄せる。まさしく口封じを仕掛けるバージルに、ダンテはやや目を瞠り……
ぶち、と鈍い音がした。ダンテの髪が数本千切れたのだと、ユタにはすぐに判った。今度は バージルが目を瞠っている。
ダンテは顔を逸らしてバージルのキスを避けたのだ。おそらく一度もなかったのだろうダンテの 拒絶に、バージルは珍しくも半ば茫然としている。

「……何でも、アンタの思い通りになると思ってンなよ」

言い捨て、ダンテが身を翻して部屋を出て行く。ユタは軽やかにそれを追い、バージルを振り 返ることはしなかった。





はぁ。また、ため息だ。
事務所兼自宅を飛び出して三十分。ため息の数はすでに、十指だけでは勘定出来なくなって いる。ユタのため息ではなく、ダンテのものだ。

ユタはダンテの後をちょこちょこと駆け足気味に追いながら、ため息を吐きたいのはこちらだ、と 思った。ダンテとバージルの喧嘩など、べつに珍しいものではない。むしろ日に喧嘩をしないこと のほうが少なく、いっそ見慣れていると言って良い。
こうして喧嘩をした後、ダンテが家を飛び出すことはしばしばあった。ユタはいつもダンテの 後ろをつかず離れず追って行き、そしてダンテがとぼとぼ家に帰るのを見届けるのだ。だから、 家を飛び出すたびに増えるダンテのため息は、ユタにとって慣れたものであり、そして好きになれぬ ものでもあった。

この双子は飽きる程喧嘩をする。些細な口論など日常茶飯事で、ときには互いの剣を打ち鳴らして の盛大な喧嘩をしでかすことも珍しくない。見守るしか出来ないユタには、そのことが腹立たしく、 そして最後には呆れるしかない自分にいっそう苛立つのだ。

「にゅ……」

慰めも、気遣いもしようがない。今し方の喧嘩は売り言葉に買い言葉で、しかも発端はユタ なのだ。

見上げると、ダンテはいかにも不機嫌そうに唇を尖らせている。不当に親に叱られた餓鬼、と ユタは思って嘆息した。
バージルが自分を厭っていることを、ユタは充分に判っている。だからダンテがおらねば バージルのそばには行かないし、声も上げない。もっともダンテは無意識にだろうが、常に バージルの視界に留まる場所にいようとする。その為に自然、ユタもバージルから見える位置に いることになるのだ。だからと言って、ユタは彼らの邪魔をするわけではない。

彼らが実の兄弟でありながら躰を繋げていることは知っており、眉をしかめたくなるのは 確かなことだが、ユタはそれを実際にどうのと言うつもりはない。

ユタはダンテを選んだ。ダンテはユタをただの猫と思っており、ユタはそれで良いと思っている。 急ぐことはない。ダンテは自身の魔力の高さすら自覚しておらず、ユタとの繋がりが日増しに深く なっていることも知らない筈だ。むしろバージルこそが、ダンテとユタとの関係を正しく察して いると、ユタには感じられる。

ダンテの歩調が僅かに緩んだ。夕食時――――結局味見をするだけで飛び出して来たダンテは、 腹を空かせていることだろう。開いている酒場はなくはないが、入ることを躊躇う素振りだ。

「にゅう、」

ファーストフードでも良いのじゃないか。ユタは呟く。安い肉の挟まった粗いパンは、ユタが 初めてひとの手から食べた人間の食べ物だ。

「ニュー……」

酒など飲んでも悪酔いをするだけだ。ため息混じりにぼやけば、ダンテも同じようにため息を 吐いた。

「……そォだな、酒よりその辺で適当に喰うほうがマシか」

ユタは頷き、目的の明確になったダンテの歩調に合わせて地面を蹴った。ひととこうして歩調を 合わせる日が来ようとは、いつか、とは思っていたけれど、実現しようなどと誰が予想し得た だろうか。
ひとは残酷だ。そう残して息絶えた変化の死に顔を、ふと思い出した。



ダンテはファーストフードの類が嫌いではないらしい。そういえばバージルが不在のときなどは、 酒場に繰り出すか、そうでなければデリバリーのピザが定番だ。
テイクアウトしたハンバーガーを路地で食べる。日中か夜かの違いだけで、まるきり初めて ダンテに遭った日のままだった。

旨いか、とダンテが問う。ユタは脂っぽい肉を囓りながら、まぁまぁ、と返した。ちらと 視線だけを上げると、ダンテはどことなくぼんやりとコークを飲んでいる。出合ったときと状況は 同じだが、違う。今ダンテの頭の中にいるのは、ユタではなくバージルだ。

敵わない、と思う。同時に敵うわけがないと思い、ため息が漏れる。

「なぁ、ユタ」

食べ終えたのを見計らってか、ダンテが声をかけて来た。ダンテは腕を伸ばしてユタの口許を 親指で拭った。

「これ喰ったら……帰るか」

ユタは目を細め、ダンテの指をざりりと舐めた。





家に戻ってみると、バージルの機嫌はこれ以上ないくらいに下がり切っていた。喧嘩をしていた とはいえ、ダンテにキスを避けられたことが拍車をかけたのだ、とユタには判る。
顔を背けてそのまま部屋を飛び出したダンテは、あのときバージルがどんな顔をしていたのかも 知らないわけだが、バージルの機嫌が最悪であることは当然判るだろう。

「な、なんだよ」

帰る気にはなっても謝る気はないらしく、バージルを睨み返すダンテにユタは内心で目を瞑った。 殊勝になれ、などと進言するつもりはないが、わざわざ墓穴を掘ることもないだろうに。

選ぶ相手を間違ったかもな……。

ぽつりとぼやくユタだけれど、ダンテのそばを離れるつもりがないことは自分が一番よく 知っている。ダンテの魔力に引かれてここまで来、ダンテを間近に見てこれだと思った。
限り無くひとに近い、しかしひとではない青年。思えばずっとひとを眺め続けていたのは、 ダンテを見つける為だったのかもしれない。たくさんのひとの中から、たったひとりを 見つける為に。

「にゅう……」

ユタの見上げる先では、ダンテがバージルの平手打ちを食らい、荒々しく唇を 塞がれていた。息すら奪うようなキスの合間に、バージルが何ごとか囁いたが――――ユタはあえて 聞かぬふりをして、双子の足許をすり抜け今し方くぐったばかりの玄関ドアから外へ出た。 当て馬にされるなど願い下げだ。……手遅れだったかもしれないけれども。

黒猫は無音でアスファルトを蹴りながら、にゃう、と一つ声を上げて闇に紛れた。



















戻。



目指せ使い魔にゃんこ。現在見習い中です。(ダンテが)