泡玉シャボンダマ









いつものようにパンを食む。しかし味がしない。エスプレッソで流し込んでようやく総て 食べたものの、無理矢理押し込んだ所為か今度は胃に不快感があった。バージルはため息を 漏らし、カップに残ったコーヒーを流し台に捨てた。






軽やかな足取りで階段を下りて来る音が聞こえる。バージルは目を瞑ったまま、もう昼か、と 内心で呟いた。どうにも気分が優れずに、ソファーに座り込んでもう軽く四時間以上は経った 計算になる。
無駄を厭うバージルだが、こればっかりはため息一つで諦めるしかないことは判っている。 滅多に体調を崩すことはないのだが、だからこそ、突然一気に“来る”。

(部屋に戻っても……同じだろうな)

ダンテはバージルの不調にひどく狼狽する傾向が強い。狼狽というよりも、もっと酷いが。 そんなダンテを気遣わせたくない以上に、バージルはむしろ、自分に近寄せたくなかった。体調を 崩した時にダンテがそばにいればどうなるか、すぎる程判っている。
対策は、家を空けるかそれとも……
がちゃ、とリビングのドアが開く。顔を覗かせたのは当然ながらダンテだ。バージルは キッチンに向かいながら、顔を洗って来い、とぞんざいに言い放った。

「判ってるって。……なぁ、バージル」

「何だ」

「……や、……うん、何でもねぇ」

何でもないという顔ではないが、バージルは追及せず「そうか」とだけ言ってダンテのカップを 取り出した。ダンテは首を傾げながらリビングを出て行く。

気付かれただろうか。いや、そんなふうではなかった。違和感を感じはしたが、その違和感の 正体までは判らなかったというふうに見えた。大丈夫だ。バージルは嘆息し、慣れた手つきで エスプレッソを淹れた。

ダンテが再びリビングに戻って来たのは、間もなくのこと。バージルはカップを手に、ダンテを ソファーに促した。

「座っていろ。飯はもう少し待て」

ん、と頷くダンテは、ちらちらとバージルの顔を窺ってくる。やはり、気になってならない らしい。しかしそれを口に出さないのは、言えばバージルが怒ると思っているからなのだろう。 バージルが絡むと途端に気が弱くなるダンテのこと、おそらくバージルの読み違いではない筈だ。
バージルは内心で溜息を吐き、キッチンへ引き返した。動くことはいちいち億劫だが、寝て いなければならない程体調が悪いわけでもない。むしろ動いていたほうが気が紛れて良いのだと、 バージルは自身に言い聞かせるように一人ごちる。
もし今、ダンテの傍らなどにいようものなら……

「なぁ、バージル?」

思いの外間近に、ダンテの声。バージルははっとした。見ればダンテがすぐ後ろにおり、 気遣わしげに視線を泳がせている。ダンテの気配に気付かないなど、体調が善くないにしても 不覚である。

「……何だ」

思わず出てしまった不機嫌もあらわな声に、ダンテがびくりとする。怯えさせるつもりなど なかった。自分自身に舌打ちすると、それがまたダンテをびくつかせてしまって自己嫌悪に 駆られる。

「済まん。……それで、何だ」

ダンテがそろりと上目遣いにバージルを見やる。何か大きな動物に怯えるうさぎを彷彿とさせる 仕種に見えて、バージルは自分の頭を疑った。ダンテは可愛い、と当然のことのように思っている バージルではあるが、さすがにもう二十歳になろうという男を捕まえてうさぎはなかろう。
疲れている。やはり自室に引きこもって寝るべきか、と思案に入ろうとしたバージルの、 シャツの裾をダンテがつんと引いた。

「あのさ、バージル、その……俺全然判んねぇから直で訊くけど……何でだ?」

意味が判らない。バージルが眉を顰めると、ダンテはそれをどう取ったのか、慌ててバージルの シャツを離して俯いた。

「悪ぃ。……俺が悪いんだよ、な?」

やはり、判らない。

「……何の話だ」

「だから、俺が何かしたから、怒ってるんだろ?」

さっきから、と。バージルは表面上は全くの無表情のままだったが、内心ではかなり驚いていた。 何故、怒っているなどとダンテは勘違いをしているのだ。

「ダンテ、それは……?」

「俺、自分が何したか全然判んなくて……。なぁ、俺が何したか、言ってくれよ? そうじゃねぇと 俺、判らねぇし、またやっちまうだろうし……」

どんどん小さくなる声に、バージルは無意識のうちにダンテをきつく抱き締めていた。先刻は 自分の頭を疑ったバージルだったが、今は確信を持って言える。ダンテは、うさぎだ。頭が おかしいと思われようが構うものか。この臆病で可愛らしい弟が、寂しさのあまり死んでしまう、 弱いうさぎとどこが違うと言うのか。

「バージル?」

戸惑いの声を上げるダンテの頭を肩に押しつけて、バージルは癖のない髪に鼻先を埋めた。

「済まん。妙な誤解をさせてしまったらしい」

「誤解……?」

「俺は怒っているのではないし、ましてお前の所為などではない。機嫌が悪いように見えたなら、 それは少々、体調が善くない所為だろう」

こうして話すことも、いつになく億劫なのだ。しかし話さねばダンテは勘違いをしたまま、 怯えたままだ。……それも見物かもしれないが。

「体調って、」

「風邪ではないから、安心しろ」

「で、でも」

「ダンテ、腹は減ったか?」

唐突に訊けば、ダンテは目をぱちりとさせた。

「や、あんまり……」

「そうか」

言うなり、バージルは少し躰をかがめ、ダンテの脇に手を差し入れ反動もつけずに肩に 担ぎ上げた。

「えっ! ちょ、はっ?」

当惑して言語障害を起こしたようになっているダンテを、重いとはバージルは感じない。 尋常ではない膂力を、バージルは遺憾なく発揮した。

「っぷ!」

抱え上げた時と同様に、ダンテを無造作にソファーに落とした。不意のことに、ダンテが よく判らない声を上げるが、気には留めない。バージルはまだ現状を把握出来ていないだろう ダンテに、おもむろに覆いかぶさった。

「な、何? 何だよっ?」

狼狽するダンテの両腕を手首で一纏めにして頭上――――ソファーの肘置きに縫い留める。 バージルにとっては、いかに体調が悪かろうとダンテの動きを制するのに苦労はしない。 易々と組み敷かれたダンテのほうは、まだ自分の置かれた状況を把握出来ていないらしく、 当惑したままだ。

「バージル、何のつもりだよ?」

野暮と判っていないのだろうか。こんな体勢になって、することなど一つだ。

「黙っていろ」

きゃんきゃん騒がれては頭に響く。そう言ってやると、ダンテはかっと顔を赤くした。

「ひとを犬みたいに言うな!」

バージルは一つため息を吐き、

「ならば、人間らしく大人しくしていろ」

言って、ダンテの首筋に文字通り噛み付いた。痛いと喚くダンテなどまるきり無視して、血が 滲む程に膚に歯を押し当てる。無性に、ダンテの白い膚に噛み痕を残したい気分なのだ。血に 飢える、とでも言えば良いのだろうか。抑えがたい衝動だ。
ぢく、ともう一つ噛んだ。滲む血を吸い、舐め取ってから、すぐ隣にまた噛み付く。

「っ、つぅ……! 、ジル……痛ぇって……ッ!」

静かにしていろと言ったにも関わらず、ダンテが痛いと繰り返しては脚をじたじたさせる。 バージルはダンテの首筋に歯を立てたまま、煩い口に空いた手を持っていき、指を咥えさせた。 むぐ、と苦しげな声が上がるが、先刻よりはましだろう。
少しばかり満足して、バージルはじくりと滲み出た血を、ぢゅ、と音を立てて吸った。ダンテの 躰がびくりと跳ねる。嫌がるようにしていても、結局快楽に馴れたダンテは早々に陥落して、 最終的にはもっとなどと言ってねだるのだ。その頃にはバージルの理性もほとんどないものに なっているが、ダンテ程ではないと思う。

(が、今日は判らんな……)

体調が思わしくないとき、バージルは何故か性慾が増す傾向にある。そしてそんなときは 決まって、ダンテをどんなふうに抱いたか全く覚えていないのだ。理性どころか、意識すら 手放した状態で、ダンテを犯しているらしい。目が覚めて、悲惨の一言に尽きるありさまで ダンテが気を失っているのを見れば、さすがのバージルも罪悪感が沸こうというものだ。
だから体調の悪いときは、極力ダンテには近寄って欲しくないのだけれど……

「こうなった以上、付き合って貰うぞ」

ダンテにとっては死の宣告に近いだろう言葉を囁き、バージルはダンテの口から指を引き抜き、 自らの唇で蓋をした。

「んんっ……」

くぐもった吐息をも飲み込むように、ダンテの舌をきつく吸った。

……止まりそうにない。

内心で笑う。



















戻。



兄は絶倫で良いと思う。体調が悪いと絶好調になると良いと思う。