処夏ショカ









つう、と汗が頬から顎を伝ってシャツに染みを作る。手で汗の伝った跡を拭ったダンテは、 辟易した表情で嫌味な程晴れた空を見上げた。(実際、嫌味だ。)
また、暑い日が続くのだろう。今年は暑さがきついと聞いた。去年も同じことを聞いた気が するが、要はとんでもなく暑いということで、平年気温と比べてどうだとか、そんなことは たいした問題ではない。夏は暑い。それだけだ。

ダンテはまだ汗を拭いながら、隣で涼しい顔をしているバージルを憎々しく見やった。 これから盛りを迎える暑さに今から辟易しているダンテとは違い、バージルは真夏の真ん中でも こうだ。
本人曰く、全く暑くないわけではない、らしいが、ダンテからすればクーラーなしで いられるだけでほとんど奇跡にしか思えない。バージルはそれを、大袈裟だと言う。お前が 暑がりすぎなのだ、とも。

(暑いもんは暑いんだよ)

堪えられない、と思うが、堪えるしかないのは毎年のこと。避暑と称して北へ夏を免れに 行くような、金も余裕もありはしない。第一双子の片割れがこの調子なものだから、避暑など夢の また夢だ。涼しいところに行きたいと言って、ため息一つで流されたことをダンテは忘れない。

はぁ、と知らずため息が漏れた。なんだ、と隣からこちらを見ずに声がかかる。

「あ? 何が」

「盛大なため息だったが、無意識か」

淡々と言われても、そうだったかな、と首を傾げるしかない。本当に無意識だった。
バージルが呆れた……というわけでもなく、言う。

「ぼうっとして、落とすな」

ダンテの手には、今し方買い込んだ食料などを詰めた紙袋がある。バージルも同じで、 二人で一つずつ抱えていた。卵が入っているのはバージルのほうだったか、ダンテはぼんやりと 考えた。

「落とさねぇよ、そんな、ぼうっとしてるぐらいで」

反論すれば、少し間をおいて、

「どうだかな」

ため息混じりに言われてむっとする。バージルはどうも、ダンテを子どものように扱うきらいが ある。いちおうバージルが兄であることは確かだが、双子だというのにおかしな話だ。

(あっちぃし……)

もう嫌だ、と。思いながらもバージルの隣を付かず離れず歩く自分を、ダンテは情けないと 思う反面、これで良いのだとも思う。
バージルは昔から“お兄ちゃん”だった。今更改めろと言って、判ったと頷くような性格を バージルがしていないことくらい、ダンテはよく知っている。同等でありたいと思うのも、 ダンテだけ。バージルはどこまでも、ダンテの兄だ。

「なぁ、」

外では互いの名を呼ばない。それがいつからで、どうしてだったか、ダンテは覚えていない。 バージルに問うてみたこともなかった。

「何だ」

バージルはやはり、こちらを見ない。必要がない、と思っているのだろう。毎日のようにダンテを 組み敷く双子の兄は、こういうところは本当に淡泊だ。どうにかしろと言ったところで無駄な ことだと、ダンテは長い付き合いの中で学んでいる。

「俺、アイス喰いたい」

バージルが盛大に眉をしかめるのが、見なくても判った。

「……何故だ」

問うて来る声は、案の定渋い。

「なんでって、そりゃ暑いからだろ」

暑い、と言ったのがバージルには理解出来なかったらしい。

「どこがだ」

などとしれっと宣うバージルが、ダンテは嫌いだ。真夏ですらこの調子なのだから、 嫌にもなる。

「アンタは暑くなくても、俺は暑いんだよ。だから、なぁ、アイス喰いたい」

ねだるように言えば、バージルはたいていの我儘――――とはダンテは自覚していないが――――は 聞いてくれる。そして時折、こんなふうに子どものような我儘を言うからこそ、バージルがダンテを いつまでも子ども扱いするのだとは、ダンテはもちろん判っていない。

がさ、と不意にダンテの腕から紙袋が取り上げられた。当たり前だが、バージルが奪ったのだ。 代わり、とでも言うように、ダンテの手には一ドル紙幣と小銭がいくらか。
頭の上に疑問符を乗せてバージルと自分の手を見比べた。

「買って来い。俺は先に戻る」

それで足りるだろう、と。言ってさっさと帰路を急ぐでもなく行こうとするバージルの背を、 ダンテはぽかんとして見つめるしかなかった。









「薄情だ」

ジン・トニックをぐいと飲み干し、ダンテは不満たらたら、そうこぼした。隣からは、 いつもそこにいる兄ではない、もっと年嵩の声。

「……あいつが情に篤くても、俺はどうかと思うがなぁ」

呆れ顔で言うのは、すっかり馴染みになった仲介屋……は副業の、情報屋だ。

「そりゃそうだけど、でももうちょっとさ、あるだろ、」

「何がだよ。お前、もう酔ったのか?」

くだを巻くダンテに辟易したように、エンツォは自分のグラスを傾けながら肩眉を吊り上げた。 ダンテは酒に強いわけでもなく、だからと言って弱くもない。空けた酒はジン・トニックを一杯。 今二杯目だ。その程度で酔うようなダンテではない。

「酔ってねぇよ。それより、ひとの話聞いてんのか?」

「聞いてるよ。聞きたくもないのに聞いてやってるだろうが。で、お前はどうしたいんだよ」

「どうって?」

首を傾げると、エンツォがあからさまにため息を吐いた。

「あいつの薄情なところが嫌なのか?」

「嫌って言うか……」

「要は愚痴だろ、お前のそれは。聞かされる俺の身にもなれよ」

嫌そうに言うエンツォに、ダンテは唇を尖らせた。そうすると途端に少年のように見えるのだとは、 ダンテだけが知らない。

「だって、」

「ぐずってねぇで、お前の好きなストロベリー・サンデーでも喰ってろよ。昼間はアイス、 喰いそこねたんだろ?」

そう、結局あのとき、ダンテはアイスを買わなかった。事務所の机にバージルから渡された金を そのまま置き、バージルに声をかけずにあてもなく外へ飛び出したのだ。
腹が立った。そう言えば良いのだろうか。とにかく苛々していた。それは今もそうで、 バージルのことを考えると苛立ちは募るばかりだ。お蔭で、とでも言おうか、ダンテは好物の ストロベリー・サンデーを頼む気になれず、ジン・トニックすらも旨いと感じないのがよけいに 腹立たしい。

「くそっ、」

口汚く悪態を吐く。エンツォが呆れて肩を竦めるのへ、ダンテはぎろりと睨み付けた。

「んな餓鬼みてぇな顔で睨んだって、迫力ねぇぞ」

ひらひら手を振るエンツォ。あんたまで子ども扱いかと、言いかけた言葉をダンテは飲み込んだ。 藪蛇になりかねないと思ったからだ。

「全部バージルの所為だ、畜生」

 恨みがましく呟いた。と、

「俺が何だ」

背後から冷ややかな声がかかり、ダンテは思わずひゃっとなった。が、顔や態度には出さず―――― どうにか堪えた――――、ゆっくり背後を振り仰ぐ。隣ではエンツォが、とばっちりは受けたく ない、とグラスを抱えるようにしてちびちび酒を飲んでいる。

「よぅ、バージル」

バージルの目は声以上に冷たく凍て付いている。何にかは判らないが、怒っていることは 一目瞭然だ。

「座らねぇのか?」

エンツォとは反対側のスツールを視線で示す。しかしバージルは頷きも首を左右にすることも なく、ただ、

「来い」

とだけ。ダンテは内心ひやりとした。

「俺、まだ飲んでんだけど?」

「来い、と言っている」

睨み合うこと、どれ程か。ダンテには十数分に思えたが、実際には数分も経っていなかったの かもしれない。
最終的には痺れを切らせたバージルに腕を掴まれ、引きずられるように店を出ることになった。 金はバージルが、酒場の親爺に投げて終わりだ。エンツォの哀れむように見送る目が、清々している ようでやけに癪だった。





夜は、気温が下がって昼程暑さは感じない。しかしバージルの掴んだそこだけがやけに熱くて、 ダンテは不思議で仕方がない。バージルの体温は、低いのが常だというのに。

「勝手な行動は慎め」

バージルが言う。慎むも何も、とダンテは思う。どうしてバージルに、双子の兄にそこまで 制限されねばならないのか。しかし「従っておけ」と、小さからず主張する自分の声が、 どこかから聞こえてくるのだ。

「ダンテ、」

強い視線がダンテを射抜く。この目が。この声が。ダンテを呆気なく陥落させ、そして思い通りに させてしまう。

(熱い、)

掴まれたところが、燃えるように熱い。バージルの視線の冷たさと、ひどく不釣り合いな熱だ。

「バージル、俺、」

従え、と叫ぶ声。嫌だ、と拒む心。ダンテはどちらも、選ばなかった。

「アイスが喰いたい」

冷たい冷たい氷菓子。いくら食べても、きっと腕の熱は消えないけれど。

「……家まで我慢しろ」

「……うん」

頷くさまは、兄に腕を引かれる弟そのもの。





今年もまた、暑い季節がやってくる。



















戻。



唐突に書きたくなる、冷たいんだか優しいんだかよくわからない兄。