砂礫の荒
それは衝動だったのか、それとも計画してのことだったのか、今となってはもう、
誰にも判らない。
総てを棄てた、その本人にすら。
―――― 力を欲し、平穏を棄てるまで、残り二十四時間。
夜はいつも長い。
半分を本などを読み耽ることに費やし、もう半分を睡眠に使う。そうでなければ、
明け方まで交合に耽ることもあった。相手はいつも同じ。
双子の弟だ。
―――― 残り、二十一時間。
その日、空は穏やかに晴れていた。薄雲の棚引き、暖かな陽射が心地好い、
言うなれば過ごし易い一日だった。
昨日は――――そう、昨日は酷く蒸し暑かった。もう秋になろうかという晩夏の頃、
ぶり返したような暑さは身に堪えた。
暑さに弱い双子の弟など、茹る、と言って水風呂に入り、そのまま眠ってしまったものだから、
後の始末が大変だった。あれで何故風邪を引かずに済んだのかは、ばから始まる言葉で
説明されるのだろう。
弟は頭が悪いわけではない。むしろ頭の回転は早い方だろう。しかし、やはり足りていない
部分が多分にある。それが日常生活で発揮されやすいものだから、始末が悪い。
考えているようで、考えていない。
あれの行動は、常に衝動だ。頭では考えない。躰が動くままに、総て行う。
深くなど考えない。
正反対だと、今更のように思った。けれど、だからこそ我々は成り立っているのだとも、
思う。
性格も思考も同一だったなら、こうも長くは立ち行かなかっただろう。
長く――――そう形容するには語弊があるかもしれない。
生まれて十数年しか経たぬ生を、長いとは世辞にも言えない。が、自分にとって、
この生は充分長かった。
人としての、生は。
―――― 残り、十九時間。
昼を回ってから起き出した弟に、いつもしているようにコーヒーを淹れてやった。
少し濃いめのエスプレッソ。弟は苦いものが好きではないと知っているが、文句を言いながらも、
いつも残さず飲み干すのだ。
その日もそうだった。
弟は、精神面に随分幼い部分を残していた。だからかどうかは判らないが、双子だというのに、
いくつも年下の弟のように扱うことが常になっていた。
毎日、同じようにコーヒーを淹れ、飯を作り――――甘やかしていたつもりはなかったが、
弟には甘いと自覚はあった。
下らない、詰まらない毎日。
それがいつか崩れるのではないかという不安が、常に心の隅に巣くっていた。
誰か――――何者かの手によって、壊されるのではないかという、不安が。
―――― 残り、六時間。
弟が寝付くのは、日によって時間がまちまちだ。その日は、もう夜明けに近い
時刻であった。
何故か眠れないと、日付が変わってからこちらの部屋にやって来た弟を、溜息一つで
迎え入れた。自分はまだ本を読み耽っていて、ベッドに入ろうとはしていなかった。
ぴしっと敷かれたシーツが、弟が腰掛けることでくしゃりと皺になる。それを何とはなしに
見やりながら、本を閉じた。
弟が夜中にこちらに来るのは、珍しいことではなかった。寝付きが悪いわけではない。
それはよく知っていた。ただ、一人で眠ることを厭うのだ。
それは自分の所為なのだろう。
幼い頃から、自分と弟は毎日のように同じ寝具にくるまって眠った。弟の平素より高めの
体温は、毛布を抱いているようで快かった。
弟はどう思っていたのか判らないが、少なくとも、嫌がったことは一度もなかった。
習慣になってしまったのだろうと、思う。
特に、あの、母を奪われた忌まわしい日。あれ以降、弟は一人ではほとんど眠れぬように
なった。
たとえ眠っても、それが夜であれば夢にうなされて起き、疲れ切って朝を迎えるのだ。
そして厄介なことに、その夢は弟の記憶の中には一切痕跡を残さない。
その日も、弟は一度は眠りに就いた。が、やはり駄目だった。
何故眠れないのか、弟は自らの口では何も言わない。こちらも質しはしない。
言葉もなく悄然としている弟を、抱き寄せ、ベッドに組み敷く。触れる互いの体温に、
弟がほっとしたような笑みを無意識に浮かべた。
脆い心を、弟は常に隠して生きている。辛うじてそれを晒すのは、自分との交合の合間か、
何気ないやり取りの中でしかなく。
いつか、壊れるのだろう。そう思わせるものが、弟にはあった。
そしてそれは、自分にも。
―――― 残り、一時間。
自分がいなくなったら、果たしてこの弟はどうするだろう。
そんなことを考えている時間が、日増しに増えた。
母が殺されたことで一度は壊れかけたあの心が、自分が姿を消すことで砕けてしまうのか。
そうなったら、誰がこれを守るのか。
いや、――――たとえ、死ぬまで共に在ったとしても、力がなければ母の二の舞いだ。
力――――、
何者にも優る強力な血が、この身には流れている。人のものではない、
闇に棲むものの血が。
母は人として生きることを教えてくれたが、それ故に、人である自分はいつまでも
弱いままなのだ。
守れなくても良い。
大切なものを奪われぬ力があれば――――。
―――― 残り、……
眠りに就いた弟を残し、空が白ばみ始めた薄闇の街へと出て行った。
青いコートを一枚と、父親の形見の刀を一振り。それ以外の総てを、棄てた。
棄てなければ、ならなかった。
それは衝動だったのか、それとも計画してのことだったのか、今となってはもう、
誰にも判らない。
総てを棄てた、その本人にすら。
ただ、必要だった。
強大な力を得る為。
愛するものを奪われぬ為。
過去を棄て、人としての己を棄てることは、必然であった。
ただ一つの誤算は、――――
―――― バージル?
お前を、棄てられなかったこと。
頂いたネタに飛び付く吉見です…
兄弟が訣別した日の出来事をモノローグで、と。物凄く簡略化しましたが;
私は自分の考えを伝えるのが苦手なので、書いたものに対する説明などは
省かせて頂きます…;
兄にとっての最上はダンテの存在、とだけ、前提で。