廃墟の忘ハイキョノボウ









予感はあった。
あいつはいつかどこかに行ってしまうのだろう、と。それも自分には理解出来ぬ何かを 求めて。
それが本当に必要だったのかは、もう誰にも判らない。
唯一のものに棄てられ、忘却を選んだその本人にも。





―――― 己を守り、総てを忘れるまで、残り二十四時間。








夜はいつも短い。
基本的に夜更かしはしないが、夜中の眠りは常に浅く、決まって嫌な夢を見た。見ない夜は、 大抵がセックスをして疲れて眠った日。
相手はいつも、双子の兄だった。








―――― 残り、十九時間。








仕事のない日はいつも、昼まで寝るのが常套になっている。
その日も、明け方まで兄とセックスをしていた所為で、酷く疲れて眠かった。夜の間は 夢にうなされるが、明るくなれば眠りは深く変わる。いつまでも眠っていたい気分になるのだが、 さすがに夕方までベッドにいるのは憚られた。

何より、兄が煩い。

あれをしろだのこれはするなだの、兄は何かにつけて刺々しく叱って来る。喧しく、とは 思わないのは、兄の口数の少なさがなさしめるのだろう。

嫌いだと、思おうとすればいくらでも思えた。けれど、といつも二の足を踏む。
嫌いになってどうする?
嫌いになったらどうなる?
自分に必要だと知っているものを、あえて拒む理由はどこにもない。

窓から射し込む明るい光に、目を瞬かせた。あいつはとっくに起きているのだろう。そして、 自分が起きて行けばコーヒーの用意をし始める。
いつものこと。
早くに起きているくせに、自分が起きる時間には必ずリビングかキッチンにいる。 自室にいたことは、数えても片手で余った。
挨拶もしないが、目は合わせる。

その日も、そうだった。








―――― 残り、十四時間。








ソファーに腰掛けた兄の足許に座り、何をするでもなく手の中で母親の形見のアミュレットを くるくると回した。肩越しに兄の視線を感じたが、振り向くこともなく、何だと問うことも しなかった。アミュレットを見ているのだと、何となく判ったからだ。

母の形見は二つ。

自分と兄との誕生日に母がくれた、金と銀のアミュレット。自分は銀を。兄は金のそれを それぞれ首に下げていた。
紅い、血のように輝く石のはまった、どこか禍々しさすら感じるそれを。いつか兄が、 母を偲ぶそれではない瞳で見詰めていたことを思い出した。
何故そんな目でアミュレットを睨んでいたのか、判る筈もない。

兄はいつも何を考えているのか判らないところがあった。いや、判ろうと思ったことは 一度もないのだから、判らなくて当然なのだが。
たとえ判りたいと思ったとしても、無駄だったろうと思う。

互いのことは言葉にせずとも何となく判った。けれど、それは理解ではない。自分達は お互いを知ってはいるが、お互いを理解してはいなかった。
双子という、全く同じ血を分かち合った所為なのかもしれない。
互いの思いを理解しようと、思ったことは一度もなかった。今の気分はどうか、 機嫌は悪くないか、それだけが判れば、何の不都合もなかった。

それが、もしかすれば悪かったのかもしれない。








―――― 残り、六時間。








その日はやけに寝付きが悪かった。一度はベッドに入り、うつらうつらとしていたのだが、 それだけで眠ることは出来なかった。
あいつはきっとまだ起きているのだろう。

十二を回った時計の針を見つめ、ベッドを抜け出した。眠れぬ夜は、いつも兄の許へ行く。 あいつはそれを知っているからか、夜中の遅くまで本を読み漁っていて、眠りに就くのは 本当に夜更けだ。
それでよく朝の夜明け頃に起きれるものだ、と呆れたことは一度や二度ではない。
ゆっくり寝れば良いのでは、と以前に言ったことがあった。しかし兄は首を横に振り、 眠り過ぎると逆に疲れる、などと判らないことを言っていた。
眠りたくないのだろう。そう、勝手に解釈している。

もう三年以上前になるが、最愛の母が悪魔によって殺された日から、自分達はどこかが おかしくなった。
日常生活には何の支障もないし、言動が奇妙だということもない。だが、確かに変わった、 と微かな風を肌が感じるように、思う。

あれ以来、元々睡眠時間の少なかった兄は、ほんの三時間程度しか眠らなくなった。 本人に自覚はない。あんなにはっきり変わったというのに、まるきり自覚がないのだ。

いつか壊れるのだろう。
そんな予感が、心の隅に常にあった。

片割れの部屋のドアを叩くと、やはりまだ起きていたらしく、すぐに反応があった。 読んでいた分厚い本を閉じ、ベッドに腰掛けた自分の方へやってくる。

死んだツラだ。

声には出さずそう思っていると、シーツに押し付けるように組み敷かれた。いつもと同じ、 眠る為の行為が始まる。








―――― 残り、二時間。








あいつとのセックスは、何故か好きとも嫌いとも感じたことがなかった。ただ、必要な時は 毎日のように交わったし、何度も果てた。
頭の固い片割れは、けれども自分とのセックスに疑問を持ったこともないらしかった。八割は、 あいつの方から求めて来た。こちらからもたまには誘うが、割合としては少なく、珍しいな、 とよく揶揄されたものだ。
何となくしたいと思った時は、大抵、兄が求めて来る時だった。だから、自分からねだる 必要はあまりなかった。

二匹の獣のように交わって、何度も精を吐き出しては獣以下の生き物になった。汚いな、 と思うことはあった。それでも、兄と交わらずにはおれないというのが、自分ではっきりと 判ってしまっていた。

何故かは知らない。

ただ、そうしなければ、自分の中の何かが崩れるような、そんな根拠のない感覚があった。
それはおそらく兄も同じで、交わることで互いのおぼつかぬ足を支えていたのだろう。

そう、無意識のうちに。

だから、好きだとか、愛してるだとかいう、薄ら寒い言葉はお互いに言ったことがなかった。 これからも、一生口にしないと命を賭けても良い。
そんなわざとらしい言葉は、自分達の間には必要ない。その、筈だ。








―――― 残り、……








目が覚めると、時計は七時になろうかという時刻を示していた。こんな時間に覚醒するなど、 自分でも珍しいと思う。
隣りには、兄の姿はなかった。夜明けと同時に起きるような兄だ。まだ眠っているとしたら、 少し不審を覚えただろう。
けれど。
兄は家のどこにもいなかった。
青いコートが一枚と、父の形見の刀が一本。ただそれだけが、消えていた。
兄はそれきり、姿を消した。







予感はあった。
あいつはいつか何処かに行ってしまうのだろう、と。それも自分には理解出来ぬ 何かを求めて。
ただ、それが本当に必要だったのかは、もう誰にも判らない。
唯一のものに棄てられ、忘却を選んだその本人にも。




ただ、忘れなければ、と思った。




何を、ではなく、総てを。
今まで自身を支えていたものの総てを、忘れなければならないのだと、当たり前のことの ように思った。

喪ったものの為。
これ以上弱くならぬ為。
総てを、忘却した。
母の面影と、その無償の愛情だけを残して。
けれど、
どうしても、どうあっても。











―――― ダンテ、











あんたのことが、忘れられない。
















戻。



頂いたネタの、ダンテ版でした。
双子のどちらかのモノローグで、ということだったんですが…
対にしたらどうだろう、という何の捻りもないことを思いつきましたので;
とりあえず、ダンテにとって兄は唯一で、精神の箍のような、そんな存在かと。