鎖日
悪魔を拾った。いや、殺すに殺せず、捨て置くことも出来ずに連れ帰ったと言うべきだろう。
そんな甘い自身を自嘲しながらも、何をか期待している心を無視することが出来なかった。
もう、何年前のことになるだろうか。生まれてからずっとともに在った半身が姿を消し、
兇悪な敵として舞い戻って来た。それも、二度。
一度目は殺すことも出来ず、助けることも出来ず、半身が暗い淵に落ちて行くのを茫然と
見つめた。二度目は、本当の悪魔となって彼の前に現れた。そしてやはり、救うことは
出来なかった。
半身の魂は闇に浸蝕された島とともに沈み、今度こそ、二度と戻らぬひととなった。
母に瓜二つの美しい女だけが彼の許にとどまり、しかし彼は、ひとりになった。
「ダンテ、」
呼ばわる声はまるで同じ。どうしてこんなにも似ているのかと、不思議でならない。
ダンテはナイフを片手に、鍋の火加減を見ている男に応じた。
「うん?」
見やる先には、自分とほとんど同じ顔立ちの男。
「手が止まっているが、どうした」
男はダンテの半身がそうであったように聡い。ダンテの手が止まっていたのはほんの数秒で
しかなく、妙だと感じられるものは少ないだろうに。
ダンテは肩を竦め、別に、とちょっと肩を竦めて見せた。どこまでも半身に似た男が、これだけで
納得するとは思ってもいないが。
男は案の定眉根を寄せ、鍋の火を小さくしてダンテのそばに近付いた。何をするのかと思って
いると、有無を言わせず手からナイフを毟り取られた。
「私がやってやる」
曰く、危なっかしい、だそうだ。
ダンテは苦笑し、過保護だな、と冗談混じりに言った。男は笑みの欠片もなく、そうでもない、と
呟く。
「アンタは……」
続けようとした言葉は男の鋭い眼に射抜かれ、音になる前に砕けてしまう。男はダンテが今口に
しようとした言葉が好きではなく、ダンテは判っていながらもつい口をついてしまうことが
少なくない。今は巧い具合に飲み込んだけれども。
「……ダンテ、」
不機嫌な声。ダンテは口の中で「悪かったよ」ともぐもぐした。機嫌の悪い時は逆らわぬに限る。
こんなところすら、あまりにも似ていて。
ダンテはキッチンを男に任せ、ふらふらとキッチンから出た。その背中に強い視線を感じながら、
しかし振り向くことはしなかった。
その悪魔は完全な人型を取っていた。殺しかけるまで顔が判らなかったのは、その悪魔が頭から
赤黒い血を浴びていたからだ。
悪魔は彼がその場に辿り着くまでに、五人の男女を惨殺していた。暗い路地にむっと立ち込めた
血と臓物の臭気に、彼は吐き気こそ催しはしなかったが、嫌悪と憎悪を覚えた。何より悪魔は彼の
生涯の敵である。
背に追った大剣をおもむろに抜き、悪魔へと駆けた。憎き悪魔を屠る為、彼の技は存在する。
母を殺し、兄を奪った悪魔を滅ぼす為に、彼はここに在るのだ。
人のかたちをした悪魔は、何故かじっと動かず彼の眼を見つめていた。しかし切っ先が触れると
いう瞬間に、悪魔はふわりと羽のように身を翻して彼の繰り出す刺突を躱した。体勢を立て直す
余裕を失っている彼の右の脇腹に、悪魔の長く伸びた爪が襲いかかる。彼は左手で銃を抜き、
脇の下から悪魔を狙うでもなく撃った。ほとんど本能的に発砲した弾は悪魔の手を撃ち抜き、
しかしそれでも勢いを殺すだけにとどまり、兇刃と化した爪が彼の腰の辺りを斬り裂いた。
彼の頭には悪魔を殺すことしかなく、悪魔の頭には人間を食らうことしかなかったに違いない。
距離を取って再び仕掛けたのは、双方同時だった。
悪魔は稀に見る強敵だった。彼が悪魔にひとつ傷を与えれば、悪魔も同時に彼にひとつ傷を作る。
血が流れ、しかし彼は剣も銃を収めない。悪魔もまたそうだった。
互いを殺すまで、止まらない。
彼は不意に、悪魔が笑みを浮かべていることに気がついた。血塗れの有様で笑う悪魔はいかにも
兇悪だったが、実は彼もまた無意識に笑みを浮かべていたのだ。血塗れの有様で、彼は込み上げる
笑いを噛み殺すことが出来なかった。
愉しい。――――久しく感じぬ血の沸騰するような感覚に、彼は溺れた。
ごとり、と無言でテーブルに皿が置かれた。ダンテは伏せていた瞼を押し上げ、皿を置いた
長い指のずっと上、白皙の美貌を見上げる。男はまだ、機嫌を持ち直してはいないらしい。
眉間に寄った皺は、むしろ増えているような気さえした。
ダンテは「どうも」などと使ったこともない言葉を吐き、憮然としたままソファーに腰掛けた男に
断るでもなく皿を持ち上げた。簡素なパスタはダンテの思った通り味が薄い。ダンテは少し濃い
くらいが好きなのだが、いくら言っても男は右から左で、聞き届ける気もないようだった。
味こそ薄いがまずくはなく、むしろ旨い。だからダンテも強く味付けをどうこう言えないのだ。
どこまでも似ている、男。これ程似ていなければ、或いはもっと別な付き合い方もあるかも
しれぬというのに。
もっとも、あまりにも似すぎているからこそ、ダンテは男を殺すことを躊躇しただけでなく、
こうして同じ家に暮らすなどということをしてしまっているのだけれども。
「なぁ、」
口の中のものを嚥下して、ダンテは隣に座る男を呼ばわった。名前は呼ばない。一度でも口にして
しまえば、何かが終わるとダンテは思っている。
男はなんだと低く応じた。
「……明日、さ」
ダンテはとりとめもなく呟き、よく磨かれた銀のフォークでパスタを混ぜた。
「どっか、行こうか」
夜に。
男は人ではないが、見た目はどこから見ても人のそれであり、魔力も高いぶん、気配すら人に
酷似させることは容易なのだ。昼間に街を闊歩したとて、男が人外であると看破出来るものは
まずいまい。しかしダンテはあえて夜を選んだ。それはダンテの、ある意味で恐れというべき
感情がさせた選択かもしれない。
男はちょっと考えるようにし、構わん、と囁くように言った。
「じゃあ、明日な」
ダンテは頷いて、パスタを一口頬張った。男の顔は、見ないようにして。
勝負は辛うじて彼の勝利で治まった。片膝をついた悪魔にとどめを刺すべく銃口を定め、引き金を
引こうとした彼の指は、しかし動かなかった。顔を上げた悪魔の、一切の感情の抜け落ちた表情。
血塗れだった顔はいつの間にか血糊が剥がれ落ちていて、そうして彼は、躊躇をした。
どうにか引き金を引いたけれど、弾丸は悪魔のこめかみをかすめたてコンクリートに穴を穿った
だけだった。
悪魔はよほど体力を消耗していたのか、最後の銃声の余韻の終わる頃には、朱に染まった
コンクリートに倒れ臥していた。彼もまた自覚する以上に疲労しており、ようようの体で自宅へと
戻る有様だった。
彼が殺すことを躊躇い、放っておくことも出来ず連れ帰ってしまった悪魔は、それから三日、
眠り続けた。
三日目の晩、目覚めた悪魔は彼に何故殺さなかったのかと問うた。当然の疑問だ。彼は悪魔の
燃えさかるような緋の眼を見つめ、ぽつりと言った。
「意味なんて、ねぇよ」
殺すことを躊躇ってしまった悪魔を、彼はもう殺すことは出来なくなっていた。悪魔は
あまりにも、似てすぎていたのだ。
悪魔を拾って、一年。彼はいまだ、過去を振り返ってはため息を漏らす。
1ダンテ。のつもりですけどどうなんでしょう。
正直1ダンテってほとんど書かないのでわからない…;
とりあえず、幸せなのか不幸なのか不明な仕上がりに。
本当は連載で書こうかと思ったんですが…どうしようかなぁ。