終鬼
必要か、必要でないか。それを決めるのは、いるかどうかも判らぬ神ではない。
朝、前の晩にどんなにか遅くに就寝しても、バージルは六時半頃になれば必ず目を覚ます。
どれ程楽しい夢を見ていても同じで、今朝もバージルはいつもの時刻に目覚めた。
夢は、あくまで夢でしかない。しかしバージルには珍しく、また見たいと思わせる夢が
ここしばらく続いていた。
幼く愛らしい子供と戯れるだけの、現実にはありえない夢。しかし夢の中の自分は確かに
その子供を可愛いと思い、そして甘やかした。子供もまたバージルに甘え、小さな手で
しがみついて来た。それはまるで、幼い頃の弟のようで。バージルは子供を愛さずには
おれなかった。
だが、目が覚めてしまえば消えるだけの夢に縋る程、バージルは投げやりではない。夢から
醒めた現実には弟がいて、常にバージルとともにある。今更幼い頃の弟を必要とする程、
バージルは弟に足りないものなど感じてはいなかった。
ぱらぱらと額にかかる前髪を掻き上げ、躰を起こす。前髪が下りていると、弟と全く同じ
容貌であることがはっきり判る。一卵性双生児なのだから当然かもしれないが、しかしバージルは
自分と弟が似ていると思ったことは一度もない。
弟は弟であり、自分ではない。生まれた日も時間も同じ双子だが、対等だと思ったこともない。
それはバージルにとって“当たり前”のことだ。
生まれ落ちるより以前より、バージルは兄だった。それは生まれながらに王者の気質を持つ
ものと同じく、バージルはどこまでも兄といういきものであった。
ふと、ベッドを下りようとして違和感を覚える。空になろうとするベッドを肩越しに見やり、
あぁと思った。弟がいないのだ。
ここ数日、ダンテはバージルと同衾しようとしない。何故かなどバージルが知るよしもないが、
ただの気紛れだろうと思い放置してある。しばらくすれば、また思い出したようにベッドに
潜り込んで来るだろう。バージルはダンテのベッドで同衾するという発想は持たず、一つ肩を
竦めて立ち上がった。
ダンテの部屋はバージルの向かいだ。鍵はお互いかけておらず、入ろうと思えばいつなりと
入れる。バージルは着替えて廊下に出、ちらとダンテの部屋のドアを見た。ぴたりと閉ざされた
ドア。バージルはしかし、視線を呉れただけで階下へ向かった。
適当に朝食を済ませ、コーヒーを飲みつつ新聞に目を通す。相変わらず目新しい事件などなく、
目当てがあるわけでもないのだが、日課のようなものだ。
ダンテは昼前にならねば起きては来ない。その間、バージルがすることと言えばひたすら字を
追うことくらいだ。ちなみに今日は、仕事はない。便利屋などという稼業をしていると、
仕事のない日など珍しいことではなかった。
がたん、と不自然な物音がして、バージルは新聞から目だけを上げた。ダンテがベッドから
落ちたのかと思ったが、音は実際には二階ではなく、事務所の方から聞こえたものだ。
誰もおらず、あるのはダンテの悪趣味な飾りと剣ばかり。その事務所から、何の物音が
したのだろうか。
バージルは新聞を畳んでソファーの端に放り、おもむろに立ち上がった。
事務所には、やはり誰の姿もない。ダンテの趣味を全開にした部屋は、どう見ても悪趣味に
しか映らず、バージルはそのうち一掃してやろうと考えている。今はただ、面倒で放置して
あるだけで。
いったい何が今し方の物音を立てたのか。
バージルは事務所をぐるりと見渡し、ふと、ダンテが愛用する剣が床に倒れていることに気が
ついた。バージルが使う細身の片刃の剣と同様、父の形見である一振りだ。両刃の巨大な剣は
ダンテは性格をよく表しているとバージルは思う。
その大剣のそばに、バージルは近寄り立ったまま見下ろした。と、
ぎち、
髑髏を思わせる柄の飾りが口を開けた。言葉を紡ぐわけではない。この剣には意志らしきものは
あれど、人語を操る程に確立したものではない。バージルは冷ややかと言える目をくっと
細めた。
ぎちり、と髑髏の歯が軋む。
(何が言いたい)
ダンテに従い、ダンテの敵を屠る剣。父からダンテに受け継がれた剣は、何を思って啼くの
だろうか。確固たる意思を持たぬ剣が、何を思うのだろうか。
ぎち、
バージルは剣をそのまま床に放置して、踵を返した。足を向けた先は、ダンテの部屋だ。
ベッドには当然だがダンテ一人分の小山が一つ。頭から毛布を被り、丸くなって眠っている
らしい。バージルはベッドに近付き、無造作に毛布を剥ぎ取った。
「…………」
何も、変わったところのない双子の弟の寝姿。バージルは毛布を床に放り、ベッドに腰掛けた。
眠り続けるダンテの髪を後ろに流すようにして頬に触れる。
ん、と小さな吐息がダンテの薄く開いた唇から漏れた。
ダンテ、と息のみで名を呼ばわり、バージルは枕許に手をついて上体を屈めた。白く滑らかな、
しかし女のそれとは違う膚に唇で触れ、舌を這わせる。髪を掴んで後ろに引き、のけ反った喉に
噛み付きたいと思ったが、それよりも先に唇を塞いだ。口腔をまさぐってやると、さすがに
ダンテの意識が覚醒したらしい。長い睫毛が震え、瞼がじわりと持ち上がる。と、
「……っ……?」
奇妙なことが起こった。ダンテがバージルの姿を認めるなり、押し退けたのだ。
「ダンテ……?」
思いがけぬことに、バージルは珍しくも目を見開いてダンテを凝視した。ダンテの濡れた唇が
開く。
「……俺に触るな」
いつもの軽口を叩く口ぶりとは、明らかに違う声音。バージルは困惑するよりも、強い疑問を
覚えた。
「ダンテ、お前……?」
身を屈めようとするバージルを、ダンテが鋭く拒絶する。
「近寄るな! 俺に……触るんじゃねぇッ」
震える声は、泣く寸前であることを教えている。しかし涙は流れない。何故、涙を堪えてまで
ダンテはバージルを拒絶するのか。判らない。
「ダンテ」
呼ばわる声すら、ダンテは耳を塞ぐことで拒んでしまう。
「もう嫌だ、……やめてくれ……」
丸めた躰は自身を守るように。閉じられた瞳は映る総てのものを排除して。
ダンテは頑なに、全身でバージルを拒む。
「何故、だ。何があった……?」
眠っている間に、――――いや、もしかすれば数日前から前兆はあったのだろうか。
しかしバージルには、それがいつかが判らなかった。
「何故、」
ダンテが肩を震わせた。泣いているのかと思ったが、違った。笑っているのだ、ダンテは。
「何故、って? ……それを、アンタが訊くのかよ、俺に?」
はは、と乾いた笑いが漏れる。
「アンタは……いっつもそうだ、俺のことなんか、いつだって……」
「俺が、何をしたと?」
「……出てけよ」
「何、」
「出てけ。アンタにはあいつがいるだろ。俺なんか……」
またも泣き出しそうな声で、ダンテは言う。
「俺なんか、要らないんだろ……?」
ぱたり、とドアが閉まる。バージルの背後で。バージルは廊下に立ち尽くしていた。ドアを
閉めたのは自分の手か、それともダンテか、それさえもおぼろげだった。
要らない? 誰が、誰を?
「俺が、ダンテを?」
そんなわけがない。自分たち双子に、不要か否かという問いは愚問でしかない。互いが唯一で
あり、同時に絶対である自分たちには。
バージルは握り締めた自身の手が震えていることに気付くことはなく、爪が食い込んで血が
滴ってなお、その場から動くことも出来なかった。
ダンテは自分に属するいきものだと、決め付けて当然のように築いていた“己”が、音を立てて
根底から崩れていく。
壊れた硝子細工を修復する手段を、バージルは果たして持ってはいない。
掌から溢れた血が、ぽたりぽたりと床に落ちた。
たまには兄をばっさりやってみたい。
断じて兄受には走りませんがね。無理。奴は完全攻。
ある意味私が1番サドなのか?まぁ良いけど。
夢ものがどこにたどり着くのか、妙な不安はありつつぼちぼちと。