緋暮ヒグラシ










いつも視界のどこかにある黒い物体がないことに、ダンテは少し首を傾げた。相手は気紛れな 生き物だ。多少姿が見えないくらいで案じる必要はどこにもないし、何よりダンテはその生き物を 飼っているわけではない。
それは、黒い毛並みの艶やかな一匹の猫だ。
猫にはある日偶然路地で出合った。奇妙な声で鳴く猫で、不思議と気が合った。猫と気が合うと いうのもおかしな話だが、実際その黒猫はダンテにすぐに懐き、ダンテのやった餌を疑いもせずに 食べた。

変わった猫だ。

ダンテには無条件に懐いたわりに、何故かバージルにはほとんど近寄ろうともしなかった。 バージルはダンテの双子の兄だ。しかし雰囲気や性格は正反対で、だから猫もバージルには 懐かなかったのかもしれない。ダンテは動物で言えば、猫に似ている。懐く相手は、選ぶ。

寝そべっていたベッドから起き上がり、ダンテは一つ伸びをして部屋を出た。いつもなら足首の 辺りにまとわりついて来る黒い塊は、やはりない。

「どこに行ったんだか……」

猫は気紛れだ。ダンテのように。

とんとんと階段を降り、いつものようにリビングに向かう。リビングと続きになったキッチンに はいつも通りバージルの姿があり、ダンテのマグカップにコーヒーを淹れている。譲歩が伺える 薄めのエスプレッソはダンテの舌にはまだ苦すぎるのだが、ダンテは毎日残さず飲んでいる。 残せばバージルが煩いというのもあるが、残したくないというのが本当のところだ。
バージルはダンテから見てひどく横柄な性格だが、ダンテをよく甘やかしてくれる。口煩く 叱られることも度々あるが、ダンテはバージルに甘やかして貰うことが好きで仕様がない。小言も 言うし何かと怒りっぽいバージルだが、ダンテが甘えればため息一つで甘やかしてくれる。 それが、嬉しいのだ。
このエスプレッソもまた、バージルがダンテを甘やかしている証拠だ。だからダンテは多少の 苦みも我慢するし、残したりはしない。

ずず、と熱いコーヒーを啜り、ダンテはキッチンにいるバージルを上目遣いに見やった。

「なぁ、バージル」

「何だ」

「ユタの奴、見なかったか?」

ユタとは件の黒猫の名前である。野良だった猫にユタと名付けたのはダンテだ。しかし首輪は 着けておらず、故に飼い猫という言葉は誤りではないが正しくもない。ユタはユタの意思で ダンテのそばにいるだけだ。
バージルは昼飯の準備をする手を休めず、いや、と低く呟いた。

「腹が空けば、勝手に戻って来るだろう」

こともなげに言うバージルに、ダンテは目をぱちりと瞬かせた。

「そんなもんか?」

「そんなものだ」

ダンテは今一つ腑に落ちないものを感じながら、しかし「そんなもんか」と納得した。 バージルの言うことは大抵において疑問を持たず信じる傾向にあるダンテは、深くものを考えると いうことがない。

「まぁ、大丈夫か」

などと頷いているダンテに、バージルが言った。

「あれはお前の猫だからな」

バージルの言葉の意味はダンテにはよく判らなかったが、ペットは飼い主に似る、程度の意味に 理解して、ダンテはコーヒーを一口飲んだ。ペットじゃねぇ、と声には出さずに呟いた。










宵。ダンテはバージルと連れ立ってスラム街のとある一角に向かった。いつもの便利屋の 仕事だ。
スラム街のとある廃屋にならず者が集い、それを邪魔と判断した人間からの依頼だ。ならず者は 元々依頼者の下にいた特に柄のよくない連中で、あることがきっかけで追放されたという。 依頼者の下から追われた彼らはスラムに潜み、元主人を逆恨みして命を狙っているのだとか。

目障りな塵を払ってくれ。

ダンテは不快感と同時に依頼者への吐き気を催した。人の命をどうこうする依頼を、ダンテは 基本的には総て断っている。反吐の出そうなこの依頼を請けたのは、傍らにバージルが いたからだ。
塵を払えとあるだけの依頼なのだから、殺さなければ良いだけだ、と。
報酬の額がどうであるとか、そういったことはバージルは言わない。ならず者どもを放置して 依頼主を殺させるか、それとも別の荒事師がならず者どもを殺すのを待つか、どちらかだ。 そんなことを言われてしまえば、ダンテにはもう何を言うことも出来なかった。

狡い、とダンテは思う。バージルはいつもそうだ。狡くて、そして正しい。理不尽なことを 当然のようにしでかすこともあるが、それはそれでまた、狡いとダンテは思う。

スラム街は程良い静けさに包まれている。ダンテとバージルの靴音がやけに大きく響くが、 暗い路地では誰の気を引くこともない。
二人の目指す廃屋は、スラムの一番奥に位置するアパートの跡だ。錆だらけの階段と手摺を 見やり、ダンテは肩を竦めた。
人の気配が三つ。二階の右端に位置する部屋の窓からぼんやりとした明かりが漏れている。 依頼主の情報によればならず者は全部で五人。自分の感覚を信じるなら、二人足りない ことになる。

ダンテはバージルに目配せし、どうする、と問うた。バージルはふんと鼻を鳴らす。訊こうと 思ったのが間違いだった、とダンテはまた肩を竦めた。
出来れば部屋の中がどうなっているか知りたいところだが、バージルは問答無用でドアを ぶち破るつもりでいる。作戦などなくても、ただの人間相手ならばものの一分とかからず制圧 出来るだろう。
とん、と軽く地面を蹴ったバージルに続き、ダンテもひょいと地面を蹴る。階段などという まどろっこしいものは使わない。半瞬先に目的のドアの前に足を着けたバージルは、ダンテが 追いつくのを待たずに閻魔刀を一閃させた。ノブの存在は端から無視だ。
一瞬にしてばらばらに刻まれたドアの成れの果てが床に落ち、ダンテはバージルの脇を すり抜けて先に部屋に飛び込んだ。不意の侵入者に、室内にいた男どもはぎょっとしている。 それはきっと、ばらばらになったドアを見ての驚愕も含まれているに違いない。

ダンテは脚に巻き付けたホルスターから黒い銃を引き抜き、三発、無造作に撃った。仕種は 投げやりでも狙いは正確そのものだ。弾は浮き足だった三人の脚――――腿を綺麗に 打ち抜いた。
ぎゃあ、と太い悲鳴が上がる。

「喚くな」

静かな声と共に、空気が揺れる。バージルの閻魔刀が、痛みに蹲ろうとした一人の手首の筋を、 銃を手に取り反撃に出ようとした二人の小指を斬り裂いた。キン、と納刀したバージルの斜め 後ろで、ダンテは銃をそっと納めた。

「あと、二人」

呟く声は掠れていて、ダンテは自分が情けなくなる。まだ気を抜くには早いと、バージルの 鋭い目がダンテを見据えた。

「……判ってるよ」

ため息が出る。その時、たたっと黒い何かが駆け寄って来てダンテの肩に軽々と飛び乗った。 ふわふわの毛並みに長い尻尾――――ユタだ。

「お前、なんで」

頬に鼻先をすり寄せてくるユタの頭を掻いてやると、ユタは喉をごろごろと鳴らした。 柔らかな毛並みの感触が心地好い。目を細めるダンテを、バージルが行くぞと促した。その反対の 耳に、別の声が。

「廊下に男が二人、銃を構えて待ち伏せてる」

気をつけろ。

誰の声かは、判らない。しかしダンテは不思議と疑問に感じず頷いた。

「判った、」

一度しまった黒銃を再び抜く。部屋の外には人の気配はおろか殺気の欠片も感じない。かなりの 手練だ。

「さ、行こうぜ」

言って、無防備なままドアがあったところへ足を向ける。肩に乗った黒猫が、にゅう、と 鳴いた。やはり、変な鳴き声だ。ダンテはひとつ、くすりと笑った。









悪魔絡みではない仕事を、ダンテはあまり仕事だとは認識していない。悪魔狩りこそ自分の 生業と決めているし、人間相手の仕事は煩わしさが付きまとってどうにも好きになれない。
ダンテは苛立ちを紛らわす為に愛銃の手入れをし、視界の端にある黒い塊に声をかけた。

「お前、あんなとこで何してたんだ?」

相手は猫だ。答えなど期待していたら頭のおかしい奴と見なされてしまう。が、ダンテはユタに 話しかける。ユタは人語を話さないけれど、理解しているとダンテは無自覚に確信して いるのだ。

「にゅう……」

ユタのおかしな鳴き声。ダンテは銃に注ぐ視線を外さぬまま、笑った。

「まぁ、良いんだけどな」

人にしろ、猫にしろ、離れて行ってしまうことは寂しいし、つらい。視界の端でふわりとユタの 長い尻尾が揺れて、ダンテの手首をそっと撫でた。どこにも行かない。そんな声が聞こえた気が した。



















戻。



なんだか久しぶりの黒猫でした。
猫、どこ行ってたのかはスルーで。
日向ぼっことかだったら良い。←何で。