石楠花シャクナゲ









それは遥かなる御伽草子。










ある明るい月夜の晩、子供が一冊の絵本を胸に抱いていた。
左手で本を、そして右手で、兄の服の裾を掴み。じっと兄の横顔を見詰めている。

兄は――――と言っても双子なので、歳は同じなのだが――――幼さの感じられぬ溜息を 吐き、読んでいた本をぱたりと閉じた。

「……貸してみろ」

言ってやると、弟はぱっと顔を輝かせた。それを見て、兄は少し苦笑した。全く、 甘えるのが上手い弟だ。

弟が手にしていた本は、つい最近、母がこの子供に読んでやっていた絵本だった。
いたく気に入ったらしく、読んで欲しくてねだって来るのは、これで三度目になる だろうか。

どうも、弟は本を読むということが苦手らしい。こんな絵本ですら、自分では 読もうともせず、母か兄が読んで聞かせてやらねば興味も抱かない。
興味を持ったら持ったで、何度も繰り返し読んでくれとねだるのだ。 それも、二度目以降は母には頼まず、相手はいつも兄だった。

兄は弟の手を引き、ベッドに腰掛けた。

「ほら、ここに座れ」

弟はこくりと頷き、兄に寄り添うように腰を下ろす。きし、とスプリングが微かに 軋んだ。

何度も読んで貰っているということを気にしてか、いつもならよく喋る弟が、 今日はひどく大人しい。それも、兄は可愛いものだと思う。別段、絵本を読んでやる程度の こと、どうということもないというのに。

むしろ、と思う。

何故かは知らぬが、母には頼まず自分にしかねだって来ないことに、兄は小さな満足を 感じてすらいる。
彼らは子供で、確かに幼い。しかし、純粋な弟とは違い、兄はおよそ子供らしい子供では なく、既に自己というものを確立していた。

おそらくそれは、弟に対する愛情の上に成り立っていたのだろう。親愛ではなく、 もっと深い“何か”。

膝の上に広げた絵本を、隣から覗き込む弟の大きな瞳。
ちらと弟を見やれば、彼もまた兄をちらと見やった。全くの無意識。そんなことが、 この双子の兄弟には度々ある。

互いに、互いのことが何となく判る。全く同じ血を持ち、ほぼ同時に母の胎内から生まれ 落ちた双生児には、そういったことがよく見られると言う。
兄には、そんなことはどうでも良かったが。

己の傍らに弟がいて、そして見守るように母がいる。兄にとって、それが総てなのだ。

隣に座っていた弟が、眠くなってきたのか、ベッドに全身を上げ、横になった。頭を兄の 太腿に乗せて。こんな甘え方も、母にはしない。何故かは知らない。 知る必要もないことだ。

「もう寝るか?」

うとうとと瞼が落ちて来たらしい弟に、兄は言った。弟は兄の脚に顔をこすり付ける ようにし、首を左右にする。まだ寝たくない、と。
兄は小さく肩を竦めた。眠りたくないと言いながら、弟は兄の太腿に顔を埋め、 既に夢の国へと誘われているようだった。

「仕様のない……」

呟き、兄は弟の頭を撫でた。白に近い銀色の絹糸が、絡むでもなく指の間を滑っていく。
すっかり寝付いてしまった弟を起こすことはせず。双子の兄と弟は、同じベッドで 朝を迎えた。







浅い海を漂うように、夢は意識の深層に微睡む。







目を覚ませば、そこは見知らぬ部屋だった。
絹の天蓋に覆われた寝台の上、彼は慌てることも驚くこともなく躰を起こした。ここは どこなのか、そんな当然の疑問すら、彼には無縁だった。何故なら彼は、これが夢だと いうことが判っていたから。

派手ではないが、無駄に豪奢な寝台を抜け出すと、やはり部屋も贅を凝らした装飾に 溢れていた。趣味ではない。声に出して呟いた時、重厚な扉がコツコツと鳴いた。 ノックの音だ。

「…………」

彼が反応しないでいると、訪いを告げる音は少し大きなものに変わった。仕方なく、 扉に近寄り入室を許可してやる。
かちりと扉が開き、現れたのは執事姿のアーカムだった。

「……アーカムか」

そう来たか、という意味の呟きに、アーカムは慇懃な礼を施すことで応じた。

「おはようございます、皇子」

皇子……。薄ら寒い単語を恥ずかしげもなくアーカムが口する。夢でしか有り得ぬ状況を、 彼は第三者的な視線で考察した。

どうやら、どこぞの国の皇位継承者になっているらしい。そしてアーカムは、 執事と言うよりは皇子付きの教育係りと言ったところか。

夢というものは、突飛なことをしでかすものだ。

どこまでも冷静に、彼は溜息を吐いた。
アーカムがにこりともせずに――――この男が笑うところなど、想像も出来ないし したくもないが――――人を不快にさせる声で告げた。

「朝早くに申し訳ありませんが、皇子にお目通りを請うている者がおりまして、 ご指示を仰ぎに参りました」

つまりは客か。別に断る理由もなく、彼はとりあえず頷いた。

「判った。ここに通せ」

「承知致しました」

慇懃無礼、という言葉が似合うアーカムが部屋を去り、彼はまた、だだっ広い空間に 一人になった。
アーカムが客人を連れて来るのが先か、それとも夢が醒めるのが先か。どちらでも、 彼にはどうでも良いことだが。

ふと、服は何を着けているのか、と自身を見下ろした。“起きて”から着替えなど何も していないのだが、明らかに寝具ではない洋服を着ている。雰囲気から察するに、 中世の欧州といったところか。

そんなどうでも良いことを考えいると、また扉が鳴いた。アーカムだろう。溜息一つ間を 置いて、入れ、と短く言った。
先刻と寸分違わず、同じ動作でアーカムが部屋に足を踏み入れる。粗悪なビデオテープでも 再生しているようだ。もしくは、この夢自体が出来の悪い映画の一幕のような、 そんな雰囲気がある。

「お連れ致しました」

ぼそりとアーカムが言い、脇に避けるようにして客人を促した。
眠気しか誘わぬ詰まらない映像。しかし、アーカムに導かれて来た客人に、彼は表面には 出さず目を瞠った。それは紛れもなく、彼の双子の片割れだった。

「…………」

言葉を失う程驚いたということはないが、彼は声もなく己の半身を見下ろした。片割れも また、彼を見上げてくる。……おかしいことに、すぐに気付いた。

見下ろす? 見上げる? 何故。

自分と片割れは全く同じ体躯をしているのだから、 自分だけが背が高いなど、普通に考えれば有り得ない。
しかしこれは、そう、夢なのだ。

一種の空想―――― 一夜の幻。

アーカムに下がれと命じ、彼は少年の姿をした弟と二人きりになった。少年は居心地悪そう に手を組み合わせ、しかし視線は彼から外そうとはしない。

「……ダンテ、」

彼は無意識に少年の名を呼ばわった。少年の大きな目が、いっぱいに見開かれる。どうして、 とその表情が雄弁に語っている。それで、彼はこの夢の中では、少年と自分が全くの 他人なのだと悟った。

少年となったダンテが、驚きを隠すこともせずに言った。

「覚えててくれたの?」

どうやら、面識だけはあるらしい。ダンテの方は、こちらはもう忘れていると思っていた ようだが。
彼は無論のこと、このダンテとどこで会ったかなどは覚えてはいない。が、知っている。

「ダンテ、だろう」

「――――うん、」

ダンテの幼い面立ちが、くしゃりと歪む。泣くのを堪えているのだと、 彼にはすぐに判った。

ただ名前を覚えていただけのことで、こちらのダンテは泣く程の嬉しさを感じている。 彼が小さく驚いていると、ダンテが突然抱き付いて来た。がばり、と、そんな擬音が ぴったりだ。

「どうした」

問うてやると、ダンテは彼の腹に顔を押し付け、ふるふると首を横にする。その仕種は、 確かに彼のよく知るダンテのものだった。

彼は胴にしがみつく子供の、形の良い頭を撫でた。覚えのある、感触。幼い頃、よくダンテの 頭を撫で、髪を梳いた。ダンテは口にこそしなかったが、そうされるのが好きだった。

この、小さなダンテも。

彼が手を止めると、ダンテはぎゅうっと彼の服の裾を掴み、いやいやをするように額を 擦り付けてきた。仕方なく髪を撫で梳いてやると、満足したように大人しくなった。

不意に、

「名前、」

とダンテが単語だけ口にした。名乗っていなかったのか、と思ったが、 そうではなかった。

「名前、呼んで」

あぁ、と彼は思った。少年は、自分の名を呼んで欲しくて言っているのだ。

「――――ダンテ」

望む通り、少年の名を呼んでやった。

「もっと」

せがまれ、また名を呼ばわる。

「ダンテ、」

「……もっと、呼んで」

「ダンテ。……ダンテ」

腰に回されたダンテの小さな手が、きゅっと握り締められるのを感じた。つと、 ダンテが視線を上げ、こちらを見上げた。

「―――― バージル、……」










「おい、バージル、」

訝しげに名を呼ばれ、バージルはふつりと夢から醒めた。息が触れ合いそうな程間近で、 ダンテが目を覗き込んでいる。

「お前がうたた寝するなんて、明日は雨だな」

いや、雪かみぞれか、それとも雹か、などと好き放題に言い、ダンテが笑う。

そうか、眠っていたな。

バージルはあくまでも冷静に思い、目の前の弟を見つめ返した。自分と同じく、 歳のわりに背が高く、発展途上ではあるが引き締まった躰。そしてバージルとは正反対の、 好奇心の強い挑発するような薄い空色の双眸。

現実に戻ったのだと、妙に感じた。

「おい、バージル? まだ寝てんのか?」

んー? と首を傾げる弟を、バージルはおもむろに抱き締めた。予想だにしなかったのか、 ダンテはぎょっとして目を見開いた。

「な、何だよ!? まだ寝惚けてんのか?」

ソファーに腰掛けたバージルの脚を跨ぐように抱き寄せられているため、ダンテの姿勢は まるで幼い子供のようだ。

バージルはダンテの肩口に額を付け、「いや、」とだけ言った。

「何なんだか……」

抵抗するでもなく腕の中にいるダンテの匂いを心地好く思いながら、バージルは夢でした ように弟の髪を梳いた。

「夢は、たまにで良い」

ぼそりとした呟きはダンテの耳にも届いただろう。けれどダンテは何も言わず、 真似るようにバージルの肩に頭を乗せた。




一時の夢や幻ではなく、何気ないうつつにこそ幸福はある。



お伽の国に溺れる程、バージルは現実に飽いてはいないのだから。



















戻。



何だコレは。って、何か前にも同じこと言った覚えがあるような…
冒頭部分も全部夢でした、という、後から思い付いたのを採用して玉砕。。。
成功した試しはありません…

タイトルには全く意味はありません。辞書広げて、適当に響きが気に入ったもの。
ついでに花言葉なんかも全く知りません。
残念ながら、私にはそういう知識が皆無なのです;
深く考えないでさらりと流して下さると有り難いです。