流砂ナガレルスナ









昔から、雨はあまり好きじゃなかった。
濡れることが嫌いなんじゃない。じめじめするから嫌いってことでもない。
ただ、総てを洗い流してしまうその水が、どうしようもなく嫌いだった。









その日は朝からどんよりとした曇り空で、今にも雨が降りそうな嫌な天気だった。

ダンテはコートの裾を風に遊ばれるままにして、灰色の空を見上げた。ぽつ、と額に 雫が一滴落ちてくる。次いで、頬に一滴。もう一滴。
ダンテは舌打ちをして駆け出した。
仕事は既に終わらせた。急いだところで濡れることは必至だろうが、ここで雨が 強くなるのを待つことは無意味だ。

早くうちに戻ってシャワーを浴びよう。
熱いシャワーを頭から浴びて、それから……

ダンテは自嘲するように鼻で笑い、本格的に降り出した雨の中を走り抜けた。





結局、家に辿り着いた時、ダンテは頭の先から爪先までずぶ濡れになっていた。
ごわごわになったコートを脱ぎ、水の滴るそれを床に放り出して風呂場に行った。 まだバージルは帰っていないらしい。でなければ、床に放られたコートを見逃す筈がない。 小言に近い叱責を、殺されるのではないかと思うような睨みをくれながら言われるのだ。

バージルがいないのを確認したから、コートをそのままにしたというわけでは、 別にないのだが。

シャワーのコックを捻ると、熱い湯が湯気をたてて降り注いだ。俯いてそれを受けながら、 ダンテはしばらく動かずにいた。
両腕はだらりと垂れ、どこか悄然とシャワーにあたる。流れ落ちる湯とともに、 躰が温まっていくのが判る。

だが、躰の芯は冷えたままだった。これは簡単なことでは温まってくれないのだと、 ダンテは知っている。

「…………」

喉の奥で、ぽつりと呟いた一つの名。呼び掛けるではなく、ましていて欲しいと 思ったわけでもない。ただ、何故いないのかと、少しばかり恨めしく思った。



淡い青のジーンズを履いただけの恰好で、ダンテはぺたぺたと音をたてながらリビングに 行った。

裸足で歩き回るな。
ちゃんと服を着ろ。
髪を拭け。

バージルがいれば、立て続けに言われるに違いない。しかし、バージルと違い無頓着な ダンテは、面倒臭いというだけで一つも実行には移さないのが常だ。そして。

「……風邪を引きたいなら、勝手にするが良い」

突然、冷ややかな声が降った。ソファーに寝そべっていたダンテは、思わず ぎょっとして飛び起きた。

「ば、バージル!?」

いつの間に。全く気配を感じなかった。注意力が散漫になっていたというだけでは、 説明がつかない。
狐につままれたような表情をしていたのだろう。バージルは呆れたように肩を竦めた。

「今帰った」

「そりゃ、見れば判るよ」

「そうだな」

淡々とした、いつもの物言い。
ダンテは不覚にもほっとしている自分に気付いてしまった。

バージルはダンテがそうだったように、雨に打たれてきたらしい。青みがかった銀髪は水が 滴っている。しかしダンテが意外に思ったのは、バージルが濡れた服をそのまま身に 着けていることだ。バージルの性格から言えば、真っ先に着替える筈なのに。

怒られるかな、とダンテは思った。玄関先に脱ぎ捨てたコートのことだ。 どうやっても目に付く位置に置き去りにしたあれを、バージルは見咎めたのだろう。 その程度しか、ダンテに思い当たる節はなかった。けれど、違った。

「来い」

低く命令され、ダンテは眉根を寄せた。

「どこに」

問えば、既に背を向けていたバージルが振り向きもせずに言った。

「風呂だ」

「はぁ? なんで俺が」

さっき入ったばっかりなのに、と訴えるが、バージルは聞く耳持たずとでも言いたいのか、 もう一度「来い」と短く言うだけだ。

「…………何で、」

ダンテは渋々バージルの背を追った。諾々と従うのは腹が立つが、しかしここで 無視すれば後がどうなるか判らない。
バージルは無感動な男だが、表面に表れないだけで、キレると手が付けられなくなるのだ。 それで被害を被るのは、確実にダンテである。

従うしかないという状況に、内心で腹を立てるだけで納めねばならない。それも、 腹立たしかった。



バージルは無言で脱衣所――――洗面所と兼用だ――――に入り、後に続いたダンテを 確信するように視線を向けてきた。

「……、何だよ」

じろりとダンテが睨み返すと、バージルは抑揚のない声音で呟いた。

「寒いか?」

「アンタが帰って来る前に入ったばっかだぜ? 寒いわけねぇだろ」

鼻で笑ってやるが、ダンテは判っていた。今自分の口から紡いだ言葉が、 半分は嘘だということを。そして、バージルはそれに気付いているということも。

「ダンテ、」

駄々をこねる子供をあやすような声で名を呼ばれ、ダンテは唇を噛んだ。

「……っ、んだよ」

床に落とした視線の先に、バージルの足が映る。その途端、ぐいと顎を持ち上げられた。 驚く間もなく、唇を塞がれる。バージルの碧い双眸が、ひたとダンテを見据えている。

「……ぁ……」

合わさった唇の隙間から、間の抜けた溜息が零れた。何となく恥ずかしくなって、 ダンテはそれを誤魔化すように舌を絡めた。
視線を逸らすのはこちらが負けたような気になり、代わりに目を閉じる。唐突なキスは、 思わぬ程深いものに変わり、どちらもがいつまでも互いを離そうとはしなかった。

舌と舌が絡まり合う。
先に根を上げたのはダンテの方で、無意識に逃げようと引っ込めたそれを追い、 バージルの舌がダンテの口腔をまさぐった。歯列を丁寧になぞり、 口蓋を撫でる舌先の動きに、ダンテはぞくぞくと躰を震わせた。

「は……ぁ、ん……」

何ごとにも淡泊で、総てのことに無関心なバージルは、しかしダンテを相手にする時だけは 人が変わったようになる。普段は見せることのない執着という感情を、唯一ダンテに 対してのみあらわにする。

バージルが執拗なまでにダンテに愛撫を施すのは、その最たるものである。

恐れるように小さくなっていた舌を、バージルのそれが探り当て、搦め取られる。 ねっとりと舌の表面や裏側をなぶられて、ダンテの息がいよいよ上がる。

「んっ……ぅ……ん、ん……っ」

足先から膝、そして腰と、空気が抜けでもするかのように力が抜けていく。
ダンテはバージルの肩にしがみつくが、それでも自身の躰を支えることが出来ず、 床にへたりこみそうになった。が、バージルの右腕がダンテの腰を抱き、左腕が二の腕を 掴んでぐいと引き寄せた。
バージルの服はまだ濡れたままだが、触れ合う箇所が、酷く熱いとダンテは思った。

「ぁ……バ……ジ、ル……」

重なる唇の微かな隙間から、ダンテは掠れた声を紡いだ。応じるように、 バージルがダンテを強く抱き締め、湿った髪を撫でた。
最後に、とばかりに口腔を一舐めされ、ようやく唇が離される。唾液に濡れた唇を、 バージルの舌がなぞった。その仕種があまりに優しくて、ダンテはついバージルの首に 両腕を回し、抱き付いた。

「ふぅ、ん……バージル……」

甘えるような声が零れてしまい、ダンテははっとした。慌ててバージルから離れようと するが、バージルはそれを許さなかった。

「まだだ」

男はやはり熱の籠らぬ口調で言い、ダンテの首筋に唇を押し当てた。
肌をきつく吸われる感触に、ダンテはびくりと首を竦めた。色素の薄い肌に、 バージルが花びらを散らしていく。ダンテにはその痕は見えないが、ちくりとした 小さな痛みはいちいち判る。その度に小さく躰が跳ねることが、何となく嫌だった。

「バージル……っ」

やめろ、と言うより早く、遮るようにバージルが言った。

「……すまん」

何に対して、とは口にせず、地を這うような声で、バージルは謝罪の言葉を紡ぎ出す。
ダンテは掴んでいたバージルの肩に爪を立てた。

「……っ」

何が、とは問わない。ただ、非難の言葉を。

「アンタの所為だぞ……っ! アンタが……!」

「あぁ」

「こんな雨の日に、なんで独りにすんだよ……ッ!」

ダンテはバージルの胸に額を擦り付け、喚いた。

「雨なんか大ッ嫌いなんだよ! てめぇの所為で!」

バージルは肩に食い込むダンテの爪を痛いとも思わず、淡々とダンテの髪を撫ぜる。

「知っている」

ダンテは昔から雨が嫌いだった。が、以前の比ではなく忌み嫌うようにさえなったのは、 バージルがダンテの許を去ってからだった。

雨が降るたびに、バージルのいた痕跡は消えていった。
降りしきる雨が、バージルの匂いを洗い流していった。

ダンテの許には、何も残らなかった。

雨の日には、どれだけ悪魔を狩って血を昂ぶらせようと、心の芯は冷めたまま。 熱いシャワーを浴びていても、それは凍り付いたまま、溶けることを知らなかった。
 
今――――バージルが戻って来た現在ですら、まだダンテはその時の 心傷を拭えずにいる。

「バージル……っ、」

側にいて、などとは、口が裂けても言えないけれど。しかしバージルにはダンテの 思いが伝わったのだろう。小さく震えるダンテの躰を抱き締め、

「どこにも行かん。……ここに、いる」

お前を独りにはしない。そう、ダンテの耳に囁いた。

ダンテは無言で頷き、そうしてバージルの胸から顔を起こした。年甲斐もなく 喚いたことが、酷く恥ずかしい。
そっぽを向いて、ダンテは憮然として呟く。

「……悪ぃ」

「構わん。……ダンテ、」

「ん?」

「すっかり冷えたな」

ダンテの髪を梳きながら、バージルが出し抜けに言った。ダンテは一瞬きょとんとしたが、 次の瞬間にはにやりとしてバージルの胸板を叩いた。

「あんたもな」

濡れて冷えきっているのはお互い様だ、とダンテは笑った。バージルは「ふむ」と一人ごち、 何を思ったか、

「ダンテ、脱げ」

などと宣った。

「は?」

「冷えたなら、温めれば良い。違うか?」

「な……それ、まさか……」

まさか、一緒に入ろうと言うのではあるまいか。
ダンテの危惧は、現実のものとなってしまった。

「温まりたいのだろう?」

珍しくも好色そうな笑みを浮かべるバージルに、ダンテは引きつった笑いを 漏らすしかなく。

「バージル、アンタ最初っからそのつもりで……っ?」

「お前が寒そうにしていたのでな」

「俺の所為かよ!?」

「さっさと脱げ。……脱がして欲しい、と遠回しに言っているのか?」

「んなわけねぇだろ! って……ちょっ、やめろ、馬鹿!」

「黙れ。もう一度塞いで欲しいか?」

思わず押し黙ったダンテに満足したか、バージルは一つ頷き、褒美とでも言うように ダンテの頬にキスをした。
ダンテは硝子玉のような瞳を丸くして、双子の兄を凝視する。

「……何かあったのか、アンタ?」

バージルはいつもの仏頂面で、いや、とダンテに背を向けた。そして、ぼそりと呟く。

「俺も、甘いな……」

その呟きはダンテの耳に届くことはなく。

結局、ダンテはバージルによって躰の隅々まで洗われるという、 想像を絶する激しい羞恥に堪えねばならなかった。



















戻。



…何コレ。
別に甘いバジダンを目指したわけではありません。
書き殴りのため、内容はかなりあやふやです。勢いで書いた…。