誘蛾ユウガ









最悪だ。

天気は快晴。風は少し湿っぽいが、良好。じわりと滲む汗が強い風に吹かれて散る。文句なしの 夏の一景。
が、ダンテの気分と機嫌はまさしく最悪だった。原因――――むしろ諸悪の根源――――は、 隣を歩く双子の兄だ。

「……バージル、」

自分と同じ顔、同じ体躯の兄を呼ばわる。応じる声は、変わらず短い。

「何だ」

聞くものを少なからず畏怖させ威圧する、王者然とした雰囲気がバージルにはある。しかし ダンテには、無駄に高圧的で偉そうだとしか思わない。

「何だって、お前……判っててわざとだろ、それ」

じと、と睨み付けるダンテだが、常人ならば竦み上がるだろうそれが、バージルには全く 効かないというのは判っている。判っていても、ダンテの気は収まらぬのだ。
バージルはこちらを見もせずに、淡々とした調子で言った。

「それが何だ?」

返す言葉もない、というのはこのことか。ダンテは少しだけ学習した。しかしバージルを 相手にしていると、こんなことは日常茶飯事なのだから救いがない。

「……外せよ」

へこみかけた気持ちを何とか持ち直し、ダンテは声を低めて言った。普段の軽い調子がなりを 潜めると、考えられない程に凄味が出る。尤も、それすらバージルには通用しないのだが。

「断る」

バージルの答えはにべもない。ダンテはしかし、引き下がるわけには行かない理由がある。

「外せよ! これじゃ俺が……っ」

ひた、とバージルが流し目をくれるようにダンテに視線を据えた。

「俺が?」

氷点下の瞳に不覚にも竦みそうになったが、ダンテは耐えた。そして叫ぶ。

「俺が変態みたいじゃねぇかッ!!」

「…………」

奇妙な沈黙を作るバージル。何故か息切れを起こすダンテ。両者はしばし睨み合い、 その果てに。

「…………だから何だ」

崩れ落ち、地面に両手を付けてうなだれた。誰が、などあえて言うまでもない。

「何をしている。歩け」

居丈高な命令に、最早抗う余力は残されていなかった……。





頭に耳、腰に尾が生えるというダンテの奇妙な変化は、しかしバージル以外の人間には、 完全なる犬に見える。

エンツォの来訪によって、つい昨日にそう結論付けられた。
ダンテとしては、紛れもない悪夢だ。

耳と尾が生えただけでなく、バージル以外には自分が完璧に犬にしか見えていないなど、 悪夢以外の何ものでもない。
何も知らないエンツォはエンツォで、首輪を付けろ、などととんでもないことを捨て台詞にして 帰って行った。それから後は、冗談抜きで地獄だった。

バージルが、本当に首輪とリードを用意していたのである。

ダンテは勿論嫌がった。というより、激しく拒絶した。
当然だろう。いかに人の目には犬に見えると言えど、ダンテは人間だ。首輪を付けられるなど 笑えもしないし、むしろ悪趣味なプレイとしか思えない。
逃げ回りながらそう喚き散らした結果は……現在の通りだ。

結局、ダンテは逃げ切ることが出来なかった。

しかも気味の悪いことに、その首輪はダンテの首にぴったりというオチ付きだ。はっきり 言って笑えない。笑えるものか。

昨晩はやけにテンションの上がったバージルに好き放題され、更には朝まで挑まれ続けたもの だから、現在進行形で躰は怠く、かつ腰は嫌な痛みを常に訴えている。それなのに、昼過ぎに 起きたダンテの顔を見るなりバージルは言ったのだ。

――――買い物に行く。

だから準備をしろ、と。

付けっ放しにされた首輪をそのままに、ダンテはわけも判らぬまま連れ出され、今に到る。

これは何か。拷問の一種か。

ダンテは首輪に繋がったリードを握る、バージルの横顔を睨んで本気で思った。
恐ろしいことに、バージルは極めて真面目なのだ。絶対楽しんでる、というのがダンテの考え で、それもなきにしろあらず、ではあるが。

「……くそ……」

今のこの状態で、バージルにリードを引かれて店に入る。それこそ悪夢だ。ダンテは何とか 逃げられないかと必死に考えるも、バージルにリードを握られていてはどうにもならない。
バージルの馬鹿力はダンテのそれを悠に凌ぐ。
諦めるしかないのか。肩を落としたダンテは、不意にリードを引かれて首が絞まりそうに なった。

「ぅえ……っ!」

犯人は勿論バージルだ。

「っに、すんだよっ!」

涙目になって振り返れば、バージルは冷ややかに曰く。

「行き過ぎだ」

申し訳ありません、ご主人様。などという寒い科白を言えるダンテではない。

「口で言えよ! 引っ張る前にさぁ!」

確かに、ぼんやりしていて店の前を通り過ぎようとしていたダンテも悪い。が、バージルが そうと言って止めてくれていれば、首を絞められることなどなかったのだ。
しかしバージルはどこまでも冷めている。

「面倒だ」

「…………」

またしても言葉を失ったダンテには一切構わず、バージルは店の入口を押し開けた。自動扉の ない、小さくはないが古い雑貨屋だ。ダンテを連れて一歩店に入ったところで、

「お客様ぁっ! す、すいません、犬は……っ」

物凄い慌てようで、店員が飛んで来た。バージルとダンテは顔を見合わせる。

「申し訳ありません、当店はペット同伴はお断りしていまして、その……」

しどろもどろに訴える女性店員に、バージルが「ふむ」と片眉を上げた。

「つまり、入るなら犬は外に繋いでおかねばならないということか」

ごく自然に犬と言われ、ダンテはぎっとバージルを睨む。が、バージルはこちらを見も しない。
ダンテの機嫌が下降したのを察してか、女性店員がぺこぺこと 頭を下げた。

「すいません、すいませんっ! うちの店長が犬嫌いで…!」

私は大好きなんですけど! と、聞いてもいないしクレームを付けたわけでもないのだが、 女性店員は何やら必死に弁解する。おそらくは、以前同じように犬を連れた客に、酷く文句を 言われでもしたのだろう。
さすがのダンテも、「俺は人間だ!」と無意味な主張を叫び、店内に乱入する気にはなれない。 そんなことをしたら、この気の弱そうな店員が哀れでならない。

むぅ、と唇を噛んだダンテは、バージルが横目で自分を見つめていることには 気付かなかった。

「……仕方ない」

バージルは軽く肩を竦め、ダンテを促し店の外に出た。

「この辺りで良いな」

バージルが呟く。半分は独り言。半分はダンテに向けたものだ。

「良いな、も何も、何で繋がれなきゃならねぇんだよ」

店に入らなければ良いだけだろうに、バージルはリードを街灯のポールに巻き付けようと している。これでは、傍目はどうであれ、完全に変態だ。

(……って、そればっかじゃねぇか)

「繋ぐなよ。どこにも行かねぇからさ」

「駄々をこねるな。三十分程の辛抱だ」

「いーやーだー! 首輪だけでも嫌だってのに、何で!」

「……理由を聞きたいか?」

す、とバージルが目を細めた。ダンテは全身の血がざぁっと音を立てて引いたのを、生々しく 感じた。

「いっ……いいです、聞かなくていいです!」

「そうか、良い子だ」

氷の微笑を湛え、バージルがダンテの頭を撫でた。昨晩の情緒を彷彿とさせる、どこか いやらしい触れ方だ。ダンテの背筋がぞくりと粟立つ。

「……っ……!」

この時点で、ダンテの頭に生えた犬の耳はぺたりと垂れ、尾はくるんと丸まり、どちらも ふるふると震えている。
本体の感情をより率直に表すのが、この耳と尾だ。自覚のないダンテは、バージルが楽しげに 笑んだことは判ったが、それが何故かなのかは判らない。

「……は、早く戻って来いよ?」

まるで「捨てないで」とでも言って縋るかのような、寂しげな声と瞳。どんなに酷薄な兄で あれ、ダンテをダンテとして認識出来るのはバージルしかいないのだ。バージルがいなければ、 ダンテはただの犬でしかない。
バージルはふっと笑い、十分で戻る、と言い置いて踵を返した。
ダンテはバージルの背を見送り、店に入ってしまってもまだぼんやりと眺めていた。




そして十分後……。

ダンテは目の前に腰を落とした男を、言葉もなくじっと睨んでいた。バージルではない。 記憶にはない、全くの他人だ。
男はつい今し方、街灯に凭れてバージルを待つダンテに見付け、良い犬だな、などと宣って 側に寄って来たのだ。

「頭も良さそうだし、目付きも良い。それに銀の犬なんて見たこともねぇ」

男は犬好きなのか、目を輝かせてダンテを賛美し、挙句、

「お前どこの犬だ? 捨てられたのか?」

と来た。ダンテはカチンときて、思わず声を張り上げてしまった。

「誰が捨て犬だゴルァ!! ふざけんな、てめぇ!」

噛み付かんばかりに吠え立てられ、男は竦み上がるかと思いきや、逆に一層ダンテを気に 入ってしまったらしい。

「良いなぁ、良すぎだぜ、お前! なぁ、旨いもん喰わせてやるから、俺んとこ来ねぇか?  な?」

餌付けする気か、この男。ダンテは更に頭に血を昇らせた。が、旨いもの、という単語に、 ダンテの躰が意思に反して反応する。つまり、腹の虫が鳴いてしまったのだ。

「…………!」

咄嗟に顔を赤くしたダンテに対し、男は嬉しそうに破顔する。

「お前、腹減ってるんだな。俺のとこに来れば、毎日腹一杯喰わせてやるぜ」

だから、な?

男は調子に乗って、街灯に巻き付けられたダンテのリードを解きにかかった。

「あっ……馬鹿、やめろっ!」

ダンテは慌てて男の手を引っ掻いた。

「いてっ……何だ、そんな急かさなくても、すぐ自由にしてやるよ」

「余計なことすんなっつってんだ! この勘違い野郎!」

いくら罵ったところで、今のダンテはバージル以外の目には犬にしか見えず。声は無き声に しか聞こえない。

「はいはい、もうちょっとの辛抱だからな」

楽しそうに、心底楽しそうに言うこの男には、ダンテの怒りなど通用する筈もない。
ダンテは焦った。

(どうすりゃ良い……!? もう殴り倒すしかねぇぞ!?)

そんなことをしでかせば、バージルはこの店に出入り禁止になり兼ねないのではないか?
それよりも、そうだ。バージルが早く来てくれれば良いのだ。十分で戻ると言っていた。 バージルの性格からして、あれは適当に言ったのではない筈だ。

その間も、ダンテはリードを完全に解かれ、男に連行されかかっている。首に食い込む首輪が 気持ち悪い。このままでは、本気でこの男を半殺しにしてしまいそうだ。

「や、め……嫌だっ、バージルぅッ!!」

叫んだ、その瞬間。

「……何をしている」

バージル。ダンテは不覚にも、泣きそうになった。

「遅ぇよ、バージル!」

憎まれ口を叩きつつ、ダンテは思わずバージルにしがみついた。

「これでも急いだつもりだがな」

バージルがあやすようにダンテの背を叩く。ほっとする。口には出さないが、 酷くそう思った。

「あ、あのぅ……?」

すっかり忘れていたが、ダンテを連れて行こうとしていた男は、完全に無視されながら 茫然と立ち尽くしていた。
バージルが、ダンテとは違った意味で人を竦ませる目で男を睨んだ。ひ、と男が文字通り竦み 上がる。

「……これは俺のものだ」

それだけを言い捨て、さっと視線をダンテに転じたバージルには、最早男のことなど見えては おらず。

「帰るぞ、ダンテ」

耳元に低く囁かれ、ダンテはバージルに縋ったまま、こくりと頷いた。
ごく自然に首から伸びたリードを引かれるが、ダンテは素直に従った。あの男に引かれた時は 死ぬ程嫌だと感じたというのに、バージルではどうか。
首輪もリードも、付けられるのはもう懲り懲り――――だが、バージル以外のものにされる ことを思えば、などと考えてしまって、ダンテは顔を赤くした。

なんて馬鹿なことを。

ダンテは半歩先を行くバージルの、リードを握る手に視線を落とす。自分と同じ造形のそれは、 しかし全く違うものだ。それが判るのは、自分とバージルだけ。
バージルの手だから、リードを握られていても、嫌とは思わない。

「……アンタじゃなきゃ……」

無意識に、ダンテは呟いた。バージルが肩越しに振り向き、訝しげに眉根を寄せる。

「どうした」

ダンテははっとして顔を上げた。

「え?」

「何か言っただろう」

「あ? 俺が?」

全くの無意識だった。ダンテはちょっと首を傾げた。バージルがやれやれと言うように首を 左右にする。そして、一言。

「……悪かった」

ダンテは目を丸くし、けれど次の瞬間には笑みを咲かせた。

「……うん」

バージルの服の裾を握り、ダンテは笑みを浮かべたまま帰路についた。



最悪な買い物――――けれど、気分は少し良くなった、かもしれない。



















戻。



あれ…?何?何でこんな甘い終わり方してるの?
とりあえず、犬ダンテとお買い物、いつもの方に頂いたネタでございました。
本当はもっと、通行人に構われて可愛がられてしてるネタだったのに…無念です…。
浴衣ダンテに引き続き、バージルがちょっと変です。
こんな兄が駄目な方、土下座しますんで許して下さい…!