犬の立場









「あら、バージル、貴方犬を飼ったの?」

何故か早朝五時に訪問して来たトリッシュが、珍しいものを見た、 と言わんばかりに言った。
バージルは、とりあえず反応を返した。

「……買った覚えはないが」

全く噛み合わなかった。

トリッシュの視線の先、ソファーの上には、叩き起こされたものの未だ半眠状態にある ダンテが、へたりこむように横たわっていた。昨日生えた犬の耳と尾が、 やはり力なく垂れている。





コーヒーやらトーストやらと注文を付けるトリッシュに、バージルは溜息一つで 応じてやった。その間、判ったことがある。

「犬、」

だと言うのだ。何がかと思えば、ソファーで寝入ってしまったダンテを指差して。

「……犬?」

確かに明らかに人間にはない耳とふさふさの尾は生えているが、何歩譲っても犬そのもの には見えない。
眉間に皺を寄せて考え込むバージルに、トリッシュは小首をかしげた。

「犬じゃないの」

どこから見ても、と。
つまり。

「お前の目には、ただの犬に見えるということか」

バージルは結論付け、しかし声には出さなかった。犬にしか見えないというダンテに、 何も知らぬトリッシュがおもむろに近寄り頭を撫でたからだ。
いや、トリッシュならば、それがダンテだと知らせたとしても支障はないだろうが。

「可愛いわね」

トリッシュは双子の母に瓜二つの美しい面をくしゃりとして、愛しそうに何度も銀の髪を 撫でる。眠る男の髪を梳く、美しい女――――それは一枚の絵画のような光景に見えた。 が、トリッシュには一切自覚がなく、彼女の目は、自分が触れているものがただの犬にしか 見えてはいないのだ。

奇妙なこともある。

バージルは驚くよりも、何やら感心して内心で独りごちた。
耳と尾を生やしただけでは治まらず、他の人間――――トリッシュは人間では ないが――――にはただの犬として映るなど、およそ尋常ではない。

バージルはすっかり、自分の目には犬の耳と尾の生えた人間に見える、という異常を 棚上げしてそう思った。

視界の中では、トリッシュがダンテを腕の中に抱いたところだった。相変わらず、 可愛いと繰り返している。
バージルはふと、

「どう可愛いのだ?」

と何気なく問うた。

「どうって、可愛いから飼ったのじゃないの?」

そう言ってすぐ、トリッシュは思い直したように首を振った。

「あぁ、貴方にものを愛でるなんて感情はないわよね。忘れてたわ」

しれっと酷い言葉を吐いたトリッシュだが、本人は嫌味を言ったつもりなどなく、 バージルもまた気分を害するなどということはなく。

「あぁ、」

と少しばかりずれた反応を示した。
じゃあ、とトリッシュが講師然とバージルに向き直る。その細腕には、いつになったら 起きるのか、眠るダンテのくたりとした躰。はっきり、異様だ。何も知らぬトリッシュは、 犬の可愛らしさについて滔々と語る。

まず、

「銀の毛並み」

が艶やかなことから始まり、

「思わず撫でたくなるこの寝顔」

それから、

「ぺたんと寝た三角の耳。それからふわふわの尻尾」

に到り、最後に締め括って曰く。

「ね、可愛いでしょう?」

バージルには、綺麗さっぱり何も伝わらなかった。しかし、

「そうだな」

とだけ、一応返しておく。キレたトリッシュの恐ろしさは、ダンテ程ではないが知っている バージルである。
トリッシュはバージルの反応が気に食わないと眉を寄せたが、くどくど言うことはなかった。 言っても無駄だ、と自身に言い聞かせでもしたのだろう。

「でも、本当に可愛いわ、この子」

改めてダンテをそう評し、トリッシュは目を細めた。見た目に似合わず――――などと 言った日には、とりあえず翌日の太陽は拝めないだろう――――、可愛いものがとことん 好きな質らしい。
撫でるだけでは物足りないと感じたのか、頬を寄せ、果てはキスしようと唇を寄せた。 バージルは黙って見ているだけだ。

眠れる王子が、金髪の麗しい姫の口付けで目覚める……?

そんな見当外れなことを考えていると。
トリッシュの唇がダンテのそれに触れようかという、その瞬間。 ぽかりとダンテの目が開いた。そして、

「……うわっ!?」

気持ちは判る、とバージルがつい頷いてしまった反応をし、ダンテはトリッシュの腕から 文字通り逃げた。

「なななな何でトリッシュがっていうか何が何でどういうこと!?」

完全に混乱して、ちょっと頭が気の毒な人になってしまっている。バージルが肩を竦め、 壁に縋り付くダンテを起こしてやろうとすると、

「どうして逃げるのよ」

憮然としたトリッシュが、腰に手をあて片眉を吊り上げた。
ダンテは何が何だか全く判らない、と首を横に振った。

「いや、だから何で逃げるのってそんな問題じゃなくてだな、何でアナタが俺の寝込みを 襲ってるのかってことで……」

「きゃんきゃん喚くのも可愛いけど、出来れば大人しくしてくれるかしら? 良い子にしてたら、 また撫でてあげるから」

「は!? え、ちょ……トリッシュさん、それ何? 何かのプレイ?」

動転しすぎていることと、話が全く噛み合っていないことが重なって、ダンテはとんでもない 勘違いを素で起こしてしまっている。

とりあえず、止めようか。

バージルはおもむろに口を開いた。

「――――黙れ」

びた、とダンテが忠犬よろしく口を噤む。おそらく反射的なものだろう。対して トリッシュは、さすがにダンテのようにはいかず、

「よく調教してるわね、バージル」

勘違いをしそうな言葉をくれた。もちろんそれは、ダンテがバージルの目には人に見え、 トリッシュの目には犬に見えるからこそ生まれるずれなのだが。そのずれを理解していよう 筈もないダンテは、トリッシュの何気ない言葉に見事にぎょっとした。

「なっ……誰がいつ調教されたよ!? おい、トリッシュ!」

と、バージルの耳にはいつものダンテの喚きに聞こえるが、トリッシュには どうかと言えば。

「やっぱり煩いところだけは可愛くないわ。バージル、ちょっと黙らせて頂戴」

犬がきゃんきゃん吠えているようにしか聞こえないらしい。バージルは面倒なことになった、 と溜息を一つ吐き出し、ダンテを手招きした。

「来い」

名前を呼ぶとまた面倒なことになりそうで、バージルはただそれだけを言葉にした。
ダンテはバージルとトリッシュを交互に見やり、むすっとしてバージルの傍らに寄った。 トリッシュが「あら、」という顔をしたことには、ダンテは気付いていない。

「何だよ」

と、膨れっ面でバージルを睨んでいるのだから。

バージルの足許、椅子に寄り沿うように床に座り込んだダンテの頭を、バージルはくしゃりと 撫でた。やめろ、とダンテに手を払われる。髪を掻いてやると、また嫌そうに払われ。 それを何度か繰り返していると、トリッシュが呆れたような羨むような声で言った。

「やっぱり、飼い主が一番好きなのね」

飼い主、という、ある意味では的を射た言葉に、ダンテが憤慨する。

「か、飼い主って誰が! 誰の! お前さっきから喧嘩売ってんのか!?」

噛み付くように身を乗り出して唸る……もとい、怒鳴るダンテだが、犬の言葉など誰も 解せぬのだから意味がない。
バージルは本当に犬にするようにダンテの首根っこを掴み、一応宥める。

「落ち着け」

トリッシュがいては後で説明してやるとも言えず、バージルはダンテの躰を手前に 引き寄せた。言うまでもなく、バージルはとてつもない馬鹿力である。

「離せよ、バージル!」

トリッシュ曰く”飼い主”の腕を掴み、離させようと暴れるダンテをものともせず、 バージルはダンテを捕まえたままトリッシュに視線を投げた。

「それで、結局何の用だ」

まだ暗いうちから訪ねて来ておいて、トリッシュは用件については一言も触れていないのだ。 バージルに問われて初めて気付いたのか、トリッシュが軽く目を瞠った。

「そういえば忘れてたわ。実はね、ちょっと相談があるの」

「相談、」

「えぇ。今日、これから暇かしら?」

「それは、俺が、か?」

「他に誰かいて?」

確実にいる。しかしダンテを犬としか認識していないトリッシュは、完全にダンテなど 人数の内に入れていない。

「ふむ。時間ならあるが、何故だ」

トリッシュはにこりと微笑し、

「買い物に付き合って欲しいの」

と来た。

「それは、どう考えてもダンテの方が適任なのではないか?」

ダンテはこの通り、本物の犬になっているらしいが。
トリッシュはしかし、駄目よ、と違う意味で一蹴する。

「ダンテは前に連れて行って、正直懲りたわ」

懲りたとはこれいかに。

トリッシュが言うには、ダンテとは全く好みが合わないとか。

バージルの足許で、ダンテがじっとトリッシュの言葉に聞き入っている。固まっている、 の間違いだ。面と向かって貴方とは願い下げだ、ときっぱり言われたのだから、 それも無理はない。

「それで、俺とは合うと何故言える?」

「貴方とダンテの好みは正反対でしょう? だからよ」

「……言っておくが、俺と買い物なぞ行っても詰まらぬぞ」

「大丈夫。黙って腕を貸してくれれば良いわ。そうしてれば、仲の良い恋人同士にでも 見えるでしょうよ」

バージルもトリッシュも、お互いに対して恋愛感情などまるでないが、並んでいれば 文句なしにお似合いのカップルに見える。つまりはダンテとも同じことが言えるのだが、 トリッシュはバージルが良いと言う。

バージルは仕方なく承知しようとした。が、

「駄目だ! 絶っ対駄目! 行くなら俺も行く! 俺の目の黒い内は、二人っきりでなんか 行かせねぇ!」

ダンテが突然、バージルの脚をばしばしと叩き、喚き散らした。まるで子供だな、 としなくて良い感心をしたバージルをよそに、トリッシュがダンテの側に近寄った。

「大人しくしなさいって言わなかったかしら?」

怖い。とダンテは思ったのだろう。喉の奥でくぐもった悲鳴を飲み込むようにし、 ぐっと押し黙った。けれど、言葉を発さぬ代わりにか、バージルの脚にがしりとしがみ付く。 これは、おそらくはトリッシュが怖いから、という理由ではない筈だ。多分。

「バージル……」

蚊の鳴くような、憐れみをそそる細い声で名を呼ばれ、バージルは肩を竦めてダンテの 頭を軽く叩いた。

「悪いが、トリッシュ」

バージルの言わんことを理解し、トリッシュは盛大な溜息を吐いた。

「仕方がないわね」

今回は諦めるわ、と千歩は譲ってやったように言うトリッシュ。つまり、次回は強制連行 されるということか。
バージルはがっちりと脚にしがみついて離れないダンテとトリッシュを見比べ、悪いな、 ともう一度詫びた。

「それにしても、本当によく懐いてるわね、その子」

口を開けばトリッシュの雷が冗談ではなく落ちると思ってか、言ってやりたい文句の あるだろうダンテは、しかし黙したままだ。

「そうでもない」

「あら、懐いてなきゃ、貴方が出掛けると聞いて拗ねたりしないと思うけれど?」

バージルには、ダンテは拗ねたのではなく、嫉妬したのだと思ったのだが。トリッシュと 出掛けると言う、バージルに。
しかしトリッシュは違う見解らしく。

「自覚がないの? 全く、いつものことだけれど、鈍いわね、貴方」

「そうなのか……?」

そういえば、ダンテにも鈍いとよく言われる。真剣に悩むバージルに、トリッシュは おかしそうに笑った。

「鈍いわよ。ダンテも似たようなものだけれど」

そういう所は似てるわね、とあまり嬉しくはない言葉を紡ぎ、トリッシュは膝をついて ダンテの頭を掻くように撫でた。ダンテは、不自然に思いながらもトリッシュのしたいように させている。

「さて、用事もなくなったことだし、帰るわ。また来るわね」

立ち上がったトリッシュを、ダンテが首をのけ反らして見上げる。

「これからの時期、蚊には注意しなさいね」

「蚊?」

「心臓に虫が湧いて死にたくはないでしょう?」

極上の笑みを残して、トリッシュは双子の家を後にした。




「フィラリアか……」

ぽつりと呟いたバージルは、想像して気分が悪くなったらしいダンテが脚にへばり付いた まま動かず、しばらくどこにも移動出来そうもなく。
銀に輝くダンテの尾が、小さく丸まりぷるぷると震えていた……。
















戻。



ええと、ネタ下さい、との物書きにあるまじきことをお願いしたところ、
お犬様もので、バージルには犬耳+尻尾の生えたダンテに見えるのに、
他の人には普通のわんこに見えるという勘違いシチュエーション!という
萌えるネタを頂きました!
ので、いつものように構想なしの一発書きで、電車の中で書きました。
ただ、個人的な記憶力等の問題により、エンツォが消えました…。
本当は、トリッシュやエンツォにナデナデされたりチューされたり…という
ことだったんですが…無念でございます…エンツォ…

で、ダンテがどちらにどう焼きもちを焼いているかは、ご想像にお任せします。
ちなみに…私はギャグを書くのが苦手だったり…好きなのにね…