狛犬
ダンテはいつものように、日も暮れぬうちからシャワーを浴びていた。
寒くなり始めたこの季節、あまり早くシャワーを使えば湯冷めをしかねない、と
双子の兄に言われたばかりなのだが、そんなことを気にするダンテではない。
勝手気儘、自由奔放。それが一番だと思っているのだから。
兄・バージルは何かと言うと口喧しくダンテを叱る。いや、喧しいという
表現はバージルには相応しくない。あまり抑揚のない声音で淡々と、しかしダンテの
やることなすことにいちいち口を出すのだ。
バージルの小言を聞かぬ日はない。
今日も朝から何度聞いたことか。回数を数えるのも馬鹿馬鹿しい。
(んなに文句あるなら、別に住みゃ良いじゃねぇか)
バージルに面と向かっては言わないが、ダンテはそう思ってバージルの言に
取り合わないようにしている。
はいはいと総て聞いていたらきりがないし、何よりダンテにはバージルの言う
通りに実行する気がはなからないのだから。ああいう手合いは言いたいだけ
言わせておくに限る。
ぞんざいに頭を洗い、ダンテはシャワーのコックを閉めた。白に近い銀髪を
ざっと掻き上げ、ふと、鏡に映った自分に目を留める。
見慣れた自分の顔と躰――――と?
「……な……ッ!?」
絶句した。
愕然と壁に手をつき、鏡を凝視する。鏡の中の見慣れた自分に、まったく見慣れぬ
異質としか言えぬものが……生えて、いる。
頭を洗ったのはものの二分も前のことではない。その時には、こんなものはなかった。
一分かそこらの間に、これは突如として生えてきたということか?
「何なんだよ、これは……!」
ダンテは形の良い頭を押さえるように抱えた。その指の間から、ひょこりと
動物のそれとしか思えぬ耳が生えている。色は髪と同色。形からして、どうやら
犬か狼の耳のようだ。
何故。どうして。
濡れたまま寒さも感じず固まっていたダンテだが、はっとあることに気が付いた。
意味は判らぬとはいえ、耳が生えているということは……?
「まさか……」
その、まさかだった。
恐る恐る手を尻にやると、予感的中、ふさふさの尾が腰の少し下辺りから生えている。
手で掴んで見てみれば、やはり色は髪と同じ、色素の薄い銀色だ。
ダンテは脱力して浴室の床にへたり込んだ。
犬の耳と尾の生えた人間――――気持ち悪いことこの上ない。下手に誰かに見られよう
ものなら、十人が十人とも奇人扱いするだろう。
「どうすんだよ、おい……どうしろってんだよ……!?」
浴室から出れば、そこにはバージルがいるのだ。説明をしようにも、本人が一番
説明を欲しているのだから仕様がない。それよりも、こんな姿、恥ずかしくて
バージルなどに見せられる筈がないではないか。
だがしかし、ここから出ないという訳にはいかぬのも確かなことで……
どうにかせねば――――
リビングのソファーに腰掛け、今朝読みそこねた新聞に目を通していたバージルは、
視界の端に映った弟に声を掛けた。
「――――ダンテ、」
頭にタオルを掛け、腰に大きめのタオルを巻き付けたダンテは、びくっと過剰な
程肩を跳ね上げる。
「! な、何だよ?」
バージルは不審げに眉を寄せたが、それについては追究しなかった。
「頭をタオルで拭こうという心掛けは結構だが、かぶっているだけでは無意味だろう。
それから、いつも言っているが、風呂上りに薄着はやめろ。しかもタオルを巻いた
だけとは……」
「い、いいだろ、別にっ。放っとけよ」
と、ダンテならば返してくるだろうと判ってはいたが、バージルは口を出さずには
いられない。ダンテは放っておけば、躰が濡れていようが髪が湿っていようが
お構いなしだということはよく知っている。
馬鹿は風邪を引かないと言うが、兄としては万が一にも弟に風邪など引かれては
困るのだ。父母のない彼ら兄弟は、文字通りお互いしか身寄りがいないのだから。
バージルにはダンテを守る義務がある。
そう、バージルは幼い頃から決めていた。
頭に掛けたタオルの両端を両手で引っ張るようにして、どこか落ち着きなく
自室へ引き上げようとするダンテに、バージルは呆れたようにため息をついた。
「待て。まったく、お前は……ほら、頭のタオルを貸せ。どうせ被るだけでろくに
拭かんのだろう。俺がやってやる」
折り畳んだ新聞をソファーに置き、立ち上がってダンテの頭に被さったタオルを
取ろうとすると、ダンテはバージルの手を払い壁際に後ずさった。
「いいって! 子供扱いすんなよっ」
毛を逆立てる、とでも言おうか、ダンテはバージルを威嚇するかのように睨みつける。
バージルはやれやれと肩を竦めた。
「駄々をこねるのは子供のすることだ。……何を逃げる必要がある?」
頭を拭いてやる程度のこと、いつもとは言わぬがバージルが在宅の時は例外なく
してやっていることだというのに。それも、ダンテの方から拭けと居丈高にせがんでくるのが
常套なのだ。初めこそ、バージルからやってやると言い出したことなのだが、
それで味を占めたらしいダンテは毎回それを望むようになった。
それが、今日に限って突然嫌がるとは、どういう心境の変化なのか?
今にも噛み付きそうな勢いで目尻を吊り上げ、ダンテは壁に背中をこすり付ける。
「逃げてねぇ! そっちがこっち来るからだろ!?」
その姿は完全に逃げ腰だ、とはバージルは言わない。ダンテのこの程度の反抗など、
言ってみれば日常茶飯事。それに、バージルは生まれた時からダンテの守りをしている
ようなものなのだから、馴れている、程度の付き合いの長さではないのだ。
「切れるな。ただ頭を拭いてやるだけのこと、何をそう警戒する必要がある?」
「だ、だからっ、こっち来んなっつってんだろうが!」
一歩近寄っただけでこれとは、あまりに過剰な反応――――不審なこと極まりない。
バージルはまたため息をついた。
「ダンテ、手間をかけさせるな」
ダンテに逃げる隙を与えず距離を詰め、バージルはダンテの腕を掴み
タオルを引き剥がした。
「やっ! ちょっ……やめろって……!」
タオルの下には、当たり前だが見慣れた銀髪。それは良い。良いのだが……。
「…………」
「……………」
「……何だ、これは、」
「……俺が知るかよ……」
「………………」
不貞腐れたように唇を尖らせ、そっぽを向くダンテを、バージルは無言で凝視した。
滅多なことでは驚くことのないバージルだが、こればかりは自身の目を疑わざるを得ない。
弟の頭に、獣のものとしか思えぬ耳が生えていようなど、誰が予測し得るものか。
バージルはそっと手を伸ばし、髪と同じ色をしたそれをつまんでみる。
「触んなよっ」
眦を吊り上げるダンテには構わず、バージルは呆れとは違うため息を漏らした。
本当に耳が生えている。これは犬か、それとも狼か。いや、種類などたいした問題では
ないが、しかし。
「ダンテ、」
「何だよ」
「昔から奇抜なことをする奴だと判ってはいたが、どうすればこんなものが生やせるのか
教えてくれ」
「……こんなもん、誰が好き好んで生やすか!」
「違うのか」
「大間違いだよ、この馬鹿バージル!」
「兄に向かって馬鹿はなかろう。しかし……奇妙なこともあるものだ」
あくまで冷静にダンテをかわし、バージルはしげしげと獣の耳を観察した。
ダンテがむうっと膨れっ面になったが、バージルはもともと人の感情というものにひどく疎い。
何か言いたげなダンテにはまるで構わず、バージルは我が道を突き進む。
「ふむ……完全に初めからあったかのように定着しているな。……もしや、」
「生える要素が許からあったのか、とか訊くなよ」
「違うのか」
「……アンタ、本気で馬鹿だろう?」
「お前には負けるがな」
「何か腹立つな……」
「では、何故こんなものが生えるのだ?普通の耳もあるのだから、不用だろう」
「必要だからっつってこんなもん生えたらどうすんだよ。便利以前の問題だろが」
「それもそうだ。たとえ必要性があったとしても、こんなものが生えたとしたら、
俺ならば堪えられん」
「……俺を目の前にして、そういうこと言うか、普通?」
「それで、」
やはりダンテを完全に無視し、バージルは視線を犬の耳から下方に移した。
「生えたのは耳だけなのか?」
ぎく、とダンテの顔が引き攣ったのを、バージルが見逃す筈がない。
やはりな、と喉の奥で呟き、バージルは何のためらいもなくダンテの腰に
巻かれたバスタオルに手をかけた。慌てたのは、無論ダンテである。
「だぁあっ! 待て! やめろ、バージル!」
ダンテは片手でタオルを押さえ、もう片方の手でバージルの手をがしりと掴んだ。
そんなことで諦めるバージルではない。手首を掴むダンテの手を逆に絡め取り、
空いている手でタオルをぐいとずり下げた。
「!」
何とか前だけは隠すものの、片手を取られたままではタオルを
巻き直すことは不可能だ。ダンテは壁にぴたりと背中を張り付かせ、意地でも
バージルに見せまいと必死に隠している。
バージルはダンテの珍しい姿を面白そうに眺めつつ、しかし確認はしたいわけで。
「そんなに隠したいなら、代わりにこっちを見てやりたくなるな」
そう、めったに崩れない仏頂面に人の悪い笑みを浮かべて見せ、タオルを押さえる手を
掴んでやる。もちろんこれは冗談に過ぎないのだが、バージルの冗談はまったく冗談に
見えないという特徴がある。まして今のダンテは精神状態が普通ではないのだ。
ダンテはぎゃっと似合わぬ悲鳴をあげて飛び退った。それがバージルの思惑通りの
反応だとは気付かずに。
「…………やはり、尾があったか」
じ、と不躾なまでに腰の辺りを凝視され、平然としていられる人間はいないだろう。
ほとんど裸という状態で。
「じろじろ見るな……!」
ダンテの訴えはもっともなことなのだが、残念ながらバージルには通じない。
「不思議なものだ。耳と言い尾と言い、見事に犬だな」
「犬言うな!」
噛み付くダンテに対し、バージルはあくまで平坦に言う。
「では何と言えと? やはり犬しかないだろう。そう思えば、不思議ではあるが
愛らしく見えるな」
「あい……ッ!? おまっ、目ぇ腐ってんじゃねぇか!?」
「失敬な。事実を口にしたまでのこと、何を怒ることがある?」
バージルはどこまでも真面目に問うているのだが、むしろ真面目になられた方が
恥ずかしさが倍増するのだとは気付きもしない。
ダンテは顔を真っ赤にし、目尻に涙すら浮かべて怒鳴った。
「もう、お前黙れ!」
が、バージルは怒鳴られようが睨まれようが平然としている。
「で、どうする」
加えて話題の転換が瞬間移動並みに早く、しかも脈絡がないというおまけつきだ。
ダンテでなくともイラつくというものだ。
「ああ!? 何をだよ!?」
もちろん、バージルにはダンテの癇癪など気にも留めない。
「犬のままで外を出歩くわけにもいくまい。いや、出歩かせるわけにはいかんが」
何をどう怒ったところで無駄と悟ったのか、ダンテはタオルを腰に巻き直し
ながら言った。
「……言われなくても、こんな恰好で外なんか出ねぇよ。引っ込むのを
待つしかねぇだろうな」
「治らなければ、どうする」
現実的な――――犬の耳と尾を生やした人間を前に”現実的”もないものだが
――――バージルの言葉に、ダンテはぎゅうっと眉根を寄せた。
バージルの目には、そんなダンテの表情がひどく子供っぽく映る。
同じ日に生まれた双子の兄弟ではあるが、バージルにとってダンテは
いつまでも可愛い弟なのだ。
ダンテは兄の内心など知る由もなく、嫌そうに髪を掻き乱した。
「厭なこと言うなよ。医者に見せても無駄なんだ、待つしかねぇだろ」
バージルはすっと尖った顎に手を当て、何ごとか思案するように言った。
「ふむ……、では、」
「あん?」
「なくなってしまう前に、たっぷり楽しんでおかねばなるまいな」
ダンテがぎょっとして目を瞠る。
「なっ……! なんでそうなる!?」
バージルは僅かに口角を上げ、顔を青くしたダンテに迫る。
「そんな顔をするな。煽るだけだ」
「ま、待て! 冷静に考えろ! 俺は……!」
完全に逃げ腰になっているダンテの腕を掴み、ぐいと引き寄せてやると、
ダンテは顔を真っ赤にして抗った。その必死さに目を細め、バージルはダンテの
耳元に囁いた。いつもより声音を低くして。
「喚くな。犬ならば主人に従順であるべきだろう」
「犬言うなっ! というか……誰が主人だ、誰が!」
「言うわりに、尾が揺れているのは何故だろうな、ダンテ?」
楽しげに言うバージルに対し、ダンテは焦りと羞恥が増すばかりだ。
「うっ……! こ、これは俺の意思じゃなくてだなぁ……ッ」
「まぁ、良い。いい加減、お前のそんな姿を前にして堪えるのも、限界だ」
「堪えろよ、そこは! むしろ堪えるべきだろ!!」
「無茶を言うな。……そうか、お前なりに誘っているつもりか」
「だっ、誰が……!」
「黙れと言っただろう。往生際の悪い奴だ……」
どこまでも無自覚にマイペースを貫くバージルは、腕の中で暴れるダンテの
首筋に顔を埋めた。柔らかい肌に軽く歯を立ててやると、ダンテはびくりと
身体を竦ませる。同時にダンテの頭の上に生えたものがへたりと力なく垂れ、
小さく震えているのだが、バージルの位置からはそれは視認出来ない。
代わりに、縮こまり、ぷるぷると震えている尾はよく見える。
「ふ……可愛いな」
思った通りを口にすれば、ダンテは顔はもちろん、耳まで赤く染め、
バージルの耳元で叫んだ。
「馬鹿バージル……ッ! てめぇ、絶対殺す!」
不穏なこと極まりないが、言った相手が相手ある。
「お前と殺り合うか、それも一興。だが、まずはお前を抱くのが先だ」
平然と返され、更にはあからさまな言葉すら聞かされてしまったダンテは、
激しい羞恥に堪え切れず、バージルの肩口に額を擦り付けてうなだれた。
「……何でこんなのと兄弟なんだ……」
ダンテの口からこぼれた悲哀のこもった呟きがバージルの耳に届いたが、
バージルはあえて聞こえていないふりをした。
今更だ、と内心で呟いて。
個人的には2ダンテが程好い露出度で一番好きですが、CPにするとなると
相手に出来るキャラがいません。てことで3でお邪魔します。
08/1/5、題名変更。