迷路マヨイミチ












なぜそんな行動に出ようと思ったのか。躰は時として脳の支配を離れるものらしい。いかにも 不可解な事象だが、そうやって無理にでも理由をこじつけてやらねば、より理解に苦しむ ばかりだということは判っていた。
なぜ。
その問いに答え得る者はどこにもいないのだから。






夜はいつも、決まった時刻に決まった酒場へ足を運ぶ。嫌な記憶を植え付けられた場所では あるが、必要とあらばその記憶は意識の果てへ追いやることができる。何より酒場の他の客は、 もはやあのことを忘れているかのようにまるで口に出さない。こちらへ向けられる視線は、 決まって妬みや羨望に満ちている。それが救いと言えば救いだった。
とんでもない飲み比べ――相手となった人物もまた、記憶にないとばかりにそのことについて 触れることがない。
いつものこと、なのだ。そう気付いたのはあれから間もなくのこと。何度かこの酒場へ足を運べば 判る。頻繁に繰り広げられる飲み比べ。そして金目のものを根こそぎ奪う追剥ぎじみた行為。
自分はむろん、それに参加することはない。奪われる側の気持ちが判るから――では、間違っても ない。下手に勝負を挑むほうが悪いのだし、金ならば余るほどにある。

穴蔵のような――事実、店名には“穴蔵”と付く――酒場を含め、この界隈に集まる荒事師らの 中で最も腕が立つ人物の稼ぎを、自分は間もなく追い抜かしてしまうだろう。それは間違いの ない事実で、しかし当の追い抜かされる側はその事実を何とも思ってはいないらしい。むしろ 喜んで受け入れてすらいるようで、ひどく、苛立つのだ。

闘争心はないのか。
悔しいとは思わぬのか。

懐疑的な眼差しを向ければ、彼は肩を竦めて言う。

「感謝してるぜ。面倒な仕事が全部、あんたに流れてくれるんだからな」

生活に必要なだけの金がきっちり確保できているのは、あんたのお陰だとすら彼は言う。自分と 彼との共闘を望む依頼主が増えつつあるからだ。飯の種はあちらから勝手に舞い込んでくる。 確かに、自分のお陰で彼は苦労せず飯にありつけているわけだ。
感謝するならば見返りを寄越せ。
拗ねたようにそう内心で毒づいたのが、もしかすればことの発端だったのかもしれない。

彼は、名をトニーと言う。トニー・レッドクレイブ。

出合う前から名は知っていた。彼が腕利きの便利屋――自らをして荒事師とは名乗らぬ――だから というわけではない。自分にとって、誰の腕が立つなど興味もないことだ。どうせ、自分よりも 強い人間などいはしないのだから。
彼の名を知った理由は、彼が自分の狩るべき相手であるからだ。標的。敵。宿敵、とまでは いかぬだろうが。

自分――ギルバと名乗っている――の敵、というよりは、同胞の敵と表現すべきだろう。トニーは 裏切り者の子だ。赦されざる者の、子。抹殺すべき者。その使命がギルバに下されたのは、 ひと月ばかり以前のことだ。
トニーとは何度も共闘したが、ギルバにはまずもって理解不能な思考回路を持っている。常に 感情的に行動し、合理的という言葉を知らぬ。感情を優先させるため、効率も悪い。
もっと理性的に動け、と。ギルバは彼に苦言を吐いたことがある。好きに動かれては迷惑だ、と。 しかし彼は渋面を作り、「あんたみたいになれって? 冗談。死んでもごめんだね」そう吐き 捨てた。
面倒な男だと思った。今すぐに殺したいと思ったが、まだ時が満ちていないことはよく判って いた。少しの辛抱だと己に言い聞かせ、待った。

迅速に、準備を。

その間も彼とは共闘し、酒場で顔を合わせた。言葉は交わせど理解など深まるはずもない。
ギルバは理解することを放棄した。どうせ彼はすぐに死ぬのだから。
彼の“個”などどうだって良い。彼は敵だ。死に逝く者に個性など必要ない。――だと、 いうのに。

ことあるごとにそう自分に言い聞かせているのは、いったいなぜなのだろうか。





彼に出合ってからこちら、答の見出だせぬ疑問ばかりが脳裏によぎる。






「もっと効率的に動け」

また、自分は彼に言う。言っても無駄と判っていながら、口が先に動いているのだ。舌先には 彼への不満。

「俺はあんたみたいにゃならねぇぜ?」

彼はギルバを厭って言う。自分の、命を軽々しく奪うやり方が気に食わないのだ。面倒がなく、 最も効率的な行動を取っているにすぎないというのに。

「私の足を引っ張るのはやめてもらおう」

「あぁ?」

「迷惑だ。貴様のやりようはいつも手ぬるい」

包帯の隙間から彼を睨めば、彼もまたこちらを睨んでいる。気に食わないのはお互い様だ。彼の、 誰にも屈伏せぬとばかりの鋭い双眸も、まことにもって気に入らない。
苛立ちが募る。

「貴様は……」

言いさしたとき、轟音が響いた。彼の双眸が驚きに見開かれ、その躰が前方へとかしげる。 ギルバは咄嗟に駆け出していた。なぜそんな行動に出たのかは判らない。反射。脳が発した 命令ではなく、躰が反射的に行動に移していた。

彼との距離は、五歩分もない。その間にギルバは片刃の剣を引き抜き、彼の後方十歩ほどの位置に 勝ち誇った表情を浮かべている男へ投げ付ける。
半瞬。醜い悲鳴を上げ、男が斃れた。加減せず投躑したそれは寸分の狂いもなく心臓を貫き、 それでも勢いを削がれることなく男の躰を突き抜けたのだ、即死に違いない。が、ギルバは そちらを見てはいなかった。視線は腕に抱き留めた彼の背中に注がれている。
ショットガン、だろう。背中はひどいものだ。心臓にまでは弾は届いていないらしい。彼は 荒い息をし呻きながら、ギルバの腕をきつく掴んでいる。

死には到らぬが、有効ではあるらしい。

威力からして普通の人間ならば即死であろう一撃を受け、息があるだけでも奇跡に違いない。 しかし出血がひどい。止血せねば危ういことは確かだ。

「あんな詰まらん輩にくれてやるほど、私は寛容じゃあない」

この男を殺すのは自分だ。他の誰にもその権利を譲ってなるものか。
ギルバはおもむろに彼を肩に担いだ。自分と同程度の体格の者を肩に乗せ、ひょいと立ち上がる など常人にはおよそ難しいことだ。揺すったせいか、彼が呻く。うぅ、とかすかに聞こえる声に、 ギルバは薄い笑みを浮かべた。





血は良い。悲鳴もまた良い。殺したくてたまらぬ者の血と悲鳴――下腹が疼くような感覚を 覚えながら、男は焦れったくもその時を待ちわびる。






うつぶせに寝かせた彼の背の傷は、驚くほどの早さで回復に向かいつつある。この様子ならば、 一両日もあれば完全に塞がってしまうだろう。

消毒も兼ねてシャワーで洗った傷口。爛れたような皮膚。えぐれた肉。溢れる血。

自分の寝台に横たわり、眠る彼の背をギルバはじつと見つめる。包帯に覆われた傷。ギルバは まだ、そこに血の色を見ることができる。あれはまさに鮮烈な記憶をギルバの脳に焼き付けた。

血。肉。骨。

知らず、ギルバの喉が上下する。これは渇きだ。しかし水では潤せぬ類の、厄介な。この渇きを 癒すことのできるものは、目の前にある。しかし、――いや、何をためらうことがある?
餌は、ここにあるのだ。
“運良く”傷つき、自ら手当てをしてやった餌が、目の前で無防備な姿をさらしている。何を ためらう? なぜ手を伸ばさない? そこには甘美な潤いが待っているというのに。

「……幸か不幸か」

ギルバにはほとんど食欲というものを持たない。その代わり、というわけではなかろうが、 別の欲へすり変わることがあった。それがこの、異様なまでの渇きだ。

血への渇望。肉の欲望。征服欲。

ギルバは知らぬ間に彼のそばに腰を下ろしていた。彼の白に近い銀髪はさらりとして滑らかで、 まだ水分を含んでいてすら、指先に柔らかな感触を伝えてくる。
指はうなじを滑り、背中の包帯にたどり着く。ごわごわした包帯の感触に眉をひそめていると、 彼が鼻にかかった吐息をもらした。痛むのだろうか。うつぶせているため、くぐもったように 聞こえるのは無理もない。まさか、心地好くて、ということはあるまい。

ギルバの指は包帯を避け、腰へ落ちた。引き締まった胴。精練されたという印象が薄いのは、 この細さゆえだろう。かと言って、脆弱という言葉とは無縁であるが。

腰と尻の境目をたどり、指は彼の下肢へ伸びる。程よく筋肉のついた腿。膝裏。ふくらはぎ。 足首。足裏。形を確認するように、指先だけではなく掌全体を彼に触れさせていた。これも 無意識のことだ。
女とは違う、丸みのない躰。それはそうだ。彼は男で、男を包み込むような躰の造りにはなって いない。しかしギルバは萎えを感じることはなかった。むしろ逆かもしれない。
ただ彼の膚と形をなぞるだけでは、もはや不満を感じ始めている。ギルバは彼の腹の下に右手を 差し込み、軽い動作で彼をうつぶせから仰向けにさせた。赤ん坊を扱うように軽々とやって のけるあたり、常人の膂力とは言いがたい。

背中が寝台に触れたことで、痛みが彼を襲ったらしい。低く呻いた彼の睫毛が震え、瞼がぴくぴく 痙攣して持ち上がった。暗がりの下、黒く輝く碧眼に自分が映る。が、まだ焦点は合っていない。 ギルバは構わず、彼の脚の付け根に手をやった。
ぁ、と小さな声。握り込むと、それは吐息に代わった。はぁ、と。手に動きを加えてやれば、 徐々に熱っぽいものになっていく。背中の痛みはまだあるだろうに。

快楽主義者とはこういうことなのか。

ギルバは独りごち、同時にもやもやしたものが腹の底に蹲るのを感じたが、それが何もので あるかなど判らなかった。ただ、何かが気に食わない。

「チッ……」

舌打ちして、ギルバは彼の肩口に顔を埋めた。尖った犬歯を、柔らかな膚に押し当てる。彼の肩が びくりと震えた。ぶつり、と。鈍く皮膚を突き破る音が脳髄に響く。と同時に、舌にはひどく 甘い味わいが広がる。
ギルバは驚いて、その甘みを舌の根でよく味わった。しかしすぐに消えてしまって、甘みの元で あろうものへ舌を押し当てる。やはり、甘い。ギルバは夢中になった。およそみっともないさま だと自覚はあるが、やめられなかった。甘い。
彼の肩がそのつど震えるのも、愉しいと思う。

愉しい。それはギルバにとり、ひどく疎遠な感覚だ。彼を殺す瞬間のことを想像するのは 愉しいが、今現在の愉しさとはまた別であろう。
音をたてて、彼の首筋に吸い付いた。どうにも、やめられない。
彼の唇から吐息がもれ、ギルバの耳を撫でていく。

「ん、んっ……」

ギルバの左手には、彼の中心が握られたままだ。それを少し強めに揺すってやれば、彼の吐息は いっそう熱を帯びる。全裸で自分に身を委ねる彼は、ひどく扇情的だ。包帯で背中と胸の一部分を 覆ってはいるが、それすらも劣情を煽っているように見えるからたちが悪い。
ギルバはちらと唇を舐めた。下腹が張り詰めているのが判る。解放を求めて自己を主張して いるのだ。愚かしくも。

舌打ちを一つ。彼のうなじに犬歯を突き立てる。

(甘い)

蜜のような濃厚な甘さを舌で遊ばせながら、ギルバは彼の両脚を大きく割り開いた。天を衝く ほどに反った陰茎をも何もかもをさらした、あられもない恰好だ。男を我が身に誘う娼婦の ような――そんな姿にさせたのは自分だというのに、嫌悪が沸き上がる。

「ふん……」

鼻を鳴らし、彼の脚の間へ躰を割り込ませる。革パンツの前を寛げると、すでに猛った自身が 姿を現した。彼の吐息と血のみでこうも張り詰めるとは、感心するよりも嫌悪に似たものを 感じる。が、生理現象を無視するには目の前の獲物は蠱惑的でありすぎる。
潤いを知らぬそこへ自身をあてがうと、彼の腰がわずかに引けた。意識はまだ朦朧としている はずだが、自分が犯されようとするのは判るのだろうか。慣れているならば理解もできる。 押し当てられた熱に、意志とかかわりなく躰が反応したのなら。

気に食わない。そう思うのは何度目のことか。

ギルバは苛立つままに彼の内へ押し入った。みしりと嫌な音がした気がする。ひどい痛みが あるに違いなく、彼の表情が歪んだ。

「ぐぅうっ……!」

低い悲鳴には甘さの欠片もありはしない。しかしギルバは気にも留めなかった。気にする必要性も 見出だせぬ。彼の肉は、血のぬめりを借りて熱塊に絡み付いてくる。これも無意識に違いなく、 彼がどんなにか慣れているかが判った。

「淫売……」

ふと口をついた言葉に、彼が顔をこわ張らせた。焦点の合わぬ双眸は困惑に揺れ、悲哀の色すら あるようだった。

ちがう。

かすかに耳に届いた声は震えている。

「何が違う?」

苛立ち、ギルバは彼を揺さぶった。彼は白い首をのけ反らせる。

「ひぁ、ぁ……ッ」

血の気の引いた唇からもれる喘ぎには、すでに苦痛を思わせる色は消えている。痛みすら快楽に 替えることができるのか。ギルバは吐き捨てた。淫乱め。

「ちが……あっ、ああ!」

否定しようとする言葉を、奥を突き上げることで奪った。何が違うというのか。襞は熱く熟れ、 男を離すまいとしてきつく締め付けている。これのどこが淫乱ではないと言えようか。男好きの するのは、この整った顔だけではないということだ。

「浅ましい躰だ。そんなに男が好きか」

男に犯されることが。
彼はなおも否定しようと口を開いた。しかしギルバは聞く耳を持たない。

「しばらく黙っていろ」

彼の背を守る包帯を掴み、無造作に引いた。ぶちぶちと音をさせて、包帯が千切れる。無残な 端切れと化した包帯を、彼の半ばほど開いた口に押し込んだ。これでしばらく静かになる だろう。
自己満足を得たギルバは、目尻に涙をためた彼など省みることなく、思うさま彼を貪った。
彼をトニーと認識してはならない。これは肉を持った人形だ。白く滑らかな膚。無駄のない肢体。 トニーと名付けられた人形を、自分は抱いている。――断じて、男を好む淫乱を犯しているのでは ない。

絶頂まで、思いのほか時間を要した。すぐに手放したくなかったせいだろう。彼の肉はギルバを 虜にした。が、一度果て、結合を解けば現実がそこに待ち構えていることは判っていた。だから、 あえて長引かせた。
時間をかけて犯している間に、彼は気を失ったらしい。弛緩した躰に、ギルバはようよう精を 放った。ため息の出るほど、心地の好い解放だった。

赤く染まったシーツに蒼白い肢体を投げ出す彼は、ひどく美しい。

わずかに乱れた呼吸を整えながら、ギルバは何を思ってか彼の唇に自らのそれを重ねた。 色を失ったそれはひどく柔らかく、ギルバは触れるだけの口付けを二度三度と彼に施した。
ギルバは目を細めた。しかしすぐに現実が去来して、包帯の奥の双眸を見開く。

何をしているのだ。
いったい、何を。

解放を得たときとはまるで違うため息を吐き出し、ギルバは首を左右にした。彼を貪ったことは 記憶に生々しく、かつ鮮明に刻み込まれた。それは良い。充分に愉しみもした。だが、先刻の 口付けは。

(……くだらん)

彼を一瞬でも愛しく思ったなどと、認めるほどギルバは寛容ではない。

その後、淡々と彼の身を清め、包帯を巻き直してやったのは気まぐれにすぎない。
男は夜明け前の窓辺に立ち、硝子に映る彼をちらと見やった。ゆるんだ包帯の隙間から覗く男の 顔立ちは、誰かによく似ているように見えたがはっきりとは判らなかった。



気の迷いだ。
そう言い聞かせ、ギルバはその夜のことをすべて、記憶の淵へ投げ捨てた。



















戻。


リクエスト第1弾、ギルトニ(裏)でした。
好きなように書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?

こんなものでよろしければ、リクくださった方のみお受け取りくださいませ。


[09/07/10]