瑠璃色ラピスラズリ









 見知らぬ男にダンテが攫われかかってから、バージルはダンテを文字通り片時もそばから 離さなかった。それこそどこへ行くにもべったりの双子を、母は不思議に思ったことだろう。 しかし何を訊いてくることもなく、ただ美しいおもてに優しい微笑を湛えるだけだった。
 ダンテが攫われそうになったことを、母は知らない。ダンテは無事だったのだから、あえて 話す必要もないとバージルは判断したのである。

 ダンテを膝に抱いて、バージルはいつもの読書に耽っている。世間はクリスマス支度に 忙しいが、彼らの家では母が少しばかり料理に精を出す程度で、あとはプレゼントをそれぞれで 用意するくらいのものだ。
 バージルはといえば、数日前に母とダンテへのささやかなプレゼントを買った。ダンテは どうするつもりなのか、バージルは知らない。先月からちらほら、一人でどこかへ出掛けて いたようだから、何か買う気でいたのかもしれない。しかしもう、一人歩きはバージルが させはしないから、まだ何も用意していないのだとしたら……。

(まだなら、そうと言えば良いだけだ)

 ダンテは何も言わない。つまりもう、用意は済んでいるのだとバージルは思っている。 ダンテが何か言いたそうにもじもじしていることはあるが、結局バージルは何も聞いていないの だから。
 ダンテがバージルの膝の上で、もそりと動いた。座り直しただけらしく、すぐにじっと 大人しくなる。バージルは手を曲げてダンテの髪を梳いた。

「喉でも渇いたか?」

「ううん……」

 ダンテが首を左右にした。ダンテはバージルの胸に背中を預ける恰好で座っているから、 頭を振るとバージルの頬に髪があたる。痛くはなく、むしろ柔らかな感触が心地好い。

「眠いか?」

 この問いには、ダンテは少し考えたふうだったが、やはり首を左右にする。

「眠くない……」

 どこかしら、歯切れの悪い口調なのが気に掛かって、バージルは読書どころではなくなって しまった。大抵の物ごとにはまるで頓着しないバージルだが、ダンテが関われば話は別だ。 膝の上で対面するようにダンテを抱え直し、バージルは弟の大きな双眸を真正面から 見据えた。

「ダンテ、言いたいことがあるならはっきり言え」

「な……なんにもないよ、べつに……」

 顔を背けようとするのを、バージルはダンテの頬を両手で挟み込んで阻んだ。それならばと 視線だけでも逸らそうとするダンテを、バージルは軽く睨むことで叱咤した。

「ダンテ」

「…………」

「強情を張るつもりなら、それでも良いぞ。素直じゃないお前には、プレゼントはなしだな」

「えっ!?」

 ダンテが目をいっぱいに見開いてバージルを凝視する。バージルが冗談で言ているのだと 思いたいのだろう。じっと見つめて、しかしバージルが本気だと判ると哀れな程悲しげに顔を くしゃりとさせた。

「そんな……ひどいよ、バージル」

「そうだな。けど、おまえがおれに隠しごとをするのが悪いんだ。違うか?」

 ダンテはぐっと唇を噛み、俯いた。

「……だって……」

「だって、なんだ」

 問い詰めると、ダンテはバージルの服の裾をきつく握り締めた。指先が白くなる程、力を こめている。表情といえば妙にかたくなで、バージルは少々機嫌を悪くした。

(そんなにおれには話したくないのか)

 従順なダンテが自分に逆らう。バージルにはそれが気に食わない。
 バージルはダンテの白く柔らかい頬を、加減もせずにぎゅむっとつねった。当然、ダンテは 痛みを訴えてにわかに叫ぶ。

「! いたぁっ!」

 本気で痛いのに違いない。バージルはしかし、離して、と喚いてじたばたとするダンテに 容赦はしてやらなかった。ぎりぎりと、音が聞こえそうな程強くダンテの頬をつねる。

「い、いぁっ……!」

 ダンテの目に涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうだ。泣けば良いとバージルは思う。泣いて、 許しを乞うて見せろ。ダンテの哀れにも縋ってくれば、この苛立ちも治まるかもしれない。 バージルはダンテが泣いて、加害者である自分に縋ってくるさまが好きなのだ。だからときに いわれもなく、ダンテを苛めては泣かせてやることもあるくらいだった。

「痛いか、ダンテ? やめてほしいか? なら、どうすれば良いか、知っているな?」

 子ども故の残酷さを、バージルは平然とダンテにぶつけた。ダンテの双眸に溜まった涙は、 必死に堪えているのかまだこぼれていない。

「……め……なさ……、ごめんなさい……っ」

 涙より先にダンテの唇からこぼれた言葉に、バージルはにこりとする。しかしまだ、許すには 早かった。

「話す、だろう? 全部。おれに隠しごとをして良いのか?」

 ダンテが首をぷるぷると振った。その拍子に涙が数滴、散っていく。

「はなす、ぜんぶ、はなすから……、お兄ちゃ……」

 兄を理不尽だとは思わないのだろうか。思っているかもしれないが、それでもダンテが 縋るものはバージル以外にはない。それがバージルの、既に屈折している心を満たすのだ。

「良い子だ」

 バージルはダンテの頬から手を離し、赤くなってしまっているそこを優しく撫でてキスを した。なだめるように髪を梳いてやっていると、ダンテの瞳からようよう涙が溢れ出す。 濡れていく頬を、バージルは涙が伝う都度舌で拭ってやった。それがどうも心地好いらしく、 ダンテの表情がだんだんとうっとりしたものへ変わっていく。子どもらしからぬ陶然とした 様子で、もっと、などとねだりすらするものだから、バージルはくすっと笑ってしまった。

 可愛い、おれのダンテ。

「好きなだけしてやるが、おまえが話すのが先だ」

 さぁ、と促してやると、ダンテはぼうっとした表情のまま、あのね、と話し始めた。と 言っても、長い話ではなかったが。

「プレゼント、買おうと思ってたの」

「クリスマスの、か?」

「うん。でもね、あの男のひとにお店の前で会って……だからぼく、まだ買えてなくて……」

 バージルのなの。ダンテは消えそうな程小さな声で呟いた。バージルの為のプレゼントを 買おうとその店に入ろうとしたところ、件の男に声を掛けられ攫われかかったのだ。だから ダンテはバージルへのプレゼントを買えてはおらず、かと言って贈る相手であるバージルに そのことを打ち明けることも出来なかったというわけである。

「たまにひとりで出かけていたのは、プレゼントを探すためだったのか?」

 ダンテはふるりと首を振った。

「きっと高いものだから、ぼくには買えないかもしれないって、思って……」

 何度も通い、つい先日、ようやくその品物の値を店主に訊いたのだという。

「いくらなんだ?」

「……わからないの……」

「は?」

「かちはひとによって違うものだからって」

 困りきったダンテは、とにかくあるだけのお金をポケットに突っ込み、再び店へと走ったのだ。 しかし、思わぬ事態が起こった為に、ダンテは結局、それがいくらで売ってもらえるかも判らぬ ままだった。
 バージルが、けっしてそばを離れるなと言ったから。ダンテはきちんと言い付くを守り、 片時もバージルのそばから離れなかった。プレゼントは買わなくてはならない。けれど。
 板挟みになって、どうすることも出来なかったのだろう。だからこの数日、妙にもじもじして いることがあったのだ。
 得心したバージルは、消沈して俯いてしまったダンテの額に口付けた。のろのろと顔を上げた ダンテの唇に軽いキスを落とし、バージルはダンテを抱き締めて椅子から立ち上がった。

「行くぞ、ダンテ」

「どこに?」

「その店だ。おれは外で待っていてやるから」

「えっ……でも、」

 買えるのかどうかすら判らないのだ。ダンテが不安に顔を曇らせるのも無理はない。 バージルはダンテの頬をするりと撫でた。

「大丈夫だ。ほら、早くしろ」

「うん……」

 ダンテの表情から不安の色は消えぬままだったが、バージルはダンテの手を引いて家を出た。 もちろん、母には外出する旨を一言告げてから、だ。





 店は外から見ると、開いているのか閉まっているのかどちらか判らないような暗さだ。 子どもにはまるで用が見出だせない骨董屋で、バージルは思わずダンテを凝視してしまった。 バージルへのプレゼントを買うのだとダンテは言ったが、いったい何を見つけたのか。
 こういった骨董品にはいたく興味のあるバージルだ。少し期待している自分自身に、バージルは 気付いている。

 店のドアを開け、ダンテがそろそろと入っていく。バージルは外で待っているつもりだったが、 ダンテに心細そうな目をされてしまってはそういうわけにもいかず、結局手を繋いだまま店に 入った。すぐに、店主らしき老人が姿を見せる。

「来ると思っていたよ、ぼうや。おや、そちらはぼうやのお兄さんかな?」

 一目で判る程、バージルはダンテに比べて大人びている。ダンテがこくっと頷いた。老店主は すっかり意を得ている様子で、ダンテににこりと微笑みかける。

「きっと来ると思ってね、待っていたんだよ」

 ダンテはおずおずと、ポケットからありったけのお金を握り締めて老店主の掌にぶちまけた。 くしゃくしゃになった紙幣と小銭。見たところ、総て足しても三十ドルあるかないか程度だろうと バージルは見た。それでもダンテにしてはよく貯めたものだと思う。

「これで、買えますか……?」

 大いに不安を宿した目で、ダンテが老店主を見上げる。店主は白い髭をいっそう歪めるように した。笑みを深くしたらしい。

「毎度あり、ぼうや」

 その言葉を聞いた途端、ダンテの表情がぱっと花が咲いたように輝いた。

「ありがとう、おじいさん!」

 嬉しくて仕方ないといったふうに破顔するダンテの手に、店主はにこにことして小さな紙袋を 乗せた。ダンテはそっと中身を確認し、それからほうっと仕合わせそうなため息をもらす。店に 陳列しているそれを見ていたときと、念願叶って買ってからとでは、見えかたも違ってくるの かもしれない。

「大事にしてやっておくれ」

 ダンテに、ではなくバージルも含めて二人に老店主が言った。大きく頷くダンテの傍ら、 バージルはすっと顎を引いただけだった。

 誰から見ても嬉しくて堪らないという顔で、紙袋を大事に大事に抱えたダンテと家に戻った のは、出掛けてから一時間程が経った頃である。キッチンからは良い匂いが漂っていて、 バージルはそちらに引き寄せられそうになったダンテを引っ張って子ども部屋に連れ込んだ。
 部屋に入ってしまえばダンテは今し方の匂いのことなど忘れてしまったようで、ふふふ、などと 仕合わせそうに笑っている。よほど、それを買えたことが嬉しかったのだろう。

「良い店主だったな」

 バージルが言えば、ダンテは「うん!」と満面の笑みを返してくる。その笑顔に何となく 面白くないものを感じはしたが、ダンテが仕合わせそうにしていれば、バージルの口許にも 自然と笑みが浮かぶのは事実だ。ときにダンテを泣かせては充足を得るバージルだが、基本的には ダンテが仕合わせなら他はどうでも良いという思考の持ち主である。今、ダンテは確かに 仕合わせなのだから、それで良いではないか。
 バージルはダンテの髪を撫で、そのしっとりとした感触を愉しんだ。



 海のような碧を閉じ込めた、瑠璃の根付――もじもじと差し出された手ごと掴み、バージルは ダンテの唇にいつになく深い口付けを施し、

「頑張った褒美だ、ダンテ」

 そう囁いたのだった。



















戻。



ダンテ誘拐未遂、後日談でした。
何となく、内容が走っててすみません…