仲違
喧嘩をした。
厳密に言えばあれは喧嘩ではないのだろうが、しかし仲の良い彼らにとっては喧嘩以外の何もの
でもない。
あれきり、顔を合わせても目は合わせないし、口など利こうともしない。向こうはこちらに
気付くと、少しどきりとしたようにはっとして、慌てて目を背ける。わざとらしく俯けたその顔は、
ベッドに入るまで上げられることはない。
嫌いだと知っている本を無理から読む――――いつもならば、読んでとせがんで来るというのに
――――。
とにかく会話をしたくない、させたくないという雰囲気を纏うそれを、こちらも本を読みながら
それとなく盗み見る。
あれは、意固地だ。誇り高くもある。それ故に、時にまるで融通が効かくなることがある
のだ。
今回の喧嘩も、そうだ。
こちらには喧嘩をするつもりなどなかった。それはあれも同じだったろうが、結果はこの通り。
丸一日、目も合わせていない。口も利いていない。
当然ながら、寝る時も別々のベッドだ。
元より子供部屋には二台のベッドが置かれている。別々に眠るのが当たり前ではあるのだが、
彼らは毎日一つのベッドで寝起きし、母もそれは知っている。
互いを抱き締めて眠る。それが存外に心地好いと気付いてから、別々に眠ることはまずなく
なった。
昨晩は。
あれは一人で逃げるようにベッドに潜り込み、先日母が買ってくれた枕型のぬいぐるみを抱き
締めて眠った。こちらはこちらで、同じく母に貰ったぬいぐるみを枕にして、ふわふわの短い足を
握って眠りに就いた。確かに、初めて貰った際にあれが喜んで抱き枕にしただけのことはあり、
手触りは良い。枕としては多少固さが足りないが、不快という程ではない。
けれども、やはり物足りなさは付き纏う。
あれは、いつまで意地を張り続けるつもりだろう。いつまで、目も合わせない口も利かない
同衾しない、を続けるつもりだろうか。
早く、縋って来れば良いのに。
朝食のパンを囓りながら、内心で肩を竦めた。
喧嘩のきっかけは、ほんの、本当に些細なこと。
一昨日のこと。
「バージル、」
先に起きてベッドから降りようとしたバージルを、ダンテが呼び止めた。どうした、と毛布から
目だけを出してこちらを見上げるダンテの額を、バージルは撫でてやる。ダンテは上目遣いに、
「もう起きるの……?」
甘えるように言った。いや、実際甘えていたのだろう。
朝に弱いダンテは、休みの日となると嬉々として昼までベッドから出ようとしない。逆に
バージルは遅くまで寝ていられない質で、休みであろうが毎日同じ時間に目が覚める。
夜眠る際は同時にベッドに入っても、朝はそれぞれ全く違う時間に起きる。それが嫌なのか、
どうか。ダンテは時折、バージルが起きた気配で目を覚まし、くいとバージルの寝着の裾を
引く。
「一緒にいて」
と。
バージルはいつもなら一つ肩を竦めただけで、ベッドに入り直す。ダンテは嬉しそうに笑い、
少し冷えたバージルの躰にしがみつくのだ。
しかし、一昨日は違った。
「たまにはおまえも早起きしろ」
ダンテの前髪をひと梳きして、バージルは立ち上がった。その瞬間、ダンテがどんな顔をしたか。
バージルは知らない。
「や……バージルっ……」
跳ね起きるようにダンテが起き上がったのが、音で判る。しかしバージルは振り向きもせず、
クローゼットから服を取り出し、黙々と着替えた。
昨晩読みかけていた本の続きが、ずっと気になっていたのだ。ダンテが「寝よう?」と可愛らしく
誘って来なければ、きっと夜を徹してでも読み切っていただろう、なかなかに興の沸く内容
だった。
ねだってくるダンテにキスをしてやり、ついでに子供らしからぬ悪戯もして。じゃれ合いながら
眠った。明日は本に没頭しよう。そう決めて。
だから。バージルの言葉はバージルにとっては自然に出たものだった。昨晩はダンテに付き合って
やったのだから、今朝は自分のしたいことをしよう、と。
自分の言葉が足りぬとは、バージルは露程も思ってはおらず。
「バージルのばかっ」
言い捨て、また毛布を頭から被ってしまったダンテの心など、バージルには計り知れよう筈が
ない。
ばか、と声高に罵られた言葉だけが、バージルの脳内をぐるぐると巡った。
叫んだ瞬間の顔を、見損ねたのは失敗だった。自分に向けて怒った時の表情は、瞳に涙が溜まって
いてとても愛らしいのに。あぁ、失敗した。もう一度見せてくれないだろうか。
そんなことを真面目に考えていたバージルに、喧嘩をしたとは認識出来ずにいて当然である。
「ダンテ、」
名を呼ばわってみても、ダンテはぴくりともしない。怒っているのだと、確かに知れた。
バージルは首を傾げながら部屋を出、朝食を摂った。昼過ぎにようやく起きて来たダンテと母を
交えて昼食を食べた際、ダンテが一度もこちらを見ようとしないことに気付き、そうしてようやく、
バージルは朝のあれが喧嘩だったのだと察したのだった。
本一冊、丸々読み切る程度の時間を費やして初めて気付いた、久しぶりの“喧嘩”。自覚のない
バージルには、どうにも違和感のありすぎる言葉だった。
喧嘩、らしきものをして、二日。
ダンテは未だ折れない。バージルも放ってある状態で、ある種どうにもならない状況が続いて
いた。
ダンテから謝って来るべきだ、とバージルは自然に思っている。ごめんなさい、と泣いて謝る姿を
見たいからだと言ってしまえば、それまでだが。
ダンテの笑顔もさることながら、泣き顔もバージルの気に入りだ。時にわざと泣かせることも
あるのだから、自分でもどうかしていると思う。
己の精神が普通と呼べるものではないことを、バージルは既に自覚している。しかしバージルに
とっては、それが“普通”だと開き直っているところがある為、ある意味救いがないのだ。
ダンテは相変わらずバージルと目も合わせようとしない。いつまで続けるつもりなのだろうか。
バージルは少し面白がって、ぬいぐるみを抱いて不貞腐れるダンテを観察する。
悪趣味だ、と突っ込んでやれる人間は残念ながらここにはいない。
ダンテが今何を思っているのか、それを想像するのもバージルの楽しみになっている。いよいよ
悪趣味だが、やはり忠告するものはない。
バージルはふと思い立って、ただ広げていただけの本を閉じた。ぱたり、という音にダンテが
一瞬顔を上げる。しかしバージルと目が合うや否や、慌てて外方を向いてしまった。
(……ふ、ん……)
ぬいぐるみに顔を押し付けるダンテに、バージルはゆっくり近付いた。足音はなく、ダンテは
全く気付いていない。ベッドにちんまりと座るダンテの目の前まで近寄って初めて、ダンテは
バージルに気が付いたらしい。弾かれたように肩を跳ね上げ、ベッドから降りようとする。
逃がしてやる程、バージルは甘くはない。
「待て」
がっしとダンテの肩を掴み、ぐいと力を込める。わ、と小さく悲鳴を上げてよろめくダンテを、
そのままベッドに押し倒した。
間近に顔を見つめてやると、ダンテは最後の足掻きのつもりか、精一杯顔を背ける。バージルは
片眉を器用に上げ、ダンテの頬を両手で包み込んだ。
「ダンテ、おれを見てくれないのか?」
びく、とダンテの顔が強張る。もう少しだ。
「おれと話しもしてくれないのか……?」
寂しい、と言外に込めて呟けば、揺れるダンテの瞳がちらとバージルを映した。蒼い双眸に映る
自身は、悲哀に暮れている。そう、狙い通りに。
ダンテの瞳に涙が溜まり、けれどまだ躊躇いがあるのだと判る。
もう、少し。
「寂しかったろう、ダンテ?」
ごめん、と囁くように謝り、ダンテの頬に口付ける。ほと、ダンテの瞳から涙が零れた。
「……ばぁじる……っ」
堪らずに抱き付いて来た躰は、いつになく冷たい。寒かったのだろう。ぬいぐるみを抱いて
いても、心が寒いままでは躰の芯は温まらない。
バージルはダンテを抱き締め、その肩口に顔を埋めて笑みを浮かべた。
「暖かいか、ダンテ?」
問えば、うん、と小さな応え。猫ように頬をすり寄せてくるダンテのこめかみに、触れるだけの
キスをする。
「バージル……」
いくつも啄ばむようにキスをされるのが、ダンテは好きだ。知っているから、バージルは好きな
だけ口付けてやる。頬に、額に、瞼に、顎に。そうして、最後は唇に。
「んぅ……」
甘えるような吐息は、バージルの幼い牡に得も言われぬ痺れをもたらすのだと、ダンテは知って
いるだろうか。
衝動的に唇を割り、舌を差し込む。怯えて小さくなっているダンテの舌を捕らえ、絡めては
吸う。
「っん……ふ、く……」
子供には強すぎる快楽に震えるダンテの躰をきつく抱き締め、くちゅり、と口内を丹念に舐めて
名残惜しく思いながらも唇を離した。くた、とダンテの頭が力をなくして敷布に落ちる。しかし
意識は何とか保っているらしい。
「大丈夫か、ダンテ?」
前髪を掻き上げてやると、ダンテが少し赤く腫れた瞳をとろんとさせてバージルを見上げた。
「……ばぁじる……」
求められた気がして、バージルはダンテの額にキスを落とす。ダンテは嬉しそうに目を細め、
そのまま引き込まれるように眠ってしまった。
すうすうと規則的な寝息をたてるダンテをベッドにきちんと寝かせてやり、バージルはダンテに
寄り添うようにベッドヘッドに凭れる。ダンテが目覚めた時にもしバージルがいなければ、また
二日前と同じことになるのだろう。
些細な喧嘩もたまには良いが、今は、ここにいてやろうとバージルは思った。
仔双子は個人的に書いててすごく楽しいです。
兄をね。もっと子供らしく書いてやれよ、と思わなくもないんですが。
代わりに弟がものそい子供なんで。