散文サンブン









朝、というには遅すぎる、もう昼近い時間に目を覚まし、のろのろとシーツから抜け出した。 ものが散乱した部屋はいつものとおり。片付けろと煩い小言も、今はない。そんな小言があっても 片付けたことはなかったのだから、これからはいっそう散らかっていくばかりに違いなかった。
時折、思い出しては似合いもしない憂いをため息に乗せる。どうにもならぬことだ。どうしようも なかったことだ。しかし、本当にそうだっただろうかと、思わずにはおれないからたちが悪い。

後悔など、したくもないというのに。

はぁとため息を吐き、床にばらまかれた服の塊からラフなカーゴパンツを掘り出し、やはり のろのろとそれに脚を通す。蒼白くすらある無防備な内股に紅い虫刺されのような痕を見つけ、 我知らず目尻を朱に染めた。
蚊に刺されたかな、などと見当外れなことを考える程、彼は子どもでも純真でもない。それは 紛れもなく、昨晩の情緒の痕跡だ。

(でも、まぁ、)

隠れてしまう場所で良かったなんて、的を外したことを思い安堵するあたり、彼の感覚は少し ばかりずれている。
服の山から半袖のシャツも引っ張り出し、着る。いちおうの身繕いを整えて、部屋を出た。



リビングのドアを開けると、朝っぱらからクーラーが冷風を吐き出しているらしく、ひんやりと した空気が足首を撫でた。彼もたいがい暑がりだが、クーラーは本格的な夏になってから つけるという習慣があり、こんな半端な時期(確かに暑くはあるが)に電源を入れたことは なかった。それを出来ない理由があったからなのだが、先にリビングに移動した人物には、 何を気にすることもないらしい。
咎めてクーラーを切るような真似は、彼もしない。所詮、暑いものは暑いのだ。一度この冷気の 恩恵に預かってしまえば、もうこれなしではいられなくなる。

彼以上に暑がりなのだろう人物は、ここ数日そうだったように、今日もソファーにだらしなく 寝そべり腕を組んで眠っている。それを片目で見ながら、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターの ペットボトルを取り出した。キャップを外し、ごくりと飲みつつ冷蔵庫の扉を閉める。横着を するなという小言は、やはりない。あるわけもないのだが、彼の脳裏ではそれは生々しい程の 現実味をもって反芻されていた。
馬鹿馬鹿しいことだ。判っていながら、しかし振り払うことの出来ない過去の残像に、彼はいまだ 囚われている。

片手にペットボトルを携え、リビングの、逞しい体躯の男が寝そべるソファーへ近付いた。 ローテーブルの両側に二人がけのソファーが二つという、簡素なテーブルセット。彼はあえて 男が陣取るソファーとテーブルな間に入り込み、そこに腰を下ろした。ソファーに、ではなく、 床に直接、だ。以前はここに敷物が延べられていたのだけれど、今はない。彼が引き剥がして 処分した。そういう代物は、他にもある。
ソファーに背中を凭せかけると、男の腰あたりに頭が当たった。膝から下は完全にソファーから はみ出しているのだ、大の大人が寝そべるには、このソファーはいかにも小さすぎる。

彼は男の腰に後頭部を押し付けるようにして、首を左へ捻った。肘置きを枕にした、端整という よりも精悍という言葉が似合いそうな顔立ちが、視界に入る。中途半端に放っておかれた髭が、 男の不精を物語っている。ちくちくするから剃れと言っても、男は笑って流してしまう。
これが良いんだうろが、なんて。おやじ臭い(男臭いと言え、と言われそうだ)笑みを浮かべて 見せたのは、つい昨日のこと。言ってろ、と軽口を返した彼は、次の瞬間男の下に組み敷かれて いた。その先のことは、あまり思い出したくはない。

唇を尖らせ、腰を捻って躰ごと後ろを向く。伸び上がるようにして顎を男の腰骨に乗せると、 何故かやけに落ち着いた。しかし今は、それすらも忌々しく感じてしまう。

「……おっさん」

刺々しく、呟く。名は呼ばない。男と自分と、同じ名を持っているからというのも一つの理由では あるが、もし違う名だったとしても、男のことを名で呼ぶことはなかっただろう。彼と比べて、 男は倍程も年嵩だというこっもある。

「おっさん、」

もう一つ、呼ばわる。大きな声ではないのだけれど、男が目覚めないというのは奇妙だった。 年の功か、男は彼よりも腕前で勝る。剣も、銃も、その他の能力もだ。彼が勝っているといえば、 若さくらいのもの。だからいかに熟睡していても、名を呼ばれて気付かぬなど有り得ぬ筈だ。 彼の近付く気配で目覚めなかったのは、彼に男を害する気が全くないからだろうけれども。

「……なぁって、……」

ふと、男の肩を揺すろうとして、やめる。起こしてどうするつもりなのか、今になってはたと 気付いた。男を起こす理由など、あるわけがない。なんとなく、とはいかにも無意味な言葉だ。
彼は唇を噛み、躰を元に戻してペットボトルと鷲掴みにした。キャップを開け、ごくごくと一気に 飲む。喉がひどく渇いていた。ペットボトルの半分程も一気飲みして、しかし喉の渇きは 治ってはおらず。

(なんなんだよ……)

内心で、毒づく。それが自分自身への言葉であるのか、それとも男への八つ当たりなのか、 彼には判らない。ただ、やけに喉が渇く。

もう半分、飲み干してしまおうか。

ペットボトルのキャップを握り締め、透明の水を睨んでいると、

「あんまり飲んで、お漏らししても知らねぇぞ?」

突然の声と肩にのしかかる腕の重みに、彼は不覚にもぎくっとした。その反応に、背後の男は くつくつと愉しげに笑う。

「百面相も、見てて面白ぇんだけどな」

彼の頭にごりごりと顎を擦りつけてくる男を、彼は振り払うようにがばりと振り仰いだ。

「あ、んた! いつから……!」

うろたえる彼の、寝癖の残った髪をくしゃりと撫で付け、男がいやに上機嫌に言うところ には。

「ん? おまえが階段下りてくるあたりから」

つまりは初めも初めから男は目を覚ましており、ずっと、寝たふりを続けていたということだ。 さらりと告げられた事実に、彼は絶句してしまった。愕然とする彼の、前髪を掻き上げ男はにぃと 嫌な微笑を浮かべ、

「それよりな、坊や、あんな切ない声で余所の男の名、呼ぶんじゃねぇぞ?」

俺限定でな、などと。甘く囁き秀でた額にキスをされて、彼は顔だけでなく耳やうなじまで 真っ赤に染めた。紡ぐべき言葉を捜すことも出来ずにいると、調子に乗った男が彼の耳朶を 食みやわく犬歯を立てた。

「どうしたよ、旨そうな色になっちまって。そんなに俺に喰われたいのか?」

噛んだそこをねっとりと舐ぶられて、彼は「わぁあッ!」と奇声を上げ腕を振り回した。

「離せ黙れエロおやじ! あんたなんか一生寝てろ!」

罵り喚き、男をやたらめったら殴りまくる。しかしその程度殴打は男へ何のダメージも与える ことは出来なくて。むしろ子どもがぐずって暴れる程のものにしか、男には映らなかったに 違いない。

「判った判った、ほら、」

これが欲しかったのだろうとばかりに、後頭部を掴まれ顔を固定され、唇を噛み付くようなキスが 襲う。両手首は男の片手のみで一纏めにされてしまい、抵抗らしい抵抗も出来なくなった。 ぬるりとした感触にびくっとして、慌てて唇を閉ざそうとしたがもはや遅い。男はいかにも 慣れたふうに、彼の口腔を舌で愛撫しにかかる。まだ経験の浅い彼にとり、男の手慣れたキスは あまりにもレベルが高くありすぎるのだ。

「っは、ぁ、ふ」

息など早々に上がり、そのつもりなど全くないというのに甘えるような喘ぎが喉をつく。彼の唇を 蹂躙しながら、男がにやりとしたのが判った。

「ん、く、」

悔しくて、眦に涙が溜まる。ぎゅっと目を瞑ると、意図せず涙が一粒こぼれ落ちた。その瞬間、 男が不意に唇を離した。

「ぁ……?」

ひどく中途半端に放り出された彼は、瞼を開け息の触れる間近にある男の顔を見つめた。 くつりと、男が笑う。

「足りねぇなら、そう言いな」

頬を伝った雫を、男は追いすがるようにして舌で舐め取る。膚を這うその感触に、彼は我知らず 背筋を震わせた。

「んっ……」

「なぁ、」

耳に吹き込まれる、男の声音は低い。「良いよな?」と。囁く声を、彼は咄嗟に理解出来ず。 気付けば、つい先刻まで男が寝そべっていたソファーに、今度は自分が仰向けに寝転んでいて。 真上から、不精髭を生やした男の、獣じみた双眸が自分を見下ろしており。

「良い子だから、おとなしくしてろよ」

甘く宥める声音と、シャツの裾から入り込む手の感触に、彼はいまさらながらぎょっとして、

「ッ……! やめろ、このヘンタイ!」

大声で、男の耳に叫んだ。



その後、彼が無事男の下から逃れることが出来たのか、どうか。それはまた、別の機会に。




















初めての43でした…
こちら、【饅頭COMPANY】 のぷよこ様に捧げた代物です。
相互リンク記念に素敵すぎる絵を頂戴してしまいましたので、
そのお礼になれば…と浅はかにも(汗)
ぷよこ様宅のセクハラ上等なヨンテに憧れてます。

このヨンテは、パラレルのヨンテとは別人と思っていただけると嬉しいです。
あっちはサンテに見えるという噂もありますが…