銀幕ムコウガワ









目が覚めて、隣に誰もいなかったらどうしようか――――そんなことを夜毎、考える。実際は、 どうしようか、ではなく、どうするのだろう、だけれども。
冷たくなったシーツに手を差し込んで、独りきりの朝を、自分はどうやって過ごすのだろうか、 と。

女々しい思いだ。ダンテは自己嫌悪しつつも、そんな思いを振り切ることの出来ない自身を 嗤うしかなかった。





朝――――ダンテは小さからぬ憂いを抱きながら目を覚まし、既に癖になっている仕種で隣に手を 伸ばした。そして、ほっと安堵する。ダンテの求めるもの――――暖かな体温が掌に触れ、ダンテは 情けないと自覚をしながらも安堵せずにはおれなかった。

まだ、ここにいる。

毎日、毎朝、ダンテは確かめては息を吐く。こんなことをしていると、ダンテにすり寄るように して眠る男が知れば、きっと不可解な表情をするのに違いない。ひとの感情にひどく疎い彼の ことだ、呆れるよりも眉を寄せて首を捻る光景のほうが鮮明に想像出来る。ダンテは白に近い 銀髪を乱暴に掻いた。情けない。実に。しかし、だ。

ダンテはそっと躰を起こし、まだ目覚める気配のない彼の、自分のそれとよく似た髪をするすると 梳いた。色はほとんど同じだが、髪質は彼のほうが良く、そして長さもある。長いと言っても肩に かかるかどうかという程度のもので、長髪とまではいかないが。
髪に触れても眠ったまま起きない彼に、ダンテは小さな(ささやかな)仕合わせを感じる。この、 ダンテにひどく似た顔立ちの男は、周囲の気配にかなり敏感に出来ている。仕事柄、ダンテも 常人よりはるかに気配には敏感なのだが、彼はそれ以上を行くのだからおよそ尋常ではない。が、 その彼が、ダンテがこうして起きて触れているというのに起きる兆しもないのだ。

(自惚れたくもなるって、なぁ)

まだ寝ている彼に、音にはせず囁きかける。たとえ馬鹿馬鹿しいと言われようとも、止められ ない思いがダンテの中にはある。だからこそ、こわいと思うのだ。
思いが折られた――――終わりを迎える――――とき、自分はいったいどうなってしまうのか、 想像もつかない。

(お前には判らねぇんだろうな、こんな思い)

ダンテよりも年嵩の、ダンテと同じ名を持つ彼は。――――もどかしい。こんなにももどかしく思う などと、出合った当初は考えもしなかった。

(……にしても、)

もう三十は軽く越えている筈だが、彼の髪はもちろん、膚も歳不相応にきれいだとダンテは思う。 自分と同一人物とは、ジョークではなく思えない。いや、ある意味彼とダンテとは全くの別人に 違いなかった。
ダンテは自分が彼と同じ歳になっても、彼のようにはならないだろうと漠然とだが思う。見目は 似るかもしれないが、きっと別人にしかならない。そうに違いないのだ。
だって、どう背伸びをしても、彼のようにはなれそうもないから。

(どうしてそんな、何でもかんでも諦めちまえるんだ?)

嘆息するように、口の中で愚痴っぽく唸る。よく似た見目。しかし性格や考え方はまるでダンテに 似ていない。何故か、などとダンテには判らない。それがまた、もどかしい。“あいつ”なら彼の 心を知ろうとしなくても判るのだろうと、確信を持ててしまえるから余計にだ。

(畜生)

罵りは、馬鹿なことを想像して気分が甚だしく悪くなった自分自身へ。

ダンテは躰をかがめ、まだぴくりともせず眠る彼の銀糸に唇を押しあてた。柔らかい。何度も 指で触れて判っていることではあったが、ダンテは今更のように驚きを覚えた。唇が彼の髪を忘れぬ うちに、また口付ける。それを何度も繰り返していると、今度は髪だけでは足りなくなった。
躰の右側を下にして眠る彼の前髪を掻き上げ、こめかみにキスを落とす。頬にも一つ口付け、 それから耳朶を甘噛みする。蒼白くすらある膚が自分を誘っているように見えて、ただの思い込みに 過ぎないと判ってはいても、ダンテは自身を抑えることなど出来なかった。
透き通るような(年齢を無視した)膚に、ダンテは齧り付いた。あからさまに傷をつけることは しないが、彼の膚はあまりにも痕が残りやすいこともあって、朱を散らす愉しみにダンテは半ば 酔った。

首筋や剥き出しの肩がまんべんなく紅い花びらで染まった辺りで、ようやく彼が身動ぎした。 これだけ痕をつけてもぴくりともなかったのだから、鈍いにも程があるというものだ。
それだけ気を許しているのかと、また自惚れを抱きそうになる自身を、ダンテは努力して戒めねば ならなかった。

彼の眉間に皺が寄り、長い睫毛が震える。堪らずに彼の瞼にキスをすると、彼は眉間の皺を深く して目を開けた。

「……なんだ」

起き抜けの為に掠れた声が、不思議と耳に心地好い。一番好きなのは散々責め立て啼かせた後の 嗄れた声音なのだが、彼には教えていない。言えば最後、彼は最中に呻きすら漏らさなくなって しまうだろう。最近になってようやく、素直に声を聞かせてくれるようになったのだ。この特権を 自ら棄てる程、ダンテは馬鹿ではない。

「相変わらず、朝弱ぇな」

ダンテは彼の頬を爪でくすぐるように撫ぜた。自分もさして朝が強いわけではないのだが、 彼程ではない。

「……、……煩ぇ」

ワンテンポ遅れた返答から、彼がまだ寝ぼけているのだと知れてダンテは無意識に笑みを浮かべて いた。

「眠いなら、まだ寝てて良いぜ?」

今日は仕事もない。便利屋などというものを営んでいると、仕事は週に数度あれば良いほうだ。 もっともダンテは仕事の選り好みが激しく、それさえしなければ毎日暇なく仕事をせねばならぬ 程度に忙しい筈なのだけれども。
ダンテ程に選り好みをするわけではない(面倒臭がっているだけだとダンテは思う)が、彼も 自ら進んで仕事をするほうではない。悪魔絡みの仕事は別として、だ。

ダンテがあやすように髪を梳いてやると、彼はとろとろとまどろみ始める。自分よりも年嵩の 彼が、自分よりも年下に見える瞬間は意外に多い。そしてダンテはそうした瞬間をひどく気に入って いる。
可愛い、などという言葉は間違っても似合わないけれど、ダンテは彼を時折そう評する。むろん、 口にしたことはない。――――彼を組み敷き貫いているときはまた別だ。

「ん……」

彼が無自覚だろう吐息を漏らし、やはり無意識にダンテへと躰をすり寄せて来る。まるで猫の ようだ。言い得て妙だと、ダンテは喉の奥で笑った。

「……何、笑ってる」

掠れた声がダンテを詰るように漏れた。ほとんど音になっていなかったが、ダンテの耳は彼の 言葉を聞き逃さなかった。

「ん? いや、こういうのも悪くねぇなって、さ」

彼が薄く瞼を押し上げてダンテを見上げた。詰まらなさそうな瞳はダンテのそれよりも色が 淡い。そのうち頭の先から足の先まで、真っ白になるのじゃないかと、ダンテは冗談ではなく思う ときがある。
ダンテは彼のこめかみに一つ、恭しく口付けをした。

「なぁ、昨夜はよく眠れたか?」

とある衝動に駆られ、ダンテは唐突に問うた。彼は一瞬訝しげな目をしたが、すぐに瞼を伏せて しまう。そして返された答えは、どうにも曖昧なものだった。

「さぁな」

「何だ、そりゃ」

ちゃんと答えろよ。言いたいのを我慢したダンテに、今度は彼がくつくつと笑った。

「昨夜はほとんど寝てねぇからな……」

欠伸を一つ。やはり猫だ。彼のほとんど眠れなかったという理由を、ダンテはすぐに察して、 口許がにやけるのを堪えられなかった。

「あー……、そりゃ、悪かった」

「べつに」

とは、どういう意味で呟いたのか。ダンテが片眉を上げる傍ら、彼は寝る気が失せたのか緩慢な 動作で躰を起こし、ダンテを見やるでもなくぽつりと言った。

「コーヒー、」

「は?」

「エスプレッソが良い。――――薄めの、」

「……淹れろって? 俺に?」

「他に誰がいる?」

自分で淹れる気は全くないらしい。いつもは勝手に淹れて一人で飲んでいるくせに、どういう つもりなのだろう。意図が判らず首を傾げるダンテを余所に、彼はベッドから下りた。無駄なく 鍛えられた均整の取れた裸体を惜しげもなくさらす彼を、ダンテは思わず凝視する。明るい中で 眺める彼は、彫刻と言うには痩せた感が強く、何故かひどく非現実的な存在に見えてしまう。
彼がダンテに背を向けたまま、床に放り出された下着を拾い上げた。

「視るのが趣味とは、知らなかったな」

揶揄するでもない、淡々とした声だ。ダンテはむっとして、自分もベッドから下りて彼の そばへずいと近付いた。
「視るのも良いが、俺はやっぱりこっちが良いね」

無造作に彼を抱き竦め、唇にキスを――――しようとしたが、顔を背けられてあえなく目標を外して しまう。拒まれたことに茫然とするダンテの腕からすら、彼は逃れるようにすり抜けた。

「……気分じゃねぇ」

ひょいと身を屈めて革パンツを拾い、まるでダンテの総てを拒むかのように部屋を出て行って しまった。こちらを一瞥だにせず。きっぱりと背を向けて。

何だよ、それ。

ダンテは自分が思いの外ショックを受けていることに愕然とした。キスを避けられただけで、 背を向けられただけでこれだ。しかも彼は何か意図があってダンテを拒んだわけではないに 違いなく、自分の行動によってダンテがひどいショックに陥っているなど思いも寄らないの だろう。

キスする気分じゃない? じゃあどんな気分なんだ?

ダンテにからだを開くのは、気分とは関係がないのだろうか。彼はセックスを拒んだことは 一度もない。貞操観念が著しく低いことは疑いようもないが、少なくとも、彼はダンテとの セックスを嫌ってはいない筈だ。初めは吐息すら漏らすことがなかった彼だけれども、今は ダンテが望む半分程度は声を聞かせてくれているのだから。

ではキスは?

やはり今までに拒まれたことはなかった。ダンテはよくキスをする。唇にもだが、頬や額など、 触れたそこかしこに口付けるのが好きなのだ。ダンテは初めこそ迷惑そうにしていたものだが、 今では慣れたのか、ダンテのしたいままに享受していた。それが何故、今朝に限って。

ダンテは息を吐き出した。考えても判らないものは判らない。ただ、彼がやはり猫に違いないと いうことだけは確かなことだ。それに、

(考えすぎるのは、駄目だ)

そう、良くないのだ。自分たちの関係を保つ為に、ダンテはある一定の努力をしなければ ならない。それは彼が、ある日突然いなくなってしまうかもしれぬという危惧よりも強く、 常に付き纏って離れぬ懼れである。

(――――コーヒー、か……)

彼が無意識に落とす欠片を、ダンテは決して拾わない。拾い集めた欠片が何を形作るのか、 明らかでありすぎるからだ。
そしてそれに挑んだところで勝ち目がないことも、火を見るより明らかなのだから。

慎重に、ならねばならぬと判っていて、ダンテは時折、彼の地雷を踏み付けてしまう。どんな 悪魔を相手取ろうとも、怖いなどと感じたことはないダンテだけれど、彼に関しては心底臆病に ならざるを得ない。
彼がダンテに、少なくとも気配で目を覚ますことはない程度に気を許していることは確かなのだ。 この関係を、自ら壊すわけにはいかない。

ダンテはジーンズを穿いただけの恰好で部屋を出た。彼は既にリビングにいて、コーヒーを 飲んでいるだろうか。もしソファーに座ったままだとしたら、自分は何も知らぬ顔をして彼に コーヒーを淹れてやらねばならない。

薄めの、エスプレッソ。――――それは彼らの兄が、毎朝決まって淹れていた、思い出の欠片。





総てが欲しいなんて我儘は、絶対に言わないから。



どうかほんの少しだけ、あなたの心をぼくに下さい。



















戻。



また出ました。1D×2D。
とりあえず2DにのみVDが根底にあります。