闇夜
空はくらい。けれど“あかるい”から星は見えない。街の明かりがつよすぎて、星を見えなくして
しまうのだと兄は言う。
ぼくは言った。
まちの明かりが全部消えたら、いっしょにお星さまを数えようね?
ずっしりとした心地好い重みの愛銃を太腿のホルスターに収め、ダンテは何気なく空を見上げた。
都会の空は夜でも煌煌とした街明かりの所為で星が見えない。別段星の観察などしたいわけでもなく、
ダンテはすぐに視線を空からコンクリートへ下ろした。
見慣れた灰色、けばけばしいネオンの赤やら紫やらが映って、まるで下手な絵を描いている
ようだ。
疲れた、と呟く代わりにため息を一つ。落としたところへ声を掛けられた。
「お兄さん、独り?」
商売女――――ではなく、男の声だ。振り返ると開襟シャツをだらしなく羽織った男が一人、頭を
ちょっと傾げるようにしてこちらを見ている。
ダンテはあえて返事をしなかった。男が何の目的で声を掛けて来たのか、それすらもダンテには
興味のないことでしかない。
「俺も独りなんだよね」
そうか、ともだから何だとも返さず、さらには視線すら外したダンテに、しかし男は怯んだ様子も
ない。男の視線が舐めるようにダンテの全身を這っていく。が、ダンテは別段嫌悪を抱くことは
なかった。色事に極端に鈍いダンテは、男が声を掛けて来た理由はもちろん、男の視線の持つ意味も
判っていないのだ。
男がじりじりと距離を詰めて来ても、ダンテは全く警戒というものをしない。鈍いというよりも、
超が付く程無頓着なのだ。
「独りもの同士さ、仲良くしようよ?」
すぐそばまでにじり寄っていた男が、ダンテの引き締まった腰に腕を回した。男はダンテと同じか
少し低いくらいの長身だ。ダンテの肢体が筋肉に覆われているのは服の上からでも判るが、
意外に細いのだということは触れて初めて判る。男は無意識にだろう、喉を上下させた。
「ね、このまま外で……しようか?」
我慢出来ないとばかりの野卑な囁きにも、ダンテはぼんやりとした反応しかしない。
「あぁ……そうだな」
何をするのか、ダンテは理解していない。そう返してしまっては男の誘いに乗ったことになるの
だということも、残念ながら判っていなかった。
男は鼻息も荒く、じゃあ遠慮なく、とダンテの首筋に顔を埋め、腰の辺りをまさぐった。ダンテが
着ているのはジーンズに半袖のシャツ一枚という、いつになくラフなものだ。シャツをまくって
しまえばすぐに膚があらわになり、男の汗か何かで湿った掌が味わうように撫ぜていく。
「おい……?」
男の手がダンテの下衣にかかって初めて、ダンテは訝るように眉を顰めた。もちろんその程度で
男が止まるわけはない。ジーンズのボタンを外され、ジッパーに指がかかる。男が自分をセックスの
相手にしようとしているのだと、ダンテはようやく気付いた。
銃はすぐに抜ける。無駄弾を撃つまでもなく、男は逃げて行くなり腰を抜かすなりするだろう。
が、ダンテはそうしなかった。
(面倒だな……)
これが、理由の全てだ。
すでにジーンズのジッパーは下ろされ、ボクサーパンツの中には男の手。ダンテのものを愛撫する
手つきは性急で、しかし決して乱暴ではない。首筋に吸い付く唇にしてもそうで、膚を吸い歯を
立てはするが傷を付けることはない。それが少しだけ、物足りなく感じる。
血にまみれて交わる程に乱暴なくらいが丁度良い。優しいばかりの愛撫などいらない。
(もっと、――――)
ダンテの望みとは裏腹に、男は最後までダンテを荒々しく犯すことはなかった。
投げ出した手足はすらりと長く、以前に比べて明らかに細い。筋肉はまんべんなく付いているが、
全体的に痩せた感を拭えないのは、ダンテがそもそもろくなものを食べない所為だろう。
半端に脱げたジーンズを穿き直すのも億劫で、それが伝わったのか、今し方ダンテを抱いた男は
どこか嬉しそうにダンテの服を整え始めた。
「ね、良かったら俺んちに来ない?」
犬猫でも拾うような言いようだ。きっと男にとっては同じものなのだろうと、ダンテは思った。
今の自分は、男の目にそんなふうに映っているのかもしれない。
コンクリートの壁を背に、ダンテはずりずりと立ち上がった。男がダンテのジーンズを引き上げ、
ジッパーを上げる。けれど男の手はダンテの腰にあてられたまま。
「もう一回ここで……っていうのは、味気無いよね」
だからベッドへ、と誘っているつもりなのだろう。ダンテにすればどちらもさして変わらないの
だとは、男が判るわけもない。熱心に、男はダンテを誘う。一度躰を重ねているからか、ダンテが
断るとは思っていないような口振りだ。
どうしたものか――――考えることすら面倒になって、ため息を吐こうとしたところへ。
「……何やってんだ?」
今度は聞き慣れた男の声だ。見て確かめるまでもなく、ダンテとひどく似通った顔立ちの男が
コンクリートに寄り掛かるようにして立っている。ダンテの腰に腕を絡める男を睨んでいるの
だろう。男が怯えたように顔を強張らせた。
「だ、誰だよ、あんた?」
邪魔をするな、と男は気丈にも言い放った。ダンテは何も言わず、彼らの応酬に目を呉れることも
しない。
「邪魔はてめぇだ。風穴開けられたくなかったらとっとと消えな」
ダンテによく似た男は腰の後ろから銃を引き抜き、無造作に男へ銃口を向けた。その銃がダンテの
太腿に収まったものと同じだと、男が気付く余裕はなかっただろう。男は思った以上に肝の小さい
人間だったらしく、ひっと悲鳴を上げ、じたばたと手足をばたつかせながら銃口から逃げた。
「もっと速く走れ! ぶち抜かれてぇのか!?」
怒声に追われるように、男はばたばたと走り去っていく。足音が聞こえなくなってようやく銃を
下ろした男は、呆れたようにダンテを見やった。
「何でものの一時間が待てねぇかな……」
ダンテは肩を竦める。
「悪かったな」
「……悪いと思ってねぇくせに、白々しいんだよ」
じろりと睨まれるけれど、ダンテは鼻で笑うだけだ。男は苦いものを口に含んだように渋面を
浮かべ、銃をくるりと回した。苛々したとき、手の中のものを弄るのは癖だろう。ダンテは流し目を
呉れるように男を見やり、詰まらなさそうに内心で肩を竦めた。
「それで、首尾はどうなんだ?」
ダンテが問えば、男は銃身で肩を叩いた。
「しばらく酒代には困らねぇよ」
そうか、と息だけで呟いたダンテは、凭れていた壁から身を起こした。男のそばを通り過ぎようと
すると、そうはさせじと腹を腕で押さえられる。
「……何だ」
背丈は同じ。よく似た顔立ちは男のほうがいくらか若く、体躯も男のほうが逞しい。彼らは本来
なら、同じ空間には存在し得ない。それがこうして顔を合わせ、触れることが出来るこの状況が
どのようにして生み出されたのか、ダンテが知るわけもない。
「どうせ面倒臭がって撃退しなかったんだろうけどな……ちょっとは慎もうとは思わねぇのかよ」
同じ名の男が不機嫌そうに言った。ダンテは首を傾げる。
「何をだ?」
「鈍いな。俺がいるのにあんな奴と……って、こんなん、言うだけ無駄だってことくらい判ってる
けどよ」
ダンテに貞淑を求めるのは端から間違いだと、男は判っていても言わずにはおれぬらしい。深い
ため息がダンテの肩口にかかった。男はダンテの肩を片腕で抱き、首筋に鼻面を押しつけた。
「なぁ、これは俺の我儘なのか? お前を俺だけのもんにしたいって、んなもん無理だってことは
判ってるけど、望むくらい良いだろ……?」
ダンテは男の腕の中、頷くことも、否定することもない。ただ、動かない。男の気持ちを受け
入れるでも、拒むでもなく、ただ眺めるだけ。
何かに感情を揺さぶられることは、もうなくなった。――――捨ててしまった。もう、
何年も前に。
うなじに重いため息がかかる。
「やっぱ俺は、結局のところあいつには勝てねぇのか……」
あいつが誰なのか、ダンテは追及しなかった。男は独り言のつもりであろうし、追及するまでも
ないことだ。
たった一人の兄――――ダンテの唯一絶対の存在。彼の命を土台にして、今のダンテは生き長らえて
いる。
ダンテは一つ、男の背を叩いた。兄がよくしてくれたように、優しく。
「帰るぞ、ダンテ」
もう一人の自分――――男はのろのろと顔を上げ、うんと答える代わりにダンテの耳朶を
甘噛みした。
星の見えない空には何があるのか。いつかあの空の星を数えようと、約束をした幼かった
あの頃。
約束の相手はもう、この世にはおらず。
くらくてあかるい空のどこかに、きっと彼はいる筈だから。
ダンテは空を見上げる。星はやはり、一つも見えない。
すいません感満載、1ダン×2ダン…
ほんとすいません。しかもその他×2ダン…