純愛
下らない。
―― 下らない。
この世の総てが厭わしく、そして己の愚かしさがどうしようもなく下らない。
あぁ、反吐が出そうだ。
広くはないキッチンの片隅に、見慣れぬものが鎮座していることに、ダンテはまるで気付いて
いない様子だ。それは当然と言えば当然のことで、ダンテはめったにキッチンへは足を踏み
入れない。料理が壊滅的に不得手であることと、バージルが近寄せないことがその大きな理由だ。
ダンテもあえて、自らキッチンに立とうとすることもない。良くて冷蔵庫に用があるときくらいに
しか、ダンテはキッチン付近へは近寄ることはなかった。
少しは料理を覚えろと、たまに渋面を作ったりもするバージルだけれども、それが逆に好都合に
なることがあろうとは思ってもみなかった。それを置いておくだけならキッチンでなくとも、
物置でも事足りる。しかし問題は、けっして弱くはない香りにあるのだ。
何故、こんな真似をしてしまったのか、バージルは自分自身のことであるというのに全く
判らなかった。衝動。そうとしか言いようがない。バージルには自身がいかに不可解な行動を
したかという自覚はあったが、今さら時を逆巻くなど出来るものではない。出来るものなら、
したいところだ。
バージルはキッチンの隅に目をやり、眉を顰めた。本当に何を考えていたのか。いや、
まだ捨てられずに置いてあるのだから、奇妙な行動は続いたままだ。自分は何を考えているのか。
それが判らない。――判りたくなかった。
萎れてしまった花たちの、色褪せたさまに自嘲する。
言葉にすることの出来ない想いを、どうしてこんなものに託そうとしたのか――こんなものに
でも託さなければ、想いは届かぬままだ。
たとえこの命が今この瞬間に尽きようとしても、その言葉だけは、けっして口にしては
ならないのだから。
その話をどこで聞いたのか、記憶にはない。何かの本で読んだのだったかすら、覚えては
いなかった。ただ、その話を忘れることが出来なかったのだ。
十二月十二日。
全く不釣り合いな場所に姿を見せたバージルを、訝しむものは一人もなかった。若い店員に
頼んだ品も、怪しまれるようなこともなく、むしろ眉目秀麗なバージルが“それ”誰に贈るの
かと、少々熱っぽい眼差しとともに小さな囀りが店に満ちた程度だった。
もしバージルを知るものがその光景を目撃していたとしたら、目を皿のようにして驚いていた
であろう。その店もバージルが買い求めたものも、およそバージルには似つかわしくなかった。
愛らしく飾られた花束を、バージルは家に着くとすぐに花瓶に移した。もっとも彼ら双子の
住家に花瓶などという代物は存在しない。足のない背の高いグラスを花瓶代わりにするしか
なかったのだが、何もないよりましだった。
店の店員がわざわざきれいにラッピングしたにも拘わらず、バージルは包みを無造作に破き、
リボンなどとまとめて屑かごに突っ込んだ。贈る、つもりで買ったのは確かだった。しかし、
家に着いた瞬間に思い出してしまったのだ。こんな薄ら寒いことをしても、何ら意味がない
という現実を。
それから、花は花瓶代わりのグラスに生けられたまま、放置された。水さえろくに替えていない
ものだから、花びらは萎れ、半ばドライフラワーのように乾燥してしまっている。それでも捨て
られずに置いておくことしか出来ない自身を、バージルは嗤うしかなかった。
十二月、二十五日。
彼ら双子が生まれるきっかけとなった、その日。バージルにとっては力の制御がもっとも難しく
なる日であり、昨年は一晩、人気のないどこぞの工場の片隅で過ごした。力の制御を失えば、
無意識のうちにダンテを害してしまうことが容易に想像出来たからだ。最悪、殺してしまうかも
しれない。バージルはそれを、意識のない状況で成してしまうことを恐れたのだ。
去年はそうして夜が明けるまで耐えた。今年も同じようなものだろうと思っていたの
だが……。
ぱらぱらと、水面に花びらが散っては浮かぶ。血はかつてない程静まり返っており、暴走しよう
という気配は欠片もない。今年に限ってどうしたというのか、バージルに判るわけもなかった。
ただ、風呂の浴槽に浮かんだ白と赤の花びらを見つめる。
棘を有した茎も浴槽に放り、バージルはしばらくそのまま立ち尽くしていた。我ながら、
滑稽なざまだとしみじみ思う。
バージルは服のまま、浴槽に脚を突っ込み湯に浸かった。湯と言っても、溜めてから時間の
経ったそれはぬるま湯になっており、下手をすればかえって風邪をこじらせそうな温度だ。
しかしバージルには、どうでも良いことだった。
ぬるま湯はしばらくすれば水になる。花びらは水に浮かんだまま、揺れることもなくそこに
ある。
嘲笑うように。蔑むように。
少しまどろんでいたらしい。自身を呼ばわる声と、肩を揺さぶる腕のあることにバージルは
ふっと意識を取り戻した。目の前にはダンテの蒼褪めた顔。ダンテ、と名を呼べば、ダンテは
見て取れる程にほっとして見せた。その様子に、バージルは何かあったのかと疑問を覚え、
そのまま口にした。
「どうした」
するとダンテは一瞬面食らったように目を瞠り、次いでバージルを睨み付けた。
「それはこっちの科白だ! 何やってんだよ、水風呂なんか入りやがって……!」
死ぬ気かと、ダンテが顔を真っ赤にしてバージルに詰め寄る。その双眸に溜まったものが
あるのを見て、バージルはようやく、自分が浴槽に浸かったままであることを思い出した。
水は既に凍えるのではないかという程冷えており、確かに寒い。真冬に水風呂など、尋常では
なかった。唇の色が青から紫に変色しており、膚など蝋のように白い。死んでるのかと思った。
そう半泣きになって喚くダンテの言葉は、演技ではないことは間違いなかった。
寒い。自覚してしまえば、途方もない寒さが全身を襲う。
「ダンテ、」
バージルは氷のように冷えきった手を伸ばした。ダンテがすぐにその手を取る。暖かい。
何とも言えぬじんわりとした温もりが染みていくようだ。バージルは我知らず笑みを浮かべて
いた。
「バージル、なぁ、早く上がれよ」
促すダンテの手を、バージルはものも言わずぐいと引っ張った。力加減はしなかった。
ダンテはバージルの思いがけぬ行動に、よろめき倒れこんでくる。その躰を、バージルは
浴槽に引きずり込んだ。
ばしゃん、と派手な水音が響く。成人男性二人が同時に入るには、この浴槽は明らかに
狭すぎる。
バージルはダンテを自分の上に乗せるようにして、離せだとか寒いだとか喚く唇を
自分のそれで無理矢理塞いだ。易々と舌を見つけて搦め取り、体温を奪うかのようにきつく吸う。
バージルの肩を押し返そうと突っ撥ねていたダンテの手が、次第に力をなくしていくのが判る。
歯列を舌先でなぞり、口蓋を撫で、舌の付け根をくすぐり――暖かなダンテの口腔を貪る
ことに、バージルはいつになく溺れた。
「んっ……ふぅ、……ぁ……じる……ぅん……ッ」
口付けの合間に甘く名を呼ばれ、気が萎える男などいない。拒む為にあったダンテの手が、
今やバージルの肩に縋るものに変わっているのだから、余計にだ。
冷たい水の中にある、暖かなもの。
バージルはほんの少しだけ唇を離した。荒く息をし、肩を上下させているダンテに、囁く。
「そんなに心配したか、ダンテ?」
問いに、すぐさま「べつに!」ときつい睨みが返される。バージルは「そうか」と呟き、
ダンテの下唇をやんわりと食んだ。
「寒い、な」
「っぁ……たり前だろ、この馬鹿……何考えてんだよ」
唇を尖らせてダンテがバージルを詰った。バージルは薄く笑い、寒い、と繰り返した。
「寒い、ダンテ」
言わんとするところを、ダンテはようよう悟ったのだろう。ダンテの朱に染まった頬を、
バージルは両手で包み込むようにした。
「ダンテ、」
それ以上の言葉は知らない。花びらはダンテを引きずり込んだときに、浴槽から溢れ出て
排水口に溜まっている。
伝える言葉も、託すものも、ない。
ダンテが不意に、自らバージルに口付けた。触れるだけのキス。怒ったような表情で外方を
向くダンテの、赤い横顔。照れているのだと、ありありと判る。いや、純粋な怒りも含まれて
いるのかもしれない。独りにされることを、ダンテはひどく恐れる。
バージルはもう一つダンテの名を唱え、こちらを向かせて深く口付けた。
赤い花びらは情熱。
白い花びらは純真。
どちらもともに、愛という名をその身に宿す。
紡ぐことの出来ない言葉を、いつか伝えることが出来るのだろうか。
あかとしろの花びらが、震えるように嗤っている。
頂戴したネタ、第1弾でございます。
急いで書いたもので、文章に雑さが滲んでいて申し訳ありません。
今更ですが、兄→←弟が好きです。