寄生キセイ











雪が降りそうだ。

冬特有の暗い曇天を見上げ、肩を竦めた。寒い。コートの襟を引き寄せ、ぶるりと一つ 身震いする。それでも夏のうだる暑さに比べればましだと、自分で自分を納得させる。
クリスマスに雪。女が喜びそうなシチュエーションだ。本当に降るかどうかはさておき、 降ったとしても関係ねぇか、と苦く笑う。どうせ、プレゼントがどうのと考え、喜ばせねばならない 女などいないのだ。

家に帰ればただ一人。

暗い事務所の壁に居並ぶ、剣や銃たちが待っているだけだ。
溜息を吐き、先刻買い求めたワイン片手に帰路を急ぐ。早く帰って、暖まりたい。

何故だか酷く、寒気がする。



便利屋の事務所を一人で切り盛りすることは、彼にとってさして難しいことではなかった。 自分一人しかいないのだから、食べていける程度の仕事があればそれで充分なのだ。そんな姿勢で いる所為か、時にはその日の食費にすら事欠くこともしばしばあったが。

暖かいシャワーを頭から浴び、タオルでぞんざいに拭きながらリビングへ行く。風呂に入る前に 暖房を入れておいたお蔭で、部屋はすっかり暖かくなっている。
ようやく一息吐き、冷蔵庫に放り込んであったワインのボトルを取り出した。コルク抜きは どこにあったか、とキッチンの引き出しをごそごそと探る。必要最低限の調理器具しか入っていない 引き出しから、目的のものは埃をかぶった姿で見つかった。

きゅ、きゅ、とコルクが瓶に擦れて音を立てる。面倒な作業だが、少しの辛抱だ。きゅぽ、と 小気味の良い音を伴って栓が抜ける。途端、葡萄の濃い香りが鼻をついた。

グラスは使わない。ボトルに直接口をつけ、飲むというよりも呷るように喉に流し込んだ。 仄かな苦みと甘みが口内に満ち、胃を暖める。酒をこうしてひとりで飲むことは滅多にないの だが、今日は、今日だけは飲みたい気分だった。












「なぁ、バージル」

馬鹿のような声は、いつかの自分。そしてそれに応える声は、

「何だ」

大好きだった、双子の兄。
















ダンテは厚手の毛布を背中から羽織るようにして、ベッドの真ん中にべたりと座っていた。 時刻は午前六時。場所は、バージルの部屋の、ベッドの上。

朝にはからきし弱いダンテだが、何故か瞳を輝かせてバージルを見上げている。それもその筈で、 ダンテの機嫌は今最高の状態にある。というのも、バージルが、

「ケーキでも焼いてやる」

と言ったのが引き金だった。

今日はクリスマスだ。イベント事には二人して疎いのだが、この年は珍しくバージルから提案を 持ち掛けて来たのだ。

「ケーキ? 何でも良いのかっ?」

ほとんど眠っていないにも関わらず、瞳をきらきらとさせるダンテに、バージルが苦笑する。

「何種類も、というわけにはいかんがな」

何が良い? と。いつになく優しく言い、髪をくしゃりとしてくれるバージルに、ダンテは 笑みを零した。
バージルがダンテを甘やかすのは今に始まったことではないし、意識してしていることでも ないが、こうして意識して甘やかしてくれる時の優しさは、ダンテにとって酷く嬉しいものだ。

「んー、じゃあ……」

髪を梳くバージルの手に甘えながら、今一番食べたいケーキは、と無駄に真剣に考える。 バージルの気が変わることはないだろうが、ダンテはしかし急かされるように頭を働かせた。

「じゃあ、チーズケーキが良いな。苺とかブルーベリーとかたっぷり乗せてさ、あ、それなら レアが良いかも……? んん、でもベイクドも捨てがたいしなぁ」

むう、とまた悩みだしたダンテに、バージルはくすりと笑った。両方作ってやる。その言葉に ダンテは驚き、次いで破顔した。

「マジ? やった! サンキュ、バージル!」

抱き付けば、やれやれと言いながらも抱き返してくれる。その腕は暖かくて、ダンテを どこまでも仕合わせな気持ちにさせた。
















半分程空いたワインボトルを、ごとりと無造作にテーブルに置く。アルコールの作用で躰は 内側から暖まりはしたが、それでも芯は冷えたまま。こればかりは酒では誤魔化しようがないこと くらい、判っている。しかし一時でも誤魔化せればと、アルコールに頼ってしまう自身の弱さが 酷く醜くて、折角の旨いワインが台無しになってしまう。

誰もいない家。何の価値もないワイン。寒いばかりの、 聖誕祭クリスマス

慣れている筈だった。一人でやっていくことに、何の問題もない筈だった。
実際、便利屋稼業は一人で充分にやっていけているし、稼ぎもある。知り合いも増えた。 友人という間柄になった者もちらほらといる。
総てが、順調だ。不満など、ある筈がない。

ワインボトルをひょいと取り、赤い液体を一口、飲む。ちゅ、と音を立てて口を離すと、 嚥下しそこねたワインが顎に伝った。

血のように赤く、濃い。

まるで、この躰に流れるもののような。
















寝ろ、と言われ、嫌だ起きると言ったものの睡魔には勝てず、次に目を覚ましたのはもう昼を すっかり回った時間だった。まだ眠気は残っていたが、これ以上は眠りたくない。
早く起きて、兄に甘えたい。

着替えもそこそこに廊下に出ると、途端に寒さが全身を襲った。身震いし、急いでリビングに 向かう。小走りになってしまう自身をちょっと笑いながら。

リビングはほくほくと暖かい。寒がりのバージルのことだ。設定温度は少し高めにしてあるの だろう。

「座っていろ」

キッチンの方から声がかかり、ダンテはそちらを見やった。バージルが棚からカップを取り 出している。ダンテにコーヒーを淹れる為だ。

毎日、ダンテが昼前後に起きて来るとバージルはコーヒーを淹れてくれる。濃いエスプレッソを 好むバージルにすれば、かなり譲歩したと判る薄めのそれを、ダンテはいつも時間をかけて ゆっくり飲む。カップを両手で包み込むようにして、大事に大事に一口ずつ味わうのだ。時折、 早く飲め、と溜息混じりに急かされることもあるが。

ダンテが飲み終わるのを待って、バージルはテーブルに昼食を並べていく。主食はサンドイッチ。 それにスープとサラダを付けた、どちらかと言えば朝食寄りのメニューだ。
嬉々としてサラダに乗った丸ままのトマトに手を伸ばすと、バージルがソファーに腰掛けながら 言った。

「今朝買い足しておいた。足りぬなら、出して喰え」

真っ赤なトマトにかぶりつき、気色満面、ダンテは頷く。

「でもこれで充分。だって夜はごちそうだろ?」

「少しは手伝え」

「俺は良いけど、どうなっても知らねぇよ?」

「ふん、その時は仕置だな」

「……頑張る、俺」

ハムと卵の挟まったサンドイッチをトマトと一緒に咀嚼しながら、ダンテは独り言のように 呟いた。俺はどちらでも構わんが、というバージルの言葉は無視するに限る。
















甘いものは昔から好きだった。生クリームならホイップをそのままで食べられる程に。荒事師の 集うスラムの酒場でストロベリーサンデーを頬張る程に。

好きだった。それをいつからか、ほとんど食べなくなった。

嫌いになったわけではない。歳を取ると味覚が変わると言うが、味の好みは昔からさして変化は なく、やはり甘い物を好む性質がある。しかし、やはり昔とは変わってしまった。

ワインで汚れた顎を拭うと、雫がシャツに染みを作っていることに気付き、舌打ちする。 気に入りのシャツでは別段ないが、洗うのが面倒だ。
捨てちまうか、と切り捨てるように思い、ソファーに頭を凭せかけた。ソファーには、あまり 座らない。大抵ソファーを背凭れにする形で、床に座る。これは癖のようなもので、気付けば この位置に座っているのだ。

何か物足りないとは、思っていても認識してはならないこと。

ワインが残り少ない。一本しか買わなかったのは失敗だっただろうか。
溜息を吐く。どうにもやり切れない気分だ。
昔なら、と懐古の念に駆られかけて、自身を押し止どめる。

駄目だ。今更、取り戻せぬものを想ってはならない。

自らの血と同じ色のワインを飲み干し、空いたボトルを力任せに壁にぶつけた。
















焼き上がったベイクドチーズケーキを皿に移しているバージルに、ダンテは大喜びで背後から 抱き付いた。

「すっげ旨そうっ! さっすがバージルだよな〜!」

早く食べよう、と子供のようにはしゃぐダンテの頭を、バージルが手首を捻ってくしゃくしゃと 掻いた。

「あれを冷蔵庫から出して、開けておけ」

ダンテはバージルの肩にすりすりと頬を擦り付けてから、跳ねるように冷蔵庫に近寄った。 ばかりと扉を開けた目の前に、見慣れぬボトルが一本横たわっている。これ? と伺いながら ボトルを取り出し、しげしげとラベルを眺める。
シャンパンか何かかと思えば、ワインだ。それも赤。

「バージル、コルク抜きってどこ?」

わざわざ聞かずとも、用意周到なバージルは無言でダンテにコルク抜きを渡し、自身は チーズケーキのデコレーションに真剣である。そんな兄の姿にダンテはにっこりと笑み、 ワインボトルの栓を抜きにかかった。
下手をすればコルクが割れてボトルの中に落ちてしまう。少しばかり慎重に、しかしそれなりに 力を込めて栓を抜いた。

きゅぽ、と。軽い音が響く。

「…………?」

何を思ってかぼんやりと立ち尽くすダンテに、自分の仕事を終えたバージルが不審げに声を かけた。

「ダンテ、どうした?」

ボトルとコルクを手に、振り向いたダンテは。何故か。声もなく、表情もなく。

静かに涙を流していた。

バージルはボトルをダンテの手から取り上げて調理台に置き、そうしてダンテを引き寄せ抱き 締める。
ダンテはバージルの腕の中で、ただ静かに泣き続けた。何故涙が出るのか判らない。判ることは、 ただ何かが哀しいこと。そして。

涙の止め方が、どうしても思い出せないこと。















白い雪が、ふわりふわりと舞い落ちる。

それはあたかも綿毛のように降り積もり、総てを覆う。























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