休暇――――終
絨毯を汚したことをなじる言葉を、食器を片付けに来た執事じみた男は何一つ口にしなかった。
内心は穏やかではなかったのだろうが、それを顔色にすら出さないところはさすがだと、
ソファーに腰掛け眺めながら、バージルは思った。
ぼんやりとするバージルの膝には、全裸にしたダンテは丸くなって眠っている。かなり異様な、
というよりも情事を見せつけるような光景だが、今のダンテはバージル以外の人間には犬として
しか映らない。それを判っていて、バージルはあえてダンテを寝室にやらなかった。
泣き濡れて赤くなったダンテの目許に指先で触れ、長い睫毛をなぞる。ぴくりと瞼が動いたが、
目覚める気配はない。
片付けを終えた男を手招き、チップを渡す。男は慣れた仕種で礼を告げ、やはり無駄口を叩く
ことなく慇懃に部屋を辞した。ホテルの人間が客に馴々しくするべきではない。バージルは
他人には一切関心を抱かぬたちだが、あの男に関しては見上げたものだと珍しくも高評価を
与えた。が、それもダンテの寝顔を見てしまえばすぐに忘れること。
艶やかな銀糸を指に絡めながら、バージルは久しぶりに交合で羽目を外したと、自身を顧みて
そう思う。
ダンテとの交合はいつの時も理性のぎりぎりまで追い込まれるが、それでも抑えている
つもりだった。そうでなければ、ダンテを抱き潰してしまいそうで、柄にもなく恐怖に似たものを
抱いているのだ。
女ならば替えは利く。しかしダンテの替わりになるものなど世界中のどこにもないのだから。
大事にせねばと思う傍ら、いつも残酷な衝動――――一種、慾望と言える――――が寄り添う
ようにそこに在る。
足りない、のだ。いくら抱き、どんなにか酷く犯しても、満ち足りない。
……足りない。
銀の糸が、ぷちりと軽い音をたてて切れた。
「っ……?」
思い切り引いたつもりはなかったのだが、髪が抜けた痛みでダンテが僅かに覚醒してしまった
らしい。バージルの膝の上でもぞりと動き、鎖骨の辺りに顔をすりつけてくる。そしてふと、
薄く開いた瞳でこちらを見上げた。
「……バ……ジル……?」
掠れた声。紅い唇。腫れた目がどうにも愛おしい。
「大丈夫か、ダンテ」
などと、どの口がほざくのか。バージルは内心で自嘲したが、ダンテはそんなバージルを
罵ることはなく。
「ん……ねむぃ……」
しぱしぱと目を瞬かせ、こてんとバージルの肩を枕にして体重を凭せかけた。ダンテは
バージルとほぼ同じ体格だが、バージルはダンテを重いと感じたことはない。それはバージルの
膂力が尋常のものではない所為もあるが、そればかりではなく。
「……ふ……」
ぐずる、ではないのだろうが、ダンテがバージルの肩に顔を擦りつける。ダンテをこうして膝に
乗せていると、子供を抱いているような錯覚に陥りやすい。
バージルにとってダンテは、まだまだ手のかかる弟なのだ。双子だから対等であるという考えは、
バージルにはない。
ダンテは愛すべき、守るべき弟であり、それ以外の何者でもない。
そこが、ある種ダンテとの間に溝を作っているのだとは、気付いてはおらず。
膝の上、腕の中で惰眠を貪るダンテの、丸くなって背中を優しく撫でた。薄く微笑むその
眼差しに狂気が宿っていることを、バージルは知っていて知らぬふりをする。
まだ、大丈夫だ。
まだ壊さずに、ただ愛していられる。
いつか必ず崩壊する狂った心だからこそ、出来得る限りダンテを愛してやりたい。
押しつけるばかりの愛に応えろとは言わぬから、せめて、拒まず受け入れてくれることに
感謝をしなくてはならない。
「……ダンテ、」
どうか、
壊さぬように。
壊れぬように。
生まれ落ちた時から、既に狂っているこの心だけれども。
(愛している。……お前だけを愛している)
神などいらない。その代わりに、神に捧ぐべき愛を、お前に。
決して言葉にはしないけれど、誰よりも、何よりも愛している。
次の日は、あえてダンテを抱かなかった。無理をさせたという自覚はあったが、その理由から
ではなく、自らを戒めねばならぬと思ったからだ。
ソファーに腰掛け、分厚い本を開く。足許にはダンテが、ソファーを背凭れにして床に
座っている。いつもの、慣れた位置だ。ぴこぴこと、ダンテの犬の耳が動いている。
ホテルに泊まる意味が、不意にぼやけだした。判っていたことではあるが、場所を自宅から
ホテルに変えただけで、やることはまるで同じなのだ。部屋の広さと家具とが違う――――
それから自らで飯を作らなくとも良い――――だけで、他は何もかも同じ。
意味がない。そう、思ってはならないのだが、意味のないことを厭うバージルには、少し
苛立ちすら覚えてしまう。
それにしても、ダンテは静かだ。眠っているのではないのだろうが、バージルと違い本を
読まないダンテは、この無為な時間をどう紛らせているのか。気にはすれど、バージルは
ダンテに声をかけることもしない。
本に目を落としたところに、ふと、黙りこくっていたダンテがバージルを呼ばわった。
「なぁ、バージル?」
「……何だ」
ダンテは躊躇ったように少し口を噤み、あのさ、と言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「あの……ええと、さ……」
バージルはひとつ肩を竦めた。
「こちらを見て言え」
そろそろと肩越しにこちらを見やるダンテは、何故か酷く怯えているように見える。バージルは
内心で訝ったが、表情には出さない。ただ、ダンテの言葉を待った。
ダンテはしかし、バージルから目を逸らすことはせずに。
「……風呂……入んねぇ?」
「……それは、」
言いさしたバージルを、ダンテが慌てて制する。
「あ、あのっ、変な意味で取んなよっ? 俺は……その……」
顔を真っ赤にして弁解するダンテに、バージルは不覚にも呆気に取られてしまった。
ダンテからバージルを誘うことは、まず滅多にない。大抵バージルはダンテが嫌がろうとも
組み敷き、貫く。尤もダンテが抗うこともあまりないのだが。
降り注ぐシャワーに打たれ、ほっとした顔をするダンテの表情は、酷く艶っぽい。熱い湯に
当たっている為に、透き通るような白い膚がほんのりと紅く染まり、それがまた匂い立つような
色気を醸し出している。
バージルは先に湯を張った浴槽に身を預け、舐めるようにダンテの肢体を眺めた。初めて
見るものでもなく、今更珍しいものとの思わない。けれども目が逸らせないのは何故なの
だろう。
自らに科した戒めが、軋む。元より長く続くものではないと判っていたが、しかし自身の
耐え性のなさには嗤ってしまう。ダンテの膚を見ただけで下肢に熱が集まって来るなど、
どこの餓鬼か判らない。
「バージル、」
バージルの視線に気付いたか、ダンテがちらと視線だけをバージルに向けた。その視線の
婀娜っぽさに、馬鹿げているがどきりとしてしまう。ダンテはそんなことなど気付く筈も
ない。
「あのさ、そっち行って良いか?」
躰はもう洗い終えたようで、ダンテがシャワーのコックを捻った。膚に雫の伝うさまは、
酷くいやらしくバージルの目に映る。
頭がどうかしてしまっているらしい。が、バージルは内心で少し笑っただけで、大して気にも
しない。
狂っておらねば、どうして。
ちゃぷ、とダンテが湯船に漬かる。女のようなしおらしい仕種など、欠片もない。当然だ。
むしろそんな素振りを少しでもされれば、逆に萎えてしまう。
ダンテはダンテであるからこそ、バージルをこれ以上なく猛らせるのだ。
「ダンテ、来い」
湯から手を伸ばし、招く。ダンテがぱちりと目を瞬かせた。
「……っ……」
ちゃぷん。
引き寄せた躰が腕に納まる。たった人一人分の近さだったが、随分遠く隔たっていたような
気さえする。
引き締まった尻に手をやり、奥まったそこにくちりと押し込む。
「い、ぁ……ッ」
意外にもすんなりと指を飲み込みそこに、バージルは片眉を上げる。
「期待していたのか?」
犯されることを。
卑猥な囁きにダンテの躰が強張る。
「っ、……んな、こと……」
「そうか。ならば何故、慣らしてもいないのに、ここは三本も指を飲んでいるのだ?」
鉤爪のように指を曲げ、内壁を掻く。途端にダンテが高く啼き、ちゃぷんと湯が跳ねた。
「っや、あんっ……」
堪らないような表情で、喘ぐ。そのさまは淫靡で、バージルの昏い慾望を滾らせる。
「……ダンテ、」
名を呼べば、ダンテはぴくりと肩を跳ねさせ、それから恥ずかしそうに笑った。
「バージル、ん……アンタ、も、そ……なカオ……すんだなぁ……」
「……おかしいか?」
「んん……」
嬉しそうに、笑い。バージルを誘う。
「……ほしい、よ……ばぁじるぅ……」
指を抜き。自ら脚を開いたダンテを一息に貫いた。
「あぅうっん!」
あられもない嬌声が、耳に心地好い。
「もっとだ、ダンテ。啼け」
俺の為に。
深く突き上げてやれば、ダンテはバージルの望むように喘ぎ、がくがくと腰を揺らした。
「あっ、あっ……ふくぅ……っ」
「……好い声だ」
くつくつと笑えば、ダンテはかっと顔を赤くし、手で口を塞ごうとする。その手をバージルは
片手で掴み、後ろに捻り上げた。
「い、っ……バージルっ……」
涙目になって睨んでくるダンテは、酷く可愛い。バージルはダンテの赤くなった人の耳に
噛み付き、耳朶を舐めた。
「ひゃぅっ……」
びくりと震えるさまをもっと見たくて、揺さぶりながらもダンテの耳をねぶることに
没頭する。
「ダンテ、ダンテ……」
「っん、も、やぁッ……」
震え、ダンテがバージルを振り払うように顔を左右にして。
「バージルの、馬鹿っ……」
がぶりと。
バージルの肩に噛み付いた。
「………………」
「………………なぁ、」
「…………何だ」
「……それ、」
「何も言うな。そもそもお前の所為だろう」
「えぇっ、何でだよ?」
「…………」
「そ、そんな目で見るなよ! 俺が何したって……」
「口答えをするな」
ぴしゃりと言われ、ダンテがびくりとして口を噤む。バージルはぱらぱらと落ちる前髪を
掻き上げた。
「昨晩、俺の肩を噛んだだろう」
へ、とダンテが演技ではなく間抜けた声をあげる。
「噛んだ? 俺が? ……?」
本気で覚えていないのか、ダンテは真剣に首を傾げている。ダンテが噛み付いて来た時、
既に意識が半ば飛んでいたということなのだろうか。
バージルは納得のいかぬものを感じながら、しきりに首を捻っているダンテの髪を、がしりと
束で掴んだ。
「ってぇ……! 何すんだよ!?」
そんなに力をこめたつもりはないのだが、よほど痛かったらしく、ダンテは涙目でバージルを
睨んだ。バージルはしかし、謝る素振りも見せない。
「こうなった責任は取って貰うぞ」
ダンテが「ひっ」と本気で恐怖した声をあげる。こんな顔は、きっとどんな悪魔に対峙しても
見せないに違いない。
良い顔をする。非道にもそう思ったバージルに、ダンテがおそるおそる上目遣いに言った。
「で、でもさ……結構、似合ってるぜ、それ?」
ダンテが見上げたのは、バージルの頭に生えた何かの動物の耳。ダンテがそうであったように、
髪と同色、加えて尻の辺りには細長い尾が伸びている。ちなみにダンテはといえば、あれ程
定着していた耳も尾も、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
昨晩、風呂から上がった後も散々交わって、眠ったのはすっかり日付が変わってからだった。
ようやく眠って、目が覚めてみればこの始末である。原因など、風呂場でダンテに噛まれたこと
以外にない。が、絶対にそうだと言い切れないことは、バージルにも判っているのだ。
何故ならば、バージルに生えたそれはどうも猫のもののように見えてならないから。
今し方の恐怖はどこにいったのか、嬉しそうに見上げてくるダンテにバージルは青筋を
浮かべた。
「……そう言われて、嬉しがると思うか?」
極限まで低められた声に、ダンテが顔を引きつらせた。
「あ……はは、やっぱり?」
仕置、決定だな。内心でひとりごち、バージルは荷物をまとめるべくソファーから立ち
上がった。後ろからついて来るダンテの気配に、小さく肩を竦める。
今後、クリスマスはバージルにとっての厄日になりそうである。
銀色の尾がゆるりと揺れ、バージルの哀愁を物語った。
クリスマスものはこれにてすべて終了です。
お付き合い下さった方、お疲れ様でした。