白朱
どうしたものか。
悩んで、悩んで、悩み抜いて、その結果彼が下した決断とは。
自室でいつものように本を広げていたバージルは、ふと嗅覚を刺激するものを感じて目を上げた。
常人とは五感の総てが違うバージルの嗅覚を反応させたこの匂いは、どうもバージルにとって
好ましいものではないようだ。
バージルは眉を顰め、一つ溜息を吐いてまた文字の羅列を追い始めた。
(また、何か買って来たのだろう)
誰が、と言えば一人しかいない。バージルの双子の弟、ダンテだ。
先刻、何やらこそりと家を出て行ったと思えば、またこそりと帰って来ていた。バージルは
その間ずっと二階の自室で読書に耽っており、ダンテが何をしていようが完全に野放しの
状態だった。
たまに首輪を着けて鎖で繋いでやろうかと、本気で思うこともあるのだけれども。
優れた嗅覚を意識的に遮断し、バージルは本の頁をぱらとめくった。
バージル、
自分を呼ばわるダンテの声は、いつでも愛しく思うもの。しかし読書の邪魔をする場合は、
少しの苛立ちをバージルに植え付ける。
「なぁ、バージルって」
二の腕の辺りをそろりと触れるダンテの指に、バージルはぴくりと眉根を寄せた。何だ、と
いつにも増して冷たい声音で応じてやれば、ダンテはびくっと指を引っ込めて、しかしバージルを
呼ばわることはやめようとしない。
「バージル……ちょっと……ほんのちょっとで良いからさ、」
こっち向いてくれよ。懇願じみた声に不審を覚え、バージルは溜息を一つ落として本を閉じた。
ダンテが少しだけ笑みを浮かべるのが気配で判る。己の言動一つに一喜一憂するダンテは、確かに
可愛らしい。
椅子を引いて振り返ったバージルの目の前に、ダンテがおずおずと皿を差し出した。もちろん
皿だけではなく、食べ物らしい何かが乗っている。あまり形が良いとは言えぬこれは、
「……サンドイッチか?」
忘れていた匂いがふわりと鼻孔に入り込んでくる。嫌いではないが、あまり好きでもない
この匂いは、ダンテにとっては大好きな生クリームのそれだ。長方形に切ろうとして失敗したの
だろう、いびつなパンからはみ出した白いクリームの中には、きっと真っ赤な苺がふんだんに
入っているに違いない。刻みでもしたのか、苺の汁でクリームが赤く染まっている箇所がある。
見た目ははっきり言って、百歩譲っても美味しそうには見えない。ただでさえ、バージルは
甘い物が好きではないのだから。
「……それで?」
これをどうしたいのか、問うバージルにダンテは俯きがちにぼそぼそと言った。
「や、あの……食べるかなぁと思って、俺……」
アンタのを真似て作ってみたんだけど、と。
先月だったか、苺のサンドイッチが食べたいと言い出したダンテに作ってやったことがあった。
その時のダンテの喜びようは、まだバージルの記憶に新しい。
実はあの日、バージルはダンテが苺のサンドイッチを食べたいと言い出す前に、既に準備をして
いたのだ。どこかの店でみかけたのが初めで、ダンテの好きそうなサンドイッチだと真っ先に
思った。作ってやれば喜ぶだろうと、自分は食わぬけれど材料を揃え、作ろうとしていたところへ
見計らったようにダンテが食べたいと言い出したのだ。
双子といういきものは、無意識下で何かしら同調しているものらしい。
バージルは咄嗟に、ダンテを冷たく突き放して家から放り出した。きっと、何も出来ずに戻って
来るだろうと予想を立てて。案の定、ダンテは手ぶらで戻り。怯えてか、おどおどしていたが苺の
サンドイッチが何故かあると気付き、目に見えて喜色を浮かべたものだ。
放り出されたことも忘れ、サンドイッチを頬張るダンテは健気で愛らしかった。
その苺のサンドイッチを、今度はダンテが作ったらしい。が、何故自分が食べるかと思ったのか、
バージルには判らない。バージルがこの手の食べ物を好まないことくらい、ダンテは知っている
だろうに。
「…………」
何かの遊びか。しかしダンテの表情を見ればその可能性は薄い。ならば、何だ。
バージルがサンドイッチを食べようとしないことに、ダンテは焦りに似たものを感じたのか。
「バージルがこういうの嫌いだって、判ってるんだけどさ、でも、今日は……アンタに食べて
欲しくて……」
恥ずかしさよりも怯えの勝った声だ。バージルはダンテの腕を掴み、無造作に腰を抱き寄せて
膝の上に座らせた。皿をひっくり返すようなことには、当然させない。ひょいとダンテの手から
皿を奪い、机に非難させる。何を、と惑うダンテの唇を、バージルはやはり不意をつく形で
吸った。
「んっ……!」
突然のことに驚いたらしいダンテではあるが、慄くばかりの舌を絡め取り、舐ってやれば
次第にその表情を甘く変えていく。そして自ら舌を絡めるまでに、さしたる時間はかからない。
ふる、と密着させたダンテの躰が震えた。
「っふ……はぁ……」
ダンテは熱に浮かされたような溜息を吐き、空の碧を切り取った瞳をしっとりと濡らして、
掠れた声でバージルを呼ばわる。バージルはもう一つ、触れるだけの口付けをダンテに施した。
ちらと視線を机に乗せた皿――――苺のサンドイッチに呉れる。甘い物は好まない。しかし
ダンテは判っていながら、バージルの為にと自ら買い出しに行ってまで作ったのだ。おそらく、
悪戦苦闘の末に出来上がった、まだ見目の良いものを選んで皿に盛り付けたに違いない。
どうしてそこまでして、ダンテは苺のサンドイッチを作ったのか。少し考えて、思い出した。
「……忘れていたな」
一年前は不在だったが、その前までは毎年ダンテはバージルの為に何かしら作ってくれていた。
たった一年で忘れてしまうとは、紛れもない不覚だ。
今日は、バレンタインではないか。
腕の中で、ダンテがことんとバージルの肩に頭を乗せた。
「……無理に食べてくれなくて良いからな?」
作ってみただけだし。呟くダンテの襟元を広げ、膚をちゅっとわざとらしく音を立てて吸い、
バージルはいびつな形のサンドイッチを摘んで口に運んだ。ダンテの肩越し一口囓ると、ぽたりと
赤く染まったクリームが落ちた。
「ひゃっ……!」
びくっとダンテが首を竦める。ダンテの白い膚に、クリームの白と赤が映えてどこか
可愛らしい。バージルは舌を這わせクリームを舐め取った。ダンテが鼻にかかった声をもらす。
「っんぅ……」
クリームの甘みと苺の酸味が口内に広がり、しかしバージルは顔をしかめることはなく。
ダンテの膚の甘さが、舌を痺れさせている。
「これなら、喰えんこともないか」
独り言めいた呟きをダンテはどう取ったのか、ほう、と溜息を吐いた。
「良かった……ちゃんと味わって喰ってくれな?」
ぎゅう、とバージルの首にしがみついてくる腕は、まるで親にしがみつく子供のようだ。
バージルはダンテの髪を優しく梳いてやり、食べかけのサンドイッチを口に入れた。そしてまた
ダンテの膚を舐める。
「もちろん、味わうさ」
お前を。とは、声には出さず。
ダンテのうなじに、一つ口付けた。
[08/1/5、再掲載]